156 鏖
「千の後悔より一の備え」
ダメ元で追跡魔法を唱えた青の魔女は、反応がある事に驚いた。
大利に施してある標識魔法は、他の魔法の例に漏れず魔法解除魔法で消す事ができる。
当代未来視は極めて狡猾かつ効率的に敵を葬り去った。厳密にはその寸前まで行った。
にも関わらず、標識魔法の解除を怠るとは妙だ。これでは追跡してくれと言っているようなものではないか?
ツバキとコンラッドが生きているのもおかしい。三人狙って三人全員を取り逃すとは、一体どこに目をつけている? 敵は本当に未来視の魔法使いなのか?
もちろん未来視は万能無敵ではない、視逃しは有り得る、有り得るが……
「コンラッド」
「あ、ああ。なんだい?」
「何かがおかしい。この事件の背後関係を洗ってくれ」
「任せてくれ、捜査は本職だ。君は?」
「言っただろう? 片付けに行く。あと、ツバキを傍に置いてやってくれ」
当たり前の顔をして自分の隣に立ったツバキの背中をコンラッドの方へ優しく押し、青の魔女は強化魔法を唱え疾風のように駆けだした。
大通りを走る虎を次々と追い抜き、土煙を上げながら運河沿いに疾走する青の魔女は、瞬く間に大利につけた標識魔法の反応に近づいていく。
どうやら緑の屋根の建物の中にいるらしい、と分かったところで、青の魔女は横から土塀を突き破り突進してきた虎魔獣に襲われた。
瞳孔が開ききり瞳を赤く爛々と怪しく輝かせた虎は、明らかに何らかの薬物か魔法の支配下にある。
「ガァアアア!」
「邪魔だ」
前脚で押し倒し鋭い牙で噛み砕こうとしてくる虎を片手で受け止めながら、青の魔女は振り返りもせずキュアノスを背後に向ける。そして透明化して忍び寄る敵を無詠唱の氷槍魔法で木っ端みじんに吹き飛ばした。
血飛沫を背中に浴びつつ虎を地面に引き倒し頭部を踏みつぶすと、今度は緑の建物の屋根上に姿を現した三人の魔術師が一本の杖を掲げて呪文を唱えているのが目に入った。
三人は顔も背丈も全く同じ。三つ子による同時詠唱……1人では扱えない魔法を三人がかりで使う儀式魔法だ。
急激に高まる魔力は、三つ子の儀式魔法が超越者にダメージを与えうる強力な威力を秘めている事を示していた。
その儀式魔法の焦点になっている杖のコアを、青の魔女は拳銃の抜き打ちで撃ち抜いた。
魔力の収束点を失った魔法は一瞬で暴走し、爆発を起こして三つ子を消し飛ばす。
間髪入れず緑の屋根の建物を囲む土壁を蹴り破り敵地に飛び込んだ青の魔女は、杖を構え扇状に展開した十五名の魔人から魔法の一斉掃射を受けた。
炎が、氷が、風が、光の束が、黒い波動が水晶が。あらゆる魔法が、獰猛にたった一人の魔女に襲い掛かる。
「誰よりもまず自分を愛しなさい」
魔力をたっぷり注ぎ込んだ魔法反射魔法を唱え十五種類の魔法を跳ね返すと、反射に対応できなかった魔人の大多数は跳ね返った致死的魔法によりあっさり吹き飛んだ。
しかし敵もさるもの、攻撃の手は緩まない。
突如重機関銃の弾幕に晒され、青の魔女は姿勢を低くし駆けた。弧を描くように中庭を疾走すれば、後ろの地面が弾丸の嵐に抉られ弾け飛んでいく。
青の魔女は途中で跳躍し、投げつけられた手榴弾を掴んで投げ返し、重機関銃を射手と台座ごと爆破した。
ところが、射手が爆炎の中から飛び出し、ナイフを抜いて飛びかかって来る。
「ん!?」
腹部に突き立てられたナイフは余程強靭な素材で作られているのか、折れも曲がりもしなかった。だが力任せに中庭の噴水の中に勢いのまま突き飛ばされ、むせる。
力負けをした。青の魔女が。
いくらなんでも異常な膂力だった。
隆起した筋肉と逆立った髪を見て取った青の魔女は射手に向かって防御魔法を唱える。
防御魔法に護られた射手は壁にぶつかって激昂し、言葉にならない叫び声を上げながら自身を取り囲む半透明の壁を無茶苦茶に切りつける。
そして、ほんの数秒暴れ狂い壁にヒビを入れた後、悲痛な絶叫を上げながら膨れ上がり、内側から弾け飛んだ。
「……杞憂か」
警戒して杖を構えていた青の魔女は安堵と嫌悪をないまぜにして呟く。
複数種類の強化魔法の過度の重ねがけは、確かに超越者に伍する強大な身体能力をもたらす。油断ならない。
しかし一方で、適性が無ければ力の増強に耐えきれず内側から爆散するのだ。扱い切れれば厄介な戦法であっても、扱い切れなければ自滅でしかない。
敵の攻勢は激しい。己の身を顧みず攻め立ててくる。
四次元に追放された時の詰将棋のような攻勢を思えば、手加減は愚策だ。
周辺被害に気を遣っていては今度こそ自分が死にかねない。何よりも大利が危険だ。
まだまだ周囲に潜んでいる気配は多い。
殺気が消えない。
「汝、同胞を――――」
大利の反応は地下にある。
地下だけを除外し地上の敵を大魔法で一掃しようと呪文を紡いだ青の魔女は、四方八方から撃ち込まれる魔法を避けるために中断された。
大魔法を唱える隙は与えないつもりらしい。
「汝」
だが青の魔女はあえて再び同じ魔法を唱え始めた。
弱い魔法は真空銀で打ち消し。
強い魔法は曲芸のようにしなやかに避け。
避けきれない魔法は深淵金で受ける。
「同胞を喰らえ」
濃密な血の臭いと硝煙、土煙に支配された中庭で。
壊れた噴水の水飛沫の虹の下、魔法の嵐の中心で、金と銀を侍らせ青の魔女は美しく踊り謡う。
「私の飢餓を分けてやろう!!」
苦し紛れに撃ち込まれた狙撃手の弾丸を左手で掴み取った青の魔女は、右手でキュアノスを構え、地獄を顕現させる魔法を唱え切った。
地面から赤黒い泥が湧きあがり、生きとし生ける者を絡め取り汚泥に引きずり込んでいく。
青空に浮かんでいた白い雲が腐った血のような赤に侵され、空気が淀む。
青の魔女の幸福と安寧を脅かした敵の全ては、喉を掻きむしり耐え難い苦痛に悶えだした。
地上の敵を無力化した青の魔女は足早に緑の屋根の建物に踏み込む。そして玄関ホールにある水力式エレベーターの前に立った。
下へ行くボタンを押すが、動かない。何度も連打すると苛立たしいほどノロノロと歯車が動く音がした。
「……クソが。まだるっこしいんだよ!」
前時代の電気式機構を猿真似した利便性を騙る不便なシステムは、虚栄心に満ちた成金の邸宅にほど多い。
苛立った青の魔女はエレベーターの開閉ドアをこじ開け、エレベーターの箱も力づくで引き剥がし背後に投げ捨てる。
そして数十メートル地下に続く長い縦穴に、躊躇いなく足から飛び込んだ。
重々しい鈍い音を立て、クレーターを作り地下に着地した青の魔女は、すぐに立ち上がり目の前にあるいくつもの扉を潜っていく。
扉を一つ潜るたびに罠が襲い掛かったがその全てをものともしない。
ガス室はそもそも人間とは体の仕組みが異なるため効かない。
焼却室は冷気で中和し悠々と通過。
震える手で銃口を向けながら何か言おうとしていた二人組は一言も言わせず瞬殺。
強い魔力を感じた暗室には問答無用で先制攻撃を加えて完全破壊。
行き止まりに見えても壁を蹴り破り奥へ進む。
罠を解除する手間を惜しみ、全てを踏み越えて通過し、マーキングを頼りに分かれ道を正確に選び取り、何重もの隔壁を破壊して通り抜けた青の魔女は、あっという間に最奥に辿り着いた。
そこは培養槽と実験台が並ぶ大部屋だった。
薬品の刺激臭が鼻をつき、冷気が白い霧となって足元に漂っている。
そこで青の魔女はようやく恋人を見つけた。
同時に最後の敵も見つけた。
そいつは並の超越者を遥かに上回る、圧倒的な威圧感を帯びていた。
体高は6mほどだろうか。見上げるほどの巨体の頭頂部は地下研究室の天井を擦っていて、ミイラのように痩せ骨と皮ばかりの悍ましい頭部には髪とも縄ともつかないものが垂れさがっている。
赤い外皮をドレスのようにまとったその巨大な怪物は、魔王に似た醜悪な黒い触手で大利を掴み、今にも握り潰してしまいそうだった。
無いはずの心臓が止まるかと思うほど焦った青の魔女は、反射的に必殺の呪文を唱えた。
「君よ、氷河に沈め。永久凍土に眠れ!」
収束機構を使い、巧みな魔力コントロールによって完全制御された大氷河魔法は、青の魔女の意思通りに大利を完全に避け怪物だけを氷漬けにする。
80年前とは何もかもが違う。敵に捕らわれた想い人を巻き込まず、敵だけを始末する力を青の魔女は得ているのだ。
敵地を完全制圧した青の魔女から激怒が雲散霧消する。
無事でいてくれた恋人の姿に愛おしさがこみ上げる。
名を呼び、抱擁するために駆けだす。
ところが、両手を広げて駆け寄る青の魔女を大利賢師は拒否した。
ショックを受けた顔でへたり込み、氷漬けの怪物にすがりついて震える声で叫ぶ。
「ひ、酷い! この子はお兄ちゃんに会いたかっただけなんだぞ! なんで殺した!?」
大利は涙と鼻水をだらだらと垂らし顔をぐしゃぐしゃにしてワッと泣き出した。
「へ……あ……」
助けが間に合わないのでは、という危惧はあった。
決してハッピーエンドを確信していたわけではない。最悪の予想もしていた。
しかし、助けが間に合ったのに非難され拒絶される事は全く考えてもいなかった。
脳が停止し足を止め愕然と立ち尽くす青の魔女に、大利はボロボロ泣きながら訴えた。
「お前ーッ! この子はなーッ! お兄ちゃんになーッ! 未来視に会うためになーッ! ずっとなーッ! それをこんなッ、こ、殺し、あ゛ーッ!」
その先は言葉にならない。
子供のように泣きじゃくる大利を前に、青の魔女も釣られて泣き出した。
大利が何を思って泣いているのかなんて分からない。
でも、こんなに心配したのに。
こんなに頑張って全力で駆けつけたのに。
大利に拒否され泣かれたのが、ただただ悲しく辛い。
胸が締め付けられたように痛み、紡ごうとした言葉は涙に変わって流れてしまう。
大利は無事だった。
青の魔女は何も失わなかった。
しかし、二人はコンラッドとツバキが遅れてやってくるまで、ずっと揃って泣き続けた。