125 進捗100%
冬も過ぎ去り、早春の裏庭に元気な菜の花が咲き始めた頃。
風も穏やかで過ごしやすい暖かさの昼日中、ヒヨリの姿はフヨウの根本にあった。
フヨウが咲かせた春の花の香りに包まれ、蜘蛛の魔女と一緒にピクニックシートに座って女子会をしている。
モクタンもいたが、腹をぽっこり丸く膨らませ口の周りを炭で汚し、蜘蛛の魔女の背中の上で仰向けになって昼寝していた。鼻提灯も膨らんでいる。可愛い。
「ヒヨリヒヨリ。ちょっと」
「ん? ああ、大利も食べるか」
声をかけると、ランチボックスからサンドイッチを出して差し出してくる。
美味しそうだが、昼食はさっき食べたばかりだ。俺は首を横に振った。
「要らん。ヒヨリ用に婚約指輪作ったんだけどさあ。そもそも欲しいか?」
「…………ん?」
用件を端的に伝えると、ヒヨリは紅茶のカップを持ったままフリーズした。
蜘蛛の魔女もフリーズした。
スヤスヤのモクタンの頬っぺたを蔓先でつついていたフヨウもフリーズしたが、いち早く解凍し俺の腰に蔓を回してくる。
「青の魔女が婚約指輪要らないなら私が貰っちゃおうかな? ね、叔父さん♡」
「あっ! おいやめろフヨウ! 本気にしたらどうする!? 大利ダメだぞ、ダメだからな! 婚約指輪を渡すなら私にだ、私以外に渡すな!」
「お、おお。分かった。じゃあはい」
ヒヨリが凄い剣幕で詰め寄ってきたので、左手をとってスポンと婚約指輪を嵌めてやる。
よし、OK。工房に戻って魔王グレムリン分解のラストスパートをかけよう。
用事が済んだので帰ろうとすると、ヒヨリに服の裾を掴まれ転びそうになった。
「待て待て待て。全部待て。アッサリし過ぎだろ。どういう事なんだこれは?」
「え? 気持ちエンチャント足りなかったか?」
「何を言っているんだお前は。婚約、つまり、そういう事だと思っていいのか?」
「??? よく分からん。ヒヨリって時々不安そうにするだろ? だからいつでも俺はヒヨリを愛してる、俺がそばについてるって気持ちを指輪の形にしてだな、安心材料になればいいなあと思って作った。要するに目に見えない愛してるを目に見えるように加工しただけだ」
婚約指輪を贈ったのにイマイチ気持ちが伝わらなかったようなので、意図を正直に伝える。
また何かコミュニケーションエラーを起こしてしまったのでは? と不安に駆られたが、俺の説明を聞いたヒヨリは顔を赤くして婚約指輪を右手で包み込み微笑んだ。セーフっぽい。
「……今日ほどお前を好きになって良かったと思った日は無い。大切にする」
「でも教授もマモノくんも婚約した後に破局してるからなあ。婚約は終わりの始まりって気もするよな」
「……今日ほど気分が急降下した日は無い。ぶっ飛ばすぞノンデリ男」
俺の言葉を聞いたヒヨリは一瞬前とは別の意味で顔を赤くし、吹き荒れる怒りの魔力で周りの花畑を凍り付かせた。
ひーっ! なんでだよ! セーフの雰囲気出してたじゃん!
「安心して、叔父さん。破局したら私が拾ってあげる♡」
「フヨウ、あんまり挑発しちゃダメだよ……あと大利はすぐ謝ってあげて、そんなつもりで言ったんじゃないのは分かるけど……」
「ミ゛ックション!! ミミ? 寒い。冬に戻った?」
俺が来るまでほのぼのしていたピクニックの空気感が荒れ始める。
なんか知らんが失言をしたらしい。俺はブチギレ状態のヒヨリに平謝りした後、気まずくなって退散した。
婚約指輪を渡すところまでは良かった。ほぼパーフェクトコミュニケーションだったと思う。でも最後の最後でミスってしまった。
やれやれ。俺がヒヨリとのパーフェクトコミュニケーションを完全習得するまで、まだまだ時間がかかりそうだ。
婚約指輪プレゼントにはケチがついたが、なんだかんだでそれ以降ヒヨリの精神は安定した。
夜中の長電話が減ったし、心なしか言動に余裕が出た気がする。一過性の変化かも知れないが、それでもプレゼントした甲斐があった。
ヒヨリが落ち着くと、俺も落ち着く。二代目入間事件以来これといった事件もなく、二月の終わりに魔王グレムリンはようやく完全に分解された。
進捗100%。
80年越しに、魔王グレムリン分解作業は完遂した。
完全手作業で1つ1つ分解した総パーツ数は、52万4288点。
器用さの擬人化と称される俺ですら、かつてない超長期プロジェクトとなる苦難の道のりだった。
俺史上に残る偉大な成果と言えよう。いや、本当に大変だった。
だがそれだけの価値はあった。おおいにあった。
完全に分解しなければ分からなかった情報もちゃんと得られた。
例えば魔王グレムリンの総部品数524288という数字は2の乗数だ。ピッタリ2の19乗になっている。
断言する。これは間違いなく、意図的にそうされている。
幾何学グレムリンの部品総数の意味なんて、分解が完了するまで考えた事すら無かった。
魔王グレムリンには数学の幾何学だけではなく、平方も活用されているのだ。
こういう新情報が出たとなると、もっと視野を広げる必要がでてくる。
魔王グレムリンは俺が考えているより遥かに多くの学問の集合体なのかも知れない。
俺は技術者畑だから、そういう目線でしか魔王グレムリンを分析できない。
俺が知識不足でアンテナが弱いから分からないだけで、一流の専門学者が見ればまた違った事が分かる可能性が高い。
材料工学とか、素粒子物理学とか。
結晶学、有機化学、無機化学、化学工学、構造生物学、発生学、脳科学、人工知能……関連が疑われる分野を挙げればキリがない。
その道の専門家でも、魔王グレムリンをポンと渡されたらワケが分からないだろう。
単なる黒い宝石にしか見えないから。
しかし、俺が全パーツを分解して分解図を作った事で、様々な専門家が様々な視点から分析を行う事が可能になった。
実際、山上氏は俺が大昔に魔法大学に送った資料を活用して、魔力計算機を作り上げたわけだし。
俺が丹精込めて分解して集めたナマのデータを世界中の専門家たちに渡せば、もっともっと色々な新技術や新情報が出てくるに違いない。
そもそも、俺が魔王グレムリンを分解した目的は杖作りの参考にするためだ。
今はルーシ王国のクォデネンツ解析前の肩慣らしという意味もあるが、大元は杖作りのため。
魔王グレムリンの所有権は明確に俺にあるし、別に世界に向けて技術や情報を渡してやる義理はない。
が、一方で、独り占めする意味も薄い。
魔王グレムリンは俺一人で活用しきれるシロモノではないから。
魔王グレムリンの断片的情報から山上氏は魔力計算機を作り上げた。
魔力計算機は電卓に進化し、コンピュータになっていくだろう。
魔力通信機と組み合わせればスマホにだってなる。
楽な道のりではないが、到達点へのロードマップは見えている。
魔王グレムリンから先進魔法文明の技術を吸い上げていけば、きっと魔力動力源も夢ではない。
俺にはどうやればいいのかサッパリだが、世界中に溢れ返っているグレムリンを動力に転用できれば、バカ高い石油で蒸気機関を動かす必要もなくなる。
世界に魔王グレムリンの情報を加えれば、どこかの天才が魔力動力源を見出すかもしれない。
計算、通信、動力。
この三つが確保できれば、もはや文明崩壊世界ではなくなる。
人類は必ず高度文明へと返り咲くだろう。
世界を崩壊させた魔法文明の遺物を使い、世界を建て直すのだ。
高度文明といえばWEB漫画!
ネットゲーム!
ドラマや映画の配信!
たった数クリックで自宅に配達されるアニメグッズや世界の美食!
いちいち分厚い専門書を捲らなくても、検索するだけで一発で出てくる情報!
うおおおお、高度文明バンザイ!!
俺が魔王グレムリンのデータを世界にブチまけるだけで高度文明が近づくなら、喜んでそうしようじゃないか。
魔王グレムリンの分解図や検証に使った模型、提供可能なぐらいダブりが多い部品を全部まとめると、相当な量になる。
とりあえずいつものように魔法大学に送りつければ良いと考え、古寺の巣の中でうたた寝していた蜘蛛の魔女さんに大荷物の配達を頼みに行く。
話を聞いた蜘蛛の魔女はしみじみと言った。
「懐かしいね。なんだかこういう映画、観たことある気がするよ……タイトルなんだったかな。大昔に墜落したUFOを分析して科学を進歩させよう……みたいな内容の……」
「ああ、実質そういう状況ですもんね」
古くは種子島に伝来した鉄砲をリバースエンジニアリングした歴史を持つ日本人は、そういうのが得意なのだ。
「うん。だからこれは流石に大学じゃなくて、政治案件だと思う……」
「政治案件」
「そう……話が大きすぎるから。魔王グレムリン受け取った時も、アメリカ政府とのやりとりだったでしょ……?」
「ああ確かに。手放す時も政治案件になるか。そりゃそうだ」
話はもっともなんだけど、なんかめんどくさい話になりそうだな。
国家が絡んでくると利権だのなんだの、すっごいこじれそう。ダルい。
昔は官僚機構壊れてたから青の魔女のパワープレイ交渉が通じたけど、今は難しいだろうし。難しいよな?
「未来視に話を通して、ごちゃごちゃした話が軟着地するように未来を視てもらうとか……死んでるか。いや、息子と娘たちが北海道にいるんでしたっけ?」
「いるね。発音不可音が出せる未来視の長男が道知事やってる……けど、あんまり国政向きの子じゃないから話持ってくのはオススメしない……」
「え。未来視えるのに? ハイスペだけど性格ヤバいとか?」
入間を思い浮かべながら不安になって尋ねると、蜘蛛の魔女はゆるゆる首を横に振った。
「しばらく前に総理大臣やってたぐらいなんだけどね……評判あんまり良くなかった。あの子が扱えるのは都道府県規模までで、国家規模の話は任せられないね……」
話を聞くと、未来視の長男は前代未聞の高支持率で総理大臣に就任したものの、朝令暮改を繰り返し政策が二転三転。みるみる人気を落としたらしい。一期で辞めて、失意の中地元に戻ったという。
決して無能な人間ではないようだが、未来視能力を父ほどには使いこなせなかったのが敗因だ。
未来を視て、それを参考に政策を立てるのだが、もっと良い未来が視えるとそちらに変更。
更に良い未来が視えるともう一度変更。
方針転換が繰り返され現場が混乱し不満が溜まると、混乱や不満の解消のために未来視を使う。
すると今度は肝心の政策が疎かになる。
他にも視た未来の光景の意味を間違えて解釈してしまったり、未来視が深謀遠慮ではなく凝り固まった先入観の源泉になってしまったり。
優れた能力に振り回された結果、未来視総理の評判は散々だった。民衆の期待が大きかっただけに、失望は深かったようだ。
そんな未来視の長男も、地元では上手くやっている。
北海道ぐらいの規模の政治なら、未来視能力を十全に活用できるらしい。
国家規模になると視る事が多すぎて混乱してしまう……という話だ。
なるほどね。要は器量不足なのか。いや道知事やれてる時点で器量は大きい方だけど。
超越者って能力も大事だけど、本人の資質も大事なんだと改めて思わされる。
凍結魔法と未来視魔法なら未来視魔法の方が強そうなのに、実際に強いのは青の魔女。
未来視魔法と吸血魔法なら未来視魔法の方が凄そうなのに、実際には吸血の魔法使いの方が有能とされている。
魔法と本人の資質が噛み合うのはレアケースなのかも知れない。
「未来視がダメならもう蜘蛛の魔女さんに全部任せますよ」
「ええ……? う、うーん……魔女党に話を通して次の首脳会談の議題に乗せてもらうぐらいはできるけど……」
「つっっよ。そんな離れ業ができるのになんで自信無さそうなんですか?」
「……利敵行為が怖くて」
「はぁ? あっ、入間!? あのカスーッ! 蜘蛛さんにトラウマ植え付けやがって!
いや大丈夫ですよ! 自信もって! 有能! 蜘蛛さん有能! 優しいし! 強いしカッコいいし気遣いできるし! 大きいし蜘蛛だしおしとやかな淑女だし! よっ、大和撫子!」
凹んでしまった蜘蛛さんだったが、しばらく褒めちぎっているとメンタルを持ち直し、魔王グレムリンの分解成果を良い感じに世界に広める事を約束し荷物を運び出していってくれた。
助かる。やはり持つべき友は蜘蛛。頼るべきは巨大蜘蛛だな!