11 東京魔法大学、開校
グレムリン災害発生から一年と四カ月が経ち、大望の食料危機解決が成った事を大日向の報告を聞いて知った未来視の魔法使いは狂喜した。
「大日向が嬉しそうに報告してくる未来はやっぱりこういう事か!」と叫び、目を白黒させる大日向を胴上げし、男泣きに泣いた。
食料危機の解決は、かねてから未来視の魔法使いの悲願だった。
未来視の魔法使いは、元々平凡な会社員だった。
独身一人暮らしで贅沢を控えコツコツ貯金。40代で早期退職し、田舎にこじんまりとした一軒家を買って、晴耕雨読のセカンドライフを送るのを夢見ていた。
ところが30代も後半に差し掛かり、ようやく長い辛抱の甲斐あって夢の実現に手が届くところまで来た時、グレムリン災害が発生。
口座に預けていた貯金も運用していたデジタル資産も株も全て消し飛び、魔法使いになるに際しての昏睡からようやく目覚め出社した時には、会社はもぬけの殻になっていた。
人生計画が崩壊した未来視の魔法使いは、しばらく抜け殻のようになっていた。
しかし社宅の隣人を魔物から助けたり、魔物に襲われている避難所の人々をなし崩し的に助けたり、助けた子供からお礼にお菓子を貰ったり、家を焼け出された難民といっしょに公園のドラム缶に廃材を投げ込んで火をつけ暖をとったりしている内に、だんだんと使命感が芽生えてきた。
自分は未来が視え、身体が頑丈で強く、助けを求める人々の声に応えられる。
この末法世界で、自分がやらねば誰がやる?
未来視の魔法使いは流されてではなく、自らの意志で人を助けるようになった。
魔法使いとして有名になるにつれ、人助けの規模は大きくなっていった。
時には「子供っぽいヒーロー願望だ」とか「偽善だ」とか「オジさんがチヤホヤされるために必死になってる」と揶揄されたが、そういう事を言う口が達者な奴に限って誰も助けず自分第一で、善行どころか偽善すら斜めに構えてやろうとしない馬鹿野郎だった。
口さがない非難には人並みに傷ついたが、人並みの喜びもあった。
未来視の魔法使いは、何も社会の平和のために無私の奉仕をしたわけではない。
ヒーロー扱いは気持ち良かったし、善行はスカッとしたし、チヤホヤされれば鼻が高くなる。
未来視は未来が視える男だが、目先の賞賛目当てで獅子奮迅の働きをし、とりあえず分かりやすく地元である文京区の治安維持に邁進していた。
未来視の魔法使いに長期的展望を与えたのは、魔女集会の取り纏め役である吸血の魔法使いだった。
吸血の魔法使いの助言と説得により、未来視の魔法使いは魔力逆流によるフィードバックダメージを恐れそれまで使って来なかった3公転周期先を視る強力な未来視魔法(地球上で使えば地球時間で三年先の未来が視える)を使った。
そして「魔物による壊滅」「魔女同士の大規模戦争」を最悪の想定としてぼんやりイメージしていた未来視の魔法使いは、切迫した危機感をもって「食料不足による未曾有の大飢饉」の回避に全力を尽くす事になったのだ。
未来視の魔法使いは会社員時代以上にがむしゃらに働いた。
食料危機は魔女集会で散々訴えたが、真の意味でその脅威を理解できているのは、実際に人が人を喰って飢えをしのぐ生き地獄を生々しく「視た」未来視の魔法使いたった一人しかいない。
未来視の魔法使いは食料危機解決のために次々と政策を打ち出し、吸血の魔法使いの根回しの力を借りていくつかは実現した。
電気ウナギと融合してしまったせいで知能が低下し、会話が困難になっている人魚の魔女と度重なる会合の末になんとか意思疎通をとって東京湾の水産業を一部復活させた。
グレムリン災害直後に更地になり、長らく無人だった葛飾区を開墾し、大規模農場にした(ただし魔物の食害で壊滅した)。
人糞コンポストやプランター菜園を周知奨励し、家庭レベルでの食料増産を推し進めた。
各地を駆けずり回って種苗を確保し、農業従事者を保護し、電気や機械を使わない農耕具や忘れ去られたノウハウの復興に莫大なリソースを投じた。
そうして食料問題に打ち込む未来視の魔法使いだが、従来通りに文京区の治安維持も継続しなければならない。
未来視の魔法使いが取り組んだのは食料問題だけではない。
本人しか知り得ない業績ではあるが、文京区内で熱心にボランティア活動に勤しんでいた宗教家の中から、将来構成員10万人規模の殺人カルト宗教教祖になる事が確定している詐欺師を見つけ出し、布教と洗脳が始まる前に人知れず始末した事もある。
常人なら十回過労死して余りある過剰労働だったが、魔法使いとして変異した肉体のおかげで死ななかった。
たった一年で十歳分も顔が老けるぐらいに力を振り絞り強烈なストレスに晒された未来視の魔法使いの働きのおかげで、文京区は東京都内でも一、二を争う治安が良く暮らしやすいコミュニティとして有名になっている。他地区からの移住希望者は毎日後を絶たない。
文京区の街並みの保全状態は青の魔女が迅速かつ完璧に魔物を狩っている青梅市に比肩するほど良好で、良好な治安のお陰で集まってきたフリーの技術者たち(大工、上下水道管理者、鍛冶師、自動車整備士など)のお陰で修理改修も到底需要に追い付かないながらも機能している。
道路に溢れていた故障車の撤去と解体、古い技術の復元も進み、来年には旧東京メトロ丸の内線を利用した木炭自動車運輸が開通する予定だ。
そんな復興に向けて一歩ずつ進んでいる東京の希望・文京区も、二年後には飢餓で壊滅するはずだった。
その未来が変わったのは、港区から避難してきたのを保護した魔法語研究チームが成し遂げた歴史的偉業のお陰だ。
未来視の魔法使いは「アテがある」と言っていた青の魔女がどこまで信じられるのか、青梅出身だという魔法語研究チーム最後の一人・大日向が青の魔女に攫われ無いかなど、かなりヤキモキしていたが、豊穣魔法研究完成の報でどうでもよくなった。
何をどうやってたった一日で全ての問題が解決されたのか分からないが、もうどうでもいい。
日本が大飢饉の災禍に沈む未来は回避された。
その事実があれば十分だ。
未来が視えるからこそ暗い未来の中でもがいていた未来視は、明るく開けた未来に打ち震えた。
感情で空を飛べるなら舞い上がって天国まで昇ってしまうほど喜んだ未来視の魔法使いは、大日向教授に何か欲しいものは無いか聞いた。
重要プロジェクトを担う大日向教授には、質の良い食料配給、医療の優先受診権、個人用浴室の独占、研究室と自宅への警備員配置など様々な配慮をしていたが、大成果にはそれに見合った特別ボーナスが必要だ。
大日向教授は、たった十二歳の女子には重すぎる重責を見事過ぎるほど見事に果たしてくれた。
どんなワガママを言っても許される。未来視の魔法使いは全力で叶える。
それが子供に日本の未来を託すしかなかった大人ができる、唯一の返礼だ。
大日向教授は子供らしからぬ礼儀正しさでボーナスを固辞し「私への報酬は文京区のために使って欲しい」と涙ぐましい事を言ったが、それが逆に未来視の魔法使いを奮起させた。
ワガママを言って親を困らせて当然、本当なら反抗期に入る年頃の少女が、大人でも中々見ない献身を見せているのだ。
ありがたくも、悲しい。
子供が素直にワガママを言えない世の中が、そうならざるを得ないようにさせた厳しい社会が、未来視の魔法使いには無性に悲しかった。
未来視がしつこく欲しいものを聞き、最後には「特別報酬を受け取らないと、頑張った人が報われないという悪い前例ができる」と半ば脅すように説き伏せると、大日向はおずおずと言った。
「じゃあ……私、大学の教授になりたいです。お父さんみたいな」
照れくさそうに子供らしく微笑ましい憧れを語られた未来視の魔法使いは、大日向教授の純朴さに感激し、全力で彼女の夢を叶えにかかった。
幸い、文京区には大学などの教育機関が点在し、それらの保存状況も良い。
未来視の魔法使いは「学校教育の再開」という建前を振りかざし、特に保存状態の良かった大学に人を派遣して整備し、「東京魔法大学」と命名。その初代学長、兼、一人目の主任教授として大日向慧を任命した。
しかし最初は大日向教授の夢を叶えるための方便に過ぎなかった学校教育再開だが、区民の期待の声と「入学試験問題とか作った方がいいですか?」という大日向教授のウキウキした質問を聞いている内に、思ったより大事になってきた事に気付く。
適当に子供を募って生徒として通ってもらうつもりだったが、予定を変更し、相談役達との合議の結果、政策に組み込んでしまう事にした。
つまり、東京魔法大学で豊穣魔法迂回詠唱を教える事にしたのである。
未来視の魔法を使ったところ、大日向教授を全国豊穣魔法伝授の旅に送り出すと途中で魔女同士の抗争に巻き込まれ命を落とす事が分かっている。
これは避けるのが非常に難しい。一度回避しても別の地域で巻き込まれるからだ。
その点、東京は吸血の魔法使いが残した政治的成果の名残で比較的治安が良いし、あの青の魔女が大日向教授の保護を宣言し睨みを利かせている。滅多な事はない。
大日向教授を東京魔法大学の教壇に立たせておき、各地から集めた生徒を送り込みまとめて講義してもらう。これが最も安全で、効率的だ。
まず、念入りな打ち合わせをして下準備を済ませてから情報部活版印刷科に「魔法大学開校、生徒募集」の広告を大量に刷らせ、優秀な一期生を集めた。
これまで、魔法はほぼ魔女と魔法使い、魔物の専売特許だった。
第一に詠唱の発音が難解で、発音不可能な音が混ざっている。つまり習得が難しく、そもそも習得不可能の場合すらある。
第二に大多数の人間は個人差こそあるが魔力が少ない。詠唱可能な発音の魔法の中で、最も魔力消費が少ない射撃魔法基幹呪文『撃て』ですら一回で魔力切れを起こし失神してしまう。
第三に自分の魔法を秘匿し詠唱文を広めたがらない魔女が多い。
魔法という新技術から切り離され不満を持っていた人々は、ようやくやってきた魔法習得チャンスに我先に飛びついた。
30人の定員に対し6000人超の応募があり、未来視の魔法使いはこれを試験によって厳しく選抜した。応募に年齢は問わなかったが、試験によって篩にかける。
まず、知能テストと説明力テストを行った。
魔法大学一期生には、短期間で豊穣魔法迂回詠唱を修得し、習得後は教える側に回ってもらわなければならない。
大日向教授が一人で豊穣魔法を教えていても、飢饉の解決に間に合わない。30人の教え子がそれぞれ30人に教え、合計930人が更にそれぞれ30人に教え……というネズミ算が必要だ。
一期生はネズミ算の最初の30人になるのだから、間違えず確実に素早く呪文を修得する知能があり、かつ教えるのも上手い説明能力or教育能力を兼ね備えていなければならない。
次に魔力量テスト。
豊穣魔法は原文も迂回詠唱も『撃て』と魔力消費量が大差ない低燃費魔法だが、今後教師役としての活動が期待される一期生が一度唱えただけで失神していては、手本を見せるのもままならない。
試験場には絶叫するビーバーのような詠唱が響き渡り、五回以上唱えても気絶しなかった者だけが残され、失神者は不合格となり試験場の外に搬送されていった。
最後は滑舌テストだ。
頭が良く、魔力量が十分でも、結局滑舌が悪ければ日本語からかけ離れた魔法語の難解な発音は難しい。
豊穣魔法迂回詠唱は人体の構造的には発音可能な詠唱だから、時間をかければ誰でも習得できる。だが、今回募集した一期生には将来の教師役として迅速確実に習得してもらわなければならない。滑舌が悪いのは大幅なマイナス点だ。
大日向教授考案の魔法語発音テストが行われ、最終的には30人の一期生が合格したが、滑舌に問題があるだけで落ちた受験生は二期生としての内定を受ける事となった。
一連の東京魔法大学一期生の募集と選抜、教育はスムーズに進んだ。邪魔になりそうな障害は未来視の魔法使いが事前に排除したのだから当然と言えば当然だ。
例えば「普通の人間が魔法を使うと魔物になる」という事実無根かつ信じる者が大量発生してしまう悪質な噂の発信源になる未来が視えた区民には、適当な罪をでっちあげ予め牢屋に入ってもらっている。
待ち受ける危険を全て予知できるほど未来視の魔法使いの魔力は潤沢ではないし、未来が視えたところでどうにもならないパターンは多々あるが、今回はどうにでもなるパターンだった。
全ては順調に進んでいる。順調に進めるための努力が実を結んでいる。
あとは教育を終えた一期生を全国の生存者コミュニティに教師役として送り届ければ、各地で勝手に豊穣魔法の使い手が増えていく。
食料問題はどこでも深刻だ。豊穣魔法の使い手は間違いなくどのコミュニティでも重宝されるだろう。
たった一つ、新魔法が開発されただけで、世界は塗り替わる。
魔法研究の可能性は底知れない。今までは魔法言語学ぐらいにしか投資をしてこなかったし、他の研究に投資する余裕も無かったが、食料問題が解決すれば一息ついて多少は余裕ができる。
新規研究者を募集し、せっかく作った東京魔法大学という枠組みの中身を充実させ、魔法研究の中心地として盛り立てていくのもアリかも知れない。いくら本人が望み、楽しんでいるとはいえ、いつまでも子供一人に大学教授役を任せるわけにはいかない事であるし。
魔法大学で生み出された研究成果や人材が、平和の礎になれば良い。
魔法という力がもっと民衆に広く広まれば良い。
そうして魔女や魔法使いという気分次第で動く個人の武力に依存せずともそこそこの平和を維持できるようになったら、今度こそ早期退職して、田舎で畑を耕すスローライフを送るのだ……
未来視の魔法使いは思い描く未来に微笑み、東京魔法大学のこれからに期待をかけた。





