138 キンレンカの取引
前時代と比べ、世界の国は変わった。
例えばアメリカはアラスカを喪失し、アラスカには小国が点在する状態になっている。
日本は南鳥島や沖ノ鳥島、小笠原諸島など太平洋の島々を放棄した。
大韓民国は北朝鮮を併合し真韓民国に改名した。国境線も北に広がっている。
中国は国名こそ変わっていないが国境線が変わった。山がちな北西部の国境線がグッと後退し、勢力圏が狭くなり平野部に集中している。
花の魔女の娘の一人、キンレンカはそんな現代中国領土の真ん中にある武漢市に根付いている。
中国の東は平和だったが、西は未だに魔物への対策が不十分で、治安が悪い。
東西の間にある武漢の守護者キンレンカは、西から流れて来る雑多な魔物に対する防波堤の役割も担っている。かれこれ60年以上武漢を護っている古株だ。
生まれた時からキンレンカに護られ、大人になり、年老い。そのように生きてきた市民も多い。
花の魔女族の全員がそうであるように、キンレンカもまた花葬制度を敷いている。
武漢に生きる者は、生きている間ずっとキンレンカに護られる代わりに、死後に例外なく死体をキンレンカに捧げる。
ただし中国の花葬は現地文化にも寄り添っていて、色鮮やかな花弁を死者のために盛大に吹き散らしたり、音の鳴る木の実をいっぱい破裂させたりして、にぎやかに葬送する。
花の魔女族にとっては死体の栄養を得る事が目的なのであって、人間たちと衝突したい訳では無いのだ。実利を取りつつ、価値観を尊重した融和策もとる。ある程度は。
フヨウだって俺の死体の栄養を欲しがってるけど、そのために蜘蛛さんやヒヨリと敵対したりはしないし。
さて。
北京を出て二日後、俺達は武漢に到着した。
クソデカ大河・長江流域にある大都市武漢はとにかく畑と果樹園が凄かった。瀋陽市もかなりの穀倉地帯だったが、こっちはもっと凄い。なにしろ列車の窓から田園風景が見えてきたと思ったら、丸々一時間同じ光景が続いたぐらいだ。どんだけ大規模なんだ? 流石大陸、日本とはスケールが違う。
近郊部から都心部に入ると流石に様相も変わったが、それでも植生豊か。
煉瓦造りの高層建築が林立し、河川を船が盛んに行き来している一方で、美しいオレンジの花を咲かせた低木があちこちに植えこまれていて、目に優しい。街中にほんのり漂うハーブに似たスッと爽やかな香りはきっと花のものだろう。
深く澄んだ長大な川面には水しぶきを上げ虹色の鱗の魚が跳びはねていて、低木の影で猫が大あくびをし、中華風の宿の看板に留まった小鳥が楽しげに囀る。
雰囲気も良ければ環境にすら良し。武漢は膨大な人口と住み心地の良い自然を両立させた、稀有な街だった。
俺も花の魔女の管理区に行った事があるし、フヨウとも過ごしているからよく分かる。スゲー花の魔女族の土地って感じだ。なんつーか、雰囲気がモロにそういう感じ。
死体むしゃむしゃされる事を気にしないなら理想都市と崇める奴も多いんじゃなかろうか。
ヒヨリはサングラスと帽子で顔面防御力を上げ存在感を下げている俺の手を引いて武漢の雑踏を歩きながら、ウキウキと言った。
「ここは地酒が美味いんだ。オススメあるから一緒に飲もう」
「ああ、魔造酒? 郊外に樹老人めっちゃ生えてたもんな」
樹老人は魔力増強剤の原料を作る樹木系の魔物だ。花の魔女族と競合する立場にある魔物なので、当然彼女たちの根が及ぶ支配圏には生えていない。が、支配権の外にはけっこう生えている。
魔力増強剤を醸造して造られる魔造酒は、実際旨い。魔力欠乏になった時の不愉快な浮遊感を良い方向に反転させたようなフワフワした酩酊感が特徴で、柔らかく香る木の匂いも良い。俺はいつも温めて香りを立たせて飲んでいる。
ただ、度数が高めだし、酔いが醒めるまで手先の動きがおぼつかなくなってしまうので飲むのは寝る前だけと決めている。
なお俺には分からんが魔力操作精度も落ちるらしい。ヒヨリとかマモノくんが言ってた。
「金蓮貴酒は武漢に来たなら絶対飲んだ方がいい。生産量も流通量も多いはずなんだが、需要も多いからなかなか国外まで流れてこなくてな」
「そんなに。その酒でチョコレートカクテルでも作ろうか?」
「あー……嬉しいが、あんまりチョコを食べさせようとしないでくれ。好きとは言ったが。食べすぎると、そのー、体型が」
「え。別に太ってないじゃん」
「簡単に言うな。維持してるんだよ! 頑張ってるんだ私は」
「あーね? まあデブったら魅力100,000,000が99,999,999になっちまうしな」
些細な差だとは思うが、俺が魔法杖の細部にまでこだわるようなものなのだろう。たぶん。女の自分の美しさへの執念は共感こそできないが、理解ならできる。
あれこれ話しながらダラダラ歩いている内に、キンレンカがいる武漢の中心部に到着する。
花の魔女族は傍らに白い葉の巨木を生やすから、場所が分かりやすい。
フヨウによると、吸い上げた栄養のうち一番上質な上澄みだけを自分のモノにして、残りは巨木に蓄えておくのだそうだ。戦闘や病気で根や葉、枝が枯れたり切断されたり腐ったりしたら、巨木の栄養を消費して即座に再生させる。
あと、繁殖にも使うらしい。植物学はよく分からんが、俺は雄花と雌花みたいな関係だと勝手に思っている。
ヒヨリの超越者証明カードはどこでもフリーパス同然で、植物園じみた門構えの武漢役所への立ち入りをアッサリ許可された。案内を固辞し、ヒヨリはしっかり床を見て歩く俺の手を引く。
屋内の長い木造通路は歩くうちにやがて材質を変え、土とそこから張り出した太い根に変わる。濃い土の匂いと森林浴をしているような爽やかな芳香が鼻をくすぐり、キンレンカの元に近づいているのだとはっきり分かった。
花の魔女の娘であり、フヨウの妹でもあるキンレンカは役所の中心にいた。円形の中庭には白い巨木が生え、その根元に大輪の女性が咲いている。
柔らかに盛り上げられた黒土の上に花開くオレンジの花は色鮮やかで、太陽のようであり、よく熟れた果物のようであり、宝石のようでもあった。
花弁の一枚一枚に生命力が満ち溢れ、見ていて真夏の日差しを思い出させるような元気溌剌とした美しいオレンジ色だ。
そしてその花の中心に人が生えている。花びらの色こそ花の魔女やフヨウの赤とは違うが、顔立ちはよく似て……似てる……のか……?
顔の良い女は全部同じに見えるから分からん。まあ似てるんだろう。血族なんだし。知らんけど。
「初めまして、青の魔女。私はキンレンカ。御高名はかねがね」
「ああ、初めまして。そちらの話も聞いている。今日は一つ相談があって来たんだが」
「まあまあ、そんなに急がないで。少しお話しましょう。貴女の隣にいるその男、大利でしょう? 知ってるわ。母様が話してくれたもの。へぇ、ふぅん……」
俺の足元にスルスル伸びてきたキンレンカの根っこは、俺の足元に展開された霜柱の輪に怯んで引っ込んだ。
護衛のガードが手厚くて助かる。こいつらの一族は俺にやたら好意的だけど、人間と価値観違うからちょっと怖さあるんだよな。
「う~ん。母様が言っていたほどには見えないけど……ねえ。なぜ大利は目を合わせないの? 私が美し過ぎるから?」
「いや、あの、顔見てると吐き気するんで」
「 は ? 」
「待てキンレンカ落ち着け。コイツに悪気は無い。ただのコミュ障だ。冷静に話しあおう。大利も余計な事を言うな、私が話すから黙ってろ今は!」
「アッ、ウス……」
俺が地面を見つめて靴の踵で地面を掘っている間に、交渉担当ヒヨリは荒ぶるキンレンカを宥めて落ち着け、俺の取り扱い説明をしてくれた。
キンレンカは呆れかえっていたものの、素直に即席の木の仮面を作って被ってくれ、ようやくまともに顔を合わせられるようになる。
もうこの世の人っぽいヤツ全員に仮面着用義務課してくんねーかな。誰も損しない義務だと思うんだけど如何か。
「えー、では改めて。コイツが魔法杖を作りたいと言い出してな。魔法杖の素材になる質の良い木材を提供して欲しいんだ。できるか?」
「もちろんできるわ。どんな素材が杖に適しているかも知ってる。それで? 提供の見返りに青の魔女は私に何をしてくれるのかしら?」
「市場流通価格の倍額を支払う案が一つ。だがキンレンカは小金稼ぎをするほど困っていないだろう? 液体肥料払いはどうだ? アメリカ産にツテがある」
「養分は間に合ってるわ。武漢は肥えてるし人も多いから」
黙ってろと言われたので黙って二人の話を聞く。ヒヨリは戦闘も交渉もできてすげーよ。
いや俺だって交渉ぐらいできるけどね。パソコンの画面越しとか、書類上でのやり取りなら。
やがて話は青の魔女の戦闘力を活かす方向に転がり出し、ヒヨリは首を傾げた。
「魔人との決闘の代理? なんでまた」
「ふる~い法律があるのよ、まだ武漢が再興し始めた頃の。決闘して勝てば主張を押し通せる系ね。当時の超越者が一般人を黙らせるために作った法律で、もう廃れてるんだけど。そのカビの生えた古い法律を引っ張り出して盾にして、私に決闘を申し込んできたとんでもない奴がいるの。法整備の不備ね」
「自分でやらないのか」
「やれない事もないけど、けっこう凄い魔人なの。私とも相性悪いし、青の魔女が私の代理に立って決闘してくれるなら安心できるわ」
「なるほど。形式は?」
「杖なし。生死問わず、降参有り。場所は役所裏の広場よ」
「いいだろう。引き受けた」
ヒヨリは酷く物騒な決闘代理を至極アッサリ引き受けた。
物騒だけど、それはそう。超越者でもヒヨリに勝てないのに魔人が勝てるかよ。
キュアノス無しとはいえ、お互い杖無しなら条件はイーブン。負ける理由はない。相手が十秒でも生きていられたら大健闘だ。
ポップコーンとコーラ買っておかないと。いや飲み食いする前に全部終わるか?
かくして話はまとまった。
ヒヨリが決闘代理で敵を一捻りしてやるだけで、俺の元には杖素材の上質な木がたっぷり転がり込んでくる。チョロいもんだぜ。
決闘が終わったら肩を揉んでやろう。いつもお疲れ様です。
キンレンカが目玉の使い魔を飛ばし相手方を呼び出している間に、俺達は役場裏の広場に向かった。既にロープで運動場のど真ん中に正方形の広々とした区画が作られていて、バッチリ人払いもされている。
超越者と魔人のバトルなんて下手すれば戦いの余波だけで死人が出るもんな。そりゃそうだ。
野次馬もいるにはいるが、道路と広場の境の低木の植え込みをまたいでまでは広場に侵入してこない。というか、侵入しようとした不届き者は低木から伸びた蔓で足を引っ張られ戻されている。
街中の低木ってもしかして全部キンレンカなのか? そうだとしたら本当に町全域に根を張ってる事になる。支配が盤石過ぎるぞ、キンレンカ。
ヒヨリは俺に流れ弾ならぬ流れ魔法防止の防御魔法を何重にもかけ、広場の中心の決闘エリアに入って行く。
フヨウは強い。乙1~甲3ぐらいはある強さだ。
妹であるキンレンカも同じぐらい強いはず。
そのキンレンカが戦いを渋るのは一体どんな奴なのか? そしてヒヨリ相手に3秒耐えられるのか?
俺がのんびり構えて端の方で体育座りして待っていると、ほどなくして決闘相手が役所の裏口から姿を現した。
「ミミミーッ! 我が名はツバキ・スゴイゾ! 勝ったら菜種畑、ぜんぶ私の領地! いざ尋常に勝負ーッ!」
元気よく飛び出してきたのは、真っ赤に燃える焔の髪を持つ、継火の魔女似の中学生ぐらいの少女だった。
気怠げに片足に体重をかけて待っていたヒヨリが、驚愕のあまり口をあんぐりあける。
俺もぶったまげてのけぞった。
や、やややややべぇーッ!
本当にスゴイ奴出て来ちゃった!