124 地球語
日本の社会イベントは時代の移り変わりと共に変化したものもあれば、変化しなかったものもある。
例えば、国民の祝日が変更された事でゴールデンウィークは消滅した。
バレンタインデーは三色団子を贈るイベントになっている。
そして正月は以前と同じように、依然変わりなく祝われている。
正月休みイベントが健在という事はお年玉文化も健在。
正月商戦もまた健在だ。
クリスマスから年始にかけては多くの商売において稼ぎ時で、正月の新聞にもその手の広告がいっぱい挟まっていた。
俺がヒヨリに婚約指輪を贈ろうと思い立ったのは出張前に一晩中ヘラってるヒヨリのメソメソ話につき合わされたからだが、購買意欲を誘う数々の広告の影響が無かったとも言えない。
家族向け、恋人向けと銘打たれた百貨店の広告を見ていると、こういうの贈った方がいいのかな? という気にもなる。広告の使い手どもは欲しがらせるのが上手いのだ。
もっとも、俺は指輪のカタログを取り寄せるところまでは商売人の術中にハマったものの、カタログを見てからは「自分が作った方が上質だしイメージ通りだし早いし安い」と思い直して購入はやめたのだが。器用さワールドチャンピオンで良かった。
俺は婚約指輪の意義を「安心の物的証拠」と解釈している。
恐ろしい事に、世の中には浮気というホラー現象が実在する。
それを前提として考えるに、婚約指輪をしながら浮気をしたりされたりというのは、ちょっとハードルが高い。いざとなれば指輪を一時的に外して浮気に勤しむ事もできるだろうが、いくらなんでもいざとなり過ぎだ。浮気のハードルは間違いなく上がる。
加えて、婚約指輪を嵌めている人を浮気に誘ったりナンパしたり、というのもハードルが高い。
つまり婚約指輪は浮気抑制効果を持つ。
また、シンプルに婚約指輪を見ていると安心できる。たぶん。
指輪そのものには値段相応の価値しかないが、けっこうなお値段の指輪を自分のために用意し、贈ってくれた、という事実がまず安心材料になる。
愛は金ではない、しかし、金が愛を測るバロメーターの一つである事は間違いない。
教授との待ち合わせ場所としてウチに顔を出した河童に俺が考える婚約指輪理論をブチ上げると、なんだか微妙な顔で頷いた。
「大利さんの考えはいつもユニークですねぇ」
「なんか変か?」
「いえ。理詰めのケが強いとは思いますが、考え方そのものは変ではないと思いますよ。
むしろ私に婚約指輪の相談をする方が問題なのでは」
「…………?」
マモノくんが苦言を呈するが、ちょっとよく分からない。
俺の友人の中で婚約を経験している有識者はオコジョと河童だけ。
その中でオコジョへの恋愛や結婚系の質問は禁じられている。
すると、必然的に相談を持ち掛けるのはマモノくんになる。
完璧な理論だ。
何が問題なのか分からず首を傾げていると、マモノくんは苦笑いした。
「私は婚約を破棄された人間です。つまり、失敗した人間です。私に相談されても失敗談しか聞かせられませんよ」
「失敗すらした事ない人よりは適任だろ。何かに挑んだ経験者の言葉には、成否に関係無くデッカい価値がある。俺はマモノくんの言葉を聞きたい」
「……大利さんの言葉に慰められる魔女様たちの気持ちが少し分かりました。とはいえあまり愉快な話題では無いですし。いえ、大利さんが私と同じ目に遭わないためにも相談に乗るべきか?」
マモノくんは半ば自問自答し、しばらく考えて頷いた。
「私で良ければ力になりますよ。何を聞きたいんですか?」
「逆に何を聞けばいいのか聞きたい。なんも分からんから」
「あー、まずは多少なりとも自分で考えた方が良いと思いますが」
おお。教授とか蜘蛛の魔女と同じような事言うんだな?
この件に関してのマモノくんの信用度がそれだけでグッと上がる。これはマモノくんさん。
「とりあえず指輪の材質はプラチナで考えてる。純プラチナだと柔らか過ぎるから15%はパラジウムとか混ぜて硬度を確保する」
「オールドスタイルで行くんですね。主流は真空銀ですけど、わざわざ古式にする理由でも? 値段……ではないですよね」
「魔法的機能は持たせたくない。便利だからとか、魔法的に強いからとかじゃなくて、純粋に婚約指輪だからって理由で嵌めて欲しい。指輪装備させてヒヨリを強くしたいわけじゃなくて、いつでもヒヨリを愛してるって知って欲しいだけなんだからさ」
今まで、ヒヨリへの贈り物は実用的な装備中心だった。デザインにも凝ったとはいえ、俺の商品の広告塔としてヒヨリを強く華麗な魔法装備の数々で飾り立てた。ヒヨリもそういう意図は承知の上だろう。そもそもの俺達の関係の始まりはそこだったし。
だが婚約指輪は違う。余計な機能は全て取り払い、お互いの想いを確認し安心するための縁にして欲しい。
指輪があればきっとヒヨリは安心する。
単身赴任に出かける前夜に不安がってメソメソする事もきっと減るだろう。
出張先に俺がいなくても、婚約指輪を見れば俺を、俺の気持ちを思い出せる。
そこに魔法的機能は不純物になる。なんでもかんでも多機能にすれば良いってモンじゃないのである。
俺が自論を述べると、マモノくんは悟ったような顔をした。
「あ、卒業です。その言葉が素面で出てくる人に講釈できる事なんて何も無いです。むしろ私が教えて欲しいですね」
「早い早い。卒業が早い。もうちょっと留年させてくれよ」
なぜか教師と生徒の立場が逆転しそうになったので、頼み込んで相談を続けさせてもらう。とりあえず俺の考えが変じゃないのは客観的に保証して貰えたが、まだまだ聞きたい事はある。
「あと指輪デザインの相談もしたい。デザインセンスは自信あるんだけどさあ、今回は美術品じゃなくて恋愛関係の極致的な贈り物だから。俺の一番得意な分野と一番苦手な分野がガッチャンコして頭ン中こんがらがってるんだよ」
「なるほど?」
マモノくんは魔物学者だが、独学でそれはそれは見事な河童マスクを自作してのけた職人でもある。美術センスは信用できるし、恋愛スキル熟練度も俺の遥か上をいく。良いアドバイスが貰えるだろう。
マモノくんに指輪の図案を見せると、内側に刻む予定の二人の名前について指摘を受けた。
「デザインは良いですね。文字が英語なのは? お二人とも英語圏出身ではないですよね?」
「英語っつーかローマ字な。漢字で刻むのも考えたけど細かい文字になって読みにくいし、平仮名とかカタカナだと子供っぽいし。ローマ字が定番かなって思っただけ」
「えーと? 昔はローマ字? が定番だったという話でしょうか?」
「そう」
俺が頷くと、マモノくんは首を横に振った。
「今風ではないですね。青の魔女様も今風の表記に慣れているでしょう。オススメしません」
「ほう。名前刻むのがダメなんじゃなくて、どの言語で刻むかの問題?」
「こういう時は魔法語が標準です」
そういやヒヨリも魔法語が国際語になったとかそんな事言ってたような気がする。
公的な場とか公文書とか、そういう場面では魔法語が使われがちとか。
そうか、婚約も公的といえば公的か。
「しかし地球語も最近は増えてきています。これは私が魔物畑だからというのもありますが、魔法語より地球語で刻むのがオススメですね」
「地球……語……?」
なんかスゲー言葉がポロンと出てきたぞ。
なに? 今の世の中にはそんな面白くて凄そうなワクワク言語があんの?
お爺ちゃん昔の人だからそういうの分かんないよ。魔法語は分かるけど地球語は初耳。
こういう言語系の話はオコジョ教授の専門だと思ったのだが、地球語に関してはマモノくんも詳しかった。
地球語は、魔物の鳴き声を由来として作られた人工言語だから。マモノくんの推し言語だ。
話によると、そもそもの発端は国際公用語としての魔法語の欠陥にあったという。
魔法語を国際公用語とする時の利点は、まず誰もが平等に学べる事。日本語をアメリカに押しつけたり英語を日本に押しつけられたりすれば反感も生まれるが、魔法語にはそれがない。誰もがフラットな立場で学習する事になるから、そういう軋轢はない。
魔法語が魔法の言葉というのも大きい。歴史的・文化的な価値だけでなく、唱えると魔法が使えるという実利がある。覚えるだけで巨大なアドバンテージがある。
一方で欠点も大きい。
地球人は、魔法詠唱を教科書代わりに魔法語を学習している。魔法の詠唱から文法を逆算したり、語彙を抽出したりだ。
すると、必然的に語彙が足りない問題にブチ当たる。
例えば魔法語では「青」という言葉が未発見。
だからヒヨリが持っている超越者証明書には、魔法語で「青の魔女」と書かれている。未発見の語彙を無理やり英語の発音を当てはめる事で補っているのだ。
日本語で考えると、「青の魔女」と書きたいけど無理だから「ブルーの魔女」と書いてる、みたいな。めっちゃ歪だし、分かりにくい。
加えて発音問題も致命的だ。魔法語は書き文字としては無理やり成立させられるが、発音不可音がある以上、会話ができない。会話できるのは超越者や超越者の血を引く一部の魔人だけ。
不便すぎる。これでよく国際公用語を名乗れるな?
魔法語の利点は大きいが、それ以上に欠点がデカ過ぎる。
だから魔法語は国際公用語として設定されてからウン十年も経つのに、未だに公文書とか格式ある場でしか使われていない。日常生活で使う第一言語として魔法言語が設定されている国は皆無だ。
「もちろん、魔法語は素晴らしい言語です。魔法語が無ければ現在の人類はありません。魔法語を通じて先進魔法文明を理解できますし、グレムリン災害の謎を解く重大な手がかりにもなります。人類史上これほど重要な言語は無かった。
しかし国際言語として相応しいとは言えません。全世界の公用語として使うなら、断然、地球語の方が優れています」
マモノくんは慎重に魔法語の存在意義を擁護しながらも、推しの地球語を熱心に激推しし始めた。
地球語とは、魔物の鳴き声をベースに作られた人工言語である。
魔物の魔法は詠唱魔法とは別物だ。奴らは詠唱をしない。鳴く。鳴き声こそが詠唱なのだ。
詠唱しなくても魔法を使えるが(例えばモクタンやドラゴンは詠唱無しで火を吹ける)、鳴いた方が効果は高い。モクタンもセキタンもミーミー鳴きながら火を吹くし。
こういった魔物の鳴き声は原始的な詠唱であり、魔法語の基礎にもなっている。
例えば「凍れ」は発音記号で書くところの「ɑːr」の発音を含む。「ラー」の中の「アー」の部分だ。
凍結や冷気、温度低下に関係する魔物の鳴き声は、100%間違いなくこの「ɑːr」の発音を含む。
「ɑːr」は、魔法的に氷属性の意味を持っているのだ。魔法と音を結び付ける核と言ってもいい。
魔法言語におけるヴァアラーは、恐らく
①ɑːrという音は氷魔法の要だ
②ɑːrを凍結関係を意味する発音として言語に組み込もう(核にしよう)
③ヴァアラとアーがくっついてヴァアラーになった
という変遷を起こしている。
この理屈では説明できない言葉も数多いが、この理屈で説明できる言葉が多すぎる。
決して偶然ではない。
ここで重要なのは、魔法語の核心はあくまでも魔物の鳴き声にあるという事だ。
発音不可音が重要なのではない。
魔法文明人は地球人と違って発音不可音を発音できるから、発音不可音を魔法言語に取り入れた。だから魔法語は地球人向きではない。
一方で、地球人が発音できる摩擦音(安全音)は魔法語に存在せず、恐らく魔法文明人は安全音を発音できない。だから地球の言語は魔法文明人向きではない。
そこで、国際共用語としての魔法語の欠陥にウンザリした有識者が集まって作った人工言語が「地球語」である。
魔法言語と同じように魔物の鳴き声を核としつつ、発音不可音を排除。文字も書きやすく視認性が高い物を設定。文法も分かりやすく整理。
つまるところ地球語とは、地球人に馴染むようにゼロから組み立てた、全く新しいオリジナル魔法語だ。
まだまだ言語としては未熟もいいところだが、これからどんどん整備され、発展していく。
マモノくんの熱弁は留まるところを知らず、俺は途中から頭が追いつかなくなり言葉が右耳から左耳へ素通りしていった。
いや面白いよ。めちゃくちゃ面白い話なんだけど、一気に話されると脳が追いつかない。
俺は魔法杖職人だ。魔法言語学者じゃない。いくら噛み砕いて分かりやすく話されても、専門外の話をドバーっと洪水のようにまくし立てられると言葉に溺れる。
たぶんマモノくんと教授は普段このテの話で盛り上がってるんだろうな。
でも俺にも同じように話されると流石についていけない。
俺は挙手してマモノくんの言葉の濁流を止め、強引にザックリ話をまとめた。
「魔法語は過去を発掘する言語。
地球語は未来に発展していく言語。
そもそも地球向けじゃない古い言語を指輪に使うより、未来ある新言語を刻んだ方が良い。
こういう話?」
「そうですね。ですから――――」
「まあ待てマモノくん。もっと聞いててもいいんだけどさ。さっきから部屋の入口でオコジョがソワソワ待ってる。待ち合わせしてたんだろ?」
「あっ」
マモノくんは柱の影から顔を覗かせているおめかしオコジョちゃんに気付いて「しまった」という顔をした。
俺と教授に交互に謝りまくりながら去って行ったマモノくんを見送り、指輪の図案に書いていたローマ字に横線を引いて消し、「地球語!」と書く。
魔法語も魅力的だが、地球の叡智を結集して現在進行形で作られている地球語も魅力的だ。これからヒヨリと長い長い付き合いをしていく事になるのだから、未来ある地球語を刻んだ方が良いだろう。
やっぱりマモノくんに婚約指輪の相談をして正解だったな。