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121 彼女の生き様

 地獄の魔女は、聖女ルーシェに「生きる理由を探すために生きる」と約束した。

 30年前の事である。


 以来、地獄の魔女は生きる理由を探し続けている。

 生きる理由はまだ分からないけれど、死に場所を探すのはもう許されない。

 それがルーシェとの約束だから。


「コンラッド、下降準備!!!」

「了解キャプテン。長旅だったね」

「私が着水したら3分ぐらい旋回してから降りて!!」

「アイアイ、マム」


 地獄の魔女とコンラッドはドラゴンに変身し、太平洋上の蒼穹を飛行していた。

 旅慣れた地獄の魔女は方向感覚抜群で、コンラッドを連れアメリカからフィジー島まで殆ど最短経路で渡っている。

 言葉を交わし合った金と黒のドラゴンのうち、黒ドラゴンが先に減速しながら高度を落としていく。

 海面近くで黒ドラゴンが力強く羽ばたき速度を殺すと、風圧で水煙が巻き起こり、南国の陽光を浴び小さな虹を作った。


 尻尾から仰向けのラッコのように着水した地獄の魔女は、まず腹袋から小舟を出し海上に浮かべる。

 それから小舟の上に荷物を出し、人間(鬼)に変身して乗船した。

 ぶるりと身震いをして軽く水気を飛ばしたらすぐに手早く服を着て、上空に手を振る。


「コンラッドーっ!!! いいよーっ!!!」


 否応なく出てしまう大音声を更に張り上げたが返事は無く、数十秒の間、上空の金ドラゴンはゆったりと旋回をしていた。

 地獄の魔女は小さく微笑んだ。コンラッドは紳士だ。目を閉じていてくれただけではなく、耳まで塞いでいたらしい。

 そこまでしなくても、と思う一方で、そこまで気を遣うところが人気の秘訣なのだろうという納得もある。


 地獄の魔女の着水からキッカリ3分後、金ドラゴンは旋回をやめ高度を落としてきた。

 コンラッドは地獄の魔女と違い、甲1類魔物素材と深淵金(アビスゴールド)の合材防魔服を身に纏っている。米国技術の結晶である防魔服は貴重かつ強靭で、竜-人の変身にも耐えるほど伸縮性が高い。

 ゆえに、コンラッドは変身してもいちいち着替える必要が無かった。

 十分に減速し中空で人変身魔法を使ったコンラッドは、元通りの金髪碧眼エルフ美男子になり軽やかに小舟に着地した。

 実年齢で100歳を超えるというのに衰えの無い甘いマスクの優しげな美男子は、伸縮性の高いピッタリとした防魔服によって鍛え上げられた筋肉が浮いて見える。

 地獄の魔女もあと90歳若ければ目を吸い寄せられ黄色い声を上げただろうアメリカが誇る勇者は、憂いを帯びた目で水平線に浮かぶフィジー諸島を見つめていた。

 地獄の魔女が帆を立て風魔法を唱え、フィジー島へ進路を取ると、動き出した舟にハッとコンラッドは我に返る。


「ああ地獄の魔女、僕が舵取りをするよ。島に着くまで休んでいてくれ。真西へ行けばいいんだろう?」

「んー、じゃあお願いしようかな!! 海面に浮いてる大きい貝は全部避けてね!! 全部アイカレヴだから!!」

「うん。あと、魔力は一般人並に抑える。だろう?」

「そうそう!! 一応魔法の威力も抑えて!!」

「了解」


 コンラッドは頷き、小舟の荷物から日傘を出し広げて地獄の魔女に渡すと、舟の縁に腰かけ風魔法を唱え操舵を交代した。

 全ての気遣いに嫌味が無いコンラッドはそれはそれはモテる。100歳を超えている事など誰もが知っているのに、未だにアメリカで一番女性人気がある。

 そしてそんなコンラッドは、未だに青の魔女へ恋心を寄せている。フィジー島での合流を誰よりも待ち望んでいるのはきっとコンラッドだった。

 地獄の魔女としても、彼女と直接会うのは約70年ぶりになる。もう少し和やかな再会であって欲しかったが、文句は言えない。


 本命は当代の傀儡魔法使いの痕跡を見つけた島への上陸調査及び脅威対応だが、その中継地点として上陸するフィジー島も決して気を抜ける場所ではない。


 フィジー島は「アイカレヴ」と呼ばれる巨大水陸両用二枚貝型甲3類魔物の巨大コロニーになっている。同時に、30万人が住むオセアニアの大国でもある。


 巨大二枚貝魔物アイカレヴは雌雄で生態が大きく違う。

 一軒家サイズの雄は、海中に住む。基本的に魔物食で、魔力の少ない生き物は食べようとしない。

 一方で牛サイズの雌(こちらは乙2分類)は、陸上に住む。樹木や屋根上などによじ登り、緑色の貝殻で光合成を行う。チャンスがあれば魔物の腐肉を食べるが、攻撃性は無い。

 繁殖期になると雄が上陸してきて、交尾を行う。出産までの間は雄が雌に餌を運ぶ。


 フィジー島は雌雄合わせて8000体を超えるアイカレヴの楽園だが、上手く人間と共生している。

 共生できている理由は二つある。


 まず、雌が大人しく、人を襲わない。

 雄も魔力が少ない一般人は襲わない。保有魔力が10Kを下回っていれば見向きもされないし、10~30K程度でもよほど餓えていなければ襲われない。積極的に襲われるのは50K以上の魔力保有者だけだ。そんな人間は滅多にいない。

 雄は縄張り意識が強く、丙1類以上の魔物(50K以上の魔力を持つ魔物)を積極的に襲い、喰らう。

 フィジー島の人間は魔力的に貧弱がゆえ、アイカレヴの傘に護られ暮らしているのだ。


 もう一つの共生理由は、アイカレヴの雌に豊穣魔法が効く事にある。

 ある種の貝類に豊穣魔法が効く事は知られている話だが、アイカレヴはこの豊穣魔法が効く種族に該当する。

 甲類魔物は知能が高い。アイカレヴの雌は、人間を「自分達を肥えさせ、力をつけてくれる生き物」としてしっかり認識している。雄も自分達の種族を繁栄させる手助けをする生き物だと理解している。


 人間はアイカレヴに護られ。

 アイカレヴは人間によって栄える。

 このようにして、フィジー島では魔物と人間の共生が成立している


 もっとも、アイカレヴと共生できるのは魔力の少ない人間だけ。

 強大な魔力を持つ魔人や超越者は、アイカレヴの縄張りの中では一般人並まで魔力を抑え込まなければならない。さもなければ涎を垂らしたアイカレヴの群れに襲われ、大惨事が起きる。魔力コントロールができないのに大きな魔力を持つ一部の人間は、そもそも領海への接近が禁じられている。


 二時間ほど順風快速で舟を進めた二人の超越者は、色鮮やかなサンゴ礁と熱帯魚たちを透き通った海面下に鑑賞しながら小さな港の船着き場に接岸した。

 異邦人の来島に暇な島民が物珍しそうに集まってきて、全員地獄の魔女を見てパッと顔を輝かせた。


「角の人!」

「角の人だ!」

「おーいみんなぁ! 角の人が戻ったぞ!」

「頼んでたコミックはー!?」

「角の人、魔力に余裕があればウチの婆様の腰を……」

「うわやっぱでっけぇ~! くっそー、俺も背ぇ伸びたのに勝てねぇーっ!」

「わ、私もおっきくなったのに全然勝てない……何食べたらそうなるんですか?」


 たちまち老若男女の島民たちに囲まれた地獄の魔女は、頼まれていた英語の漫画を舟の荷から降ろして渡したり、男の子を肩車してあげたり、フィジーでは手に入らない調味料の瓶詰を配ったりする。

 大人気の地獄の魔女から少し離れたところでぽーっと自分を見つめるご婦人を道案内役として捕まえたコンラッドは、手で「先に領事館に行く」と合図して去って行った。


 長年世界中を流離っている地獄の魔女は、世界中に知り合いが多い。

 フィジー島を初めて訪れたのは一年前。本島を拠点にしながら周辺の島々を渡り歩き、便利な魔法を教え、アイカレヴの貝殻を使った工芸品を一緒に考え、子供たちと共に遊び、大人と酒を楽しんだ。

 声も身長も他の部分も、何もかもがデカい地獄の魔女は、一度会えば中々忘れられない。


「お、来たねエペリ!! エペリは良い子にしてた!!?」

「してた! だから俺にもチョコレートくれよ、角の人!」

「ほんとかな~!!? 嘘だったら食べちゃうぞ!! ゲゲゲゲ!!!」


 地獄の魔女が腹と後頭部の口を剥き出しにして、三つの口からおどろおどろしい声を出して脅かすと、エペリ少年はケタケタ笑った。

 それを見ている大人たちも、誰一人として地獄の魔女の言葉を本気にしていない。

 地獄の魔女は笑いながら、誰にも食欲を覚えない自分に内心ホッとした。


 もう、地獄の魔女は人食い悪鬼ではない。

 そうであった過去は消せないけれど。

 892人を貪り喰らった過去は未来永劫背負って行かなければならないけど。

 それでもこんな自分が生きる理由を探すために、笑って生きていられる。


 気の狂いそうな耐え難い食人衝動に負け、地獄の魔女はこれまでに891人の悪人を喰らった。

 しかし、最後の892人目だけは悪人ではなかった。

 地獄の魔女が最後に食べたのは、聖女ルーシェの心臓だった。


 30年前に脱影病が世界的大流行(パンデミック)を起こした時、地獄の魔女はイタリアにいた。

 聖女ルーシェによりグレムリン災害最初期から治癒魔法が存在したイタリアは、日本やアメリカ、インドなどには劣るものの大国の一つに数えられる。

 しかし当時のイタリアは経済政策に失敗し、多くの貧困層を生み、大規模な貧民街を形成してしまっていた。


 経済政策の失敗と脱影病の二重苦により、イタリアは貧民救済どころではなかった。

 貧民街は混乱状態の政府から優先順位を大きく下げられ、貧困が捨て置かれた上、犯罪の温床となった。


 脱影病の偽治療薬をばら撒き大金を稼ぐと共に世を荒らしていた大犯罪者を追い、貧民街に入った地獄の魔女は、ボロボロの小教会で聖女ルーシェと再会した。魔王討伐以来、約五十年ぶりだった。


 命乞いをする悪人を十字架の下に追い詰め喰い殺した地獄の魔女は、懐かしい声で話しかけられ振り返り、絶句した。


 後から聞いた話によれば、自分の血肉に脱影病への抵抗力を与える効果があると分かった途端に、ルーシェは最も貧しく顧みられない人々の元に赴いたという。

 ルーシェは脱影病に侵され、絶望し、希望も救いも無く涙すら枯れ果てた人々の手を力強く握った。


 家もなく、冷たい地面に横たわり生きながらにして死んだも同然の老人を優しく助け起こし、教会の屋根の下に運んだ。

 親を亡くし、己の影に潜む死神に怯える瘦せこけた少女を勇気づけ、体を拭いてやり、水とパンを与えた。

 そして、聖女ルーシェは世界で最も大きな苦しみに沈む人々全てに、文字通り己の肉体を削り奉仕した。

 生来の再生能力も魔法による回復も追いつかないほど懸命に、不眠不休で駆けずり回り、世界の暗がりで静かに消えて行こうとする命の僅かな光を大切に大切に救って回った。


 聖女ルーシェの献身に救われた命の数は数千とも、数万とも言われる。

 だがその代償として、地獄の魔女と再会したルーシェは目も当てられない酷い姿になっていた。


 それほどまでに尊い醜さを、地獄の魔女は見た事が無かった。

 なぜまだ生きていられるのか、どうやって声を出しているかも定かではないルーシェは、地獄の魔女との再会を喜び、最期に短く深い語らいを望んだ。

 そして地獄の魔女は、死に場所を探すためでなく「生きる理由を探すために生きる」事をルーシェと約束し、彼女の心臓を喰らい聖女の生き様に幕を下ろした。


 以来30年。

 地獄の魔女は、ただの一度も食人衝動に襲われていない。


 聖女ルーシェの聖餐によって救われた人々は僅かながら再生力と魔力を授かった。

 そうした人々の一部は聖女の秘蹟に感謝し、またその足跡を追うため、「バチカン不滅教団」を設立。世界各地で貧しい人々を救うべく、慈善事業に精を出している。


 名目上、地獄の魔女はバチカン不滅教団の教団長になっている。

 バチカンや教団としては色々な思惑があっての指名らしいが、地獄の魔女は思惑を知ろうとも思わない。


 ただ、ルーシェとの約束を果たすために。

 生きる理由を探すため、今日も生きている。

 その途上で世界に愛と救いが増えるなら、ルーシェはきっとあの屈託のない笑みを見せてくれると信じたい。


 自分を友と思ってくれている島民たちに囲まれた地獄の魔女だったが、お土産を配り、シシーの腰を治し、給水塔に登ってしまった雌アイカレヴを剥がして別の場所に移動させるのを手伝い、ルシャーナのナイショの恋愛相談に乗って背中を押し、先月生まれたばかりのナーリニの長男を抱っこさせてもらい、皆で一緒に踊り、酒を飲み、当たり前のように泊まっていく流れになったところでようやく固辞してフィジー島領事館へ出発した。


 かなり遅れてしまったので、身体強化魔法をかけ走る。

 島の鬱蒼とした森林地帯を貫く道は難所を避け蛇行している。石畳だったのも束の間、道路はすぐに砂利道になり、山間部に差し掛かると土に変わった。それでも、道があるだけありがたい。


 地獄の魔女が傀儡魔法の痕跡を見つけたのは偶然だった。

 アイカレヴの生息域であるフィジー諸島には、魔人や超越者が定住していない。魔力が視えない者しか住んでいないので、傀儡魔法の印を持つ者が紛れ込んでいても誰も気付かなかったのだ。


 傀儡魔法にかけられていたのは、フィジー本島から西へ700kmも離れた島からやってきた商人だった。

 彼らは潮の流れや風を読むのが上手く、原始的な舟を使い数年に一度やってくる。

 来訪の目的は交易だ。人や物を交換し、去っていく。

 フィジー諸島は大小様々の群島から成るため、本島に時折やってきて同じような事をする離れ島の民は他にもいた。だから、問題の島は特に注目されていなかった。


 しかし地獄の魔女目線では大問題である。

 由々しき事態であった。

 最悪の魔法使い、傀儡使いが人知れず再び現れ活動していたのだから。


 地獄の魔女は速やかに情報収集を行い、ミイラ取りがミイラになる事を恐れ深入りせずアメリカへ飛んだ。

 本当ならば青の魔女に相談したかったが、その時点では居場所が掴めなかったのだ(アメリカに到着した後になって、青の魔女が蘇生魔法を発見し日本に戻っているという話を知った)。


 地獄の魔女の調査によれば、件の離れ島にはおよそ80年前から「王」が君臨しているという。金髪碧眼に長い耳を持つ少年王という噂で、これは入間の特徴と一致する。

 間違いなく、入間の枠が空いてすぐに空き枠を埋める形で変異した傀儡魔法使いだ。

 その「王」はどのような性格なのか? どのような魔法を使うのか? どのような治世を敷いているのか? 全て不明である。

 何しろ、数年に一度本島にやってくる商人の口伝にしか情報が無い。その情報も薄ぼんやりとしたものだ。唯一地獄の魔女が直に接触した傀儡魔法をかけられた商人も、会った翌日には折り合い悪く帰途に就き、いなくなってしまっていた。


 王が侵略や支配の手を広げているという話は無かったが、信用ならない。傀儡魔法があれば、人知れず支配を広げる事は容易だ。

 少なくとも80年前から接触があるにも関わらず、フィジー本島の島民が誰も傀儡魔法にかけられていない以上、一定の説得力はある。それでも先代傀儡使いである入間の所業を思えば疑わしい。

 一つ不審なのは「王家の血は呪われている」という噂だった。不審なだけで、本当に魔法的な呪いなのか、民間伝承的な話なのかもあやふやだが、とりあえずそういう噂があるのは確かだった。何にせよあまり気持ちの良い話には聞こえない。


 推定二代目傀儡魔法使いの情報をアメリカに持ち帰った地獄の魔女は、すぐに対処のためにチームを組んだ。

 仮想敵は入間の魔法使いだ。

 生半可な超越者では操られて終わる。

 チームメンバーは実力、経験共に確かな超越者でなければならない。


 まず魔王討伐パーティーの四人が真っ先に候補にあがった。

 四人のうち、グレン・グレイリングとルーシェはこの世を去っている。同枠の次世代は見つかっていない(少なくとも公表はされていない)。

 残り二人のうち、コンラッドはすぐに捕まり、青の魔女もまず日米間の魔法通信で連絡をつけ、途中から事態を重く見て個人回線(?)に切り替える事になったが説得に成功。

 青の魔女は職人の護衛より、次世代の入間を大氷河魔法で封印し、二度と代替わりが起きないようにする事を優先した。

 人魚の魔女と竜の魔女も戦力としては及第点だが、どちらも知能に問題がある。口車に乗せられ騙されてしまったり、罠にかけられる危険性を考慮し、メンバーから外した。

 ルーシ王国の女王陛下の助力が得られれば心強かったが、王国を離れるはずもなく、そもそも閉鎖的な国柄ゆえ連絡を取る事も難しい。


 結局、傀儡魔法使い対処部隊は三名構成となった。


 方針としては、三名で同時に「王」のテリトリーに踏み込み、調査する形になる。

 途中で誰か一人でも傀儡魔法にかけられた場合、残り二人が即座に魔法解除魔法を使う手筈だ。

 基本的に「王」は大氷河魔法で封印する。

 が、地獄の魔女とコンラッドが本当に悪性かどうか人格を確かめるべきと主張したため、三人全員の合意が得られた場合のみ封印を見送るという形で青の魔女が折れている。


 地獄の魔女は問答無用の封印に反対こそしたが、当代の傀儡魔法の使い手も入間と同類の嗜好を持つ可能性が非常に高いと踏んでいる。

 超越者の枠の影響は抗いがたい。否が応でも人としての根源を歪められる。

 あれほどまでに邪悪だった入間の次世代が、澄んだ瞳と心を持つ純真無垢な金髪碧眼エルフ耳美少年だとはとても思えない。

 そう見えたとしたら、それはただの擬態だ。入間が善人に擬態していたように。


 地獄の魔女は無理だ幻想だと認めながらも、儚い期待を抱いていた。

 自分が食人衝動となんとか折り合いをつけて生き、友人の献身によって克服したように。

 次世代の入間も、己の悪性と折り合いをつけて克服している。

 そんな救いのある話を、心のどこかで期待していた。

 青の魔女が聞けば嫌な顔をするだろうから、決して三つの口のどの口でも言わないが。


 考え事をしながら凸凹道をひた走っていると、やがて土の道は平らになり、砂利道に変わった。

 砂利道は石畳に代わり、景色から森が消え家屋が増える。そうして人々の喧騒と生活臭が濃くなっていき、地獄の魔女は街中の領事館の門前に到着した。


 コンラッドと青の魔女は既に到着し、談笑していた。

 美男美女が和やかに話しているように見えるが、コンラッドの方は浮つきを隠せていない。


 青の魔女が自分を見て小さく微笑み、手を振って来た事に地獄の魔女は驚いた。

 70年前、彼女としばらく旅を共にした時は永遠に笑う事なんて無いだろうというぐらい表情が暗く固まっていたのに。


「久しぶり、ヒヨちゃん!! 職人さん生き返ったって聞いたよ、おめでとう!! 電話でも言ったけど!! 何度でも言わせて!!」

「ありがとう。ユイちゃんの食欲の話も小耳に挟んでいる。おめでとう……と言える話でもないのかな。それでも、友人として良かったと思っている」

「……いや、本当に明るくなったね!!!?」


 表情が柔らかければ言葉まで柔らかい。まだ彼女が「青梅の魔女」と呼ばれていた頃を思い出す温かみだった。

 地獄の魔女の心は揺れた。こんな素敵な微笑みを浮かべる女性に長い長い苦痛の道を強いたゴミクズ入間の次世代は、やはり問答無用でこの世から消し去るべきでは……? 


「コンラッドにも今明るくなったと言われたよ。ああ、そうだコンラッド。もう何十年経つと思っている? いい加減に諦めろ。他を当たれ」

「いくら君の頼みでもそれだけは聞けないな」

「……はぁ。あの時もっと酷く振るべきだったかな」

「どんな『もしも』があっても、今と同じ想いを持つ僕になったさ」


 二人が交わす言葉の端々から香る恋愛の匂いに地獄の魔女はソワッとした。

 まるで若者のようなやりとりをする二人を見ていると地獄の魔女の心まで若返る気がする。こういうの、もっと欲しい。


 しかしわざわざ超越者の上澄み三名が南の島に集合したのはメロドラマのためではない。

 大真面目で、危機的な問題が目の前に黒々と横たわっているのだ。

 地獄の魔女は名残惜しく思いながらも会話を本筋に戻した。


「えーっと!! 例の島の話だけど、前時代の資料を参考にすると人口は最大で3000人だね!! 最悪、3000人と戦う事になる!! 覚悟だけはしておいて!!」

「ん、ああ。そこにプラス、魔物だな。入間は最初のクーデターで人間よりむしろ魔物を多く操っていた。件の島の土地面積と近海漁獲でどの程度の兵力を養えるかという話になってくる。島の外に支配域が広がっていないと仮定しての話だが……とにかく情報が少ない。まずは島に近づいて遠目に偵察か?」

「電撃的強襲もアリだよね!! 隠密で奇襲とか!!」

「ユイちゃんはどうあがいても大声出るだろ。隠密も奇襲も無理だ。問題は王の所在か? そこだけでも分かれば話は早い」


 地獄の魔女と青の魔女が意見を述べ合い作戦を詰めていると、話の切れ目でコンラッドが挙手して言った。


「移動手段なんだが――――」


 その言葉の前半で、既に耳を塞ぎたくなった。

 なんとなく、どんな言葉が後ろに続くか分かってしまったから。


 青の魔女と地獄の魔女はあえて具体的な名前を慎重に避けていたのだが、日本語をお堅い教科書で学んだアメリカ人のコンラッドにはその理由が分からない。

 コンラッドは真面目そのものの極めて真剣な顔で、日本語だと目を覆いたくなるようなひどい意味を持ってしまうその名前を口にした。


「――――エロマンガ島にはどうやって行く?」


 青の魔女と地獄の魔女は、変な表情を表に出さないよう、かなりの精神力を必要とした。


 フィジー本島から西へ約700km。

 当代の傀儡魔法の使い手は、エロマンガ島の王だった。

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― 新着の感想 ―
前章終盤の衝撃もあって、傀儡枠がどれだけヤバい存在か知っててどれだけ警戒してもしたりないと思ってたのに、最後の一文で「なんか大丈夫そう」に持ってけるの凄い。
まさに今その名前の島みたいなアニメやってるらしい(見れてない)からタイムリーだなぁ( ・ω・)傀儡魔法ってのも薄い本御用達ぽそうだし
平和な日々からの絶望展開はマジでキツいけれど、シリアスか?と思わせてからのギャグ展開はズコーって感じで笑って見れますね!
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