120 正月イベント
今年の正月休みはヒヨリが俺の家にお泊りする事になった。
外では朝からしんしんと白雪が降り積もっている。数日前に初雪が降ってからというもの、フヨウは何かと理由をつけてはモクタンを呼びつけ、抱っこしてぬくぬくしている。
俺はというと、モクタン印の木炭を入れたこたつで温まりつつ、早朝にやってきたヒヨリと一緒に焼き鮭と味噌汁、ご飯の簡単な朝食をとっている。
ヒヨリには悪いが、やっぱり俺が自分で作ったほうが飯は旨い。
でも、目の前にヒヨリの手料理と俺の料理が両方あったらヒヨリの手料理の方に手が伸びてしまう。不思議なものだ。
俺は焼き鮭の骨を箸で外しながら、味噌汁を啜ってのほほんとしているヒヨリに警告した。
「昨日も言ったが、魔王グレムリン分解が佳境に差し掛かってる。正月返上で工房に籠るからな。お前が俺ん家にいるのはいいけど、一緒になんかしたりはできないぞ」
「え……正月ぐらい休んだらどうなんだ? 別に急がなければいけない理由もないだろう」
味噌汁の椀を置いたヒヨリは悲しそうに食い下がってきたが、俺にも言い分がある。
俺は硬派な男なのである。魔法杖職人としてのプライドがあるのだ。例え世界一の美人にさぼっちゃえと誘惑されても、鋼の意思で跳ねのける事ができる。
「いいかヒヨリ。初デートの日に宣言したが、俺はお前とのイチャイチャを優先して魔法杖職人業を疎かにする事は決してない! 魔王グレムリン分解予定は後ろにズレ込みっぱなしだ。理由つけて後回しにし続けたら百年経っても終わらん」
「そうか。年越しそばを一緒に食べようと思っていたんだが」
「……年越しそばは一緒に食べよう。でもそれが終わったら工房に籠るからな」
魅力的過ぎる卑劣な誘いに頷かされたが、俺は硬派な男。断固として夕食後の予定は仕事で埋める。彼女との私生活にかまけて本業を疎かにする意志薄弱なカスとは違うぞ。
「蜘蛛の魔女が寺に鐘楼を作ったのは知っているだろう? 除夜の鐘を撞かないかと誘われているんだが」
「……一緒に撞きに行こう。でもそれが終わったら工房に籠るからな」
あまりにも楽しそうで首を横に振れない卑劣な誘惑に屈服させられたが、俺は硬派な男。断固として年明け後の予定は仕事で埋める。彼女との正月休みに耽溺して本業を疎かにする軽薄なカスとは違うぞ。
「今夜は寝室で待ってる」
「……分かった。でも正月の朝からは工房に籠るからな」
除夜の鐘でも消せない煩悩に火をつける卑劣な魔女の甘言に乗せられたが、俺は硬派な男。断固として明日の朝からは本気出す。
「あと、モクタンが初日の出を見ようと誘ってきた」
「……それも行く。でも初日の出を見終わったら工房に籠るからな。俺は本業に手を抜かない頑固職人だから」
「ああ。大利は真面目だよ」
「なに笑ってんだお前」
ヒヨリは答えず、こたつの中で足を絡めてくる。
な、なんか絡め方えっちだぞお前。こんな朝っぱらからお前。なんなんだお前。
なんだか恥ずかしくなって、俺は新聞を広げ、ニヤニヤしているヒヨリの視線から自分の顔を隠した。
新聞には2111年の振り返りが書き立てられていた。
春には継火の魔女復活。
数日と間を置かず山上氏による魔力計算機発表。
初夏にはティアマト・ゲイザー・ヒヨリの大怪獣バトルが起きた。
蘇生魔法発見の報は日本のみならず世界中に激震を走らせた。
夏には魔法螺旋の発見があり。
もちろん、秋の終わりにはオークションで魔法杖取引価格の史上最高値が更新された。
先日オコジョ教授が特定したオコジョ裏渡り技術については、まだ公式発表されていないため新聞には載っていない。
一年あると色々起きるものだと思っていたら「激動の年」と書かれていた。毎年こういう感じではないようだ。流石にか。
俺という伝説的魔法杖職人の大復活が数々の引き金になったんだろうなあ、と思って事件を思い返したが、案外そうでもなかった。
魔力計算機は俺の復活と関係ないし、ティアマトとゲイザーくんの衝突も関係ない。
俺が切っ掛けになった事件もあれば、無関係に起きた事件だって多い。
というか、国際欄を見ると今年の知ってる事件はクラノム社(ティアマトの違法研究をやっていた会社)の倒産ぐらいで、あとはインドでマハルシ首相が再選したとか、アイルランド-ブリテン紛争終結とか、海洋ウーズ問題の拡大とか、鄒嫣然のワールドツアーとか、ニューサンフランシスコ地震とか、誰それ何それ案件ばかりだ。
俺は自分の周りで起きている事しか知らない。身の回りの事件だけで手いっぱいとも言うが。
ヒヨリと出会ってからというもの、事件ばかり起きている気がする。人里離れた山奥でこんなに大人しく慎ましく暮らしてるのにな。
新聞各社は正月休みをとるので、元日の新聞が無いぶん、大晦日はいつもより紙面がブ厚い。新聞を読み終わり、ヒヨリと一緒におせち料理を作って詰め、モクタン、セキタン、フヨウ宛のお年玉を用意し、年末掃除をしているうちに、魔王グレムリン分解を進める間もなく夜になってしまった。
夜からはヒヨリとの約束通りになんやかんや正月イベントをこなし、初日の出をみんなで見に行って(といってもフヨウの根本に集合して見るだけだが)、お雑煮を食べ、徹夜して眠いので昼まで寝て、ようやく魔王グレムリン分解に集中できるようになる。
工房の入口に「立ち入り禁止」の貼り紙を貼った俺は、腕まくりをして魔王グレムリン分解に取り掛かった。今一番アツい所だ。集中を乱されたくない。
現在、魔王グレムリン分解は70%まで進んでいる。
外殻の分解は終わり、内核の分解も佳境。魔王グレムリンは外部と内部で使用素材比率が違い、内核には外殻では使われていなかった素材も使われていた。
恐らく魔王グレムリンに使用されている特殊なグレムリンの種類数は特定できたと思う。
魔王グレムリンに使われているグレムリンは全部で11種類だ。
まず製法が分かっているのが5種類。
普通の通常グレムリン(αグレムリン)。
一度熱で融かして固めた融解再凝固グレムリン。
無重力下でグレムリンを成長させて得る弾力グレムリン。
深海の水圧で圧縮して作る高強度グレムリン。
幽霊魔物を除霊魔法で倒して得る幽霊(不可視)グレムリン。
あとは製法が分からない6種類。
磁力に反応して魔法発動媒体としての機能を失う磁性反応グレムリン。
常温常圧で液体の液体グレムリン。
普段は半透明だが接触しているグレムリンと同じ色に変色する擬態グレムリン。
強度も硬度も普通なのに異常に重い重量グレムリン。
目視できるのに鏡や写真には写らない不明グレムリン。
魔力コントロールができる者だけが通常グレムリンとの違いを識別できるβグレムリン。
半分以上が未だ素材の製法すら分からない。
だが、ゆっくりと着実に謎は解明されていっている。
例えば、80年前に魔法大学に預けた魔王グレムリン産の融解再凝固グレムリンは解析され、薄いグレムリン層を何層にも重ねて作られている事が分かっている。
これは蒸着積層法という新製法を生み出し、その新製法は魔法使用時の消費魔力の一部をキャッシュバックする還元機構に発展した。
弾力グレムリンはティアマト系の無重力素材やクヴァント式のグレムリン鎖による斥力力場を絡めて製造可能になっていて、早速山上氏が魔力計算機に活用している。
山上氏は春から稼働予定の山上研究所の活動に先駆け、弾力グレムリンを組み込んだ加減算計算機の設計図を作成。その設計図ちょーだい、と言ってもくれなかったので、魔王グレムリンのテンセグリティ構造完全複製部品およびその用法推測メモと引き換えに貰った。
ほんの半年前まで文通の全ての文章から恐縮しきっているのが伝わってきていた山上氏も、各界の要人との交流が増えすぎたせいですっかり場慣れし、かなり図太くなってしまった。
もう俺が作った超高精度幾何学部品を送りつけても失神したりガン見しながら持ち歩いて壁にぶつかったりしてくれない(大日向教授、談)。
それどころかこういう部品が欲しいとか、ああいう部品を作れないかとか、遠慮なく注文を出してくる始末。
愉快な反応をしてくれなくなって俺は悲しいよ。あの頃のウブな山上氏を返して。
一方で、山上氏もグレムリン加工に詳しいから、俺にオススメの加工工具店を紹介してくれたりもした。おかげで俺は特注の魔法金属製最新型精密加工器具を一式揃える事ができている。実際に使用感を確かめながらちょこちょこ自分で細かい改造を加え、魔王グレムリン分解速度の向上に役立てている。
俺は山上氏に精密部品や魔王グレムリン分解データを提供し。
山上氏は山上氏にしか出せない理論・設計データや、世界中の研究機関の最新情報を分かりやすくまとめて提供する。
これぞWin-Winだ。
山上氏とは是非これからも良い付き合いを続けたい。書面上で。
彼とはこれからも絶対会わないし、声も聞きたくない。半田教授は声を聞いたと思ったら爆死しちゃったからな。山上氏が爆死したら困るぞ。生きろ、山上氏。
魔王グレムリンの一番面白く一番重要と思われる核心部の分解は、二週間工房に籠り一気に終わらせた。
メシ、フロ、ネル、トイレ以外はずーっと工房に缶詰めで、目はシパシパするし指も肩も疲れた。座りっぱなしで尻も痛い。
だが、おかげで山場は過ぎた。
後は消化試合だ。このペースなら二月の終わりか三月の始め頃には分解を完了できるだろう。
そしたらルーシ王国に行ってクォデネンツ調査だ。そろそろルーシ王国行の旅程を組み始めるべきかも知れない。
俺が茶でも飲んで一息つこうと眉間の皺を揉み解しながら居間に入ると、俺に負けず劣らず眉間に深い皺を寄せたヒヨリがロッキングチェアに腰を預け、キュアノスにぶつぶつ話しかけていた。
「――――そうだな、フィジー島集合にしよう」
「東京集合でもいいよ!!? コンラッドも文句言わないと思う!!」
ヒヨリは普通の声量でぶつぶつ話しているのに、キュアノスからは耳をつんざく懐かしいバカデカ声が返ってきた。
うるせーッ!! 誰の声か一発で分かる!! 地獄の魔女だこれ!! お久しぶりです!! 元気してました!!?
理論上、キュアノスはアメリカ-日本を結んでいる魔力式通信機に割り込み通信をかける事ができる。
けっこうややこしい事をしなけりゃならんはずだが、ヒヨリはとうとう通信ハッキングができるぐらいキュアノス操作に熟達したらしい。
なぜ地獄の魔女と通話しているのかは知らんが。
「フィジー島なら東京とアメリカ両方から同じぐらいの距離だろう。現地にも近い」
「なるほどそういう!!? 分かった!! ヒヨちゃんは船便!!? ドラゴンで行く!!?」
「ドラゴンに変身して行く。陸地伝いに飛ぶから……三日後にフィジーの領事館で」
「オッケー、コンラッドにも伝えるね!! じゃあ、三日後にまた!! 職人さんによろしく!!」
「ああ。また」
ヒヨリはキュアノスを沈黙させ、しばらく深刻そのものといった顔で口元に手を当て考え込んだ。それから立ち上がろうとして、急須にお茶葉を入れている俺にようやく気付いた。
「うわっ!? いたのか、大利」
「いたいた。話も聞いてた。どうした、なんか悪い話? 今の地獄の魔女だろ」
「ああ。まあ……」
ヒヨリの返事は歯切れが悪かった。
ふむ?
「フィジーだのアメリカだの聞こえてたけど。旅行にでもいくのか? あ、まさか魔王が復活したとかじゃないだろうな」
「あー……違うが、近いな」
「え」
冗談半分で言ったのに、まさかの答えが返ってビビる。
何? 何の通話だったんだ? こえーよ!
戦々恐々とする俺をしばらく悩ましげに見ていたヒヨリだったが、やがて躊躇いがちに説明してくれた。
「超越者の空き枠概念は覚えているか?」
「えー、確か超越者には枠があって、死ぬと枠が空いて、世界のどっかで同じ超越者が生まれるって話だろ」
思い出しながら答えると、ヒヨリは頷き、とんでもない事を言い出した。
「地獄の魔女が傀儡の魔法使い……代替わりした入間枠の魔法使いを発見した。地獄の魔女とコンラッドに合流して対処に行く事になった」