148 道祖鬼神
満天の星の下。倒木に腰かけツバキの火吹き芸にヤンヤヤンヤの喝采を送っていると、ヒヨリは普通に戻ってきた。特に怪我をした様子もなければ、疲れた様子もない。
「お帰り。黒幕ってどんなんだったんだ?」
「ただいま。話す価値も無い小物だったよ。成都租界は平和になったし、アーサーもエインセルも無事だ。即位式典への招待状を貰ったが……」
「え、ヤダ」
「だよな。断っておいた」
以心伝心の彼女の答えにニッコリしてしまう。俺の事分かってくれてるじゃん? ありがてぇ、ありがてぇ。
俺としては王笏ベイファンが新王の傍で長く使われ、名を上げ、有名になってくれればそれでいい。王位だのお家騒動だの、そういうゴタゴタに巻き込まれるのは御免被りたい。
でも王笏のメンテナンスが必要になったら遠慮なく呼んでくれよな!
成都租界の騒動にひと段落がつき、俺達は改めて横断山脈の山越えを始めた。
横断山脈は中国とインドの間に横たわる山岳地帯で、起伏が激しく移動に時間がかかる一方で、生息している魔物が弱く安全だ。
中国とインドの主要交易ルートは南方のハノイやバンコクを経由する迂回経路で、そちらは平地が多く道が整備されていて宿場町も多い。一方で、山賊や海賊、竜賊がゴロゴロ出没していて危ない。安全な通行にはけっこうな賄賂も必要になる。
野宿や山道を苦にしないなら、横断山脈越えルートの方が安心安全だ。
一つ誤算だったのは、ツバキが虫に悩まされた事だ。
山脈入りして最初の晩以来、昼夜問わず赤いコガネムシのような虫が寄ってきて、ツバキはしおしおに萎れた。
「ミミミ……ここ嫌い。最悪。虫くっついてくる」
「参ったな。虫よけも効かないし」
ツバキは鬱陶しそうに両腕を振り回し虫を払いながらてってこ歩く。ツバキにタカる火好虫を無詠唱の氷魔法で殺虫してやりながら、ヒヨリも困り顔だ。
俺やヒヨリや俺達が乗っている虎魔物には全然寄って来ない。完全にツバキだけが目をつけられている。
火好虫は中国原産の虫で、漢方薬の原料として使われている魔物だ。分類は丙4類。炎系の魔物に寄生し熱を奪う習性を持ち、焚火をすると寄ってきて火の中に飛び込んでいく。
普通に横断山脈を越えるだけならわざわざ注意する必要も無いなんという事はない魔物だが、火好虫にはツバキが常に燃やしている炎が余程魅力的に映ったらしい。
追い払っても追い払っても炎に誘われる蛾のようにワラワラ寄ってくる。
数日色々な対策を講じたがどれも有効打にならず、他にどうしようもないのでツバキは仮死魔法を使って気配を絶ち、ヒヨリにおんぶしてもらって進む事になった。
火好虫も魔物だから、仮死魔法を使えばツバキを認識できなくなる。魔法の効果中は動けないから窮屈で退屈な旅になってしまうものの、仕方ない。
「こうして見ると超越者とか魔人も良い事ばっかじゃないんだよな。マジで。俺にはふつーにおぶさってるようにしか見えんぞ」
「私は虚無を背負ってるような変な気分だよ」
仮死魔法は魔の物にしか効かない。魔力コントロールができない人間や、グレムリン災害前から存在する地球原産の普通の動物にとっては何の意味もない魔法である。
魔法文明との常識の違いだよな。魔法文明では子守歌代わりに使われていたっぽい優し気なオヤスミ魔法が対一般人凶悪昏睡魔法として猛威を振るったりする一方で、甲1類魔物にすら有効な仮死魔法が普通の人間にはスカる。一長一短だ。
想定外の虫害には見舞われたもののそれ以外は順調で、成都租界でもらった地図を手に渓流沿いの河原をいく。
山の木々は美しく紅葉し、川風が落ち葉と共にふんわりとしたカラメルのような甘い香りを運んでくる。
澄んだ川にはモップみたいなもっさりしたよくわからん魔物が鼻先を川面に突き出し息継ぎをしては魚を獲っている。俺達を見るとビックリして潜って隠れ、水底の泥を巻き上げた。
平和だ。平和なルートを選んで進んでいるからそりゃそうなんだけど。
ヒヨリは虎から降りてツバキを背負い先頭を歩いているので、俺は虎魔物の背中をわしゃわしゃ掻いてやりながら片手で地図を見てルート指示をした。
「そろそろ分かれ道だ。川が分岐してるから……なんだこれ? 角生えた地蔵みたいなマークがある方に行く」
「ああ。それはユイちゃんの、地獄の魔女の印だ。辺境を旅しているとよく見る」
「は?」
「見た方が早い。ほら、もう見えてきただろう?」
ヒヨリが顎で指す方を見ると、言っている意味が分かった。
河川敷から少し高くなった土手の上に、朽ちかけ苔むした数軒の庵が建っている。
その庵のそばにこれまた崩れかけの祠があり、外れかかった観音開きの扉から、錫杖を持ち角を生やした女性の石像が見えていた。
「え? 地獄の魔女じゃん。なんでこんな所に?」
「こういう人里離れた場所に住む人間たちは、放浪してる地獄の魔女に助けられる事がよくあるんだ。田舎に行くほど地獄の魔女の手形だの石像だのを祀っている。昔話になっている事も珍しくない。昔はこのあたりにも人が住んでいたんだろうな」
祠に近づき、虎から降りてじっくり石像を検分する。
だいたい1/2スケールの石像は仏像っぽい胡坐をかいたポーズで、穏やかな顔をしている。すっかり古びて地衣類が這い、汚れてまだら模様が浮いているものの、色褪せ虫食いだらけの羽織が丁寧に着せられ、在りし日はさぞ大切にされていたのだろうという印象を受けた。
像の輪郭を手で撫で、隅から隅までよく観察すると、製作者の意図がなんとなく伝わってくる。胸にじーんと来るモノがあった。
「ヒヨリ、掃除してこうぜ。こんなボロボロにしたままじゃ可哀そうだ」
「そうだな。ユイちゃんも良い気分はしないだろうし」
「そっちじゃなくて。この仏像作ったヤツさ、ヘッッッタくそだけど並じゃない熱意があった。これだけ魂込めて作ったのに、こんな風化するに任せなきゃならなくなって無念だろうな」
錫杖を持っていない方の手がすり減っているのを見るに、庵に人が住んでいた頃はきっと毎日手を握ってお祈りしていたのだろう。
誰に聞かずとも分かる。
俺が連環錫杖ハリティを授けた地獄の魔女は長い長い旅をして、世界中の僻地で人知れず消えようとしていた小さな村や集落の人々を救ってまわっていた。
恐らくは生まれてから一度も工具を握った事の無いような素人に、これほどの情熱を注いだ石像を作ろうと思わせるぐらいの、深い救いを与えたのだ。
名前も知らない、ド素人の、しかし誰よりも強く強く思いの丈を表現したずっと昔の石像職人に、俺は敬意を払いたい。
河原から水を運んできて像の汚れを洗い流し、近くに生えていた竹で作ったタワシでこすって綺麗にする。
ヒヨリが庵を解体して持ってきた木材で壊れた観音扉を新調し、ツバキの深淵金をちょっとだけもらい、祠の屋根をふいて耐久性を上げる。
これで雨風に強くなった。あと何十年かはもつだろう。
ピカピカになった祠と地獄の魔女の像をしばらくじーっと見ていたツバキは少し姿を消し、まだ熱を上げる炭を持って戻ってきた。
「お供えする。良い事、ありますように。ミッミッミ!」
石像の膝元に炭を転がし三回元気に柏手を打ったツバキに微笑んだヒヨリも、懐から数枚の硬貨を出して供えた。が、祈りはしない。
俺の視線に気付いたヒヨリは苦笑した。
「言葉は本人に直接伝えるさ。また会う機会もあるだろうし」
「じゃあお供えも要らないんじゃないか? 本人に渡せよ」
「いや、地獄の魔女の像へのお供え物は誰が取ってもいいんだよ。いつか金に困った旅人が通りかかったら、そいつがこの金を取っていく。そしてその旅人は自分が出せる物を置いていくんだ」
「ほう……」
無人交換所みたいなものなのか。交換所なんて無粋な言葉を使うにはちょっと優し過ぎるが。
施しとは、祈りとはかくあるべしという心の有り様を感じる。
地獄の魔女ってずーーーーっと世界中でこんなホッコリを広めて回ってんの? 俺、思ったよりずっとスゲー魔女に杖を作ったんだな。誇らしいぜ。
せっかくなので俺も一枚噛ませてもらう事にして、あり合わせの素材で魔法杖を一本作ってお供えした。
銘は入れていないし、0933ブランド魔法杖の証である火蜥蜴マークも入れていない。
このお供えはそういうのじゃないからな。ただ、誰かが杖を見つけて手に入れて喜べばいい。できれば杖を本当に必要としている人の手に渡って欲しいから、金品として売り払われる可能性を減らすためにブランドマークはつけないのである。
祠の手入れを終えた俺達が出発すると、一つ良い事があった。
仮死魔法を使わなくてもツバキに火好虫が寄って来なくなったのだ。
ツバキはお祈り通じた! と無邪気に喜んだが、たぶん、火好虫の生息圏を抜けただけだ。お祈りで虫が退散するわけねーだろ。
勘違いを訂正しようとした俺はヒヨリに素早く口を塞がれ、「良かったなツバキ」と彼女が娘を笑顔でナデナデするのを見せられる。
納得いかんが、ペットと彼女が楽しそうなのでまあヨシ!
もうね、権謀術数渦巻く貴族のゴタゴタとか要らんのですよ。
これからずっと、こういうちょっとした楽しい出来事に溢れた気楽な旅であれ。