119 競争排除平和
結局、金科玉杖は中国のグレムリン産業会社「武仙集団」のCEO(最高経営責任者)が810億円で落札した。これは前時代でいうところの1620億円に相当する。
中小国家の国家予算規模だ。
落札した武仙集団の始まりは、かつて中国を荒らした甲1類魔物、饕餮に端を発する。
饕餮は生物を喰らい無制限に成長する悪質な魔物であり、中国の都市部を中心にガス状の仮想身体を広げた。魔王の呼び声に応えアメリカに去るまでの数年間で、半径500kmを超える土地に死を齎した。
饕餮の勢力下で生き残った者は誰もいない。中国では魔王よりも饕餮の方が悪名高いぐらいだ。
そうしてできた広大な生命の空白地に、周囲一帯に住む難を逃れた人々が入植した。
特に長江流域の肥沃な大地には多種多様な作物の種が持ち込まれ、また、家畜化された魔物……つまり魔獣の牧場がつくられた。
この魔獣牧場の中で最も統率され大規模なモノを興したのが、饕餮から逃れ山岳地帯で息を潜めていた超越者(現地では「仙」という)が率いる一団である。
これが武仙集団だ。
武仙集団は無人の大地をせっせと再開拓し、広大な魔獣牧場を作った。
インドでも同じように魔獣産業が盛んだが、インドと中国では毛色が違う。
インドは魔獣から採れる革や骨、牙、肉の利用が盛んだ。騎獣として優秀な虎魔物の最大輸出国でもある。
対して、中国では紅眼獣を筆頭としたグレムリン生産魔物の飼育が盛んだ。
紅眼獣は額に赤いグレムリンを持つ兎に似た自動車サイズのデカ魔物である。
脅威度分類としては乙2類なのだが、人間に非敵対的。そしてグレムリンの生え変わりを起こす上に、そのグレムリンは天然の二層構造だ。
紅眼獣の雄の額のグレムリンは、一定の大きさまで育つと自然に抜け落ちる。紅眼獣は抜け落ちたグレムリンを巣に貯める。雌にアピールするためだ。
巣に貯蔵されたグレムリンが多く上質であるほど、栄養状態が良く、健康で、長生きで、強い雄である事を雌に示せる。
雌は雄の巣を気に入ると、貯め込まれたグレムリンを喰らい、喰らったグレムリンの数と同じだけの子を産む。
紅眼獣の飼育産業は、雄の紅眼獣に餌を貢ぎ、雌に変装して巣に忍び込みグレムリンを失敬する事で行われる。
天然の二層構造かつ球形で、それなりに大きなグレムリンが手に入るのは大きな利点だ。そのまま魔法杖のコアに使える。
武仙集団は、他にもグレムリンを抉り出しても短期間で再生する魔獣や、グレムリンを喰らって自分のグレムリンをある程度の大きさまで肥育する魔獣など、グレムリン関連の有用な性質を持つ魔獣を中心に大規模飼育をしている。
長江流域の豊かな土壌は大量の作物を実らせ、大量の作物は大量の人々と魔獣を養い、大量の魔獣は大量のグレムリンを作り出す。そんな流れで、武仙集団は世界一のグレムリン生産企業として名を馳せている。押しも押されぬ世界的大企業だ。
武仙集団なら、810億円を支払うだけの資本力がある。
蘇生魔法の発見と、蘇生魔法に必須な幽霊グレムリンの需要急増によって、魔獣産業は脚光を浴びている。
日本がマモノくんに投資して幽霊グレムリン生産に向けて研究を始めているように、武仙集団もまた多額の投資を受け登り調子だ。株式の時価総額も上がり続けている。
とはいえ810億円を現金一括というのは厳しいため(できなくはない)、武仙集団は現金に加え株式譲渡という形での支払いを申し出てきた。
俺はよく分からんので、そのへんの交渉は蜘蛛の魔女に丸投げした。
株に値段がつくからそれを現金に換算して支払う、というのは理解できるのだが、含み益やら上値抵抗線やらインカムゲインやら言われても理解できない。時間をかけて勉強すれば分かるだろうが、興味の無い分野にそんな労力を費やす暇があったら一本でも多く杖を作った方が有意義だ。
俺が作った金科玉杖に、810億円の値がついた。それだけ分かれば充分。
810億円の価値がついた内実としては、技術料が大きいだろう。杖の実用性と比べ、明らかに高額だ。
金科玉杖に内蔵された無詠唱機構が無ければここまで値段は跳ね上がらなかった。俺もそこは分かっているから、金科玉杖に使っている単純無詠唱機構の設計図と素材、その製法まで全て書き起こしてセットにしている。
80年前から今に至るまで、無詠唱魔法は青の魔女の専売特許だった(入間は除く)。
青の魔女最強伝説の秘密の一端が手に入るなら、810億円を支払う価値はある。らしい。
そうは言っても一番基本的な機構ですけどね。キュアノスの二世代下の性能しかない。
俺の技術を見本にして俺の後追いをしている限り、俺の技術には勝てない。何しろ俺には魔王グレムリンというお手本があるのだ。
せっかくド高い金を払って購入してくれたのだから、義理立てしてしばらくは他に無詠唱機構を売らない。
しかしどうせ技術は広がる。
魔法大学には俺が昔送った魔王グレムリンの部品や解析データが残っているし、山上氏はそれを使い新技術を編み出している。
武仙集団ほどの大企業が無詠唱機構産業という大事業を始めれば、注目が集まり産業スパイだって出るだろう。
俺が魔王グレムリンを参考にして作った無詠唱機構を参考に、武仙集団が無詠唱機構を作り、それを更に他国が参考にして……という流れは間違いなく起きる。
それを考えれば、810億円は技術占有料金ではなく、技術先行料金と考えた方がいい。
いずれ世界に無詠唱機構は広がる。しかし、金科玉杖を落札すれば他の組織に先駆け優先的に無詠唱機構の研究開発に手をつけられる。その値段として、武仙集団は810億円を出したのだ。
オークションを終えて数日、俺は810億円という値段の価値の実感が湧かなかった。
大金過ぎて理解を超えている。
株式と併せての810億円だし、810億円のうち35%は所得税として国に持って行かれる。
金銭管理をしてくれている蜘蛛の魔女の中間報告によると、なんだかんだで預金通帳の額面上で増えるのは50~100億になりそうだという話なのだが、それでもなお実感が湧かない。
1000年かけても使いきれないぞ。どう使えと? こんなに持ってても意味ねーよ。
俺の目的は俺の杖に高価値をつけ自尊心を満足させる事であって、儲けた金を使う事ではないのだ。
昔品川の工場にそうしたように、どこかテキトーなところに金をブチ込んでもいいのだが、目ぼしい投資先が思いつかない。
蜘蛛の魔女のスパイダーシルクブランドとかフヨウのお米ブランドに投資しようとしたら断わられたし。なんならフヨウは「むしろお金を払うから「死んだらフヨウの養分になります」って誓約書に署名して♡」みたいな事言ってきたし。怖いよ。
困った俺は、奥多摩を訪ねてきたマモノくんに金の使い道を相談した。
マモノくんはけっこう奥多摩に顔を出す。教授との待ち合わせ場所として使う事も多いが、今日はヒヨリに幽霊魔物について聞きに来ていた。
長旅の中で多種多様な幽霊系魔物に遭遇してきたヒヨリは、下手な魔物学者より魔物をよく知っている。飼育方法というよりは倒し方に詳しいのだが、それでも値千金の情報を山ほど持っている。
昼にやってきて夕方までヒヨリを独占したマモノくんは、喋り疲れたヒヨリに晩飯の準備をすると言われ話を打ち切られた。
帰ろうとしたところを捕まえもう今一度居間の椅子に座らせ金の使い道についてアドバイスを求めると、マモノくんは頭のてっぺんの皿に湯呑の白湯を注いで潤しながら思慮深げに言った。
「私なら魔物事業に投資しますね。稀少な魔物の保護とか、河童発見に懸賞金をかけるとか、それこそ幽霊魔物飼育養殖だとか」
「そりゃマモノくんはそうだろうけどさ。もっとこう、俺向きのヤツない?」
魔物は嫌いじゃない。モクタン飼ってるし。蜘蛛の魔女配下の蜘蛛魔物たちだって好きだ。
でもアホみたいな大金の投資先としてはちょっと違う。
文句をつけると、マモノくんはつらつらと所見を述べる。
「いえいえ、実際、投資は悪く無い選択肢だと思いますよ。何も魔物事業に投資する必要はありません。個人で使いきれない大金の使い道は、寄付か投資と相場が決まっています」
「ああ~、ちょっと分かる」
確かに前時代の大金持ちはめっちゃ投資したりめっちゃ慈善事業したりしてたイメージある。なるほどね。
「青の魔女様との今後を見据えて貯蓄に回すのは?」
「今後? っていうと?」
「お二人は結婚を見据えたお付き合いをしてるんですよね? 結婚式、新居、家族用の自家用虎魔物、色々と入用になるかと思いますが。結婚前後で出費を多くしようとすればいくらでもできますよ」
「結婚? いや、ヒヨリとそういう話はしてないな」
「え。そうなんですか?」
マモノくんは台所の方を見て、ヒヨリが手料理を作ってくれている音を聞きながら首を傾げた。
「あと80年は一緒にいようなって話と、子供どうする? って話をしただけ」
「……そこまで話して結婚の話はしてないんですか?」
「してない」
「???? ……ま、まあ、人それぞれですよね。人それぞれ」
マモノくんは自分に言い聞かせるように繰り返した。
なんだよ。言いたい事あるなら言えよ。
「貯蓄を考えないなら寄付ですかね。慈善団体とか」
「悪く無い。けど、なんか慈善団体のフリした天下り団体とかいっぱいあるらしいじゃん。寄付にあんま良い印象ない」
「あー。私も詳しいわけではないですが、確かに時々手入れが入るニュースありますね。寄付に気が進まないならやはり投資が良いと思いますよ」
「やっぱそこか。マモノくんオススメの投資先ってある?」
「オススメですか。魔物事業以外ですよね?」
「そう」
頷くと、マモノくんは指折り数えて投資先候補を挙げてくれた。
「昔から安定しているのはやはり蒸気機関系ですね。最近琵琶湖の石油プラントを火継グループが買収していましたし、株のやりとりはいつも盛んです。
グレムリン事業も安定です。最近はどこの会社だったかな、弾性? 弾力性? そういう新しいグレムリンを発明した会社が出資を募っていました。
開拓隊は投資というより寄付に近いですが、選択肢としてはアリだと思いますよ。結局防衛省が実権を握りますし、開拓隊に手を入れたいなら金より人を送らないとあんまり意味ないですけどね。
ベンチャーでいうと、魔力計算機が一番熱いですね。これは大利さんも知っていると思いますが、魔力計算機発明者の山上氏が音頭を取って研究所を開くという話が出ています。大利さんのお仕事にも近い話ですし、そこに出資するのは意義があるでしょう。
外資系だと啜命鉄ですかね? 小林一刀流がアメリカ進出への援助と引き換えに魔剣の貸与を承諾したという話があります。そこから啜命鉄研究に芽が出るかは不明ですが、だからこそ今多額の投資をして当たれば大きい」
マモノくんは色々候補を挙げてくれたが、どれもピンと来ない。
話を聞いていて思ったけど、どれも聞き覚えがあって新鮮味も意外性もないんだよな。
既に注目されている物に投資してもあんまり面白くない。
それにマモノくんはどうやらリターンが見込める投資先を考えてくれているようだ。
別にいいんだよ、そういうのは。
リターンとかどうでもいいんだよ。むしろ儲かったら困る。金使うために投資するのに、儲かったら金増えちゃうだろ。
「注文多くて悪いんだけどさ。面白いけど、儲からない投資先とかない?」
「も、儲からない投資先ですか? それならもう寄付した方が良いと思いますが。寄付が嫌なら趣味とかですかね? 魔法杖関連なら0933杖の蒐集あたりはいくら金があっても……あっ」
「すまんね、生産元なんだわ」
金の生る木でスマン!
出される案にアレは駄目これは駄目とケチをつけていると、マモノくんは困ってしまった。俺も困った。
「もうめんどくさくなってきた。全部どっか適当に投資しようかな」
「810億円をですか!? それなら魔獣事業に少し分けて下さいよ。良いですよ? 魔獣」
「えー、マモノくんの贔屓じゃなくて?」
「いえいえとんでもない。世界平和に役立つ素晴らしい投資先です」
「それは大袈裟」
「大袈裟じゃないですよ。競争排除平和事業があるぐらいですし」
「なにそれ」
興味を惹かれ話を聞くと、魔獣事業は本当に世界平和に大貢献しているらしい。
外敵に対し武力として魔獣を使って生存圏を防衛する、というのももちろんあるのだが、それ以上に競争排除事業が大きい。
競争排除とは、いわゆる縄張りの占領だ。
魔物の厄介なところは、動物からある日突然変異を起こすところだ。魔物から生まれる魔物はまだマシで、市街地にいくらでもいる鼠だのバッタだのが一夜にして人食い魔物に変貌を遂げたりする。
人類生存権の外からやってくる魔物は排除できる。
しかし、人類生存権の内側で自然発生した魔物の対処は難しい。
そこでここ数十年魔物学による魔物発生制御が試みられ、大きな成果を上げている。
基本原理としては、無害な魔物で生態系を作る事で、有害な魔物を排除する、というものだ。
最も有名な、教科書で真っ先に習うレベルの実例としては地下下水道生態系が挙げられる。
むかしむかしのそのむかし。地獄の魔女の管理区の地下下水道で、スライムの魔物が大量繁殖した。
地下で人知れず大繁殖した魔物は餌を求めて地上に進出し、地獄の魔女は暴走スレスレの広域大魔法で街ごとスライムの大群を滅ぼすハメになった。
そして、同じ事が大規模な下水網を持つ世界中の大都市圏で起きた。
対処できた都市もあるし、対処できず滅びた都市もある。
競争排除を使えばこの悲劇を予防できる。
まず、スライムの競合種であるローパーを準備する。
ローパーは触手の塊のような魔物で、スライムと同じく暗くジメジメした水辺に住む。餌もスライムと同じだ。
一方で、ローパーはスライムと違い人間を襲わない(攻撃されない限り)。生息域と餌がスライムと丸被りしているのに、スライムより遥かに安全なのだ。
地下下水道にローパーを放ち、十分に増殖させる事ができれば、スライムが自然発生しても先住種族であるローパーとの生存競争に負けて自然消滅する。恐ろしいスライムの大繁殖は起きない。
魔物同士の生存競争によって、平和を作る。
これが競争排除平和だ。
競争排除平和が完全に上手く行くと、そもそも魔物の自然発生すら消える。
魔物は元になる動物が変異する事によって生まれる。
魔物の元になる動物がいなければ、そもそも魔物は発生しない。
例えばフクロスズメはスズメから変異する魔物なのだが、普通のスズメはフクロスズメとの生存競争に負け、絶滅している。
従って、普通のスズメが寝て起きたらフクロスズメになっていた! という事態は起きない。
そもそも変異元のスズメが一羽もいないから。
同じように、世界中の動物を一匹残らず全て魔物に変えてしまい、普通の動物を全て絶滅させたなら。街中で突発的に魔物が発生する、という事件は世界から消え去る事になる。
世界規模でそれをやるのは現状不可能だが、インドの首都ではほぼ実現しているし、東京でもほぼ実現している。
ある一地域限定であれ、地球原産の動物を無害な魔物に置き換えてしまう、というのは極めて有効だ。
世界が昔と比べて安全になった理由の一つは間違いなくコレだ。
魔物による競争排除平和を扱う「魔物都市デザイナー」という国家資格があるぐらいで、地域に適した魔物の選定と繁殖、地域住民との折衝、生態系が安定するまでの管理など、手間がかかるし金もかかる。
インドでは国家事業として行われている一方で、他の大国では企業に事業を委託する形で行われている。
日本の魔物都市デザイナーは国家安全に大きく貢献しているにもかかわらず、知名度が低く人気も低く、不遇な扱いを受けている、とマモノくんは熱弁した。
「そういう訳でですね。魔物都市デザイナーへの出資はいつでも受け付けていますよ。しかも全然儲かりません……! 残念ながら! 投資先としてどうですかね、1万円だけでも?」
「分かった。810億ぶち込むわ」
「!?」
「あ。ごめん所得税抜かれるから500億ぐらいになるかも。そのへん蜘蛛の魔女さんと相談してくれ。話は通しとくから」
俺バカだから分かんねぇけどよぉ~!
500億払った分だけ世界が平和になるって事だよなぁ~!?
俺は天才だから、それって良い事だと思うぜーっ!
まあ実際問題、俺もマモノくんが語った競争排除平和の恩恵を受けているわけだしな。
奥多摩にフヨウが根を張り、蜘蛛の魔女が配下の蜘蛛魔物を率いて完全支配しているのはまさに競争排除平和だ。
奥多摩のような牧歌的で平和な土地が投資するだけで増やせるなら、大金の使い道としては上々ではなかろうか。
俺は一人頷き、目を白黒させているマモノくんのクチバシを掴んで揺さぶり正気に戻した。
じゃ、杖一本で810億円を稼ぎ世界平和に貢献する空前絶後の天才魔法杖職人は魔王グレムリン分解に戻るんで。あとよろしく。