134 デバッカーの魔女
国境の税関をパスし、中国へ入った俺達は数時間で瀋陽市に到着した。
遼河流域にある瀋陽市は大河がもたらす肥沃で広大な大地を余すところなく活用し、100万の人口を養っている大都市だ。
石畳の大通りは活気に満ち溢れ、市中を蛇行しながらゆったり流れる大河にはもうもうと煙を上げる蒸気船が盛んに行き来している。煙がモクモクモクタンだ。
下車した途端、俺は煙っぽい空気に喉をやられた。めっちゃイガイガする。しかもなんか薄っすら臭い。ゴミの臭いがする。
目をショボショボさせる俺の手を引き、ヒヨリは虎タクシーを拾って郊外へ向かった。
100万人の市というのは、今の時代では世界的な大都市だ。
東京のように前時代からずーっと大きな人口を維持し続けている都市は珍しい。ヒヨリ曰く、グレムリン災害で人口を激減させ、再発展による急成長で大都市に復権した都市は大抵何かしらの歪みを抱えているそうだ。
釜山は変な匂いがしなかったが(香辛料の匂いで分からなかっただけかも知れない)、行政手続きが雑でハトバト氏がフリーダムになっていた。
中国では入国手続きが韓国入りの時よりしっかりしていた(脱影病とキノコ病の予防接種確認があった)代わりに、公害問題があるのだそうだ。
ゴミ処理が行き届いていない上、質の悪い石炭や石油など燃やせる物をガンガン燃やして街を回しているので、都心部は空気が悪い。産業革命期のロンドンみたいだ。日本もそういう時期あったし、発展途上の街はいつの世もどこも似たり寄ったりという事なのだろう。
しかし都心を離れ、牧場と畑に面した郊外のホテルに到着すると、空気は格段にスッキリしてゴミの臭いもしなくなった。ホッと一息だ。
チェックインの手続きをヒヨリに任せ窓の外を眺めれば、広大な平野の一面に広がる黄金色の小麦畑。
そして小麦畑の間に設けられた牧場区画でゴロゴロ転がる灰色の岩。
なにあれ……?
岩が生きてるみたいに勝手に動き回ってる。魔獣か?
中国ではグレムリン産業が盛んだと聞いている。
肥沃かつ広大な土地で大量の作物を育て、大量の作物で大量の魔獣を育て、大量の魔獣から大量の大粒グレムリンを収穫する。
日本が魔法杖、アメリカが魔法金属といった魔法的な二次産業をメインにしているなら、中国は一次産業。魔法杖と魔法金属の生産に欠かせないグレムリンの生産を担う、魔法産業の出発点だ。実際、俺も中国産の大粒グレムリンをけっこう使っている。
そういった事情を考えるなら、アレもたぶんグレムリン収穫用の魔獣なのだろう。
でも中国の特産魔獣は紅眼獣しか知らない。
チェックインを済ませ部屋の鍵を受け取って来たヒヨリは俺の視線の先を目で追い、手に持つ紙をヒラヒラ振って見せた。
「ちょうど牧場見学のパンフレット貰った。明日一緒に行くか?」
「んー、どうすっかな。あの岩も牧場で飼われてる魔獣なんだよな? どんなやつ?」
「中国名はなんだったかな……日本では真珠岩と呼ばれているやつだ」
「ほう」
ヒヨリによれば、勝手に転がる丸い岩は真珠岩と言い、理論上はキュアノスを超える八層構造のグレムリンすら生産できる魔獣なのだそうだ。
真珠岩は丙1類の魔獣で、グレムリンの自己再生能力を持つ。ヒビが入ったり欠けたりしても自己修復するし、丸ごと失っても新しく生えてくる。
グレムリンを欠損すると体調を崩したり衰弱したり死んでしまったりする魔物が多い中、真珠岩のようなタイプは珍しい。
魔獣産業では真珠岩のグレムリン再生能力に目をつけ、加工ではなく養殖によって多層構造のグレムリンを生産する試みが行われている。
理屈としては真珠の養殖と似たようなものだ。
まず、真珠岩のグレムリンを摘出する。
摘出したグレムリンを削って小さな球体にして、表面を金属の被膜で薄くコーティングする。
コーティングしたグレムリンを元の場所に戻してやると、真珠岩は小さくなってしまった自分のグレムリンの外側に新しいグレムリン層を形成し、修復する。
十分に外側のグレムリン層が厚くなったらもう一度摘出。
この時点で、グレムリンは内側から順番に「内核―金属層―外殻」の三層構造になっている。
そこで外殻に小さな穴を空け、酸性溶液を注ぎ込んで金属を溶かして除去すれば、二層構造のグレムリンの完成というわけだ。
あとは同じ手順を繰り返せば七層でも八層でも百層でも、好きなだけ多層構造を増やせる。すごい!
……が。これはあくまでも理論上の話であって、もちろん問題がある。
真珠岩はグレムリンの再生能力を持つが、不純物を巻き込んで再生を行うと体調を崩してしまい、長生きしない。
現状、二層が限界だ。そして二層で良いなら、紅眼獣の方が飼育コストが低く粒も大きい。
真珠岩の体調管理方法すら確立できれば、キュアノスの七層を超える多層構造グレムリンを量産できるが、現状では夢のまた夢。
しかし夢を追いかけるのはやめられず、真珠岩の実験的飼育はあちこちで続けられているのだそうだ。
なるほどね。
マモノくんも幽霊魔物の調教飼育研究頑張ってるし、魔獣分野の研究もなかなかアツいな。夢がある。
「ヒヨリはさあ、武仙集団に送る詫びの品ってやっぱ魔獣関連の方がいいと思う? 金科玉杖落札したんだから杖にも興味あるんだろうけど、顧客のニーズのメインは魔獣なんじゃないかって気がしてきた」
「私は売買契約を守っているなら詫びの必要は無いと思うが……正直、なんでもいいんじゃないか? 武仙集団は金科玉杖そのものではなく、金科玉杖に使われている技術目当てで買ったフシがある」
「なるほど? じゃあなんかオモロい技術送り付けるか」
俺が腕組みして頷くと、ヒヨリは不安そうな顔をした。
「送る前に私に言えよ……?」
「なんで」
「お前、私にキュアノス作る時に核兵器じゃなくて強くてカッコいいマジカルステッキぐらいの感覚だっただろ」
「ん゛ッ! 反論できない」
俺がハシャぎながら作った杖で世界が泡吹いて倒れる事もある。
俺が単なる詫びの品のつもりで提示した技術で世界がひっくり返る事だってあるかも知れない。一応、後でヒヨリにチェックしてもらおう。
詫びの品になるモノを腰を据えて作りたいので、ホテルには七日七泊する事にした。
ヒヨリは本場の中華の食べ歩きに興味を示していたが、ルームサービス中華が十分美味かったのでまた部屋の隅の椅子に座って一日中瞑想をするようになった。
こいついっつも瞑想してるな? いや、お陰で俺は翻訳魔法の恩恵に与ってるんだから文句ないけど。
武仙集団への詫びの品は「イアトロス・グラス」と「四次元収納ボックス」に決めた。
キュアノスに実装した虚空収納機能と同じ効果を持つ箱を作り、魔改造したマギアグラスを中に納めて送る。
医者の結晶は、列車の中で暇潰しがてらに改造した魔改造マギアグラスだ。
魔力固有色に反応する性質と三次元アポロニウス問題の原理を組み合わせる事で、いくつかの魔力疾患の診察が可能になっている。
本当はなんとかしてうまいこと量産可能な魔力定規を作れないかと弄り回していたのだが、できなかった。
作りたいものは作れなかったが、代わりにできた物だって悪くない。医療業界大助かりの逸品に違いない。精度を落とせば俺以外の職人が量産可能なのもマル。
現状、魔法が使えないとか魔法にアレルギーが出るとかそういう魔力疾患は、症状が出てから初めて分かる。
魔力コントロールができれば見るからに不安定な魔力を視認して疾患の有無ぐらいは分かるらしいが、具体的にどんな症状なのかは分からない。
でも!
イアトロス・グラスがあれば、触るだけで数種類の魔力疾患が一目で分かっちゃいます! 全種類は分からないけど、数種類は分かる!
構造体内部の球体の体積比率を変えたモノを1万個とか2万個ぐらい用意して全部触れば、理論上は触った者が持つ魔力の性質情報を丸裸にできるはず。
例えばヒヨリの魔力は賦活して垂れ流しにするだけで冷気を帯びるほど氷結魔法と親和性が高いが、そういうのも識別できる。なんなら二種類の魔力を反応させ、その魔力の持ち主の間に血縁関係があるかどうかも分かるかもしれない。
……理論上はね。何万個もチマチマ手作業で作ってられないから試してないけど。そういうのは魔王グレムリンだけでお腹いっぱいなんで。
俺がニヤニヤしながらイアトロス・グラスの取り扱い説明書を書いていると、四次元収納箱を検分して性能検査をしているヒヨリが横目で見てきた。
「そんなに楽しいか?」
「いやぁ、ファンタジーだなって思ってさ。だって水晶触るだけで魔力の量とか性質が分かる時代になるんだぜ?」
「ああ。魔力版の体温計だな」
「……いや、まあ、それはそうだけど」
ものすごく身近な例えを出されてちょっと冷めてしまう。
もっとさあ、こうさあ、あるじゃん?
「全属性の魔法に適性のある七色の魔力の持ち主だと!? 百年ぶりだぞ!」
とかさ。
「魔力計を爆発させるだと!? どれほどの魔力を持っているんだ……!」
とかさ。
魔力を測定するだけでヤンヤヤンヤの大騒ぎはファンタジーの定番だと思うんだが、ヒヨリはそういうのあんまり分からないから寂しい。ウチの漫画の蔵書も恋愛とかグルメとか日常系とか、そういうのばっか読んでたもんなぁ。
逆に俺がヒヨリの好きな漫画を紹介してもらうべきなのか?
「あ」
「え?」
漫画の好みについて考えていると、突然ヒヨリが驚いた声を上げた。
見れば、ヒヨリが膝に乗せて弄っていた四次元収納ボックスが消えている。
えっ。
き、消えた?
なんで?
「な、なんで消えた? まだスピログラフギア着けてないぞ? 四次元には折りたためないはずだ」
「す、すまん。線に沿って魔力を捻じりながらなぞったらなんか起動した……」
「ええ……」
ヒヨリは焦って四次元に消えた収納ボックスを取り出そうと虚空を掴む動きをしているが、もうダメだ。まだテンセグリティ構造を仕込んでいないから、座標が分からない。
完全に四次元に漂流してしまった。
電波を遮断したスマホを太平洋のどこかに沈めたに等しい。もう二度と見つからない。
「わざとじゃない、わざと消したわけじゃないぞ! どっ、どうすれば呼び戻せる? 歯車も一緒に消えたんだ。歯車は手元に残るはずじゃ……?」
「えー、結論を言うともう手遅れです。事故ったな。どんまい。四次元技術って思ったよりあぶねーな」
逆に今事故って良かったまである。
四次元理論はまだまだ基礎段階だ。基礎段階どころか、山上氏が構築した基礎理論を俺がフィーリングで運用している段階だ。予期せぬ挙動はいくらでも起こり得る。
虚空に消えた程度の事故でまだ良かった。こういう事が有り得るなら、周囲の空間をヒヨリごと巻き込んで消えてしまう可能性すらあった。
危険過ぎる。
「ヒヨリ落ち着け。大丈夫だから。むしろ超優秀デバッカー! バグ発見の天才! 消えて良かった。いやマジで」
「うぐぅ……大利が優しい……」
動揺するヒヨリを落ち着かせ、俺は小さく溜息を吐いた。
武仙集団に送る詫びの品はイアトロス・グラスだけにした方がいいな。
四次元収納箱は危険過ぎる。詫びの品が誤作動起こして周囲の空間を飲み込んで消滅しでもしたら、詫びどころかテロだ。シャレにならん。
ヒヨリが製品テスターをやってくれて良かった。本当に良かった。
持つべきものはデバッグできる彼女だな!