155 コンセクエンス
アソック・カウハンといえば、インド最大の民間軍事企業を仕切る裏社会のボスである。
インド魔法軍准将の前歴を持つカウハンは、退役後に現役時代の人脈をフル活用し民間軍事企業を設立。
国立軍との太いパイプはもちろん国外にもコネクションを持ち、事実上の傭兵部隊として国内外の反乱鎮圧や紛争解決を請け負った。
働き口を求めて都会に出てきた農家の三男坊や四男坊を無知につけこみ奴隷同然の法外な契約で兵士に仕立て上げ。
法律のグレーゾーンを突いた仕事で荒稼ぎをし。
時に真っ黒な仕事をしながらも賄賂で糾弾を逸らしスケープゴートを仕立て。
そうしてインド国軍にゴマをスリながら持ちつ持たれつの蜜月にあったカウハンが裏社会で躍進するきっかけになったのが、未来視の入手だった。
寒村の被差別民として生まれ、戸籍を持たず教育も受けていなかった少年タリトは、己が何者なのかすら知らなかった。
未来を視る力を全く使いこなせていなかった。
親戚を訪ね都にやってきたタリトの家族の中で、まずタリトの妹を偶然攫った。兵士の慰安用だった。
被差別民は攫っても足がつきにくく、幼い少女は恰好の獲物だ。何も深い計略などない、通常業務の一環だった。
しかしその安い餌が、大魚をもたらした。
姿を消した妹を心配して未来視魔法で追ってきたタリトを、奇跡的に捕獲できたのである。
捕獲のために虎の子の魔人兵8名を全員挽肉にされたが、それを補って余りある望外の大収穫。カウハンが偶然捕獲指揮を執る事ができ、日本の軍事作戦記録を通し未来視対策を知っていたから成し得た事だ。
未来視の魔法使いは、同時多角攻撃と暗闇に弱い。
カウハンは苦労して捕まえた当代未来視の魔法使いタリトに厳重な枷をつけ、暗室に閉じ込めた。自分自身の未来が視えないように。
そして妹の安全を盾に脅した。言う通りにしなければ妹を殺すと脅迫すれば、無知な少年は泣いて許しを請い、唯々諾々と未来を視る道具になった。
カウハンはタリトを厳重に管理した。
情報を与えないよう、知恵を与えないよう、細心の注意を払い運用した。
ただ、未来を視る道具であればいい。道具に意思も思考も不要だ。
転がり込んできた未来視能力はカウハンの傭兵組織を爆発的に成長させた。
殺された魔人兵はあっという間に元通り以上に補充できた。
収集した魔人を合成し、ツテを辿って手に入れた超越者たちの体組織を組み込み、人造神格計画を推し進める事もできた。
全てが順調。
当然だ。
何しろ未来が視えているのだから。
戦力は日増しに充実していく。
全てが成功する計画のなんと愉快な事か!
無論、未来視魔法にも限界はあり、視逃しはある。
だが視逃すたびに厳しく罰を与えてやれば、タリトは面白いように性能を向上させていった。
何もかもが上手く行く。
このままいけばインド全域を裏から支配する事すら可能だ!
それができるだけの手札がある。
カウハンは、人生の絶頂期だった。
ある日、カウハンは金を生む鶏の不定期視察のため、人造神格計画の秘密研究所があるワンゴイ市を訪れた。
ワンゴイ市は未来視を閉じ込めてある、カウハンの心臓部でもある。全ての栄達はここから始まった。
未来視を捕まえただけではダメだった。すぐ逃げられただろう。人質にできる妹をセットで捕まえられ、未来視能力の制約もある程度知っていたからこその絶頂期。
神々はカウハンにインドの王になれと言っているのだ。
機嫌よく秘密研究所を視察していたカウハンは、秘書から耳打ちされた報告を聞き、一気に不機嫌になった。
カウハンは秘書に酒杯を投げつけ、叱責した。
「愚か者が! この街で騒ぎを起こすなと言っただろうが! 超越者が暴れただと!? 国軍が鎮圧に乗り出したらどうする!」
「人造神格が――――」
口答えしようとした秘書を、カウハンは灰皿で殴った。
「一体だ、まだ一体しかおらん。儂は二体作るまでは息を潜めろと厳命したぞ!」
「も、申し訳ありません」
「……まあいい。都合の悪い未来は修正すれば良いだけの事だ。それで? 暴れたというのはどこのどいつだ?」
「は、はい。魔人1名と超越者2名でして、全員外国人です」
「名前は」
煙草に火をつけ投げやりに聞いたカウハンは、秘書がメモ帳を見ながら呑気に口にした名に固まった。
「コンラッド・ウィリアムズと、青の魔女です。魔人は無名です」
「…………は」
衝撃のあまり体も脳も停止したカウハンに、秘書は二度同じ言葉を繰り返した。
秘書は事態の深刻さを何一つ分かっていない、安穏とした顔だった。
これまで何度も処理してきた「ちょっとしたいざこざ」の一つだとでも思っているようだ。
「ボス? 何か?」
しかしカウハンの顔色を窺い、何か尋常ならざる事が起きたと察したらしい。
秘書は国内情勢に詳しい代わりに、国外を知らない。
自分が言った二人の超越者の名の重みを、特に青の魔女の名の重みを知らない。
あるいは、世界史上で語られる古魔女が目の前に立ちはだかるという悪夢の重みを自覚できていないだけか。
カウハンは額の冷や汗をハンカチで拭い、秘書を伴って地下の未来視区域に急いだ。
これは秘書の問題ではない。
未来視の問題だ。
これほど大きな問題を視逃すとは穏やかではない。
いくつもの扉を通り、隔壁を上げさせ、暗闇の中を歩き、狭く息苦しい通路を歩いた先に、未来視を捕えている檻はあった。
檻は三重の暗室で囲まれ、姿は見えない。窒息防止のためのファンが回る音と、細い伝声管だけが未来視が外を感知する手段だ。
ドアの無い暗室の壁から突き出す、よく磨かれた伝声管の蓋を開け、カウハンは怒りを押し殺して言った。
「貴様、何をした?」
言葉の代わりに、やつれきった少年の暗い笑い声が返ってきた。
カウハンは声から感じた違和感に目を瞬き、数拍置いて違和感の正体に気付く。
当代未来視の魔法使いタリトは、捕まってから初めて「喜び」の感情をカウハンに見せているのだ。
額だけでなく、脇からも背中からも冷たい汗が伝う。
しかしまだカウハンには自信があった。
御主人様に反抗を試みたらしい奴隷に、威厳を込めて言う。
「今すぐ未来を修正しろ。外国人どもを追い払う未来を視るんだ。さもないと、」
「妹を殺すんだろ? はは、ははははは! やれよ。もうたくさんだ」
カウハンには分かった。
その乾いた笑い声は虚勢で無い。
冷たい金属の伝声管から、滔々と冷めきった少年の声がする。
「苦労したよ。何度も何度も、ここから出ようとした。妹を助ける未来を視ようとした。でも真っ暗だ。ずっとずっと真っ暗だ。俺も、妹も。光なんて何も視えやしない」
「……今すぐ未来を変えろ。そうすれば両脚で許してやる。右目が残れば未来は視えるだろう? ん?」
カウハンの脅しを、暗闇の中の虜囚は完璧に無視した。
「あの悍ましい怪物を育てて。俺達みたいな奴隷を増やして。言われるがままにやるしかなかった。ああそうだ、もう俺は諦めたよ。諦めるのが遅すぎたぐらいだ。アンタをここまで肥え太らせちまったのは俺の責任だ。
だからな? 全部壊す事にしたんだ。はは、ははは! あのとんでもない魔女が、青の魔女が視えた時は嬉しかったねぇ」
カウハンは秘書にハンドサインで合図しかけたが、それを先読みしていたかのようにタリトが続ける。
「逃げられないぞ。無駄だ。アンタの命令に乗っかりながら、何百回未来を視たと思ってる? この日、この時のために、どれだけ脳みそをぐちゃぐちゃにしてきたと思っている? アンタの利益になるような甘い言葉で、アンタを苦しめるように誘導するのは苦労したよ。
今から全部壊される。俺もアンタも。一切合切死に絶える。
そうさ、アンタは絶対に逃げられない。青の魔女を焚きつけるのに、どれだけ手を尽くしたと思っている?」
あの魔女は俺達に興味が無いからな、とタリトは溜息を吐いた。
気のせいか、天井から冷気が降りてきたようだった。
寒気が止まらない。
地下深くにいるはずなのに、地上に何か恐ろしいものが近づいているのが肌で分かる。
カウハンは口からツバを飛ばして秘書を怒鳴りつけた。
「馬鹿が! 何をもたもたしている? 迎撃だ! 人造神格を動かせ! 魔人兵を並べろ! 儀式魔法部隊を出せ! 全員、全員だ!」
カウハンは超越者を手中に収め、栄華を味わった。
ならばきっと。その栄華を破壊するのもまた、超越者だ。
半ば悲鳴のように叫び散らすカウハンの声を聞き、タリトは引きつった哄笑を上げた。
「さあ、全てを壊せ。全て終わりにしてくれ、青の魔女!」