129 第三種接近遭遇
朝鮮半島全土を掌握する真韓民国は、グレムリン災害のどさくさに紛れて北朝鮮と韓国が合併してできた国だ。
どさくさというか普通に戦争が起きたようだが、正確な記録は残っていない。一応最初に北朝鮮が攻めてきて、韓国が押し返して逆侵攻した、という形で公式記録が残っているが、真偽は不明だ。混沌の時代だったし。
大多数の国がそうであったように真韓民国もグレムリン災害によってズタボロになっていて、産業が壊滅し長い間暗黒期にあった。
それが持ち直したのは、中国と日本の貿易中継地としての立場を確立してからだった。
歴史的にはまず日本が魔法杖産業を中心に経済力をつけていき、次に中国がグレムリン産業を興した。
すると、真韓民国はグレムリンを日本に輸出する中国と、魔法杖を中国に輸出する日本の間に挟まれる事になる。
日中貿易船は基本的に凶暴な海生魔物の生息海域を迂回して運航するので、真韓民国を経由するルートが一番安く早く確実だ。
古くはローマ街道沿いに街が栄え、シルクロード沿いに富が広がり、江戸時代にも宿場町には活気が満ちた。魔法時代でもその根本原理は変わらない。
真韓民国は日中貿易の中継仲介を行う事で両国の経済成長の波にうまく乗り、近年メキメキと成長している。
中でも半島の玄関口釜山の港には人、物、金が集まり、好景気に湧いていた。
俺達は船を降りて入国手続きを済ませ、人でごった返す港町に歓迎される。
すごい熱気だ。
「はぐれるなよ」
「こんなガッチリ手ぇ繋がれてんのに?」
ヒヨリは肩をすくめ、慣れた足取りで人混みを縫って歩き出した。
道は太くまっすぐで、煉瓦作りの高い建物が林立している。街路樹も生えていたが、そーっと枝を道路に伸ばしては捨てられたゴミを自分の幹の隙間に突っ込んでモゴモゴしているから、そういう樹木魔物なのだろう。
日本では主流だったフクロスズメは全然いない。代わりにフクロツバメが編隊を組んで忙しなく空を飛んでいる。
香辛料の香りも強い。スパイシーな匂いが飯屋から道路まで漂ってきていて、俺は立ち食い屋台でキムチと唐揚げをガツガツ喰っているガタイの良い兄ちゃん達を見て懐かしくなった。色々変わっているが、昔懐かしいステレオタイプの韓国イメージも残っている。
国が違えば風景も匂いも雰囲気も全てが違う。
ケンチャナ~とかナンチャラヨ~とかモチャモチャ知らない言葉が飛び交っていて、ああ、異国に来たんだなぁとしみじみ感じた。
お上りさん全開で周りを見ていると、俺の手を引くヒヨリが不思議そうに首を傾げた。
「平気そうだな。対人恐怖症はどうした?」
「だから俺は旅行は大丈夫なんだって。人に囲まれるのがダメなんじゃない、人に注目されるのがダメなんだ」
「ふーん……?」
イマイチ伝わらなかったようで、ヒヨリは曖昧に頷いた。
分かってないな。人に囲まれるだけで吐血するなら学校いけないだろ! 俺は仮にも大卒だぜ?
俺は視線を向けられたり意識を割かれたり話しかけられたり、とにかく他人に注意を向けられると一気にストレスが跳ね上がる。どんなに大勢に囲まれていようが、誰にも気にされない居ても居なくても同じの有象無象でいる限りほんのり気疲れするだけで済む。
このへんのジメジメした機微は元々陽の者だったらしいヒヨリには分かるまい。
釜山の港湾部は人だらけで喧騒に溢れ、日本からやってきた旅人二人はほとんど注目されなかった。
日本では道を歩けば大注目の青の魔女も、国が変わればこんなもの。俺だって真韓民国の有名人を一人も知らないし、他国の有名人に無知なのはお互い様だ。
ヒヨリは顔が良いからちらほら好奇の目は向けられるものの、その隣にいる俺は花束の横に置かれたジャガイモ同然。
添え物以下だ。全然俺に注意を向けられない。こいつぁ気が楽だぜ。
「ヒヨリヒヨリ。あれは?」
「ん、どれだ?」
「黄色い看板出してる屋台。グレムリン並べてる人が座ってなんかやってるだろ」
俺がフードを深く被って客にモニャモニャ言っている人を指さして尋ねると、観光ガイドはスラスラ答えてくれる。
「ああ、アレは占いだ。看板に韓国語で魔法石占いと書いてある」
「ほう。未来視魔法みたいな?」
「いや、前時代の占いと変わらん。水晶の代わりにグレムリンを使ってそれらしい雰囲気を出しているだけの、実質人生相談だよ」
「詐欺じゃん!」
「そう目くじらを立てるな。ああいうのは心の保養だ。魔法石占いを本当に信じる奴なんていない……ほとんどは」
ヒヨリが言うには、日本には未来視一族というマジモンが居る関係で流行っていないが、他国ではけっこう占いが流行っているらしい。
未来視魔法はあるが、占い魔法の存在は現状確認されていない。だが、前時代より遥かに占いという行為は真に迫っていて本物っぽい。
化学は錬金術から始まったというぐらいだし、怪しい学問や技術が本物になる時も来るのかも知れない。
「じゃあアレは? アレはなんだ? 赤い横看板の」
「薬局だな。漢方と魔法薬を扱っているようだ。…………。ほらほら、さっさと宿に行くぞ。日が暮れる」
「なんでちょっと黙った? なんかあるのか」
「……ショーウィンドウに禁制品が置いてある」
「マジで?」
そ、そんな堂々と禁制品扱ってんの!? 治安悪すぎだろ!
俺が目を剥くと、ヒヨリは気が進まなさそうにしながらも解説してくれた。
日本と真韓民国では薬事法が違う。
日本では禁制品のクスリが、真韓民国では合法だったりする。
そういう日本基準での違法な品が堂々と飾ってあるようだ。
ふーむ、面白そうだ。日本じゃお目にかかれないレア魔法薬が置いてあるって事だろ?
「ちょっと見てこうぜ!」
「言うと思った。迂闊に商品に触るなよ? 汚したとか傷つけたとか難癖つけて押し売りしてくる店もある」
ヒヨリは溜息を吐いたが、それでも先導して店に入って行った。
ムッと鼻をつく濃い漢方の臭いに満ちた店内では、露骨にやる気が無さそうな店員が奥のカウンターに座って新聞を読んでいる。店員は入店した俺達をチラッと見て韓国語でまるで心の籠っていない言葉を機械的に投げてきたが(いらっしゃいませとかそういう言葉っぽい)、すぐに新聞に目を戻した。
接客態度、花丸。良い店じゃないか。テンション上がってきた。
俺達の他の客は老齢の紳士が一人だけで、その紳士も熱心に薬棚を見ていてこちらには目もくれない。良い感じだ。
「ほう。天竹露茶もあるんだな。少し買っていくか……大利、そっちの棚には近づくな」
「なんで?」
「そっちは成人向けコーナーだ。大利にはまだ早い」
「ナメんな。百歳超えてんだぞ」
レフィクルの石突でヒヨリの脇腹をつついて抗議すると、ヒヨリはくすぐったそうに笑った。
狭い店内の壁を埋める薬棚には所狭しと薬瓶が並べられていて、中には乾燥させた根っこや葉っぱ、キノコ、鱗、木の実などが詰められている。
見ているだけで面白いのだが、残念ながらラベルのほとんどがハングル文字なので読めない。
「あ、これ漢字だ。火好虫……?」
「火好虫は中国原産の寄生虫だな。炎系の魔物の鱗とか歯の隙間に寄生して熱を奪って育つ。火傷に効く。解熱剤にもなるんだったかな」
「ほう」
赤いコガネムシみたいな虫が詰まった瓶に書かれた値札には、他の瓶より高値が書かれていた。ハングルが分からなくても数字は読める。アラビア数字万歳だ。
「こっちも読めるな。D……Draxir? ドラキシルか? 読めても分かんねぇ。ヒヨリこれは?」
「禁制品だ。ドラキシルはドラゴンブラッドとエリキシルを組み合わせた造語だな。
ドラゴンの血液から作る霊薬で、飲むと高い身体強化効果と魔法耐性が得られる。
液体の中に白い結晶が見えるだろう? 服用前に熱して結晶を溶かしてから使う。冷えると成分の一部がこうやって析出するんだ」
「ほー。おもしれー霊薬」
「飲むと魔法病を発症する事がある。日本では禁止だ」
「反動付きの魔法薬ってカッコイイな……」
「どこが? 買わないぞ」
ヒヨリと話しながら冷やかしを楽しんでいると、いつの間にか隣に紳士が立っていた。俺達の前に店にいた老齢の紳士だ。帽子を小粋に被り品の良いベージュのコートを肩にかけていて、韓国というよりイギリスという雰囲気がする。ステッキ型の魔法杖持ってるし。
乾燥させた薬草がはみ出した紙袋を小脇に抱えた老紳士は、興味深そうに俺の腰のレフィクルとヒヨリのキュアノスを交互に見ていた。
「良い杖である。面白い」
老紳士の目は杖に吸い寄せられていたが、俺の目は老紳士の手に吸い寄せられた。
ほう。面白い。
これは職人の手だ。しかも一流の。
節くれ立ち皺だらけシミだらけの指は細く繊細で、それでいてしっかりした強さを感じる。
俺ほどじゃあ無いが、さぞや名のある職人に違いない。
「ふぅむ……原始的だが非常に独創的。その上よく洗練されておる」
「待て。貴様、さっきから何語を喋っている?」
俺が老紳士の身元を問おうと身を乗り出すと、ヒヨリは俺を背中に庇って押し戻し険しい目で紳士を睨んだ。
ヒヨリの言葉に遅れ、俺も気付いた。
店の外から聞こえるざわめきは韓国語。
俺達が話しているのは日本語。
この老紳士が話しているのは何語だ?
全く耳馴染みが無い言葉なのに、完璧に意味が頭に染み込んでくるせいで気付かなかった。
知らない言語で喋っているのに、何を言っているのか分かる。
まさか翻訳魔法か……!?
人類がまだ発見していない、未知の魔法だ。
「何者だ。魔法使いか? 魔人か?」
強い警戒を滲ませるヒヨリが語気を強めて詰問すると、何やらただ者では無さそうな雰囲気の老紳士は帽子を取り、優雅に一礼して答えた。
「失礼。吾輩はハトバト、人形職人である。この杖を磨いた魔法杖職人がどちらにおられるかお尋ねしたいのだが?」