14 生きろ。そなたはカスだけど
地面を白く染め上げ一足早い冬の訪れを齎した青の魔女は、猛烈な速さで走って来た。
住宅地の向こうに見えたと思った次の瞬間には黒い弾丸のように突っ込んできて、俺の目の前で急制動をかけ止まる。一瞬遅れて風が追いつき、風圧で砕けた霜柱がダイヤモンドダストのように舞い散った。
陽光に当たりキラキラ輝くダイヤモンドダストを背後に背負った青の魔女は幻想的で、見慣れたはずのボロボロの黒衣も、仮面も、キュアノスもなんだかめちゃめちゃカッコよく見える。
な、なんかドキドキしてきた。この気持ちは一体……!?
吊り橋効果で安易にくっつくカップルがいるわけだ、と努めて冷静に自分に起きた心理バグを分析していると、青の魔女はやおら俺を両腕にかき抱き、ぎゅーっと抱きしめ震える声で言った。
「生きてる……!」
喜びにあふれた声なのに、迷子の子供のように泣きそうだった。
いつもならこんなに密着されて拘束されたら恐怖で頭がおかしくなるところだが、俺を抱きしめる腕があんまり頼りなく震えていたもんだから、恐怖より同情が勝った。
そうか。
そうだよな。怖かったよな。
青の魔女がかつて入間の魔法使いとかいうカスに庇護民を丸ごと誘拐され、失ったのは知っている。今回の俺の誘拐は彼女のトラウマを直撃し、さぞ心を乱しただろう。
姫を助けに来た勇者ではなかった。
誘拐された子供を心配して駆けつけてくれた母親だこれ。カーチャン!
俺達が感動の再会ハグをしていると、空気を読まないドラゴンが露骨な逃げ腰で言った。
「かっ、返すの。悪かったの。お前の男だとは知らなかったの」
「ぁあ?」
俺の体を心配そうにペタペタ触っていた青の魔女は、慈しみを吹き飛ばしドスの利いた低い声でドラゴンを睨んだ。
ズン! と音が聞こえた錯覚に陥るぐらい、急激に空気が重く冷たく沈む。
殺意を向けられたのは俺では無いと分かっていても歯の根が合わない。自分が寒いのか怖いのかもう分からなかった。
俺でさえこうなのだから、殺意を直接向けられた竜の魔女は尻尾を縮み上がらせた。
「ひーっ! おっ、お前の男だって知ってたら盗らなかったの! これは不幸な事故なの! 勘違いなの!」
「気色悪い事を言うな。こいつは友人だ」
「え? 青の魔女に友達なんていたの?」
「え? 俺、お前の友達だったの?」
「…………」
素の疑問を二度ぶつけられた青の魔女は頭痛をこらえるように頭に手を当てた。
なんだよその反応。友達? 初耳なんすけど。その発言俺の許可とってる? 母なのか友なのかハッキリしろ!
「竜の魔女。お前に情状酌量の余地はない。今回の一件だけでも万死に値するが、余罪が山のように――――」
「いや待て話を流すな。聞き捨てならんぞ。友達? 友達なのか? 俺達友達? でも、いやっ……え? なんか悪い気しないな? 良い気もしないけど。じゃあ友達か? いつから? 俺達いつから友達になってたんだ? 昨日はもう友達だった? 一昨日は? というかこういうのってお互いの了承の下で友達になるもんじゃないのか? 友達だって言われてまあいいかって思ったらもうこれ友達でいいのか? 友達料って概念は都市伝説だよな? な? そういうのではないんだよな?」
「コミュ障。静かに。その話は後だ」
割とマジトーンで鬱陶しそうに言われたので、大人しくお口にチャックする。
まあ確かにな。「男女の友情は成立しない」という言説について青の魔女の意見を伺いたいが、今聞く事じゃなさそうだ。
青の魔女はキュアノスを腰だめに構え、絶対零度の宣告をした。
「竜の魔女、お前を処刑する。魔女集会のよしみだ。抵抗しなければ一瞬で殺してやる」
「…………!!!」
脅しでもなんでもなく、マジ殺ると一発で分かる声だった。
竜の魔女は巨体の割に素早い動きでオクタメテオライトと赤魔石を両手に引っ掴み、地響きを立て飛び立った。
あのアマ、逃げる気だ!
俺は離陸時の風圧だけでひっくり返ったが、青の魔女はこゆるぎもしない。
キュアノスをロケット発射の如き高速で遠ざかろうとするドラゴンに向け、呪文を唱えた。
「その魔物が吐いた純白は世界を覆い尽くし、季節が一つ増えた」
キュアノスが示した空、ドラゴンの頭上に忽然と白い巨大な渦が現れた。それは猛烈に渦を巻きながらドラゴンを巻き込み地上に落ちて来る。
唸りを上げる白い奔流に地面に叩き落とされたドラゴンはなんとか飛び立とうともがき足掻くが、抵抗虚しく翼が冷気に凍り付いていく。
俺は慌てて青の魔女の背後に隠れて凍える暴風をしのいだ。見た感じ魔法をコントロールして範囲を絞っているっぽいが、それでも余波がヤバい。
魔法の余波でドラゴンの巣がすっかり白い霜に覆われ、辺り一面が銀世界になる頃には、竜の魔女は弱り切ってガタブル震えるまな板の上の鯉と化していた。
へっ。ざまあねぇな。先生、そのままやっちまって下さいよ!
「くっ! 火山もその星灯りに耐え兼ねて、」
「凍る投げ槍」
何か魔法を唱えて悪あがきをしようとした竜の魔女の顎が、氷槍魔法の速射で正確に撃ち抜かれ黙らされる。
すげぇ。俺の同じ魔法とは威力が段違いだ。キュアノスの威力増幅を差し引いてもめちゃ強い。
「ぅえあ……や、やめるの。こーさんなの……」
顎をガタガタいわされちょっと呂律の回らなくなった竜の魔女の白旗に、青の魔女は鼻を鳴らした。
一連の戦いというか仕置きの間に、住宅街からぞろぞろと野次馬が集まってきていた。
いや、野次馬というか警備隊の緊急出動か? みんなクロスボウや金属バットを持ち、金属板で補強した革のベストを着こんでいる。
「おいどうした。何が起きてる? どんな魔物だ?」
「いやそれが魔物の襲撃じゃないっぽいんスよ」
「え、魔女? あれ青の魔女か!?」
「魔女様凍ってんじゃん!?」
「やべぇよやべぇよ……」
「こりゃダメだな。終わった。A班は戻って女子供逃がせ」
群衆も災害じみた人外の魔法の暴力を見ただろうに、警戒こそしているが堂々としていた。
ほへー、グレムリン災害を生き延びた奴らは胆力が違うな。胆力のある戦闘員だけ駆けつけたんだろうけど、それにしてもクソ度胸。
駆けつけたはいいがお手上げ状態で遠巻きに見守る群衆の前で、半冷凍された竜の魔女はみっともなく命乞いをした。
「わ、私を見逃せばお宝半分あげるの。だから助けるの」
「…………ハァ」
「半分じゃ足りないの? 四分の一でもいいの」
なんで減るんだよ。お宝惜しくなってんじゃねーよ!
青の魔女も下手すぎる命乞いに呆れたのか、もはや言葉を返す事もなくキュアノスを構える。竜の魔女はなおも諦めず、半分凍った体を引きずってよたよた逃げようとする。
青の魔女が処刑魔法を唱えるために息を吸い込んだ時、群衆をかきわけ飛び出してきた小太りおじさんが腹を揺らしドタドタと二人の魔女の間に割り込んできた。
財前さんだ。
ちょっと財前さん。そこ危ないっすよ!
青の魔女は苛立たしげに舌打ちした。
「邪魔だ。どけ」
「青の魔女様ですね? お初にお目にかかります。私、竜の魔女様の縄張りの事務担当のような事をやらせていただいております、財前と申します」
「ああ……迷惑をかけて悪いな。事後処理については目玉の魔女に言っておく。そのうち他の魔女の管理エリアに組み込まれるだろう。コイツが死んだ後の事は心配するな」
青の魔女は少し語気を和らげ言ったが、財前さんはむっちりした両手を広げ、むしろ一層しっかりと立ち塞がった。
「青の魔女様の事情は存じませんが、どうか見逃して下さいませんか? 守護者を失う心配をしているのでは無いのです。
竜の魔女様はだいぶアレな方ですがね。なんだかんだ、我々はこの方に食わせてもらっているんです。守られているんです。救われた命も多い。
恩があるのです。どうか命だけは、助けて差し上げて下さいませんか」
財前さんの懇願を聞いた青の魔女は少し考え、群衆に目を向けた。
群衆はちょっとヒソヒソ話し合ったが、全員頷いた。
即座には頷かないけど、結局頷いてもらえるあたりに竜の魔女の普段の行いがよく出ている。
うー、うーん。強盗拉致監禁クソドラゴンでも、ある程度の人望はあるのか。
いや、俺はここでぶっ殺しておいた方がいいと思うけどなぁ。生かしたらどうせまたロクでもねー事するぜ。
俺は殺っとけ派だが、死刑執行人は青の魔女だ。あっさり攫われ、助けに来てもらったマヌケの分際で彼女の決定に口出しはできない。
竜の魔女の処遇は青の魔女の心持ち一つで決まる。
考え込む青の魔女に、味方を得て調子づいた竜の魔女は喜色満面で言った。
「そうなの! いいの財前! もっと言ってやるの! 私を殺すなんて世界の損失なの!」
「魔女様。大変恐れ入りますが、今はお休み下さい」
「…………ハァ。分かった。命は助けるが、コイツは一度体で分からせた方がいい。足を片方もぐぞ」
「あ、どうぞどうぞ。それぐらいなら」
青の魔女が腕まくりをすると、財前さんはあっさり退いた。
群衆も「良かった良かった」という雰囲気で緊張を解き、ぺちゃくちゃ喋り始める。
味方を失ったドラゴンは、一歩一歩近づいてくる処刑人を前に悲鳴を上げた。
「ざいぜんんんんんんん! 裏切ったの!? 来るなっ、来るっ、ちょっ、あっ、やめっ、イ゛ヤ゛ァアアア! ドラゴン殺しーッ!」
俺は威厳もへったくれも無く泣き喚くドラゴンが、身体強化魔法をかけた青の魔女に力ずくでぶちぶち足を引きちぎられるのを見物した。
へっ、ざまあないぜ。でもちょっとグロいな。このスプラッタを淡々とやる青の魔女はやっぱり恐れられてるだけある。
あいつだけは絶対怒らせないようにしよう……