118 渡鴉
東京裏社会のブラックマーケットを牛耳る闇組織「渡鴉」の首領は、代々「白鴉」の名を襲名する決まりだ。
初代白鴉はグレムリン災害後の動乱期を生き延び、現在の渡鴉の礎を築いた女傑である。
彼女は髪にブリーチをかけ白く染めていたため、それが白鴉の呼び名の由来になった。
初代の背中を見て育った二代目白鴉は、彼女に敬意を表し名を継ぐと共に、白髪の代わりに白スーツをトレードマークとした。
そんな二代目の跡を継いだ三代目白鴉、西牧鬼助もまた、糊の利いたハイブランド白スーツを常に身に着けている。
初代から三代目まで、白鴉たちに血の繋がりは何もない。初代は実子を儲けなかった。
しかし、酌み交わした盃は血よりも濃い酒精で渡鴉の一団を固く繋げている。
初代から脈々と受け継がれる渡鴉の血の掟には、孤児の救済がある。
動乱期には特に親を失った子供が溢れており、渡鴉は血生臭く汚い商売で稼いだ金の多くを孤児の救済に費やした。
動乱期に渡鴉が闇に引きずり込み陥れた大人は数知れず。しかし、救った孤児の数はそれ以上に多い。
現代では昔ほど孤児は生まれていない。
しかしやはり親無し子はいるもので、三代目白鴉も渡鴉経営の孤児院の出である。
三代目白鴉の両親は対馬に住んでおり、地獄の魔女によって塗炭の苦しみから救われ、無事に生まれ落ちた息子に「鬼」の名をつけた。鬼助は優しい両親に大切に育てられた。
ところがその両親は脱影病によって死んでしまい、身よりの無い孤児となった鬼助は貿易船に密航して本土へ渡った。
社会は脱影病パンデミックにより大混乱状態で、鬼助は孤独に生き抜くしか道が無かった。
盗み、殺し、騙し、なんでもやった。
冬は銭湯のボイラー室に忍び込んで眠り、夏は腐りかけの食べ物で腹を壊した。
大人は誰も彼もパンデミックの真っただ中で自分や身内を救うのに精いっぱいで、見ず知らずの悪童に手を差し伸べる者はいなかった。
足がつかないよう各地を転々としていた鬼助は、東京に流れ着いた。
そして二代目白鴉に拾われ、教育を受け、抜き身のナイフのようなストリートチルドレンから、大組織を束ねるマフィアのボスにまでのし上がったのだ。
西牧鬼助は、三代目白鴉として東京のブラックマーケットを仕切る。千羽を超える鴉たちを取りまとめるボス鴉だ。
盗み、殺し、騙し、なんでもやる。
しかし孤児は大切にする。
それは渡鴉の血の掟であるし、孤児を大切にする事は、幼少時に苦労した自分自身を大切にする事でもあった。
ゆえに、口を酸っぱくして関わるなと言い付けた高峯オークションからコソコソ戻ってきた三匹のオコジョの脳天に、白鴉は拳骨を喰らわせた。
「こンの馬鹿どもがーッ!」
「あでっ!」
「おでっ!」
「ぼでっ!」
大人なら拳ではなく鉛玉を喰らわせるところだ。孤児だから拷問部屋ではなく説教部屋で済ませている。
涙目になり、小さな手で頭をさするオコジョたちは、もう一度白鴉が拳を振り上げるとびくりと身を縮めた。
「ごっ、ごっ、ごめんなさい! ボクが悪いんです。二人を誘ったのはボクです!」
「馬鹿が! あの会場には青の魔女に、竜の魔女もいたんだぞ? 超越者には関わるなと何度言えば分かる!? 三人揃って死ぬつもりか!」
「ででででも、でもでも、青の魔女、サインくれましたよ? 噂より全然優しかった」
墨太はフワフワの白い毛皮に包まれた小さな体をめいっぱいに使い、サインが描かれた紙きれを全身で大切に抱きしめた。
能天気な物言いに、白鴉の頭の血管が千切れそうになる。
青の魔女は睨んだだけで人を凍死させる事ができるという噂がある。そしてそれが眉唾だとは思えないぐらいにはぶっ飛んだ経歴を持つ一人国家戦力だ。
動乱期のヤンチャな逸話と比べれば、最近はかなり温厚になったようだが、地雷を踏めば女子供だろうが家族だろうが容赦なく殺す恐ろしい魔女だ。
青の魔女は優しいのではない。今回は偶然優しい時に当たっただけ。
機嫌が悪ければ三匹まとめて氷像にされていた。
「結果オーライなんだど。オデの裏渡り、たぶん青の魔女も知らなかったど。捕まらなかったど」
「アホが! 目の前で裏渡り見せたんだろ? 三日もすりゃあ大学の偉い先生がやり方見つけるわな。せっかくの伏せ札をしょーもない事に使いやがって……!」
墨太と同じぐらい、尾出丸も能天気だった。
白鴉はイライラと頭を掻きむしり呻く。
尾出丸は七歳まで目が見えない子だった。ボロアパートの一室でクズな両親にずっと放置されていて、取り立てをしていた若い衆が哀れに思って両親を魔物の餌に変えてやり、孤児院に引き取った。
孤児院に入ってすぐ、尾出丸はちゃんとした医者にかかり高位の治癒魔法で目を治した。
裕福な家庭であっても一桁減らして欲しいと弱音を言うほどの高額な治療費は、もちろん渡鴉の懐から全額出ている。
尾出丸は賢かった。自分を助けた若い衆にべったり懐き、言葉を真似してしまったのでアホっぽい喋り方が癖になっているが、実際、悪ガキ三人組の中で一番勉強ができる。
オコジョ変身魔法の隠し能力「裏渡り」を見つけたのも尾出丸だ。
オコジョ変身魔法によって変身したオコジョは、オコジョそっくりだが、オコジョではなく白獣という魔法生物である。
ジャンプを繰り返す事で魔力を励起し、それから鋭角に飛び込めば裏世界に潜る事ができる。
部屋の隅、三角定規の角、鉛筆の先端、半開きの本のページの間など、鋭角が存在すれば、そこから裏世界に潜り込み、また飛び出せる。
白鴉は魔力が少ないのでオコジョに変身できず、「裏渡り」がどんなものなのか体感的には知らない。三人の話を聞くところによると「表世界から消える。なんでもすり抜けられる。でも浅いところまでしか潜れないし、長く潜ると溺れそうになる」らしい。
分かるような分からないような能力だ。
しかし、要するにぴょんこらジャンプして角っこにダイブするだけで消失したり出現したりできるわけで。
魔力コントロールができない人間でも、ドラゴンに変身すれば空を飛び火を吐けるように、オコジョに変身すれば魔力コントロールができなくても裏を渡れる。
色々ある能力の制約も些細なもので、凄まじく使い勝手が良い。
尾出丸は仲良し三人組の間ですぐに自分の発見を共有した。白鴉も若い衆伝いに話を知り、即座に秘密にするよう言いつけた。
オコジョの裏渡りは、慎重に扱うべき重要な情報資源だ。
裏渡りはやり方さえ分かれば簡単に真似できてしまうお手軽能力である。
渡鴉の外に情報が知られていない今は途轍もないアドバンテージになっているが、一度話が広まればアドバンテージなど途端に消え失せる。
白鴉は、裏渡りは尾出丸の将来形成に役立つ重要な資産であると考えていた。
もう少し勉強して高校レベルの知識を身に付けたなら、きっと尾出丸は飛び級で魔法大学に入学できる。そこで「裏渡り」を公表し研究者として名を上げれば一生安泰だ。子供の頃の後ろ暗い身の上も、やり方次第で美談に変えられる。
そうして白鴉がせっかく尾出丸が闇から抜け出し明るい世界で歩いていけるよう気を配っていたというのに。
尾出丸は友達とアホをやるのに夢中で、表世界への優待券を台無しにした。
青の魔女はあの有名なオコジョ教授と親交が深い。青の魔女に裏渡りを見られたならば、遠からず教授によって裏渡りのやり方が解き明かされてしまう。
もちろん、尾出丸がその劣悪な出生に反し性根が真っ直ぐで、自らの賢さを全く鼻にかけず、秘密を惜しみなく友人と共有し、何よりも恩や友情を貴んでいるのはとても誇らしい。
尾出丸は良い子なのだ。
墨太も言葉を弄し賢しらに相手を煙に巻こうとする悪癖があるが、身内の危機には体が動く。仲間内の和を貴ぶ良い子だ。
だからこそ軽率な振る舞いに怒りが湧く。
充分に表の世界で栄達できる子供たちなのに、なぜ悪さを辞めないのか?
「まあまあオヤジさん、落ち着いてくだせぇよ。青の魔女とも約束したんでね。アッシらみんな、もう悪さはしないって」
「ボケが! 同じ約束を何度破れば気が済む!? 何度目だ? ええ? オークションだけの話じゃねぇぞ、増強剤チョロまかしもだ!」
「アッ……いえね、魔力水増ししねぇと変身できないんで。つい」
ペロリと舌を出し愛嬌で誤魔化そうとする淳史の額に、白鴉はデコピンを喰らわせた。
再三に渡って悪さはするな、勉強をしろ、渡鴉以外で友達を作れ、と言っているのに、三人の心には中々響かない。
特に淳史は手癖が悪く、目端を利かせ色々な悪さに率先して飛び込んでいく。
良く言えば気配りができ、細々とした労働を惜しまず、行動力がある、という事でもあるから、改心すれば素晴らしい美点になる。
だが恵まれた才覚を魔力増強薬をくすねる事に使っているようでは将来が危ぶまれる。
三人の魔力は50Kを超える。魔術師として身を立てるには充分な水準だ。
魔力増強剤をキメればドラゴンにだって変身できる。勉学で身を立てるのに失敗しても、経歴ロンダリングして綺麗な履歴書を偽造すればドラゴン便をやれる。多忙な肉体労働だが実入りは良いし、人気職だ。
しかし本人たちに真っ当な道を行く気が無いのでは、いくら表社会へ続くレールを敷いてやり、手を引いて連れて行こうとしてもどうしようもない。
「勘弁して下さいよ、オヤジさん。ボクら今度こそ本当に改心しました。サイン貰っちゃったし」
「オデ、もう書き取りの宿題サボんないど」
「生キュアノスすげかったっスよ。アッシもこういうの作りてぇなあ、表社会で杖職人なろっかなーって思ったぐらいで。いやホントホント、真面目に」
三匹のオコジョは口々に反省と改心をアピールしてくる。
白鴉は罵声をグッと飲み込んだ。
嘘つけどうせまたやるだろう、なんて言葉を子供に言ってはいけない。それは時に子供を深く深く傷つけ、大人への信頼を失わせる(と、育児本に書いてあった)。
荒くれ者を300人躾けるより、子供を3人躾ける方がずっと難しい。
白鴉は腕組みして渋面を作り、しばらく三人の反省アピールに耳を傾けてから、深く溜息を吐いて沙汰を下した。
「分かった分かった。まずは出納係のトコ行って魔力増強剤貰ってこい。今度はちゃんと許可出してある。それ飲んで人間に戻ったら今日から一週間毎日保母さんの飯作り手伝え。朝と晩だけでいいから」
え~? という不満の声が上がったので、白鴉は生意気な三匹の頬をつついた。
「ハイが言えないのか、この口は。二週間に延長だ。二週間真面目にやれば反省を認めて小遣い半額で済ませてやる。途中でサボったら小遣い無し。ほら行け」
白鴉がシッシッと手を振ると、三匹のオコジョは物凄く文句を言いたそうな顔をしながらも、しかし口答えせずにチョロチョロと部屋を出ていった。
三匹を見送り、椅子に背を預け天井を仰ぎぐったりしていると、入れ違いに舎弟頭が入ってきた。
舎弟頭はヘラヘラ笑いながら言う。
「聞いてましたよ。オヤジも子育て大変っすねぇ」
「……うるせぇ」
「なんすかアレ。全然罰になってないじゃないすか。ゲロ甘っすよ。俺だったらアイツら連れて青の魔女に頭下げに行」
全てを言う前に、白鴉は舎弟頭の顔面に裏拳を叩き込んだ。
舎弟頭は吹っ飛んで壁に叩きつけられ、床に転がり、呆然として鼻血を手でおさえる。
自分が何故殴られたかも分かってない馬鹿に、白鴉は冷たく言う。
「いつから俺に意見できる身分になったんだ? あ゛?」
「す、すんません……」
「カーペットに血を落とすなよ。で、何の報告だ?」
「あの、身代金は払わないって連絡が来ました」
「そうか。で?」
「どう対応すればいいかと……」
「いちいち聞くなそんなモン。いつも通りでいい。右手を切り落として送れ。それでも払わないなら左手もだ。分かったら失せろ」
「うす……」
舎弟頭はよろよろと部屋を出て行った。
子供に汚い部分を見せ過ぎないようにしているのが悪いのかも知れない、と白鴉は煙草に火をつけながら考える。
あの三人は、渡鴉をダークヒーローか何かだと思っているフシがある。
渡鴉はクズの集まりだといくら言っても聞こうとしない。学者でも杖職人でも何でもいい、渡鴉にだけはなるなと言っても話を聞かない。困ったものだ。
世の中の善も悪も知った上で、悪の道に行きたいというのなら仕方ない。
しかし三人の改心が今度こそ本当であって欲しいと願う、闇組織の三代目首領であった。