159 あらすじ
未来視一行が姿をくらまし、俺達も半年近く長々と滞在したワンゴイ市を出た。
もう少し残っていくというコンラッドは医学論文を書かないかと打診してきたがもちろん拒否だ。
我、魔法杖職人ぞ? この五カ月間、医者をやったのは友達のために過ぎない。医学論文なんて書いたらまた「0933は杖職人を辞めて医者を始めた」とか勘違いされるだろーが!
あと余計な事に首を突っ込みまくってるとルーシ王国行きが遅れる。
なんやかんや、俺が生き返ってからそろそろ二年だ。あと一年以内にルーシ王国に到着し、魔王グレムリン以上に複雑難解な魔法文明の遺物と目されるクォデネンツの解析を始めなければならない。
この二年間に起きたどったんばったん大騒ぎの数々を思えば、あと一年でルーシ王国に着くのかちょっと自信が無くなる。
ワンゴイ市を出た俺達はガンジス川に沿って西へ西へ進み、途中で虎魔獣から蒸気機関車に乗り換えて、首都デリーに入った。
客室どころか車両の屋根の上にまで人を乗せたぎゅうぎゅう詰めの蒸気機関車から降り、たちまち寄ってくる物乞い達を押し退けて、宿へ向かう。
大国インドの首都だけあってデリーは人が多かった。どこもかしこも虎だらけの人だらけ。東京のようにキチンと整備された綺麗な計画都市とは程遠く、雑然としていて、なんというか下町感がある。
店の壁の塗装は剥げっぱなし。露店の籠に溢れんばかりに盛られた果物は土埃を被っている。尻尾の先が手になった猿の魔獣が尻をかきながら揚げ物屋の店主の調理を手伝っていたり、かと思えば調味液に漬けた魔物肉がバカみたいな安い値段で切り売りされていたり。
お国柄ってやつなんですかね。
宿にチェックインして荷物を置いた俺達は、夕方までの時間を書店で過ごす事にした。
ツバキはコンラッドにアレコレ教わり、勉強というモノに興味を持ったらしい。油の化学組成だの適切な保存法だの、そういう事を知りたいと言い出した。かなり高精度なテイスティングができる割にそういうのは知らないんだな。
俺もヒヨリも油について詳しくは知らないので、料理本か何かを買い与えてやろうという運びになった。
書店に入った俺はすぐに失策に気付いた。
インドの公用語はヒンディー語だ。ツバキが読める文字ではない。ダメじゃね?
「ほらツバキ、あっちが絵本コーナーだ。料理の本もあるだろう。何冊でも好きなのを選べ、燃やすなよ」
「ミミミッ!」
しかしツバキはヒヨリに優しく促され、いそいそ絵本コーナーに走って行った。
全身に炎を纏うツバキに書店員たちがビビってたが、ツバキの炎コントロールは完璧だ。ツバキが絵本を手に取って開いても全然火が燃え移らないのを見ると、ホッと息を吐いていた。
「絵本で油の化学式だの賞味期限だのは勉強できないだろ」
「当たり前だ。だが、お前は今まで漫画しか読んで来なかったツバキがいきなり学術書を読んで理解できると思うのか?」
「……確かに!」
いきなり難しい本を読んだら投げ出しそう。絵本から始めるのは悪く無いチョイスだ。
なるほどね。これが教育か。
「ツバキはヒンディー語読めるようになったのか?」
「コンラッドに少し教わったらしい。まあ絵本なら雰囲気で楽しめるだろうさ」
離れて眺めていると、ツバキは絵本のヒンディー語を指でなぞってはたどたどしく音読している。本当に読めるようになってるっぽい。
スゴイゾ、ツバキ! 俺達が五カ月かけて蘇生魔法の新境地を切り開いている間、ツバキも単に暇を持て余していたわけではないらしい。
ツバキが絵本に夢中になっている間、俺達は俺達で本棚を巡った。
幸い、ここは大型書店。外国語コーナーもあり、俺は英語の無名叙事詩本を見つけて手に取った。
ペラペラ捲ると、どうやら現在判明している全ての魔法詠唱文を列挙し、順番を入れ換え、一連の意味ある叙事詩としての体裁を整える試みをした書籍らしい。
興味深い。
生き返ってから日本で過ごした一年間、俺は死んでいた80年間のグレムリン工学の進歩に追いつくのに必死だった。
あと魔王グレムリンの分解もしていたし、とてもではないが魔法言語学の進歩まで追えていない。
出発前に大日向教授にザッと目ぼしいトピックスだけでも聞いておけば良かったかな。
本によれば、無名叙事詩の書き出しはある一つの詠唱文であるという事で学会における意見の一致を得ているらしい。
魔法安定化魔法「This epic tells the life of him」だ。
「him」の読みとしては「タルクェァ」が充てられており、無名叙事詩がタルクェァという人物の人生を綴ったものである事が示唆されている。
この本の著者は「無名叙事詩はタルクェァとその仲間たちの英雄譚である」という立場に立って数々の詠唱を解釈している。
それによれば、無名叙事詩は四つのパートに分けられるのだそうだ。
まず「タルクェァの旅立ち」。
小さな村に生まれたタルクェァは旅立ち、なんか色々事件を解決する。
次が「幽界捕食者(Astral Eater)討伐」。
恵みをもたらす存在(?)として祀られていた(?)幽界捕食者と、タルクェァ一行は敵対する。
詳細は不明なのだが、討伐を終えた後、タルクェァは民衆の熱烈な支持を受け、王の地位に就く。
その次が「ハトバト(人形)の乱」。
ハトバトが人形の軍勢を率いて人類を滅ぼしにかかる。タルクェァは人形たちの長女を味方につけ、これに対抗。
相当ボコボコにされたらしいが、最終的には一時停戦となったようだ。
最後が「傀儡の軍勢」。
突如傀儡魔法でメチャクチャをやりだした魔法使いが世界を席巻。
邪悪な魔法使いはバカクソ強く、世界はあわや悪の手に堕ちるかと思われたのだが、最終的には激昂した大魔女にぶっ殺された。
以上で四パートとなる。
ざーっと著者が提唱する「無名叙事詩のあらすじ」を読んだのだが、抜けが多くて分からない部分が多い。
タルクェァはどうして故郷を旅立ったのか?
色々な事件ってなんだ?
なぜ恵みをもたらしてくれるらしい幽界捕食者を倒す流れになったのか?
どうして人形軍と人類が停戦したのか?
細部がポロポロ抜け落ちている。
一方でなんとなーく繋がる部分もある。
傀儡魔法の魔法使いは、入間枠の事だ。アレは魔法文明でもヤバい敵だったらしい。流石にか。
で、傀儡使いをブチ切れてぶっ殺した大魔女というのは、たぶん入間が言っていた「瓦礫の魔女」の事だ。ハトバト氏曰く「聖域の魔女」。
無名叙事詩に語られる魔法文明の敵対関係を引きずっていた(フラッシュバックした?)と思われる。
俺って無名叙事詩のボスキャラ2体にバッタリ会ってたって事?
なんで会うんだよ。こえーよ。
幽界捕食者ともそのうち会ったりしないだろうな?
無名叙事詩内で死んでるはずのハトバト氏がシレーッとそのへん歩いてたし、ありえそうで怖い。誰に蘇生してもらったんだか。
本の著者としては無名叙事詩の再現編纂にだけ興味があるようで、それが何を意味しているかについては触れていなかった。
未来で起きる事を示唆している予言説もあるっぽいけど、俺としては過去に実際に起きた出来事を綴った物語説を推すかな。ハトバト氏の反応がそういう感じだったし。
難しい専門用語が入り混じる無名叙事詩の本を読める単語だけ拾い読みして没頭していると、不意に肩を叩かれた。
我に返って目を上げれば、カラー版の魔獣ペット図鑑を小脇に抱えたヒヨリが横から覗き込んできた。
「ツバキはもう買う本を決めた。それを買うのか?」
「そうだな。いや、あー、どうせなら日本語版を買いたい気持ちある。どうすっかな」
「うん? ……ああ、無名叙事詩の本か。慧ちゃんかルーシの女王に聞いた方が詳しいだろ」
「聞くより読む方がいいからさあ」
重要な情報は書面で知るに限る。自分の好きなタイミングで読み返せるし。
「あと、女王サマに聞いたってどうせ教えてくれねーんだろ?」
「どうかな。私は蘇生魔法1つ聞き出すだけで苦労させられたが、大利の異次元コミュニケーションが刺さればあるいは……いや刺すなよ? 頼むからこれ以上魔女を引っかけるな」
ヒヨリはペット図鑑の角で俺の頬をつつき、絵本をいっぱい抱え持ってレジの前で目をキラキラさせているツバキの方へ引っ張っていった。
ルーシ王国の女王は、長年かけて世界中を巡り魔法を収集したヒヨリですら知らない魔法をいくつも知っていたという。
女王本人は黙秘しているが、ヒヨリの推測では「恐らく無名叙事詩の全文を知っている」。
つまり、全ての魔法を覚えている。
「魔法を知る魔法」のような何かしらの情報収集魔法を変異時に習得した魔女なのではないか、というのがヒヨリの予想だ。理由はどうあれ激ヤバ魔女である。
そんな激ヤバ魔女が「期限以内にクォデネンツ調査に来い。絶対来い」と言っているのだから遅刻するわけにはいかない。
女王が告げた到着期限までにまだ一年もある。
だが、あれこれ事件に首を突っ込み過ぎて遅れないよう、重々心に留め置きたい。