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135 シン氏とサザレイ氏

 東京都杉並区に住むさざれ石の魔女は、生粋の引きこもりである。

 滅多に日の光を浴びないが、彼女なりの季節を感じる手段は持っている。

 そう。サブカルチャー・イベントである。

 漫画雑誌の表紙がヒロインたちの水着姿で埋まれば夏を感じるし、冬になればクリスマスや正月イベントを扱った同人誌が大量に出回る。食欲の秋にはカフェで飲食系コラボイベントが増えがちだ。


 春先のエイプリルフールイベントで盛り上がり、人気漫画の梅雨入り限定フィギュアをぬかりなく予約注文したさざれ石の魔女は、最近暇だった。

 夏の同人誌即売会までまだまだ余裕があり、原稿に手をつける時期でもない。

 直近でビビっとくるイベントも、イキのいい新連載漫画もない。映画の上映ラインナップだってパッとしない。

 いつも暇つぶしに付き合ってくれる幻の魔法使いも、ハトバト出現関連で忙しく、防衛省に缶詰めだ。


 とはいえさざれ石はオタク一筋百年選手。暇であっても、やる事はいくらでも見つけられる。

 インドやアメリカ、中国から取り寄せた漫画を個人観賞用に和訳する作業は時間が空いた時にやる定番のオタ活の一つだった。

 外国の漫画文化は日本と比べて弱く、数が少ない。しかし光る物は確実にある。他国の文化に根差した創作は日本では生み出せない輝きを持つ。


 特に最近注目しているのは中国の女仙……淫魔の枠で変異した魔女が描いているドスケベ漫画だ。

 超越者は多かれ少なかれ「枠」の影響を受けるのだが、淫魔は感情面で強く影響を受けていて、それがよく創作に表れていた。


 超越者は無名叙事詩に語られる人物に沿って変異する。

 竜の魔女は口調がおかしくなって知能が低下しているし、地獄の魔女はひと昔前まで食人衝動が酷かった。

 昨年などは継火の魔女の醜聞を風の噂で聞いて爆笑したが、きっとクソ真面目ちゃんにしか見えなかった継火も密かに薄い本が厚くなるエゲつない性癖に目覚めていたのだろう。


 中国の淫魔は確認されている限り淫魔枠の二代目で、枠の影響によって先代と同じく勇者タルクェァの幻影を追っている。そして先代とは違い物心ついた時から既に淫魔だったせいで、枠の影響はより強い。


 超越者が特定の超越者に対し特定の感情を覚える事がある、というのは界隈では有名な話だ。

 勇者コンラッドは入間枠が嫌いだし、豪腕の魔法使いは聖女ルーシェに会った途端にボロボロ泣きだしたという。

 身近なところでは幻の魔法使いは目玉の魔女の肖像を見ると脂汗が出て動悸と眩暈に襲われるらしく、さざれ石の魔女は目玉の魔女の透明看破と幻の魔法使いの透明体質の関連性を疑っている。


 無名叙事詩の主人公と目される勇者タルクェァは二つ名が多く、田舎者、冒険者、王、蘇りし者、導きの剣など色々な呼ばれ方で様々な詠唱文の中に登場する。かなりの偉人だったらしい。

 さざれ石の魔女自身も「タルクェァ」という名前の響きだけでなんとなーくホッとする感覚を覚えるぐらいだから、勇者タルクェァが無名叙事詩ひいては超越者達の中心人物だという説に異存はない。体感的に納得できる。


 淫魔は超越者の中でも特に勇者タルクェァへの感情が激重で、不明瞭ながら夢にまで出るほど勇者タルクェァへの恋慕が強いという。

 淫魔は、会った事も無い相手に、生まれながらにしてベタ惚れしているのだ。


 現状、タルクェァ枠の超越者は発見されていない。

 主要文明国のネットワークから外れた僻地にいるパターン(エロマンガ島の王など)か、それとも国の切り札として厳重に秘匿されているパターンか(アイルランド連合の暗殺者など)。

 いずれにせよタルクェァ枠の所在はようとして知れず、淫魔は生まれついての恋慕を持て余している。


 そうして持て余したクソデカ感情を余すところなく注ぎ込んで描かれた淫魔×勇者のドスケベエッチ漫画はそりゃもうスゴい。エロ漫画大国日本で生まれ育ったさざれ石の魔女でさえ衝撃と感銘を受けたほどだ。


 そもそも覚えている魔法からして淫魔は性癖が強い。


 発情魔法「体に心を委ねて」

 性転換魔法「男と男なら浮気じゃないから」

 年齢偽装魔法「妹になってあげる」

 噓泣き魔法「早く精気をくれないと死んじゃうわ」

 自爆魔法「私を忘れないで」


 一連の詠唱から勇者タルクェァへのクソデカ感情が透けて見える。世界中の娼館で標準装備のスケベ魔法なだけある(自爆魔法を除く)。

 淫魔はその名に恥じず、エロの化身だった。

 

 淫魔のエロ漫画をせっせと翻訳し、ついでにファンレターもしたためていたさざれ石の魔女は、ふと奇妙な感覚を覚え筆を止めた。


 さざれ石の魔女の拠点は元々漫画喫茶だったが、今では周囲の土地を買い上げ、都心のかなり広い土地を占有している。衛兵としてゴーレムが何十体も巡回し、主の代わりに不審者を排除する仕組みになっている。

 その巡回ゴーレムとの接続が、次々と絶たれはじめていた。


 100年以上を生きるさざれ石の魔女をして、初めての経験だった。

 数十体のゴーレムを強力な範囲魔法で一掃された事はある。

 魔法解除魔法で土くれに戻された事もある。

 だが、今まで経験したどれとも違う妙な反応だった。


「めんどくさい」


 心底めんどくさいと思っていても、口から出るのは感情の乗らない平坦な声だ。

 さざれ石の魔女は引きこもりだが、それは必ずしも脅威に対して縮こまる事を意味しない。

 奇怪な方法で警備ゴーレムたちを無力化しながら玄関に近づいてきているらしい何かの正体を確かめるため、ニートはのっそりと重い腰を上げた。


 玄関の引き戸を足先で引っかけ行儀悪く開けたさざれ石の魔女は、そこにいた老紳士を見た瞬間に奇妙な感情に襲われた。

 黒い中折れ帽子。

 品の良いベージュのコート。

 ステッキ型の魔法杖。

 背筋の伸びた老紳士の装いにも顔にも何一つとして見覚えは無いはずなのに、まるで久しぶりに実家の父親に会ったような馴染みある感覚を覚えた。


「あー……お嬢さん、これを」


 さざれ石の魔女がジロジロ奇妙な訪問者を見ていると、老紳士は困り顔で目を逸らし、コートを脱いで差し出してきた。


「なに」

「日本にそのような文化は無いと聞き及んでおる。種族自認がどうあれ、下着で人前に出るものではない。はしたないのである」

「ああ。忘れてた」


 言われて初めてさざれ石の魔女は自分の服装を思い出した。

 確かにウッカリしていたが、とやかく言われるほどの事はない。

 十年ほど前までは引きこもりが極まり、自宅では常に裸族だったぐらいだ。遊びに来た幻の魔法使いが仰天して下着を着るように口うるさく言ってきたので仕方なく着ているが、コスプレ以外で服を着るのは面倒だった。自宅でどんな格好をしようが家主の勝手だ。


 しかし紳士の親切をはねつけるほどスレてもいない。素直にコートを受け取り羽織ると、謎の老紳士は咳払いしてようやく目を合わせてきた。


「ふーむ……なるほど。いや、壮健で何よりである」

「そう。誰アンタ」


 口調や外見、印象、登場の仕方からなんとなく正体に察しはつくが、一応聞く。

 老紳士は帽子を取り、優雅に一礼した。


「突然の訪問失礼。吾輩、己の名に恥じるところなど無いのである。行動にも。しかし名をひけらかし問題を起こしたい訳でもないのである」

「別に通報しないけどね。名乗らないなら紳士のシン氏って呼ぶけど」

「うむ。さざれ石の魔女と呼んだ方が良いかな」

「友達はサザレイ氏って呼ぶ」


 名前を交換すると、二人の間に沈黙が降りた。

 シン氏は何やら感慨深そうにさざれ石の魔女を見ている。

 さざれ石の魔女はシン氏の背後で綺麗に整列して膝をつき控えているゴーレムの群れを見て首を傾げた。

 討伐でも魔法解除でもなく、ハッキングによってゴーレムの操作権を剥奪されたらしい。

 流石、魔法文明人はやる事が違う。


 忽然と現れた魔法文明人は、未曾有の大量殺人の経歴を持つと目される重要参考人である。青の魔女が「強大な力を持つ」と評したぐらいなのだから、その気になればさざれ石の魔女程度容易く消し飛ぶだろう。


 だが、不思議と危険人物だという気はしない。

 むしろ、何があろうと絶対に自分の味方だという安心感すらあった。


 なぜ自分の元を訪ねてきたのか確認するべきと頭では分かっているが、それすら些末な事に思える。

 きっとただ様子を見に来ただけなのだろう。

 彼は優しい。自分にとって……あるいは自分たちのような人形種族にとっては。


 そんな優しいシン氏に、さざれ石の魔女は一言謝らなければならない事がある事を思い出した。

 黙っていればたぶん分からない。しかし、どこかでウッカリ知られてしまったら居たたまれない。言うべきか、言わざるべきか……


「えーと。あのさ」

「何かな?」


 迷った末、さざれ石の魔女がコートの裾を指で弄りながらモジモジと切り出すと、シン氏は優しく促した。


「一個謝る事があるんだけど」

「…………。ふむ。内容は想像がつくが、謝らずとも良いのである。誰も責めはしないであろう」

「何言ってんの。シン氏と吸血のBL同人描いた事伝えようと思っただけなんだけど」


 さざれ石の魔女が言うと、シン氏は心底困惑して首を傾げた。


「む? 想像と全く違ったのである。びーえる……?」

「BLってのはボーイズラブの略。簡単に言うと前々からシン氏と吸血の関係性は殺し愛だって解釈しててさ。吸血を攻めにして、シン氏を受けにして同人描いた事あるわけ。シン氏が本当にいるなんて思ってなかった頃に書いたヤツなんだけど、悪い事したかなと思って。今は反省してる」

「????? 妙である。翻訳魔法は正常に働いているはずであるが……」


 オタク文化知識が無いらしくポカンとしているシン氏に、さざれ石の魔女は懇切丁寧に説明をした。

 サブカルチャーは人生を豊かにする。BLという言葉すら分からないなんて、人生を5%は損してる。

 それから小一時間かけて玄関先でのBL初級講座を受講し終えたシン氏は、酷く疲れた様子で萎れていた。


「理解した……いや、理解してしまったのである。まあ、その、なんと言うべきか。とにかく壮健で何よりである。うむ。いや、いささか不健全な気もするが」

「話聞いてた。私の話をちゃんと聞いていれば不健全なんて言葉は出ない」

「し、失言であった。あー、実は吾輩とても忙しいのである、今日はサザレイ氏の様子を確かめられて良かったのである。名残惜しいがそろそろお暇させて頂くのである」


 慌てて杖に魔力を巡らせ無詠唱魔法らしい魔力操作を始めたシン氏の肩を、さざれ石の魔女はがっしり掴む。シン氏は頬を引きつらせた。


「お暇するな。私は中途半端にオタク知識を齧って分かった気になる奴嫌いなんだよね。分かるまでとことん話してあげる。聞け、私の話を。そこに座れ」

「遠慮するのである。失敬!」


 そう言ってシン氏は逃げるように黄金の粒子に変じ、空に立ち昇り吸い込まれて消えた。

 空を見上げ、さざれ石の魔女は大きく舌打ちをする。逃げられてしまった。ゴーレムの操作権もいつの間にか戻っている。


「……あ。しまった。本当は受け攻めどっちがどっちだったのか聞けば良かった」


 遅れて重要な事を思い出し、さざれ石の魔女は愕然とした。

 本人の口から直接「吸血×人形師」だったのか「人形師×吸血」だったのか聞くまたとない機会だったのに、千載一遇の好機を逃してしまった。

 一生の不覚である。あの様子ではもう二度とやって来そうもない。


 さざれ石の魔女はひとしきり悔やんだ後、気を取り直しのっそりねぐらの奥へ戻っていく。

 奇妙な訪問者だったが、有意義な訪問者でもあった。

 暇潰しタイムは終わりだ。次の夏コミの題材は決まった。


 そして誰であろうと好みの関係性を見いだせれば情け容赦なく同人誌にしてしまう恐怖の魔女は、薄暗く快適な作業部屋で、世界的に手配がかかっている危険人物の愛憎模様をある事ないこと漫画にするため意気揚々とペンを手に取った。

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― 新着の感想 ―
読み返し中…… >豪腕の魔法使いは聖女ルーシェに会った途端にボロボロ泣きだしたという 剛腕枠と聖女枠って、なんらかの関りがあったのかな? 実は剛腕にとって聖女は、自身の命を賭してでも守りたかった存…
サザレイ氏めっちゃ愉快な人で草。金科玉杖の落札額見ても半笑いになってマボロ氏に変な目で見られてそう。 自分とマボロ氏のカップリング同人誌描かれても許されるのかな。
ナマモノは取り扱いに気をつけないとまずいのではなかったか
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