150 ドルイドの杖
横断山脈を越えると、そこはインドだった。
国境線の検問で入国審査を受け、俺達は超越者、魔人、人間の枠でそれぞれ入国する。
国ごとに重視されている出入国チェック項目が違ってちょっと面白い。日本では魔法杖産業が盛んだからか魔法道具チェックが厳重だったし、大陸の玄関口真韓民国は全体的にチェックが雑だった。中国は防疫に神経をとがらせていて、過去の脱影病大流行で相当やられたんだろうなと分かる。
国はいろいろ、施策もいろいろだ。
中国からインドに入ってまず目に飛び込んでくるのは、クソデカ大河だ。これは海か湖かと見紛う規模のスケールの大河が横断山脈から視界の彼方まで伸びている。点在する大河の中州はこれまた大きく、湾に浮かぶ小島のよう。
中国もそうだったが、大陸の自然は何かとデカくて圧倒される。
そんな大河の上流から下流に向け蒸気船で下った俺達は、ひとまずはインドの東玄関口、アッサム州の街ティンスキアで一泊する事になった。
漆喰で固められた白い壁の家々はどこも窓が大きくとられ、風通しが良さそうだ。その窓の格子の隙間からふっくら太ったフクロスズメ達が精一杯のキリッとした顔で飛び込んでは、ヨタヨタと出てきて、鈍重にまた飛び立っていく。
奴らは飼い主に忠実だし仕事熱心だが、どんくさいのが玉に瑕だ。
驚いたのは魔獣の数で、東京や武漢などの大都市と比べれば比較にならないほど小さな街だというのに、フクロスズメの数はもちろん、虎魔物の数も多かった。
流石は虎魔物の原産地というべきか、国の端の街ですら普及率が高い。
ケラケラ笑う子供たちを鈴生りに乗せた虎が背中を揺らさないようにそーっと歩いて運んでいる姿も見られるぐらいで、インド人が虎をすっごいカジュアルに乗り回しているのが分かった。
まあ、虎魔物は割と賢い上に温厚だからな。肉食ってそうな見た目に似合わず草食中心の雑食性だし。ツバキが髭を引っ張っても哀れっぽい鳴き声を上げるだけで全然怒らない。
よっぽど酷く痛めつけたり、クソ不味い飯を無理やり食わせたりしない限り大人しいもんだ。
如何にも南国っぽい鮮やかな花を飾った小奇麗な宿に荷物を置いた俺たちは、旅の物資を買い足したり情報集めをしたりするヒヨリと、杖の店に行く俺とツバキにチームを分けて街へ繰り出した。
ツバキのサラマンドラをバージョン2に加工したいのだが、横断山脈の踏破中にやるのは難しかった。携行道具だけで改造するのには限界がある。ちゃんとした加工設備が必要だ。杖の店でそういう設備を借りられたらラッキー。
虎と自転車だらけの往来をちょっと歩いただけで、杖の店は簡単に見つかった。
こじんまりした店の看板には「Wand」「যাদুৰ লাখুটি」と併記されている。ヒンディー語っぽい方は読めないが、英語は「杖」だ。たぶんここで合っている。
俺が店の前でモジモジと入店を躊躇していると、ツバキが通行人を驚くべき気軽さで捕まえて気さくに会話し、魔法のように情報を引き出して俺に報告してきた。
「ここ、街で一個だけの杖のお店。他にお店ない。ここ以外で杖ナントカするなら、来週の定期市待たないとダメ」
「お、おお。すごいコミュ力だなお前」
「ミミミ、スゴイゾ!」
まあ店に入るのを躊躇っていたのは他に店があるか考えていたのではなく、ハトバト氏を思い出していたからなのだが。
真韓民国に入国して一発目に入店した店でヤバい奴とバッタリ出くわした記憶は早々忘れられない。
店に入ると涼し気なドアベルの音が鳴り、翼が生えた猫を膝に乗せて顎をくすぐっていたおばちゃん店主がチラリと見てきた。燃える体のツバキを見て目を丸くし立ち上がろうとするが、膝に乗った翼猫が踏ん張ったため諦めて座り直した。
「いらっしゃい。今動けないんでね、好きに見ていっておくれ」
「ウス……」
「ミ、ありがと! 私良い子だから、商品燃やしたりしない。おばちゃん、その子ゆっくりカワイーナしてあげてて」
「あらぁ、可愛らしい魔人さんだねぇ。飴食べるかい?」
「おやつくれる? ミミッ、それなら油がいい」
爆速で店主のおばちゃんと仲良くなって賑やかに談笑はじめたツバキの最強の愛嬌は一体誰に似たのか。少なくとも俺ではないな。
店はお世辞にも広いとはいえず、店の奥の玉のれんの向こうには普通にあけっぴろげな生活スペースが覗き見えている。本当に杖の小規模小売店って感じだな。サラマンドラの高圧高温機構を改良できるほどの加工設備はどう見てもない。
仕方ない。店の品揃えを見させてもらうだけで満足しておこう。
……一応他の客がいないか店内を見回したが、怪しい老紳士の姿は無かった。流石にね。
というか、売れ筋っぽい杖の箱は綺麗に平積みにされてるけど、陳列棚の上の方は埃が積もっている。そんなに繁盛してないなこの店。俺達以外に人がいないのもそのせいだろう。
インドは魔獣産業の国。
インドの魔獣産業は中国がグレムリン生産を目的としているのに対し、騎獣やペット、食肉生産を目的としている。
魔法杖産業はあまり栄えていないのだ。
とはいえ、魔法杖産業が栄えていないからこその面白さがあった。
なんと、この店では魔法杖がパーツでバラ売りされているのだ!
正規品の箱に梱包された杖とは別にカゴに入れられたジャンクパーツの山があり、一番安い物では300ルピーから売っている。
逆流防止機構を組み込んだ柄の部分だけとか、剥き出しの還元機構とか。
球体加工をしたコア部分だけとか。
天然物と思しき二層構造グレムリンの原石とか。杖のグリップの滑り止め保護材とか。
コアが思いっきり割れている廃品同然の杖なども含めて、ごちゃごちゃと積み上げられている。
こいつぁひでぇや。部品を自分で買って組み立てろってか? 売り方が雑! 全部規格違ってパーツ同士で噛み合わないし。
日本の魔法杖店では考えられない売り方だ。日本にも型落ちの中古杖専門店ならあるが、こんなに雑なバラ売りはされてないぞ。
しかしちょっとワクワクしてしまう自分もいる。
こういうジャンク品から使える部品を目利きして拾い上げて、手入れして使えるようにして。そうやってゴミ山から自分だけのオリジナル継ぎ接ぎ杖を作るのはそれはそれで宝探しパズルのようなドキドキ感がある。
職人がやる事ではないが、これはこれで楽しい。ネットオークションの駆け出し時代、廃棄品を漁って修理して出品してた頃を思い出すぜ。懐かしい。
しばらく夢中で魔法杖ジャンクパーツの山を漁り、値段の割に質が良いグレムリンをいくつか確保してひとまず満足する。得した気分だ。
あと、杖の装飾デザインとして曼荼羅模様が多用されていて文化を感じる。中国の杖だと雷門模様とか雲模様、漢字の彫り込みが多かったんだよな。基本性能にこそ違いはないが、国によってディティールが違って面白い。
ジャンク山から目を離して他の商品に目を向ける。
平積みにされている魔法杖の箱の山は……あんまり面白みが無いな。
俺でも知ってる日本の杖メーカーの輸入品が半分。もう半分はヒンディー語? で書かれた知らんメーカーの杖だ。数箱開けて手に取って見てみたが、コアの品質にばらつきがあるわ加工精度が甘いわ、見るべきところがない。如何にも量産品という感じだ。
平積みの箱の山の隣に目を移すと、呪文集がこれまた平積みにされている。
妥当な品揃えだ。どんなに優れた魔法杖を買っても、呪文を何も知らなければ何の役にも立たない。
いくら義務教育で基礎的な呪文を教わるとはいえ、学校で習った事なんて忘れるものだ。俺だって学生時代に覚えさせられた漢文だの古文だのはとっくに忘れている。
文字を読むだけで地球言語と発音体系が異なる魔法語を正確に発音するのは難しいから(トライ&エラーを根気強く繰り返せば不可能ではない)、ちゃんとした教師に発音練習を監督してもらうのが一番良い。
その一方で、常に手とり足取り教えてくれる教師について貰えるとは限らないから、呪文集には一定の需要がある。
あとこの店で売っているのは研磨材とか、木工用接着剤、染色剤などの手入れ・アレンジ用品。
そして最後に、店の隅っこに小さなコーナーが設けられひっそりと売られている「ドルイドの杖」だ。
存在は知っていたが、実物を見るのはこれが初めてとなる。
個人的にはこれを「魔法杖」と呼ぶのは抵抗あるんだよなぁ。
厳密に言えば「携行ビオトープ」だと思う。
ドルイドの杖を手に取り、端から端まで舐め回すように間近でガン見して検分する。
全体の外観としては、1mほどの木の柄の先端に球体のジオードをくっつけている形になる。
このジオードは握りこぶし大の石に亀裂を入れ、内部を空洞にくり抜いたものだ。その内側の空洞に水晶や瑪瑙と見紛う鉱物が詰まっていて、超小型の蛍のような生き物がゆっくり光を点滅させながらフヨフヨ中で漂っている。
論文の挿絵で見るより実物の方が綺麗だな。なんとも形容しがたい幻想的な自然美がある。
杖のコアの中に水晶の森があり、小さな光を帯びた小生物が舞っている光景は、まるで手のひらの中のファンタジーだ。
この杖の原理は他の杖と根本的に違い、グレムリン工学というよりも魔物学の分野に属する。
グレムリンを食べる鉱物型の魔物をコアの中で育て、その鉱物型の魔物を食べる蛍型の魔物を住まわせる。そうする事でコアの中に小さく安定した生態系を作る。
そして蛍型の魔物は天敵の鳥魔物の鳴き声を聞くと、自衛のために魔法を使う。
以上の原理に従い、ドルイドの杖を持って鳥の鳴き真似をすると、ジオードの亀裂から魔法を発射できるのだ。発射される魔法の種類は蛍の品種によって異なる(目潰し発光、囮の幻影、悪臭など)。
ドルイドの杖は面白い杖ではある。
でも、これは加工や理論によって製造運用される杖じゃないんだよな。
生育環境を整え、餌やりをして飼育するための虫かごに近い。
見た目は確かに杖っぽい。
詠唱(?)が必要だし、魔法だって使える。
でもなあ、これはなぁ。
杖と呼んで良い物なのか……?
ツバキの小型地殻杖サラマンドラも杖と定義しているし……いやしかしアレはまだグレムリン工学の範疇だし……俺の頭が固いだけ……?
これは自分と全く無関係のところで完全新機軸の杖が作られた事を認めたくない老害の醜い嫉妬から来る狭量な否定なのではなかろうか?
いやいや、でもなあ。流石にドルイドの杖は俺が製造する魔法杖とは原理的に似て非なる物だと思うんだよな。
「オーリ、もうお店閉めるって。それ買う?」
「お? ああ。これ財布、代わりに会計頼むわ」
「ミ」
ドルイドの杖をじっくり調べて考え込んでいるうちに時間が経ち、店の外が暗くなっていた。
口元を油でべたべたにしてお土産を持たされたツバキに急かされお値打ちジャンク部品とドルイドの杖を一本買い、退店する。
ドルイドの杖は俺が今まで作ってきた杖とはあまりにもジャンルが違う。
でも「杖」と名がついていると気になってしまうのが魔法杖職人のサガ。
ここで会ったのも何かの縁。実物を調べ尽くし、役立つかも知れないし役立たないかも知れない知見を蓄積しておこう。
そういった様々な蓄積の積み重ねがいつかきっと大きな成果として結実するのだ。