158 ドクターKenshi
そもそも変異学における人体変異には二種類のアプローチがある。
一つめのアプローチは移植。
魔物や超越者の体の一部を持ってきて、普通の人間に継ぎ接ぎする方法だ。
上手くいけば継いだ体の部位に合わせて接合部が変異し、馴染む。一度馴染めば右手だけ移植したのに左手も右手に合わせて変貌したりなどする。
ただし普通に繋ぎ合わせただけでは拒絶反応を起こし馴染まない。
そこでどうやって拒絶反応を抑えるかがキモになる。
拒絶反応への対策は魔物由来の精製毒物が使われ、物理的な免疫と魔法的な免疫の双方を抑制する。
免疫抑制剤の毒性を中和するためにまた別の薬が投与され。
中和薬への耐性をつけるためにまたまた別の増強剤が投与される。
つまり、変異のためには薬漬けになる必要がある。変異者は血液の代わりに魔法薬が流れているなんて言われるぐらいだ。
二つめのアプローチは変身魔法。
人間変身魔法を唱える時に、魔物や超越者の体の一部を巻き込んで変身する方法だ。
上手く行けば巻き込んだ素材と変身者が融合し、一発で良い感じの変異体になる。
ただし普通に巻き込み変身をしても事故が多発する。
変異素材を弾いて本人だけが普通に人間に変身するなら幸運な方だ。
魔法がバグってぐちゃぐちゃの肉塊になったり、体中が癌や血栓だらけになって苦しみながら死んだり、その他ヤバい副作用がバチバチに出る。
そこでどうやって安定して巻き込み変異を起こすかがキモになる。
まず必要なのは保有魔力最大値を下げる事で、これは大抵魔力回復薬をガブ飲みする事で行われる。魔力回復薬で魔力を過剰回復し人間変身に必要な魔力量を確保すると同時に、保有魔力最大値を下げるのだ。
これは理屈としては魔力量を「変異素材>変異者」にする事がポイントだ。だから強力な魔力を秘めた素材を使うほどこの工程は楽になる。
魔力量を変異素材優勢にできたら、人間変身魔法を魔法文字で制御偏向して発動する。
魔法文字は、魔法本来の効果を微妙に変える事ができる。「人間変身魔法」を魔物変身魔法に改造したりはできない一方で、「人間?変身魔法」ぐらいには効果の幅を作れる。
あとは双子の体を物理的な手術で繋ぎ合わせ、頭が二つある一人の人間にした上で二種類の自己変身魔法を同時に唱えさせて変身バグを引き起こすとかいうグロテスク手法もある。
このへん、変異学は闇深い。東京魔法大学変異学部のエキセントリック学者たちは良識的な部類だったんだなあとぼくは思いました。
以上の変異変異学における二種類のアプローチを踏まえて見ると、「人造神格」なる仰々しいコードネームをつけられていた未来視妹は、二種類のアプローチを併用して魔改造された変異体だと言える。
移植アプローチは物理的な側面が強いので、俺の器用さでなんとかする。
変身アプローチは魔法的な側面が強いので、ヒヨリが魔法でなんとかする。
二人がかりでなんとかグチャグチャに変異している未来視妹の死体を蘇生魔法が効くレベルまで戻せれば、勝ちだ。
不幸中の幸いは高度な変異研究の詳細な資料が丸ごと残っている事だった。
どういう素体に、どんな実験をして、どういう経過を経て、どういう結果になったのか。
全部詳しく記した研究資料がある。実験器具も実験資料も全てある。そういう資料は未来視妹を治すために非常に参考になった。
ヒヨリが爆速で攻め込んできたおかげだ。
話し合いも情報収集も全部すっ飛ばして目に付く敵っぽい奴らを皆殺しにして突き進んだヒヨリは、勢い余って未来視も未来視妹も殺してしまった。
一方で侵攻が速過ぎたので、逃げようとしていたらしい黒幕のカウハン何某は逃げる時間もなく片手間にぶっ殺されたし、研究資料も証拠隠滅を免れた。
問答無用デストロイモードも悪い事ばかりではなかったのだ。
俺は地下研究施設に泊まり込みで籠り、グロテスクな変異研究資料をつぶさに読み込んだ(ヒンディー語は読めないのでヒヨリに読み上げてもらったから、自分で読んだわけではない)。
未来視を奴隷のように使い倒した高効率研究はかなり簡潔明瞭にまとめられていて、俺はたった一ヵ月で十年分の研究データを学ぶ事ができた。
変異学の中の魔法分野は最初から理解を諦めヒヨリに丸投げして、俺の器用さが通用しそうな物理的アプローチ分野に絞っての理解だが、それでも相当頑張ったと自負する。
資料によると、未来視の妹である人造神格は7人を合体させたキメラ変異体らしい。
バチカンの魔女・聖女ルーシェの肉片によって変異した「聖女の魔人」。
アメリカの魔女・血濡れのメアリーの外皮によって変異した「血濡れの魔人」。
イギリスの魔女・妖精領主ミラの羽によって変異した「妖精の魔人」。
かつてアメリカで猛威を振るった魔王の触手によって変異した「魔王の魔人」。
オーストラリアの魔女・シドニーキャットの髭によって変異した「大猫の魔人」。
中国の魔女・灰仙の吸盤によって変異した「泥の魔人」。
そして6名の魔人を繋ぎ合わせるコアとなる「未来視の血族」。
まだ十歳にもならない六人の少女たちを強引に変異させ、部品に変え、未来視の妹をコアにして繋ぎ合わせ一個の生命体にしてしまったのだ。
今回の掃討が無ければ、六人の少年を使って同じ事をして、人造神格を二人に増やす予定だったらしい。
ヤバすぎる。高度な技術をカスみてーな用途に使うんじゃないよ!
第一、悪い事をしないと高性能なモノを作れないなんて負け犬すぎる。プライドはないのか? ないんだろうな。ペッ!
高度な技術によるカスの仕事だが、高度である事に揺るぎはない。
縫合も綺麗で理屈に沿った合理的なもので、そのおかげで比較的楽に解凍した人造神格を解体できた。
想定外だったのは、未来視妹だけでなく、部品にされた六人のうち二人の少女も戻せる可能性があった事だった。
なんと、二人は脳と心臓がほぼ完全な状態で残っていたのだ。
思えばそのヒントはあった。
ツバキの証言によると、人造神格には「魔力の心臓がいっぱいあった」らしい。
魔力を生み出す不可知の魔法臓器(魔力の心臓)は頭部にある。魔法臓器が無事なら、脳も無事に違いない。
心臓が無事な理由についても明確で、これは資料によれば即死魔法対策なのだとか。
七つ心臓があれば、六回までは即死魔法に耐えられる。七つの心臓のうち四つはヒヨリに氷漬けにされる前に既に腐ってしまっていてどうしようもないが、未来視妹のものを含む三つは無事だ。
頭と心臓が両方揃っているのは三人。一人だけでなく、三人が助かるチャンスがある。
即死魔法を撃たれるような事をする非道行為を前提とした邪悪な改造のおかげで、未来視妹だけでなく部品にされた六人のうち二人も助かる目が出てきた。
ヒヨリに施術室の気温を下げてもらい、腐敗による劣化を最小限にしながら、俺は毎日毎日バラバラにされた2+1人の身体を組み立て直す作業に没頭した。
血管の一本一本、細胞の一片一片に至るまで、僅かでも傷付けないよう細心の注意を払い、丁寧に「人間」の配置に戻していく。
ヒヨリはヒヨリで死体の臓器や体液にあれこれ魔法をかけてなんとか元に戻せないか試してくれている。
80年も世界中を旅して蘇生魔法を探していたヒヨリは、蘇生魔法以外の魔法も大量に覚えている。世界で二番目に多く魔法を知っている古魔女だ。変異体を魔法で元に戻せる魔女がいるとすれば、それは青の魔女に違いない。
研究資料の読解に一ヵ月。
復元施術に一ヵ月。
それだけ費やした俺達は、壁にぶち当たった。
根本的に肉体が足りていないのだ。
人造神格には必要ないと判断され、「処分」されてしまった肉体があまりに多い。
一番元の身体を保っている「血濡れの魔人」ですら身体の44%を失っている。
一番元の体を削られた「大猫の魔人」に至っては75%の喪失だ。
半分以上も体を失っていたのでは、とてもではないが蘇生魔法は効かない。
俺が器用さで元通りにしようとしても、ヒヨリが魔法で元通りにしようとしても、そもそも元通りにするための体が無ければお手上げだ。
一体どうすればこの問題を解決できるのか?
分からない。
不可能に思える難題に一週間近く頭を悩ませていた俺とヒヨリが机の上に資料を広げ額を突き合わせて話し合っていると、二人の訪問者がやってきた。
薬品の臭いと薄暗い照明に包まれた地下研究室を訪ねてきたのは、勇者コンラッド・ウィリアムズと、なんか白いシーツを頭からすっぽり被った猫背のオバケみたいな奴だった。
誰だ……?
「誰だ?」
俺は疑問が顔に出たが、ヒヨリは疑問が口に出た。
ウィリアムズは肩を竦め、白シーツお化けの猫背をそっと押す。
危なっかしい足取りでふらふら俺達の前までやってきた白シーツお化けは、くたびれ果てた少年の声で言った。
「俺は今代未来視だ。まず、俺達を助けようとしてくれている事には感謝する。ありがとう。だが、もう終わらせてくれないか」
聞き取りやすい声ではあったが、覇気も元気もまるでない。
俺とヒヨリは顔を見合わせた。
何がなんて? 言ってる意味が分からんぞ。
俺が一番ビビらない服装で来てくれたんだな~って事しか分からん。
「終わらせるって何が? 妹さんの蘇生はまだかかるけど」
「どうせ無理だ。もう俺は疲れた。善意で助けてくれたのは分かるが、もう何も視たくないんだよ」
「ええ……? なんでそんなネガティブなんだ? 助かったじゃんか」
「いまさら光だなんて。もうたくさんなんだ。妹だってどうせ生き返らない。戻せもしない。
なあ、今度は何を視させられる? 今度はどこに捕まる? 誰に利用される? 次は何年閉じ込められるって言うんだ? なぜ俺を生き返らせたんだ。せっかく全部終わらせたのに。あのまま死なせてくれれば良かった……」
絶望に満ち満ちた独白を聞き、ウィリアムズとヒヨリは悲しげに目を伏せた。
空気が重い。
いや、なんで???
なんでこんな空気重いの? ちょっとよく分かんないです。
空気が重いのは分かるけど、理由が分からん。どういう事?
「お前マジで何言ってんの? 正気か?」
俺が心からの疑問をぶつけると、未来視はシーツに一つだけ空いた小さな覗き穴から濁って白濁した目を向けてきた。
「どういう意味だ」
「お前はさあ、10年も他人のためだけに生きたんだろ? この先10年は自分のためだけに生きるんだよ。最低でもさ。10年も苦しんだんだろ? この先10年は楽しめよ。そうじゃなきゃ釣り合い取れねーだろ。それがなんで誰かのためにって話になるんだ?
算数だ算数! -10されたから、これから+10するんだよ。堂々とワガママ放題生きるんだよ。違うか?」
尋ねると、未来視はしばらく沈黙を挟んで答えた。
「そういう訳にもいかない。俺の力が悪用されると何が起きるか分かっただろう? 俺の存在は社会の害になる」
「え、何? お前、もしかして魔法に頼ってるだけで地頭悪い? その社会がお前に害を与えてきたんだろうが。社会がもっとしっかりしてれば、お前はカスに捕まらなかったんだよ。お前が害になるとかじゃなくて、カウハンとかいうゴミとか、ゴミを野放しにしてた国とか警察がお前の害になってたんだって」
「そう、か……?」
そうだよ。
まあね? 自省も必要だけどさ? 経緯を聞く限りだと未来視には何一つ非は無い。
じゃあ悪いのは周りの方だ。カウハンが悪いし、カウハンをサッサとぶちのめせなかった社会が悪い。
カウハンが貯め込んでた汚ねぇ金を全部懐に入れて、国に慰謝料請求するぐらいはしていいと思うぞ。その金でこれから毎日妹と一緒に遊び回って幸せに暮らすとかしろよ。俺の目の届かないところで。
「あと兄ちゃん死んでると妹が泣くだろ。俺の友達泣かせんなよ」
「ん? 友達?」
「友達。いや年齢は離れてるけど! 友情に年齢は関係ないだろ」
友情に年齢制限があるって話は聞いた事はないし、問題ないはずだ。
俺が文句でもあるのかと睨むと、未来視は自信が無さそうに言った。
「あー、年齢というか、えー、妹を悪く言う訳では無いが。アンタが会った時、妹は……あー、だいぶ……その、すごい姿だったはずだが」
「あー、すごい健気だった。お兄ちゃんに会いたい、助けて! って泣きながら言われた。持ってる中でいちばん綺麗な石もくれたし。流石に可愛かったな。
アッ! 俺は友達の兄は友達の兄でしかないと定義してるからな! お前は友達ヅラするなよ!」
俺が抜け目なく予防線を張ると未来視は絶句し、後ろの金髪エルフ耳男を振り返った。
ウィリアムズは微笑んだ。
「彼は全て本気で言っているよ」
「正気か?」
「素晴らしい事にね」
心底戸惑っている未来視に、ヒヨリもほんのり優しく声をかけた。
「魂にまで刻まれた後悔も苦しみも辛い記憶も、決して消えない。この先折に触れて、一生お前を苛むだろう。
だが。辛い記憶より多くの幸せな記憶を集めて生きる人生は、存外悪く無い」
「…………」
未来視は沈黙した。
しかし猫背がだんだんシャッキリしてきて、陰鬱な空気が軽く明るくなっていく。
だから何?
なんなんです?
何か俺には理解できない難解な会話が行われているのは分かる。
それが何かは分からない。
絶対なんか高度な比喩表現とか使って会話してるだろ。やめろ、そういうの!
「なんなんだよさっきから。俺にも分かるように話してくれよ」
「どうやら、俺は馬鹿だったらしい。そういう話だ」
「え? じゃあ俺の理解で合ってるじゃん。いいか? -10をゼロに戻すためには+10しないといけないからな。プラスにもっていくには+11以上だ。算数できるようになっとけよ」
「覚えておく。それから、そうだな。一ヵ月待ってくれ。今度こそちゃんと未来に目を向けてみるよ。他の誰でもない俺のために、俺の意思で」
そう言って未来視は俺とヒヨリに会釈し、コンラッドに手を引かれてふらふらと去っていった。
それを見送り、溜息を吐く。
まったく、未来視は可哀そうな奴だよ。
「未来視も大変だな。ちっちゃい頃に誘拐されたから算数もできねぇんだ。そのせいで簡単な理屈も分からないなんて……悲劇的だ」
「いやそういう訳じゃなくてな。いやまあ、お前はそれでいいか」
ヒヨリは何かを説明しようとしたが、諦めて笑った。
よく分からんが、よし!
そして一ヵ月後。
俺は、頭が悪いと思っていた未来視のえげつない有能さを思い知らされた。
一ヵ月前と同じように白シーツをかぶってよろよろやってきた未来視は、相変わらず蘇生研究に行き詰っていた俺達にペラペラと喋り出す。
「青の魔女、あなたには絶対死魔法を使って欲しい。妹の血肉を元に創造した使い魔に中間処理をした鉄を取り込ませて絶対死魔法を使い、啜命鉄を作る。体積は最低でもこれぐらい、重さにして30kgは必要だ。できるか?」
呆気に取られたヒヨリは曖昧に頷いた。
「あ、ああ。できるかできないかで言えばできるが……というか、できる未来を視たから頼んでいるんだろうし。啜命鉄なんて何に使う? 魔剣か?」
「違う。啜命鉄は精製の過程で犠牲になった生命と同じ対象として魔法的に認識される。妹の体の一部で精製した啜命鉄は、妹が失った体の代替として使える」
「……本当か? そんな性質聞いた事がないぞ」
「俺が視つけた」
サラッと言った未来視に俺は恐れ戦いた。
なんかとんでもない事言ってない?
アメリカが国を挙げて研究費を湯水のように注ぎ込み何年も探してる「啜命鉄の活用法」を見つけたんですか?
未来視魔法を使って? たった一ヵ月で?
やべーよこいつ。
どうなってんだ? もうなんでもアリじゃん。なんでも分かるじゃん。
いや未来視が全能万能じゃないって事は知ってるけど。こんな事されたらそうも思いたくなる。
戦慄していると、未来視は今度は俺に向き直って言った。
「オオリ、あなたの器用さが頼りだ。妹の失った肉体を啜命鉄で可能な限り精密に再現して欲しい。金属細工になる。できるか?」
「……義手を作るわけじゃなくて、手の精密模型を作るっていうようなニュアンスだよな? どれぐらいの精度が要る?」
「最大限の精度が必要だ。あなたが最大限の仕事をすれば、妹だけじゃない。妹の友達二人も生き返る。大変な仕事になるだろう。しかしあなた以外の誰にもこれはできない」
「!!!」
嬉しい言葉で激励され、思わずニヤついてしまう。
そうか~! 俺にしかできない、高難度の仕事ですか。
そうですか、そうですか。
やはり俺の器用さは世界一! ガハハ! 任せろ!
未来視の魔法使いという最強の指揮官を手に入れた俺とヒヨリは、今までのドン詰まりが一体なんだったのかという超スピードであらゆる障害を打破していった。
魔法的アプローチも、物理的アプローチも、未来視の言う事を聞いてその通りにするだけで面白いほど全部上手くいく。
上手く行きすぎて特に語るべき事なんて無い、全てが決まりきったスムーズな仕事だった。
そしてたった二ヵ月で、未来視の妹とその友達二人はアッサリ生き返った。
蘇生失敗なんてあり得ない。苦難も何もない。未来視にかかれば全てが見え透いた規定路線なのだ。全くもって恐れ入る。
生き返った三人は、山猫の耳が生えた魔人。
目の覚めるような赤いスカーフを首に巻いた華奢な色白の魔人。
そして俺の友達の、浅黒い肌の少女だ。
妹たちが生き返ると、未来視の魔法使いは礼もそこそこに三人の少女を連れて姿を消した。
行方は分からない。
ウィリアムズは事件の重要参考人たちの失踪調査の担当になったが、あまり真面目に調査をしていないようだ。
ツバキは「あの時は踏ん付けてごめんね、言われた。でもあの子誰?」と不思議そうに首を傾げている。
ヒヨリはスッキリした顔で次の旅程を組み始めた。
そして俺は、未来視に渡された一通の手紙を何度も読み返す。
手紙には下手くそな日本語でこう書かれていた。
『どくたー オオリ へ。たすけてくわて あリがとう』