153 この時のために
国際秩序連盟が定める国際法は多岐に渡る。
魔法法、海洋法、貿易法、難民法、戦争法など、細かく論じればそれだけで日が暮れる。
ウィリアムズの話によると、今回インドにかけられた疑惑は人権法への抵触だ。
インドには、世界中から魔人の子供を拉致している疑惑がかけられている。
魔人は超越者の子、あるいはグレムリン埋め込みをした魔獣使いの子として生まれる。
また親が魔人だと子も魔人になりやすい。
魔人は魔力コントロールができるし、保有魔力量も超越者には数段劣るが普通の人間よりは断然多い。魔法時代の寵児たちと言える。
魔人に生まれただけで人生勝ち組。国によっては魔人というだけで貴族に列せられたり、税制の優遇を受けられたり、世界中でそりゃあもう持てはやされている。
未発見の枠を含めた推計で多く見積もっても1000人に満たないという定員が決まっている超越者とは違い、魔人は年々増えていく。
世界魔人人口は現在約2万人。「このまま魔人が増えていけば、いずれ国力を魔人の数で測るようになる」とまで言われている。
魔人は未来の国力の礎。
魔人がいればいるほど、強い。
ゆえに魔人を増やすために強引な手段をとる国もあって当然だ。
国際秩序連盟は、近年インド周辺で魔人の子供の失踪が相次いでいる事を察知した。
単なる失踪事件だけではなく「危うく誘拐されかけた」という通報も複数件あり、事態を重く見た国連は調査に乗り出した。
インドが幼い魔人の子供を拉致している可能性がある。
実験に使うためか? 「繁殖」に使うためか? それとも他の理由が?
目的は定かではない。ただ、明らかな国際法違反だ。
国家主導ではなく、インドを拠点とする国とは無関係な犯罪集団が誘拐に手を染めている可能性もある。
魔人の子を攫い、犯罪に加担するよう教育をすれば莫大な利益を生む。攫った子を右から左に流す人身売買でも同様に莫大な利益を見込める。
誘拐は国を跨いで行われていて、一国の国内だけでみれば一、二件の失踪事件しか起きていなかった。そのためインドの周辺国に魔人失踪が集中していると発覚するまでにかなりの時間がかかっている。
今回国連が気付いたのも単なる偶然で、インドの隣国で仕事をしていたウィリアムズが麻薬摘発中に麻薬の袋と一緒に魔人の子を発見したからだ。
その偶然が無ければ未だに国連は事件に気付いていなかっただろう。
それほど巧妙な犯行だ。
長期的で大規模で国境を越えて行われている重犯罪に勇者コンラッド・ウィリアムズが動くのは当然だった。
そしてウィリアムズが偶然接触できた青の魔女に救援を求めるのもまた当然だ。
敵が国にせよ犯罪組織にせよ、狡猾で、手ごわい。
拉致された魔人たちが訓練され兵力化していた場合、最大50名近くの魔人集団との戦闘になる。
ただ殲滅するだけならウィリアムズ一人で問題ないが、拉致被害者を救出するという目的に沿うなら難しい。
拉致を行っている組織の正体を突き止め、被害者たちを救出する。
これを確実に成し遂げるため、ウィリアムズは青の魔女に助けを求めたのだ。
話を聞き終わったヒヨリは膝の上に顎を乗せてウトウトしているツバキの頭を撫でながら難しい顔をしている。俺も雰囲気に合わせて難しい顔をしておいた。
これあんまりヒヨリ向きの案件ではなさそうだと思うんだが。どうなんですかね?
ヒヨリはハイパワーで全部ぶっ飛ばすのが得意な頼もしい女だ。コソコソ調査したり、救助したり、というのは向いてないんじゃないか?
いやできなくもないだろうけど血と氷の雨が降るぞ。
大怪獣の時は街が丸ごと氷漬け。
荒瀧組の時は敵の超越者皆殺し。
入間の時は俺が死んだ。
生涯勝率100%の最強魔女なんだけど相当血生臭い。
いや、でも。
大怪獣の時は魔女集会の仲間を退避させてから大氷河魔法をぶっ放したし。
荒瀧組の時は人質の大日向教授が解放されるまで潜伏してたし。
入間の時も俺を殺した後ちゃんと蘇生してくれたし。
けっこう細かい気配りもできてる……?
よく分からなくなってきた。
ヒヨリの得意分野について考えていると、最強の魔女は最強の魔法使いに慎重に言った。
「一人旅の最中なら躊躇いなく話を受けていた。だが、今は家族連れだ」
「家族連れ……?」
「あっいやっ、言葉のアヤだ気にするな。家族のように親しい者たち、という意味だから」
思わずツバキとヒヨリをチラ見してしまった俺の足を踏みながら、ヒヨリは急いで続けた。
「使い魔とかゴーレムを使って支援する程度なら構わない。大利の傍を離れるわけにはいかないんだ」
「ミミ……青の魔女、オーリ心配? 大丈夫。私だってオーリ守れる。今度は夜に悪い奴来てもちゃんと追い払う」
眠そうにしていたツバキは急に覚醒して座り直し、火を噴きながらシャドーボクシングして大昔に敗北を喫した誰かの頭部を殴り抜くような動きを繰り返した。
ううっ、あんなに小さかった火蜥蜴が立派になって! 頼もしいぜ。
「ツバキがいれば滅多な事ないだろ。お前と勝負が成立するなら早々負けん。俺達の事なんて放置して行ってこいよ、友達と一緒に」
「ミ! お留守番任せて。オーリと良い子で待ってる。青の魔女はその金色の、ウィリアムズ? といっぱい仲良ししてきたらいーよ!」
「なんか引っかかる物言いだな……いや二人とも悪気が無いのは分かるが」
「事件解決までに早ければ三日、長くとも一ヵ月を見込んでいる。できれば最初から最後まで手を貸して欲しいけど、要所で助けてくれるだけでも相当助かる。どうかな」
提案するウィリアムズの爽やかで優しげな笑みを無視して、ヒヨリはツバキに真剣に聞いた。
「ツバキ。お前が嫌でなければだが、コイツについていって色々学ぶのはいい経験になると思う。どうだ?」
「ミ……? なに?」
「戦い方とか、世渡りのコツとか。お前が縄張りを持って独り立ちするために必要な事を実践で教えてもらえる。お前は座学より実地研修の方が得意だろう?」
言われて、ツバキはウィリアムズを上から下までジロジロと見た。
金糸をあしらったピッチリした戦闘スーツは噂に聞くアメリカ軍需産業が誇る魔物革と深淵金の合材か。
両腕に装備した金属製の腕甲には精緻な魔法文字が刻み込まれ、質実剛健な作りの中に神秘的な雰囲気を醸し出している。
腰に佩く一振りの剣は魔剣だろう。最近魔剣の魔法使い由来の魔剣解析が進められているという論文を読んだ事があるし、たぶんその系列技術による作品だ。柄には魔石が嵌め込まれている。俺の専門ではないが中々に興味深い。
俺もツバキと一緒に見ていて気付いたが、コイツ剣士系の装備で固めてるな?
全体的に装備の金属使用率が高い。魔法金属の本場らしい装いと言えよう。
俺が青の魔女を0933製魔法製品の広告塔に仕立て上げているように、アメリカも勇者コンラッド・ウィリアムズを国産魔法装備の広告塔にしているに違いない。
なるほどね。どこも考える事は同じだ。
アメリカの広告塔はツバキのお眼鏡に適ったらしく、炎の妖精は元気に両手のハンマーと杖を打ち合わせた。
「ウィリアムズ、私はツバキ・スゴイゾ! 私をもっと強くして。お願いします。お返しで私も魔力封印教えてあげる」
「魔力封印? アー、君が青の魔女の代わりに僕に同行してくれるという事かな」
「ミッ!」
「ツバキは特殊な魔法技術を覚えている。お互いに学ぶところは多いだろう。コンラッドとツバキで戦闘の可能性が高い方面を担当し、私と大利は危険の少ない情報収集を担当する。そういう役割分担でどうだ」
「ふむ」
ウィリアムズとヒヨリはゴニョゴニョとしばらく細かい話を詰め、合意に至った。
結局、ヒヨリの提案通り「ツバキ&ウィリアムズ」と「ヒヨリ&オーリ」の2チームに分かれる事で決まった。
ウィリアムズは友達と一緒に遊びたいとかではなく、マジで仕事の確実な遂行のためにヒヨリを呼んだっぽいな……と思ったのも束の間。長耳男はなんでもない事のように恐ろしい事を口走る。
「事件を解決したらこの四人で飲みに行こうか。良い店を知っているんだ」
「おい黙れコンラッド。大利が怯える」
「オーリ繊細。意地悪言っちゃダメ」
「え? す、すまない」
俺が拒否するよりも早く俺を庇ってくれた二人を前にウィリアムズはタジタジだ。
こえー事言うんじゃねぇよ。飲み会に俺を巻き込むな!
「飲み会」とは仲良し理論に頻出する高度な哲学的命題の一つだ。
嫌いな奴と飲み会を開くと、ますます嫌いになる。
しかし一方で、飲み会には参加者を仲良しにする効果が認められている(マモノくん、談)。
果たして飲み会は嫌いな者同士を仲良しにするために必要な社会的儀式なのか?
それとも参加者の亀裂を深める不必要な社会的儀式なのか?
歴史上この謎を巡り多くの陰キャが鬱を発症してきた。恐るべき難問である。
俺が女性陣を盾にして口撃に震えていると、ウィリアムズは素直に頭を下げてくれた。
「僕が無神経だった、申し訳ない。君の事がなんとなく分かった気がするよ。飲み会は無しにしよう。代わりに今度時間ができた時にでも魔法杖の話を聞かせて欲しいな」
「い、嫌だ。質問は全て書面で受け付ける」
飲み会への参加を強制して来ないという事は、きっと良い奴なのだろう。
しかし全身から溢れ出る陽のオーラが眩しくて目がしょぼしょぼする。
良い奴だが俺とは相性が悪い。ヒヨリの友達とはいえ、もう会いたくないな。
友達の友達は他人なのだ。
ツバキ&ウィリアムズ組と分かれた俺達は、早速町に繰り出した。
ワンゴイは南のビルマ王国と国境を接した町で、ビルマ王国から拉致された魔人の子供はこの町を経由していずこかに連れていかれていると目される。
まずは情報収集だ。インドが国策として密かに魔人拉致を行っている可能性があるため、現地警察などの公的機関に協力を仰ぐわけにはいかない。
「で、どこでどう調べるんだよ。図書館?」
「図書館に拉致被害者の現在地を書いた本があると思うか? こういうのは酒場がいい」
「昼間から開いてる酒場って治安悪そうなんだが」
「だからこそ治安の悪い情報が集まる。安心しろ、お前は何も喋らなくていい」
フッと笑って俺の手を引き先導する彼女が無限に頼もしい。こういうのに慣れてる感があるな。80年も旅をしていればこういうのも上手くなるか。そりゃそうだ。
俺としてはヒヨリにくっついて守られ歩く以外に本当にやる事がないので、せめてもの支援として屋台でタンドリーチキンみたいな肉を二人分買ってヒヨリに一個渡す。これで腹ごしらえでもしてくれ。
黙々と酸味の利いた魔物肉を喰らう俺とは逆にヒヨリは屋台の店主に積極的に話しかけ、ソースたっぷりのナゲットを追加購入する代わりに首尾よく酒場の場所を聞き出した。どうやら魔物と魔物を戦わせる賭博をやっている酒場らしく、いかにも「そういう」情報が集まりそうだ。
俺は肉買う事しかできないのに、ヒヨリが同じ事をすれば肉のオマケに情報がついてくる。やっぱり俺要らねぇじゃん。
飼い主に散歩してもらう犬のような気分を味わっていると、最初は迷いなく歩いていたヒヨリがだんだん歩調を緩めだした。
大通りは昼時で通行人が多いが、別にゆっくり歩かないとぶつかる! というほど混み合ってもいない。むしろ頭に籠を乗せた女や虎に乗った男たちは、古式ゆかしい最新魔女ルックのヒヨリを物珍しそうに少し距離をとってジロジロ見ながらすれ違っていく。
肉をもごもご食べていたヒヨリは何か釈然としない様子で首を傾げた。
「妙な感じがする……」
「ああ、インドの秘伝のタレは日本のと成分が違うって聞いた事ある」
「肉の味じゃない。今の状況の話だ。変だと思わないか? 何かの……作為を感じる」
「は?」
今度は俺が首を傾げる番だった。
何言ってんだお前は。変なのはお前だよ。
「いいか? ツバキがお前についていった魔法杖店で、店主に気に入られて土産をもらった。
土産に紛れていた油の産地を目指して、行先を変えた。
変えた行先にあった工房が偶然良い設備だったが汚れていて、掃除のために滞在が伸びた。
滞在が伸びたから偶然コンラッドが出した発信が私のキュアノスに届いた。あと半日ズレていればすれ違っていた。
かなり奇跡的な偶然が重なって、今私達はここでこうしている。これは本当に偶然か?」
「あー……? 確かに……? でも世の中そんなもんだろ」
偶然の話を持ち出すなら、俺の家の庭にオクタメテオライトが落ちてきたのだって奇跡が過ぎる。アレが無かったら俺は魔法杖職人になっていたか怪しいぞ。
偶然が重なり過ぎているからおかしい! なんて言い出して突き詰めていけば、俺やお前の存在そのものがおかしくなるんじゃないか?
言いたい事は分からなくもないが、全ての偶然にイチイチ意味を見出そうとしたら頭おかしくなるぞ。偶然は、偶然だ。
しかしヒヨリはそうは思わないらしい。雑踏の中で立ち止まり、眉根を寄せて考え込む。
半分独り言のようにブツブツ呟く。
「昔こんな事があった気がする。物事が繋がっていくような……繋げられていくような? 普通じゃない事が起きている。流れが変だ。何か変だ。
思い出せ。何も変な事は起きていないのに何かが起きている、この感覚を。いつどこで?」
「よく分からん。別の味のやつ買って来ようか?」
「いらん。どこにも行くな。頼むから目の届くところに…………あ」
そして、何かに気付いたヒヨリの顔から一瞬にして血の気が引いた。
「まずい、どこまで視られた!? 誘導されている! 大利、これは敵に未来視が――――」
ヒヨリが大声を出した途端、事態は目まぐるしく動いた。
肩が脱臼するかという勢いで手を引かれ、地面に引き倒される。
俺を足元に引き倒したヒヨリは、何かの薬品で湿らせた布を持って忍び寄ってきていた男をブン殴って吹っ飛ばし、無詠唱の氷槍魔法で服の下から杖を抜きこちらに向けてきた女の腕を消し飛ばす。
「動くな大利! 我らは城塞、彼らは結界、以て幽界捕食者を退けん!」
詠唱魔法で俺に最強防御魔法をかけながら、ヒヨリは無詠唱の氷槍魔法を五月雨撃ちした。
平穏な真昼間の往来で突如として巻き起こった戦いに悲鳴が上がる。
襲撃者達はヒヨリの魔法一発につき一人また一人と戦闘不能にされていく。
だが数が多い。襲撃に驚き腰を抜かしている一般人はむしろ少数で、ただの通行人だと思っていた人々の大多数が、冴え冴えとした恐怖を顔いっぱいに張り付けながらそれでも次々と襲ってくる。
青の魔女は数の暴力を質の暴力で徹底して的確に捌いている。数を揃えただけでは決して勝てないと見ただけで分かる。機械でプログラミングされたように正確に殴り、蹴り、魔法を放ち、その一挙一動でナイフや杖を手に飛びかかって来る襲撃者たちが吹き飛んでいく。
襲撃者たちの真に恐るべきはその命賭けの連携だった。
詰将棋のように、圧倒的強者が少しずつ押されはじめる。1人につき刹那の一瞬だが青の魔女の対応が遅れていく。
一人ではなんの意味もないその対応の遅れが何十人ぶんも完璧に連続して積み重なり、0.01秒の遅れを作り、更にそれが積み重なり0.1秒の遅れを作る。
一般人の力と魔力をいくら集めても天下の青の魔女に傷一つつけられない。
そのはずだ。
しかし襲撃者の群れは総員が命懸けで何かをしようとしていた。何十人もが命を捨て、繋ぎ、絶対に勝てないはずの青の魔女に何かをしようとしているのが分かる。
「おいなんかヤバそうだぞ! もうまとめて吹き飛ばせ!」
「ダメだ、民間人を巻き込む!」
俺の叫びにヒヨリは叫び返し、二人まとめて回し蹴りで10mもぶっ飛ばす。
丸くなったなお前!? 初めて会った頃なら身内以外お構いなしだったのに。身内最優先は変わってないけど赤の他人を視界に入れるようになっている。
「大利ッ! こいつら叙任魔法で操られている! 荒瀧組のやつだ! 魔法解除魔法で全解除するからお前の防御も解けるが絶対動くなよ! ××××――――」
キュアノスを掲げて魔法解除魔法を唱え始めた青の魔女に、ついに襲撃者の一人の手が届いた。
その襲撃者の狙いはヒヨリではなかった。
キュアノスだった。
奇妙な形に加工されたグレムリンを摘まんだ指先が、キュアノスの柄を素早く複雑になぞる。
四次元格納のために柄に刻んだ紋様を、明らかに明確な意図と専用の道具を使いなぞった。
それを見たヒヨリが目を限界まで見開き驚愕する。
俺も到底信じられず、愕然とした。
まさか。
まさかまさかまさか! 可能なのか? 未来が視えればこんな事が!?
俺の見ている目の前で、キュアノスを中心に空間が消失した。
キュアノスが消失する。
キュアノスに干渉を行った襲撃者も巻き込まれ、上半身だけが消失し下半身がボトリと落ちる。
最強の防御魔法の難攻不落結界すら抉り取られ壊れた。
「おい嘘だろ……!」
理論上は当然そうなる。
だが信じられない。
ヒヨリは四次元消失に巻き込まれ、世界から呆気なく消えてしまった。
四次元事故が起こり得るとは知っていた。
知っていたが目の前で起きた光景を心が拒否する。
目の前でヒヨリが消え、全身を貫く喪失感で脳が停止する。
「ヒ、ヒヨリ……?」
何もない虚空に震える手を伸ばした俺は、襲撃者の一人が唱えた睡眠魔法によって呆気なく意識を失った。