112 魔法螺旋研究
地脈と接続するための最適形状構造は「魔法螺旋」と呼ばれるようになり、あっという間に研究が俺の手を離れた。魔法螺旋は素材と構造が重要なのだが、入手も加工も難易度的には大したものではない。俺以外の職人でも十分再現可能だ。
魔法螺旋の研究は、俺じゃなくてもできる。
となれば、魔法分野の一大革命に人が群がるのは必然だった。
魔法螺旋は東京魔法大学で最低限の安全性チェックが行われた後、世界中に公表された。
そしてたちまち全世界の研究機関で一斉に研究が始まった。
魔法螺旋による地脈接続と身体強化は、世界のバランスを変え得る。
単純な肉体労働で大活躍するのはもちろんの事、軍隊の力を根本的に底上げできるのも魅力的だ。
魔法螺旋に関する規制を早急に確立しないとマジカル・ムキムキ・犯罪者グループが暴れ散らかすリスクがあるし、魔法螺旋杖の製造・研究に関する利権問題もややこしい。
今は不可能だが地脈接続を通して地球の中で起きている事を探求できるだろうし、大地から魔力を吸い上げ無限に魔法を連発する技術だって生まれるかも知れない。
良くも悪くも、魔法螺旋は世界を変えるだろう。
ヒヨリと相談した結果、魔法螺旋(地脈接続とそれによる身体強化)の発見者はマモノくんであるという事にしてもらった。
あまり俺に功績を集め過ぎると、俺を狙う輩が増える。マモノくんの成果というのも嘘では無いし。
本来なら巨大な利権の源泉となる革新的技術を無償で全世界に公表したという実績は、甲1類無許可飼育の罪を相殺するのに十分だ。
保釈金を支払ったようなもので、マモノくんはいちいちヒヨリの監視同行を受けずとも、自由に奥多摩に遊びに来れるようになった。
最初は恐縮して俺に何度も頭を下げていたマモノくんだったが、魔法螺旋の第一人者と目されたせいで、すぐに恐縮どころではなくなり、奥多摩に来るどころでもなくなった。
政府筋権力者の訪問を受けたり、特許関連の手続きに忙殺されたり、幽霊グレムリン牧場主と魔法螺旋研究チームリーダーを兼任する事になったり。
仕事や接待の合間に報道陣の取材もニコニコ愛想よくこなさなければならず、ゲイザーくんの遊びにも付き合ってやらないといけない。日本魔物学会副会長としての仕事も引き続きある。
殺人的忙しさを伝え聞いていると、マモノくんに魔法螺旋発見の功績をぶん投げて良かった~、と思わずにはいられない。
そうなんだよなあ。
俺はヒヨリや蜘蛛の魔女が外交窓口になって煩わしいアレコレをシャットアウトしてくれているから、奥多摩の一軒家でのほほんとしていられるのだ。
革命的大発見をすればマモノくんぐらいてんやわんやするのが当たり前。つくづく、俺は特殊事例なのだ。
奥多摩ガーディアンズの護りが緩みでもしたらとんでもない事になるんだろうな。くわばら、くわばら。特に報道陣を名乗る死神部隊は俺に一生近づかないで欲しい。奴らの通常攻撃「取材」は間違いなく俺を三回ぐらいストレス死させる威力を秘めているからな。
マモノくんの多忙ぶりを対岸の火事として眺めながら、俺は騒動続きで放置していた魔王グレムリン分解作業を再開した。
やっている事はずーっと単なる分解なのだが、日々ちょっとした発見があって面白い。幼い頃に父の高級腕時計を分解してバカほど怒られた思い出がよみがえるが、この魔王グレムリンはいくらバラしても怒られるどころか褒められる。やる気は尽きない。
作業に熱中すると月日が経つのは早いもので、窓から吹き込むそよ風が冷たさを失い熱を帯びた事で、俺は盛夏の到来を知った。
今年も奥多摩水遊びが計画されている。
最近対人関係スキルのレベルアップが著しい俺は、ついにヒヨリが俺以外を水遊びから排除したがる理由を理解した。
ヒヨリは、俺と二人きりで水着デートをしたかったのだ……!
二人で遊ぶ場合、お互いがお互いに向ける気持ちは100%である。
しかし、三人以上で遊ぶ場合、どうしても気持ちは分散し、ヒヨリ90%と蜘蛛さん10%みたいな感じになってしまう。ヒヨリだけを見て、ヒヨリだけを考えるのは不可能だ。
従って、1vs1の形を作る事により初めて、お互いにリソースの全てをお互いに割くいわゆる「二人だけの空間」を形成する事ができるのである。
かねてからの謎を解き明かした俺は、居間で水着カタログを読んでいたヒヨリを捕まえて答え合わせをしてもらった。
流石に100点満点の自信があったのだが、ヒヨリはなんとも複雑な顔をして辛口採点をしてきた。
「70点だ」
「な、なんで? どこで30点減点?」
「内容はまあ合っていると言っていい。だが、答え合わせを私に頼んだのが間違いだ」
「え゛。でもヒヨリは俺と二人っきりでイチャイチャして楽しみたいんだろ? 俺の事大好きだから。何が間違いなんだ?」
「…………。それを真顔で言えるのがお前の強さだよ。大利でも分かるように説明するなら、そうだな。ギャグの解説をするようなものだから、かな。サムいだろう? 直接答え合わせが必要になっている時点でそれはもうコミュニケーションエラーなんだよ」
子供に優しく言い聞かせるように言われ、前に大日向教授に同じような事を言われたのを思い出す。「言葉の意図を直接相手に尋ねるのは、キャッチボール中にボールを手渡しするようなものだから良くない」みたいな。
し、しまった。前に習った事を実践できていない……! いわゆる「空気読めていない」というヤツだ。
最近新しいコミュニケーション概念を一気に学び過ぎたせいで、昔学んだ事が押し出されてポロポロ抜け落ちている疑惑があるぞ。
「すまん。会話って難しいな」
「いや。私に『喋るな近づくな』なんて言ってた頃と比べれば大進歩だよ。どうせ寿命は長いんだ、100年かけてもいい。会話が上手くなるまでいくらでも付き合うさ」
「あ、ほんとに? サンキューヒヨリ、愛してる!」
「…………。これ以上大利の口が上手くなると困るかも知れないな」
ヒヨリはちょっと頬を赤くしてふにゃりと笑った。
むむむ! 早速最新学習プログラムを実行!
今、ヒヨリは「大利の口が上手くなると困る」と言っているが、今までの類似前例から考えるに、実は困らないッ! ただの照れ隠しだ!
そして、この推測の正誤確認を取ろうとすると俺のデータによれば99%の確率でヒヨリは真顔になって溜息を吐いてしまうッ!
従ってここは黙っておくのが正解……!
会話のたびにこんな頭使うのは俺が未熟だからだよな? 無意識かつスムーズに会話できるようになるまで本当にあと100年ぐらいかかりそうだぜ。ヒヨリとのパーフェクトコミュニケーションのためだからやるけど、気が遠くなる。
しかし100年かけていいなら焦る必要もない。ゆっくり取り組める。
とりあえず頭痛がしてくるような重頭脳労働を棚上げし、ヒヨリに川遊び用アウトドア用品カタログを貸してもらう。隣に座ってぽつぽつ話し合いながらコレがいいソレがいいと吟味していると、玄関のベルが鳴った。
応対に出ると、分厚い書類封筒を持った大日向教授が立っていた。
今日は人型モードだ。大人っぽい落ち着いた涼しげな装いをしている。
「こんにちは、大利さん。これ今週の魔法螺旋の研究成果資料です」
「おー。毎回資料厚くなってくな。なんか目ぼしい発見あった?」
「人種・性別・年齢・地域に応じた強化ペースのデータが揃いましたね。魔力コントロールの可否を除けば、強化ペースに一番大きく影響するのは地域です。微々たるものですが。
それとアルラウネ族の方々が花の魔女さんの蔓の一声で拒否声明を撤回して、魔法螺旋杖の素材を継続的に大量供給してくれる事になりました」
「ほう」
大きな進歩は無いようだが、確実に研究は進展しているらしい。
地脈接続による恒常的身体強化の詳細は真っ先に研究が進んでいる。
例えば強化によって失われた魔力最大値。これは回復しない事が分かっている。
デフォルトの魔力値が5Kの人がいたとする。
魔力鍛錬で10Kまで成長し限界に達し。
そして地脈鍛錬で9Kに減少した場合。
魔力鍛錬限界値は9Kになってしまい、10Kに戻すのは不可能だ。鍛錬限界値そのものが永久的に減るのだ。
だから地脈鍛錬で身体能力アップ→減少した魔力を魔力鍛錬で戻す、という無限コンボは成立しない。
これは超越者の魔力量や吐き気の原因にも絡んでくる。
超越者は、変異時に限界まで地脈鍛錬を終えた肉体を獲得する。最初からMAX強化状態なのだ。
地脈鍛錬は地脈の魔力と自分の魔力を混ぜ、肉体に馴染ませる事で行われる。
MAX強化状態の超越者がコレをやろうとすると、もう限界なのに、もう満腹なのに、もっと肉体に地脈魔力を取り込もうとする事になる。だからオエッてなって、体が地脈魔力を拒絶する。
また、超越者の平均肉体強度が強化限界値であると仮定し、一般人と魔人の地脈鍛錬による身体強化率と魔力減少率と照らし合わせると、約3000Kを地脈鍛錬に費やせば超越者並の身体性能に達すると算出できる。
魔人の平均魔力量が2000K程度だから、どうあがいても超越者並の身体能力は獲得できない事になる。
超越者の平均魔力量は6000K。もし超越者が地脈鍛錬分を還元したとするなら、9000Kの魔力になる。一般人と魔人の差と同じぐらい、魔人と超越者の差は大きい。
何をするにも魔力、魔力、魔力だ。
魔力が少なくても地脈鍛錬はできるが、気休め程度にしかならないため、一般人の地脈鍛錬は非推奨だ。
魔力コントロールができない一般人でも地脈鍛錬はできる。だが、魔力コントロールを使い行う意図的な鍛錬と比べると自然任せで、効率が凄まじく悪い。
一般人の強化ペースは1K/1ヵ月。
魔人の強化ペースは1K/1日。
多少の個人差はあるものの、一般人の強化ペースが1K/10日を超える事は無いし、魔人の強化ペースが1K/3日を下回る事も無い。
残酷な才能の壁だ。一般人は、こと魔法方面においては魔人に勝てないようにできている。
先週大日向教授が持ってきた研究データは変異学科が着手した才能の壁の打破実験についてで、かなり面白かった。
東京魔法大学変異学科はマッドサイエンティスト集団で、彼らは「部分変異」という研究分野を扱っている。
変身魔法や超越者は全身を別の生物に変異させる。そうした全身変異ではなく、手だけ、足だけ、喉だけ、といった一部分だけを変異させる研究だ。
この研究は昔から続いていて、変異学科には腕が四本あったり、人間耳と別にケモ耳が生えて四つ耳になっていたり、頭部が無いのになぜか生きている人がいたりする。
この部分変異を応用した部分地脈鍛錬は、魔力が少ない人々の希望の星だ。
地脈鍛錬は全身の能力が向上する鍛錬だ。
全身のパワーが上がり、全身のスピードが上がり、全身の頑丈さが上がる。
減少した魔力が、全身の全ての基礎ステータス向上に振り分けられているのだ。
これを部分変異の応用で自在に振り分けられるようになったのなら、話は様変わりする。
スピードも頑丈さも捨て、右手限定でパワーだけを上げるなら、全身フル強化より遥かに効率よく超人的腕力を得られる。右手だけ必殺技クラスに強いロマンビルドだ。
スピードもパワーも捨て、全身の頑丈さだけを上げるなら、防御力だけを効率良く上げられ身の安全に直結する。これが可能なら要人に必須の鍛錬になるだろう。
人間は魔力が決定的に足りないから、超越者になれない。
だが、右手一本だけなら。防御力だけなら。
体のほんの一部だけなら、超越者並になり得る。
まあ今のところ机上の空論なのだが、変異学科はこの部分地脈鍛錬研究に熱心に取り組んでいるらしい。今後の研究進捗に期待したい。
研究資料をパラパラ捲って中身をざっと確認したが、教授が口頭で話した以上の面白そうなトピックスは見当たらなかった。
まあこんなもんか。でもアルラウネ族の気変わりは何が起こったのだろうか。
「アルラウネ族はどうしたんだ? あんなに素材提供拒否ってたのに」
首を傾げて聞くと、教授は苦笑した。
フヨウは俺にめっちゃ懐いているから、魔法螺旋杖用の素材をくれと言えばポンポンくれる。なんなら言わなくてもくれる。
しかし、これは俺が例外だからだ。
花の魔女を筆頭としたアルラウネ族は、基本的に人間を利用して勢力を拡大している。
共存共栄の体裁をとってはいるが、アルラウネ族が人間を利用するのだ。人間がアルラウネ族を利用するのではない。
人間のために杖素材を製造してくれという頼みを、アルラウネ達は拒否するか、法外な対価をふっかけ事実上の拒否をするかした。
「花の魔女さんは長期投資がお好きですから。人類の熱の入り様を見て大局を考えたようです」
「ああ、まあ、気の長い事する印象はある」
俺の寿命を延ばしたりフヨウを送り込んできたりした花の魔女のアレコレを思い出しながら頷く。
荒瀧組事変の時に手に入れた魔石を、花の魔女はついぞ加工依頼してこなかった。
せっかくの魔石を原石のまま手元に置いた理由は、80年後になってからよく分かった。
グレムリン災害後の黎明期、魔石は貴重で、重要だった。魔石から作られるマモノバサミや魔石杖は人類の戦力強化、ひいては生存のために途轍もなく役立った。魔石が無かったら、今の人類は無い。
それは裏を返せばほぼ全ての魔石は目の前の危機を乗り越えるために片端から加工された事を意味する。
現在、未加工の魔石は世界に二つしか現存していない。
その二つのうちの一つを持っている花の魔女は、極めて稀少な魔石の原石を様々な研究機関に貸し出す事で、強力なコネクションや財貨を獲得しているという。手元に置いておくだけで勝手に値上がりしていくワインの如くだ。賢い。
「今は大利さんがフヨウさんの黄金螺旋をベースにした杖が主流です。だから、その素材もアルラウネ族にしか作れません。アルラウネ族の価値は高い。
でも、黄金螺旋を持っているのはアルラウネ族だけではありません。甲類魔物の多くは同じ構造を持っています。遠からずアルラウネ族以外の素材でも杖を作れるようになるでしょう。
だから今売らずに恨みを買った挙句、将来的に唯一無二の素材供給元という価値を失い恨みだけを残すのが最悪のパターン。まだアルラウネ族の価値が高い今のうちに恩と共に安値で売りつけるのがベターなパターン。
花の魔女さんが直接そう仰った訳ではありませんが、話した印象ではそういうお考えのようでしたね」
「なるほど……?」
なんか色々難しく考えてるのな。要はタピオカティーが大流行してる今のうちにタピオカ売りまくろう! みたいな話ね。古魔女はしたたかだ。
「立ち話もなんだし、上がってく? ヒヨリいるけど」
「あ、すみません。お誘いは嬉しいですけど、この後はマモノくんさんの所へ行く予定があるので……」
「そうなん? じゃ、マモノくんによろしく」
「はい。では失礼しますね」
教授はペコリとお辞儀をして去って行った。
それを見送り、俺は書類の束を団扇代わりにして扇ぎながら考える。
ふ……む……?
大日向教授は誰とでも仲良くなる生粋の陽の者だ。
だから、マモノくんとすぐ仲良くなったのは別におかしな事ではない。
しかし、多忙な学長業の休みを縫って会いにいくのは誰にでもやる行いではない。
先週も俺に資料を配達した後にマモノくんの所に行っていた。
先々週も、先々々週もだ。この調子だとたぶん来週も。
マモノくんは今めっちゃ大変そうだから、その手伝いをしに行っているのかと思っていた。
だがどうもキナ臭い。わざわざ人型になって会いに行っているぐらいだ。いや今までは俺に会うためにわざわざオコジョになってくれていただけだけど……それにしても……ふむ……
なんか教授の行動がマモノくんを特別扱いしてる感じするんだよなぁ。
それだけマモノくんを買っているという事なのだろうか。
いや、もしかしたら「友達」の上のランク「親友」認定をしている可能性も!?
「ある」な。教授のコミュ力なら有り得る……!
俺は心底感心した。
教授はすげぇや。俺が三年かけた事を三週間で駆け抜けていく。人間関係構築の速さが並じゃない。
その教授でさえ結婚に失敗しているというのだから恐ろしい。教授でさえ結婚の壁の前に敗北を喫したというのなら、俺がヒヨリと結婚するまでに1万年はかかりそうだな。
……いや! 結婚するかは分からんけど!
まだお付き合いを始めて半年も経ってないし……!
自分の妄想で恥ずかしくなってしまったので、玄関先で棒立ちして百面相をする俺を見つけて不思議そうな顔をするモクタンを肩車して散歩に出かけた。
しばらく頬の熱を冷ましてからヒヨリのところに戻らないとな。想像の中でさえ俺をドキドキさせるんだから、ヒヨリは魔性の女だぜ。