160 神隠しの杖
思えば、ルーシ王国の依頼はけっこうエゲつない。
よく分からんアーティファクト「クォデネンツ」を調査してくれ……という依頼の難易度が高いのは分かっていた。
が、難易度はもちろん危険度もヤバいのがこの旅の間にだんだん分かってきた。
クォデネンツのコアは四次元幾何学構造の正二十四胞体である。
四次元幾何学……四次元技術は危険だ。
成都租界の人為的事故で20名近くが死んだし、未来視の一件では危うくヒヨリが死にかけた。
一応四次元追放から三次元に戻るための安全装置がありはするものの、未だに動作メカニズムが不鮮明。何かを間違えば街ごと消失してもおかしくない。
特に俺と山上氏が共同でハトバト氏が残した資料からでっち上げた初級四次元幾何学の産物ではなく、明らかに超高等な魔法文明産超技術クォデネンツの超上級四次元機構を下手に弄れば、最悪地球丸ごと消滅も有り得るのではなかろうか。
クッッッソ危ない。
そんな危険なモンを弄らせるんじゃねぇよ、と言いたい一方で、そんなモンを弄れるとしたら世界一器用なAAA級精密動作人間・大利賢師以外にあり得ない、というのも分かる。
世界を変革する蘇生魔法伝授の対価として、世界を滅ぼし得るクォデネンツの調査を依頼する。まあ、妥当だ。
クォデネンツを調べる前に、俺は少しでも四次元幾何学への知見を積んでおく必要がある。
乾電池の直列繋ぎや並列繋ぎで喜んでいる低レベルな技術者が原子力発電所に手を出したらどうなるか? 想像に難くない。本番前にもっとレベルアップしなければ。
そんな訳で、俺は旅程の決定権を持つヒヨリに頼み、ジャラリヤ市に寄ってもらう事にした。
インド西部の乾燥地帯にあるジャラリヤ市は、どうやら数学が盛んらしい。
山上氏が寄こした四次元幾何学論にもジャラリヤ出身の数学者の論文が何本か引用されていた。
日本を遠く離れ、山上氏との手紙のやりとりも時間がかかるし紛失の恐れが高くなってきている。そもそも山上氏の専門は四次元じゃないし。旅のついでに現地の専門家から四次元幾何学経験値を摂取できるならそれに越した事はない。
インドは「ゼロ」の概念を発明した偉大な数学の国。四次元幾何学分野の研究にも期待が持てる。
ジャラリヤ市は乾燥した薄茶色の大地が延々と広がる荒野の真っただ中にあった。
ヒヨリが仕入れた観光ガイドによると、元々は小さな寒村だったが、やたら旨いサソリ魔物が獲れるようになったため(現在は養殖されている)経済規模が拡大し、村から市に昇格したそうだ。
名物はサソリ鍋である。
土壁の簡素な家々の間には低木が植えられ、土埃が舞い空気が霞む。スカーフで口元を隠さないとむせそうだ。
街の活気はそこそこといったところで、飯屋の軒先で昼間から酒を飲んでいるオッサンが奥さんっぽい人に箒で殴られ、その剣幕にオッサンの足元にいる虎魔獣の子供がビビって縮こまっていた。平和だ。
ざっと見た限り、ジャラリヤはなんてことはない平凡な街で、そんなに学問が栄えそうにも思えない。
ヒヨリが通行人を捕まえて学院の場所を聞いても、そんなものは無いとかえってきた。小学校ならあるが、学院と呼べるほど高等な教育をする学術機関はもっと大きな市にいかないと無いそうだ。
ジャラリヤはサソリ鍋の街であって、数学の街ではなかった。
分からなくなってきた。
なぜ山上氏が引用に使うほどの四次元幾何学論文を書いた数学者がこの街から何人も輩出されているのか……?
絶対数学に力を入れてる街だと思ったのに。サソリ養殖場とかサソリ土産店とかサソリ問屋はあるのに、数学の気配が全然ない。
俺とヒヨリが揃って首を傾げていると、いつの間にか姿を消していたツバキがキャアキャア騒ぐ地元の子供たちをワラワラ引き連れて戻ってきた。
俺が悲鳴を上げるより早く、ヒヨリは素早く透明化魔法をかけてくれた。
セーフ! 物怖じしない元気な子供は俺が最も恐れる生き物のうちの一つだ。奴らは距離感というモノが分からずグイグイ来やがる。元気で大変よろしく、胃に大変よろしくない。恐ろしい生き物たちだ。
子供たちの中心でデカい顔をして自慢げに駆け寄ってきたツバキは独りでいる(ように見える)ヒヨリに目を瞬いた。
「あれっ? オーリは? オーリいない」
「気にするな。どうした、何かあったのか?」
「オーリが喜ぶ話聞いたよ。寺院に『神隠しの杖』っていうのあるんだって。ねーっ?」
ツバキが取り巻きに声をかけると、キッズ共は口々に肯定した。
なにっ。神隠しの杖とな?
聞いた事ねぇぞ。なんだそれ? 面白そうな響きしてるじゃないか。
「ヒヨリ、ヒヨリ。杖について」
「うあっ……分かった、聞けばいいんだろ? あんまり耳元で囁くな」
変な顔をしたヒヨリは、咳払いをして俺の代わりに事情聴取をしてくれた。
地元の子供たちの話をまとめると、ジャラリヤの寺院には「神隠しの杖」「あったりなかったりの杖」「気まぐれ杖」と呼ばれる杖があるらしい。
大昔の偉い人が作った魔法の杖で、消えたり現れたり、触れたり触れなかったり、とにかく不思議な杖なのだとか。
あと空気に模様が出て近づけなかったり、逆に近づいたモノを消してしまったり、摩訶不思議でちょっと危ないため、子供は近づいてはいけないと言われているそうだ。
フム。
聞いた感じ、四次元幾何学を利用した杖っぽい、か?
大昔に作られた杖というぐらいだからハトバト氏とは無関係?
それともハトバト氏が大昔に作った杖とか?
どちらにせよ、四次元幾何学を利用した杖の現物があるというのなら、この街から四次元幾何学論文を書く数学者が何人も輩出されているのにも納得がいく。
手本があれば研究が捗るのは魔王グレムリンで証明済みだ。
情報提供のお礼に火吹き芸を子供たちに見せ、アイドルかヒーローかという喝采と興奮の嵐の中心で鼻高々になっているツバキを置いて、俺達は噂の寺院に向かう事にした。
寺院では院長をやっているというヨボヨボしわくちゃの腰が曲がったおばあちゃんが中へ案内してくれた(透明化は解除した)。
しわしわの糸目をショボショボさせながら、おばあちゃんが杖をつきつき案内しつつ教えてくれる。
「今はねぇ、見える時期なんですよ。お二人は運がよろしいですよ。一昨日見えたばっかりでねぇ、その前は三カ月もずーっと見えなんだで。そのまた前はねぇ、チラと見えたと思ったら半年も見えなんでね、長々見える頃もあれば、ずうっと見えん頃もあるのですよ。なにしろ気まぐれな杖でねぇ」
もごもご説明してくれるのを聞きながら院長ばあちゃんについていくと、すぐに目的の物にお目にかかれた。
レリーフが刻まれた石の円柱が立ち並ぶ寺院の中庭に、神隠しの杖はあった。
「浮いてる……」
「おおっ、これが……いや、杖ではなくね?」
金色の神隠しの杖は目線ぐらいの高さにふわーっと浮いていた。
杖というかデカめの金剛杵だ。鳥の足を二本くっつけたみたいな形をしている。仏具っぽい。まあ杖にも見えるっちゃ見えるか。
なんだか存在感が朧気で、なんならちょっと向こう側が透けて見える。
幽霊のようだ。
子供たちが語ったように神隠しの杖の周りの空間には薄っすらとヒビが入り、模様が刻まれている。紛れもない、幾何学模様だ。
「この空間のひび割れ、敷き詰め模様だ。いや曼荼羅模様なのか? ひし形と三角形だけで上手く構築してる。なるほど? 四次元干渉は必ずしも3次元凸均質体にする必要はないのか。展開図というよりむしろ折り紙の発想に近いなこれ。折りたたんだ物を包み込む形で更に折りたたんで……ははぁ、賢いな……」
「若い方、もしや数学者の方ですか」
神隠しの杖の周りをぐるぐる歩き回り色々な角度から観察し熟考していると、不意に院長ばあちゃんから声をかけられた。
ドッキーッ!!
声をかけるなら声をかけるって声をかけてから声をかけてくれ! バカッ!
「ぃえへっ、あ、いやその、ははは、ちがっ、いやその数学も齧ってはいますけど数学者と名乗れるほどのものかというとマジで全然そんな事はなくて、超絶限定的な分野における数学の物理的な工学運用においてのみ一家言ありますみたいな、あっすみませんワケわかんない事いってつまり俺は数学ちょっとわかるけど数学者ではないですはいすみません……」
「彼は杖職人です」
俺の引きつった愛想笑いから繰り出すモゴモゴを、ヒヨリは落ち着いて一言でまとめてくれた。翻訳たすかる。
院長ばあちゃんは何度も頷き、目を閉じてるのか開いてるのか分からん糸目で俺を見上げた。
「私の夫も数学者でしたよ。学位もあるそれはそれは立派な学者でねぇ。私には分からんのですが、難しい研究にまあ夢中になって。あの杖がある、ちょうどあそこに毎日座り込んで、曼荼羅を描いては消して、描いては消してね。それからアレを作って、作ったかと思えば消えてしまったのですよ。もう、70年近く前の話です」
「……その頃、ハトバトって名前のヨソ者が来てたりしませんでした?」
「はとばと? なにぶん昔の話ですし、ハッキリした事は分からんですが、無かったと思いますよ。あの頃はぜーんぜん外から人が来ませんでしたのでね」
昔を思い出しながら語るおばあちゃんの話を聞いて、俺は大雑把に何が起きたか察しがついた。
ばあちゃんの旦那さんの数学者は、70年も昔に既に四次元技術を独自発見していたのだ。
高度な数学的能力、センス、一握りの発想があれば、なるほど可能に違いない。
しかし事故を起こした。
事故を起こして、次元の彼方に消えてしまった。
俺はハトバト氏が使っていた四次元技術をリバースエンジニアリングする形で四次元技術を習得した。
完成形の実物があり、そこから理屈を逆算して再現応用している形だ。
一方で、ばあちゃんの旦那さんはゼロから四次元技術を開発していた。試行錯誤を繰り返していた。
四次元事故を起こす確率は、完成形の青写真がある俺よりも遥かに高かったに違いない。
もしかしたら。
もしかしたら、今まで四次元技術の扉を開きかけた天才は世界中にいっぱいいたのかも知れない。
だが、その天才達はきっと尽く次元の彼方に消えてしまったのだ。
ゾッとする。
本当にヒヨリが傍にいてくれて良かった。俺の危機管理能力で四次元研究をしていたら、今頃十回は死んでいそうだ。それも死体すら残らない死に方してそう。くわばら、くわばら。
それから、ヒヨリにばあちゃんの昔話の聞き役を任せ、俺は70年前の天才の遺物を丹念に調べ上げた。
数学的にどういう理屈でこうなっているのかは全然分からない。
だが、俺は職人だ。ふわふわ浮いている神隠しの杖を見れば、どういう加工技術で、どういう思想で、何をしたかったのかは読み取れる。
神隠しの杖を作った過去の偉人は数学的美しさを持つ図形を作るセンスが抜群に高かった。俺のような半端に数学を齧った激浅初学者でさえよく分かる。
立派な数学者だったって言ってたけど、ハーバードとかオックスフォードとかMITとか、そういう超有名難関大学の出じゃないかな。ヤバそう。
一方で、加工技術はゴミだったようだ。
もうね、カス。酷い。
数学センスに加工技術が全然追いついてない。
酷すぎて泣きそう。なんでこういう事するわけ? 極上の宝石の原石をハンマーで雑に叩いてカチ割るが如きだよ。
つくづくグレムリン災害は世に不幸を振りまいたのだと思い知る。
世界中の人々を繋いでいたネットワークが喪失したせいで、世界中に点在する天才たちが孤立してしまった。
情報共有ができない。他の天才との共同作業ができない。偏った才能を持つ天才が、たった一人で藻掻くしかなかった。
「大利、この杖の製作者は設計図を残さなかったようだ。研究資料らしい物はあったようだが、捨ててしまっている」
「あ~……まあ70年も前の話だもんな」
ばあちゃんから首尾よく情報を聞き出したヒヨリの言葉に頭を掻く。
そりゃそうだ。80年も律儀に俺の家や小物を手入れして守ってくれていた蜘蛛さんやフヨウたちの方が例外なのだ。70年は過去を風化させるのには充分過ぎる歳月なのだから。
しんみりしていると、ヒヨリがしかめっつらで言った。
「おい。また半年も居座るとか言うなよ? あと一年でルーシに着かないといけないんだぞ。寄り道は控えるって言ったばかりだろ」
「あ、いやコレは一週間ぐらいで解析できると思う。地球数学の延長線で作られてるからかな、けっこう設計思想が分かりやすい。どこ直せばいいのかもぼんやり分かる」
というか、単純に加工が下手!!! A5ランクの霜降り牛肉を脂全部落ちてカラカラになるまで焼き焦がすが如き蛮行だよ。眩暈がしてくる。
加工精度を上げてやるだけで、神隠し状態になっている不安定さの90%は解決できそうだ。
70年前の数学者は確かに天才だった。
だが、俺もまた天才だ。大天才だ。
アンタが志半ばで完成させられなかったこの杖を、俺の手で完成させてやろう。
自分の手で完成させられなくてさぞ悔しいだろうけど。無念だろうけど。
それが俺にできる最大限の、顔も知らない先人への手向けだから。