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126 復興世界の魔笛職人

 神崎(かんざき)鵬関(ほうせき)は、アラクネグループ傘下の工房を取りまとめる当代一流の魔笛職人である。

 神崎は妻と娘の三人家族を支える大黒柱として、また東京指折りの魔笛職人として、日々工房で魔笛作りに精を出している。


 魔笛とは、80年以上昔に稀代の名工0933が製造した管楽儀式魔法祭具を源流とする横笛だ。


 管楽儀式魔法祭具が発音不可音を出すために作られた実験器具だったのに対し、魔笛は芸術目的で作られる。

 幾何学グレムリン技術と管楽儀式魔法祭具の技術を融合昇華して作られた全グレムリン製の笛は、一見して色ガラスの部品を組み立て金属で要所を補強した横笛に見えるが、ガラスの笛とは似て非なる物だ。


 普通の笛と違い、魔笛は吹けば音に応じて魔力が動く(魔法にはならない)。

 そしてその音は非常に特徴的で、前時代から生きている老人たち曰く「サイバーパンクな電子音」だ。

 前時代を知らない者にとっては高級感のある魔法的な音に感じられる一方で、前時代を知る者にとってはむしろ魔法が世界に存在しなかった時代を思い出させる懐かしい音色に感じられる。

 その二面性が魔笛がもつ唯一無二の魅力だ。


 魔笛は部品削り出しの材料として幾つもの大粒グレムリンが必要になるため、原材料の値段を製品価格に反映せざるを得ず、どうしても高価になる。

 繊細な加工には長い時間が必要で、生産量も手が早い一流職人でさえ月産1本がいいところ。しかも魔笛職人は一人前になるまでに十年近い修行が必要で、簡単に生産ラインを増やせない。

 高価格と供給の少なさが相まって、魔笛は裕福な家庭向きの高級楽器の立ち位置に収まっている。前時代ではピアノがその立ち位置にあったらしく、富裕層の旧家の子女は大抵ピアノと魔笛を両方嗜んでいる。魔笛だけ嗜んでいたら新興の富裕層だと思って間違いない。


 神崎が所属する魔笛工房は元々富裕層の間で名の知れた大きな会社だったのだが、脱影病流行で一流の職人を根こそぎ失ってから一気に没落した。

 技術喪失により魔笛製造が困難になり、経営難に陥った工房を丸ごと買い上げ、職人たちが習熟し技術水準が元に戻るまで面倒を見てくれたのが、蜘蛛の魔女がCEOを務めるアラクネグループだ。

 買収当時からいる古株の職人たちはCEOに頭が上がらない。買収直後に入社した神崎も、当時の空気感はよく覚えている。まるで地獄に鋼鉄製の蜘蛛の糸が垂れてきたが如きだった。


 アラクネグループはスパイダーシルクを売りにした超一流のアパレルブランドを中心にした企業グループで、高い資本力と安定性がある。大赤字を垂れ流す魔笛工房を数年養うだけの十分な体力があった。


 CEOの方針で、アラクネグループは窮地に喘ぐ企業をたまに買収する。半ば慈善事業のようなものだ。

 魔女の見る目は確かで、買収された企業の半分はじっくり時間をかけ持ち直していき、安定した利益を出すようになる。

 残りの半分は手厚い援助を受けても芽が出ず潰れるが、ちゃんと正規の破産手続きが踏まれるし、社員の再就職の面倒も見てくれる。


 アラクネグループに買収されても成功するとは限らない。

 しかし、再起できる形での失敗は保証される。

 これほどありがたい話は無い。


 アラクネグループより大きなグループ企業はいくらでもある。だが安定性と傘下社員からの信頼性でいえば右に出るものはないと神崎は信じている。

 飛ぶドラゴンを落とす勢いで成長し景気のよい企業であっても、内部に爆弾を抱えている事は多い。昨年ティアマト騒動で破産したクラノム社も、そうして散った大企業の一つだ。


 神崎はアラクネグループを、魔笛工房を常にどっしり支えてくれているCEOに感謝している。娘が生まれた時にお祝いの一時金をくれ、部下に気兼ねせず育児休暇を取れるよう上手く話を作ってくれたのを神崎はよく覚えている。感謝は尽きない。

 だから、CEOからの珍しい本社呼び出しにも喜んで応えた。

 CEOは悪い話なら悪い話と断って呼び出すし、良い話で呼び出すならぬか喜びは無い。気遣いと気配りができる魔女なのだ。


 呼び出しを受けた神崎がわかば市にあるグループ本社を訪ねると、既にCEOが待っていた。

 大会議室には御簾が下がっていて、その奥に座すCEOの巨大な影を作っている。


 蜘蛛の魔女は、巨大蜘蛛だ。彼女は自分の姿を見られるのを極端に嫌う。

 出社時も例外ではなく、社員との会談時にはいつも御簾の向こうにいる。

 秘書でさえ直接姿を見た事が無いため、関係者の間では御簾(みす)御前(ごぜん)と呼ばれる事もある。


「おはようございます」

「おはよう。今日は来てくれてありがとう、神崎さん。楽にして……元気そうだね……」

「ありがとうございます。蜘蛛の魔女様もお元気そうで何よりです」

「ありがとう……神崎さんは娘さんが今年で中学二年生だっけ? 色々大変だよね……」

「覚えていて下さったんですか? そうなんですよ。可愛い盛りですが、最近は生意気になってきて」


 二人はしばらく和やかに世間話をした後、蜘蛛の魔女が重々しく巨体を動かし身じろぎをしたのを切っ掛けに本題に入る。


「これは会社としてというより、個人的な話なんだけど……」

「なんでしょう?」

「具志堅議員から話が来てたよね? 魔女党の……」

「来てましたね。去年の暮の話ですよね?」


 確認すると、CEOは御簾の向こうで肯定した。

 魔女党は野党の最大派閥だ。

 新日本政府樹立に伴い魔女集会からスライドして与党になってから長らく政権を握っていたが、魔女たちの引退に伴い徐々に求心力が低下。未来視二世の政治的失敗をきっかけに野党に転落した。


 具志堅議員は煙草の魔女の養女だ。

 去年の末、魔笛工房に文化振興政策のための魔笛生産について話を持ち込んできた議員である。

 その時は条件が折り合わず、話を断った。


「あの話、今からでも請けられないかな……? 確か話を受けると通常業務に障りが出るから断ったんだよね……?」

「あー、そうですね。大筋は」

「赤水門工房と合同で人を半分ずつ出せればどう……?」


 問われ、神崎は素早く脳内で計算し、頷いた。


「それなら大丈夫でしょう。先方が飲むかどうかが問題ですが、ウチとしてはなんとかなります」

「実はね、赤水門工房にはもう話を持って行ってあるんだ……向こうもこっちが飲めば請けるって話だったから……」

「え、根回し早いですね!? そういう事なら問題ありませんが」

「本当に大丈夫? 職人さんたちに負担がかかるなら言ってね……?」

「いえいえ、とんでもない。蜘蛛の魔女様のお役に立てるなら職人一同喜んで!」


 リップサービスが無いわけではないが、九割は偽らざる神崎の本音だった。

 敏腕CEOには多かれ少なかれ社員全員が世話になっている。

 恩返しの機会は逃せない。


「しかしどうしてまた? 去年から何か事情が変わりました?」

「本当に個人的な話だよ……ちょっと魔女党に通したい話があって……話をスムーズに進めたくて……」

「なるほど。そうでしたか」


 あまり深く突っ込まれたくなさそうだったので、神崎はそれ以上追求しなかった。

 要は「そっちの話を受けるから、こっちの話を受けてくれ」という政治的取引なのだろう。

 神崎は魔笛職人である。政治屋ではない。CEOがやれというなら職人として力を尽くすまで。裏側の事情には深入りせずとも良い。


 話がひと段落し神崎は一息ついたが、自分以上に大きな長い息が御簾の向こうから聞こえた。


「……お疲れですか?」

「あ、ごめん。そう見えたかな……? 大丈夫だよ、気にしないで……」


 蜘蛛の魔女はなんでもないかのように普通に答えたが、神崎は心配になった。

 昨年の春頃から、蜘蛛の魔女は心なしか雰囲気が明るくなった。

 代わりに時々酷く忙しく動くようになったと小耳に挟んでいる。


 人を越えた超越者といえど疲れはする。肉体的にも、精神的にも。

 特に蜘蛛の魔女は人目を気にして気苦労を背負う女性だ。魔女としての本能を思えば無理も無い。


「僭越ながら」


 少しの躊躇の後、神崎は咳払いして言った。


「蜘蛛の魔女様はご自身で思われているより、ずっと多くの人間に好かれていますよ。自信をお持ち下さい」

「ん……そうだといいんだけど……気遣ってくれてありがとう……」


 気遣ったはずなのに、むしろ部下の気遣いを喜ぶ仕草を強いてしまったようで、神崎はモヤモヤした。

 自分の倍も生きている老練な魔女に何を言っても釈迦に説法だ。そう思っても、何かをしたくなる。

 神崎はCEOのプライベートに踏み込み過ぎると思って伏せていた話を出す事にした。


「あー、話は変わりますが。実は娘が最近生物学に興味を持ち始めていまして」

「そうなんだ……?」

「生物学といっても生き物を飼ったり探しにいったりが好きという話なんですが。

 蜘蛛の魔女様に会ってみたいというような事も言っていまして」

「…………」

「娘は蜘蛛が好きです。蜘蛛の魔女様に会っても決して怖がる事はありません。父として断言します」

「…………」

「どうでしょう、一度会ってやってはくれませんか」

「……考えておくね」


 魔女は穏やかに答えた。

 どういう心境から出た答えなのかは、神崎には窺い知れない。

 蜘蛛の魔女はいつも御簾の向こうで物静かに佇んでいる。

 独りで、静かに。


 友人がいるとは聞いている。

 しかし、魔女や魔人の古い友人の話しか聞かない。

 魔女と比べればまだまだ若造の浅知恵ではあるが、新しい出会いがあっても良いと神崎は思っている。こんなに良い魔女なのだから。

 親の贔屓目だが娘は良い子だ。蜘蛛の魔女にとってきっといい出会いになる。娘にとっても、良い出会いになる。


 自分には越えられない薄くも厚い御簾の向こう側で、蜘蛛の魔女と心から触れ合える人が少しでも増えればいい。

 神崎はそう願いながら、会議室を辞した。

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― 新着の感想 ―
アラクネグループとか継火一族とか、超越者がバックについてる企業はそれだけで株価の安定性とか信頼度が高そう。特に花、人魚、蜘蛛、継火ら前時代の化石勢は。
蜘蛛好きな人も一定数居るからそういう人なら怖がらない気もするけど( ・ω・) クソデカハエトリグモタイプだったらモテモテな可能性もあったのに(かわいい)
蜘蛛さんすきすき こんな上司が欲しい! 蜘蛛さん幸せになって欲しいなあ
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