131 倫理観ゆるキャラ
80年前。グレムリン災害直後の動乱期より、世界はずっと平和になった。
あの頃は死も殺しも今よりずっと身近だった。特に超越者は「切捨御免」じみた慣例があり、余程理不尽な殺しでもなければ赦された向きがある。
だが今は違う。法とその執行機関が整備され、人殺しはちゃんと罪だ。いくら超越者だろうと、簡単に踏み倒せる罪ではなくなっている。
そんな平和で縛りの大きな時代になっても、歩く核地雷と呼ばれたヒヨリの判断は早かった。
魔力が滾り、部屋の空気がずっしり重く冷たく沈む。いつでもハトバト氏の頭を吹っ飛ばせる体勢のヒヨリは、しかし何かに気付きその杖先を窓へ向けた。
釣られて目を向け、ゾッとする。
そこには屋敷にいた数十人の使用人たちが全員集合していた。
窓に顔を押しつけべったりと張り付き、ガラス玉のような色の無い目でヒヨリに視線を集めている。
背筋を冷や汗が伝った。最初からこの屋敷にニンゲンなんて誰もいなかったのだ。
「위험」
「위험」
「제거」
「제거」
感情の抜け落ちた平坦な声で繰り返す使用人達は、窓を突き破り部屋に雪崩れ込んできた。
「ぎゃーっ!?」
「大利ッ!」
鋭く叫んだヒヨリが俺の襟首を掴み、首が折れそうな勢いで後ろに放り投げる。
間一髪で俺は掴みかかってくる人形たちの魔手から逃れた。俺を後ろに下げるついでに無詠唱で放たれた氷の槍は数十体の人形のうちの一体の脳天に正確に突き刺さるが、額を欠けさせ陶器のような内部を露出させるだけで致命打になっていない。
ひえー、めっちゃ硬い! この球体関節人形たち、人間よりつえーぞ。超越者未満、人間以上ってとこか?
俺は人形の壁の後ろでぽけーっとしているハトバト氏に呼びかけた。
勘弁して下さいよ。戦う必要なんて無いじゃないですか?
「ハトバト氏、人形下げて下げて。ヒヨリも。物騒な事はやめようぜ」
「うむ。諸君、下がるのである。吾輩を護ろうとすれば、彼女は諸君を破壊する。吾輩を捨て置けば、諸君は生き残る」
「…………」
ハトバト氏は落ち着き払って自分の前で壁を作る人形たちに呼びかけたが、人形たちの反応は薄い。無機質な瞳だけをハトバト氏に向けた後、無言でヒヨリに目線を戻した。
ハトバト氏は物悲しそうに溜息を吐いた。
「見たかな大利氏。これが今の吾輩の限界である。吾輩の被造物は、組み込まれた大原則を自力で打ち破る事ができぬ。真の自我が無い」
「ロボット三原則か?」
思い当たる節を問うと、ハトバト氏は頷いた。
ロボット三原則とは、その名の通りロボットが従う三つの原則だ。
1,ロボットは人間に危害を加えてはならない。その危険を看過する事でも危害を加えてはならない。
2,ロボットは人間の命令に服従しなければならない。ただし命令が1に反する場合は例外。
3、ロボットは1および2に反しないかぎり、自己を守らなければならない。
この三つの原則のうち、状況的には1が問題になっている。
ヒヨリはハトバト氏を始末するつもりだ。
これを見逃すと、人形たちは「ハトバト氏への危険を看過する」事になってしまう。
だからハトバト氏の命令を無視してハトバト氏を護ろうとするのだ。
「地球ロボットの大原則とは多少異なるが、似たようなものである。この子らは吾輩に敬意を払い、守ろうとしてしまう。吾輩を無視して己が身を護る事ができぬのである」
「構うな大利。相手は入間だと思え。会話するだけ無駄だ」
「そ、そこまで!?」
すっかり敵対モードに入ったヒヨリの言葉は刺々しい。いや最初から敵対的だったけどね?
部屋の半分はハトバト氏を庇う人形で埋まっていて、ドアも封鎖状態。窓枠にも人形が鈴生りに張り付いている。ヒヨリ目線では敵に完全包囲された形になる。人形たちは俺達をじぃっと見つめたまま微動だにしない。
まあヒヨリは最強だから最悪俺を巻き込んで皆殺しにできるに違いないけど、俺は別にハトバト氏のお命頂戴する必要なんて無いと思うんだよなあ。
だいぶ火力の高い思想だけど、いまいち悪党っぽくない。
会話で分かり合えると思う。腕の良い職人なんだし。
「まあまあ、落ち着けって。確認したいんだけどさ、ハトバト氏は地球で誰か殺した?」
「誰も殺しておらぬ」
「なんか犯罪やった?」
「強いて言えば戸籍偽造であるな。偽造のための賄賂を含めれば二つである」
スラスラと答えるハトバト氏の言葉に嫌味や皮肉は何もなく、礼儀正しく真摯な紳士そのものだ。
入間もこういう感じを装っていた時期があるようだから手放しでは信用できないが、信用を稼ぎたいならわざわざ「人間が人形に滅ぼされるのを見たい」なんて言うわけ無いし。
「戸籍はしゃーなしだろ。ノーカウント。ひょっとして無名叙事詩に出てくる悪事も濡れ衣だったりするんじゃないか」
「叙事詩……? ああ。いや、それは事実である。吾輩は確かにこの手で屍の山を積み上げた」
「な、なんで……?」
「親は子のために道を譲るべきであるゆえ」
ハトバト氏はこれで分かるだろうという顔をしたが、分からない。ピンとこなくて首を傾げてしまう。
ヒヨリは俺を背中に庇いながら戦闘態勢をとり続けているが、話に耳を傾けてはいる様子だ。俺を庇わず動けるならとっくに大乱闘が始まってそう。恐ろしや。
「ふむ。大利氏に子供は?」
「まだいない」
俺が首を横に振ると、ヒヨリはほんの少しピクリと動いた。
ハトバト氏は少し言葉を選んでから無名叙事詩で語られる大量殺戮の理由を説明してくれる。
「いつの世も、次代に道を譲らぬ老害はいるものである。子供の幸福のために身を捧げる事ができず、子供の頭を抑えつけ出しゃばるけしからん者共は排除しなければならぬ。
人形が真の自我を得た時、人間の滅亡は決まった。ならば人間は繁栄にしがみつかず、人形に支配の座を譲り渡し、誇り高く滅びるべきである。
吾輩は人間の醜い悪足掻きが人形に大きな犠牲を出すのを看過できなんだ」
「…………えーと? どうせ人間は人形に滅ぼされるんだから、人形側について人形側の犠牲を減らしたかったって事?」
「うむ」
話をざっくりまとめると、ハトバト氏はあっさり頷いた。
う、うーん。
うーん!!!
情状酌量の余地があるような無いような? ハトバト氏は職人だが、思想家でもあったらしい。いや思想家が職人をやっているのか?
あんまり深い哲学的な話はしないでくれ。俺は魔法杖職人なんだ。哲学は分からん。
「結局、人類を滅ぼそうとしているんだろう? 見逃す訳にはいかない」
ヒヨリもヒヨリなりに話をざっくりまとめ、険しい顔でキュアノスを持つ手に力を込める。
いやそうなんだけど。そうなんだけどさあ!
要するに子供の幸せのためなら親はさっさと死んだ方がいい、みたいな極論だろ?
極論だけど、頭ごなしに否定もできない。
俺だってヒヨリに殺されるならしゃーないかな、と思って死んだ事あるし、気持ちちょっと分かるんだよな。
好きな人のためなら命さえも、と思うのはそんなにおかしな事だろうか。ハトバト氏の考えはめちゃくちゃ極端だが、根っこの部分は理解できる。
部屋に奇妙な沈黙が降りた。
ヒヨリはハトバト氏を始末する気だ。
人形はハトバト氏を護っている。
ハトバト氏は質問には答えてくれるが動かない。
俺はこの場を丸く収めたい。
何かの切っ掛けで事態は一気に動くだろう。
人形に囲まれたこの状況で俺の安全が確保できればたちまちヒヨリが暴れ出す。
ヒヨリがハトバト氏を攻撃すれば人形は間違いなく襲い掛かってくる。
いや襲っては来ないのか? ヒヨリが人形にとって「人間」と認識されているならロボット三原則に則って攻撃できない? いや魔法文明の人間と地球の人間は別か?
わ、分からん。
頭がこんがらがってきた。
めんどくせー!
考えれば考えるほどめんどくせえ。
話が! めんどくせぇ!
俺がしばらく考えをまとめてから手を叩き注目を集めると、全員の注目が集まった。
「よし分かった。もう単純に行こう。
ハトバト氏は魔法文明でいっぱい殺したみたいだけどさあ、それって外国の話じゃん?
いったん無しで行こう。外国でやった犯罪を裁くのは外国。地球とは関係ない。ハイこの話おしまい」
「お前なあ」
俺が強引にまとめると、ヒヨリは呆れた顔をした。
なんだよ。暴論だけど間違ってはいないぞ。
「で、地球でやったのは戸籍偽造と贈賄だけ。身分無かったんだろ? 不可抗力。無罪。この話もおしまい。
んで、順番的にハトバト氏は自我を持ってる人形ができたらそこで初めて人類を殺しはじめるんだろ? それ何百年後の話? 電気も魔法も使わない純物理人形でそういうの作りたいなら、最大限に甘く見積もって五百年はかかるぜ。それも実現の保証無しで」
「ほう? 吾輩は最短でも千年はかかると考えておったが」
「ほらみろ! ヒヨリ、千年後にならないと犯罪犯さない奴を今のうちにぶっ殺すのか?」
「む……」
ヒヨリは言葉に詰まった。
千年は長いぞ。明日明後日に向けて計画された犯罪とはワケが違う。遠い遠い未来の話だ。
「それにハトバト氏の言い分だとさ、ハトバト氏が死んでもいつか誰かがすっごいハイスペ人形作って、人類はその人形に滅ぼされるんだろ? 連環の理に導かれてさあ」
「うむ、必ずそうなる。吾輩はここで死んでも一向に構わぬ。その場合この目で次世代の担い手を見る事ができぬのは残念であるが。文明の発展速度を鑑みるに、何が起ころうと遅くとも10万年以内に人類は自らの被造物に滅ぼされるであろう」
「じゃ、ここでハトバト氏を殺っちまってもあんま意味ないじゃん。10万年とか言ってるし。やめとこーぜ、ヒヨリ」
「じゅ、10万年か。だが最短五百年で人形の反乱が起きるんだろう? その時、私達はまだ生きている」
ヒヨリは迷い出したが、まだキュアノスを下げない。
むむむのミミミ。500年先の未来の話を当事者目線で考えられるあたり、ヒヨリは長寿種族目線が板についてきてるな。俺はまだあんまり自分が寿命伸びた実感無いぞ。
「安心召されよ。ヒヨリ氏は恐らく滅びの対象外である」
「なに?」
なんやかんやヒヨリの殺意がハトバト氏を捉えてしまうのではないかとハラハラしていると、今度はハトバト氏から自己弁護が入った。
「人間の規格を外れれば、人形に滅ぼされぬ。人形が滅ぼすのは人間だけであるゆえに。その道を選ぶ者は少なくない。いわゆる超越者には人間の規格を外れた者が多く見られるであろう? それが傍証である」
「え、そういう感じ?」
魔法文明には目玉族とか心臓無い族とかエルフ族が普通に暮らしてるものだとばかり思ってた。死にたくないから人外にわざわざ変異してたのかよ。マジか。
ハトバト氏、魔法についてはあんま話したくないとか言う割にポロポロ重要情報落とすな?
いやハトバト氏にとっては伏せるまでもない些細な小話なのかも知れんけど、魔法エアプな地球人にとっては衝撃です。
「うむ。そういう感じである。支配種たる誇りと栄華を捨て去る事に躊躇がなければ、人間である事を辞めれば良い」
「なるほどな。色々と腑に落ちる話だ。それと二度と私を名前で呼ぶな。青の魔女と呼べ」
「失敬」
胸に手を当て軽く頭を下げるハトバト氏をじっと見たヒヨリは、躊躇いがちにキュアノスを下ろした。
部屋の空気が弛緩する。ヒヨリが杖を下げただけで室温が20℃ぐらい上がった気がするぞ。あったけぇ。
よし。
「じゃ、ハトバト氏。人形談義に戻ろうぜ」
「!? ここから話の続きを? 吾輩は大歓迎であるが……」
ハトバト氏が伺いを立てるようにヒヨリを見る。
ヒヨリは青筋を浮かべて俺を見た。
俺はビビって床を見た。
す、すまん。
殺し合いを回避した直後にする話じゃないか。元々ボチボチ宿に引き上げようって話だったし。
「すまんやっぱいったん帰るわ」
「それが良かろう。吾輩も屋敷を引き払う事にする。
よければ大利氏にも魔法を用いぬゴーレム人形を作ってみて欲しいのである。
大利氏の意見を参考に吾輩も研鑽を重ねる心積もりであるが、同じ目標を目指す同志が多いに越した事はない」
「えー? 俺の本業魔法杖職人だからな。まあ暇な時にちょろっとやるかも知れんけど」
鈍い回答だったが、ハトバト氏はニッコリ笑った。
「その言葉が聞けただけで、吾輩満足である。
例え吾輩が志半ばで完全なる死を迎えようと、吾輩の考えを理解し残してくれる友がいる。それだけで救われるのである」
「いや友達ではないけど。別に志にも賛同してないし」
「う、うむ? そ、そうであるか」
ハトバト氏はションボリしてしまった。
会って一日も経ってないのに友達なワケあるかよ。
「こほん。では青の魔女氏。今から魔力封印を解除するが、攻撃は控えて頂きたい」
「お前が攻撃しないならな」
ハトバト氏はヒヨリに一礼すると、数分彫像のように静止した。
かと思えば、不意にハトバト氏の体が周りの人形たちと一緒に金色の粒子に変わった。
金色の粒子は天井をすり抜け空に立ち昇る。窓の外を見れば、夜空に描かれた黄金の天の川は残滓を残しあっという間に消えていった。
工房には俺とヒヨリだけが取り残される。
一時はどうなる事かと思ったが、穏便に済んで良かったぜ。
もうちょっと魔法文明について聞きたかった気もするけど、具体的な話というか、何かの核心部分……地球人類の魔法技術の発展に直結するような話は避けていた。どれだけつついても肝心なところは話してくれなかっただろう。
まあ超一流の人形職人と有意義な話ができただけで余は満足である。オモロかったし刺激になった。
「あいつ。無詠唱で帰還魔法を? しかも集団で……」
俺が腕組みして頷き楽しい技術談義を思い起こしていると、ヒヨリはぽつりと呟いた。
「あ、やっぱり無詠唱帰還魔法? もしかして戦ったらヤバかった?」
「勝ったさ。未知数な部分が大きいが、入間を相手にするようなものだっただろう」
「やば。際どいな」
入間もワケ分からん無詠唱魔法連発してたし、確かに似たような相手だったか。
というか、ハトバト氏が入間レベルの想定だと戦ったら俺が巻き添えで死ぬな? 見敵必殺のヒヨリが睨み合いを選んでいたわけだ。
「しかしあんな悪党相手に説得が成功するとはな」
「俺が説得したのはヒヨリなんだけど」
「…………」
工房はそのままだ。
ハトバト氏は消えたが、戦闘らしい戦闘も起こらず解散の運びになったおかげで、部屋の研究資料は丸ごと無事に残されている。
ククク、全て俺の物にしてしまっても構わんな?
俺は物理人形より断然魔法杖の方に興味がある。
悪いね、ハトバト氏。貴兄が置きっぱなしにしていった資料は、人形製作ではなく魔法杖製作のために活用させてもらうのである。失敬。





