107 一件落着
俺は氷に封入され海にプカプカ浮かぶティアマトの綺麗な死体をぽけーっと眺めていたが、屋上の魔術師隊はまだ戦闘態勢を解かなかった。
子供の喧嘩に鈍器を持った大人が殴り込んだが如き三つ巴はティアマト排除で終わっている。ゲイザーくんは倉庫街に突っ込んだまま起き上がってくる気配が無い。
しかし、どれだけ痛めつけられ弱っても甲1類は甲1類。魔法一発で数百人は殺戮できる。
奴らは賢いため、隙ができるまでじっと耐え忍び、油断した途端に牙を剥いたりする。死亡確認まで決して気を抜けない。
現場とは数キロの距離があるため、派手な動きが無いと何が起きているのか分からない。
マモノくんは魔術師隊と何やら交渉して望遠鏡を借り現場の状況を見ていたが、俺にはとても真似できない。
というか、魔術師隊の皆さんの「こいつ誰?」というチラ見が全身にザクザク突き刺さって居たたまれない。
青の魔女は戦略兵器だから到着を喜ばれた。
マモノくんも甲1類魔物出現に際しての有識者として、ここにいても違和感が無い。
でも俺は単なる一般通過伝説魔法杖職人だ。
魔術師隊は俺の顔も名前も知らないだろうし、たぶん「青の魔女が連れて来た人」としか認識されていない。
ヒヨリが言い含めてくれているようで、話しかけて来ないのが救いだが、深夜のコンビニでたった一人の客に店員が向けてくるようなさりげない無言の注目を感じて内臓がギュッとなる。
大怪獣バトルも最強魔女の活躍も観たし、もう帰りたい。一人で帰ろうかな? いや単独帰投なんてしたら絶対ヒヨリがキレるし……
俺がモジモジ身を縮め、気配を消して待っていると、十分近く経ってからヒヨリが宙を爆走して戻ってきた。ホッとして手を振ると、微笑んで小さく手を振り応えてくれる。
それからスッと笑みを消し、厳格で冷たい表情になり淡々とマモノくんに言った。
「ゲイザーは大人しい。治癒魔法で回復させたが、暴れ出す様子は無い。今は疲れて休んでいるようだ」
「よ、良かった。彼は無事なんですね」
「ああ。ただ、一つ問題がある。耳を貸せ」
そう言ってヒヨリとマモノくんはヒソヒソ話し始めた。
途中、マモノくんが分かりやすく蒼褪め体を固くしたが、話が進むにつれて緊張は解けていく。
やがて話はまとまったようで、二人は頷き合って離れた。
ヒヨリは様子を窺う魔術師隊に、堂々と告げた。
「ティアマトは殺した。ゲイザーは現在沈静化している。
ここにいるマモノくんは著名な魔物学者であり、知っている者も多いだろう。彼はゲイザーを手なづけており、あの甲1類魔物は人類の制御下に置かれていると私は判断する――――その一方で!」
甲1類魔物が制御下に置かれていると聞きざわつく魔術師隊に、ヒヨリは声を大きくして続けた。
「暴走の危険は否めない。今は大人しくとも、一度暴れ出せば大きな災いとなる。例えゲイザーに人を殺す意図は無くとも、殺してしまう事もある。
先程、私は幻の魔法使いの死体を確認した。倉庫街から撤収しようとしたところを、吹き飛んできたゲイザーに圧し潰され圧死したようだ。透明人間ではあるが、超越者証明書は検めたし、死体も触って確かめた。間違いない」
よく統率された魔術師隊は怒号こそ上げなかったが、明らかに反感が膨れ上がった。
そりゃそうだ。幻の魔法使いがどんな奴か知らないが、魔術師隊と協調して動いていたようだし、面識はあったのだろう。その死を聞いて穏やかではいられない。
ヒヨリとマモノくんはゲイザーくんの処分を決めたのだろうか?
俺としては別にそれでもいいのだが、真っ先に反発しそうなマモノくんは静かに事の成り行きを見守っている。
ヒヨリは、懐から空の小瓶を取り出し、掲げ、魔術師隊によく見えるようにした。
「既に噂を聞いている者もいるだろう。私はこの80年間、蘇生魔法を探求していた。そして蘇生魔法を見つけた。人類は死を超えたんだ。圧死した幻の魔法使いは蘇生できる。ゲイザーが出した死者1名は、ゼロにできる……静かにしろ。話はまだ終わっていない。
蘇生魔法には条件がある。魔法的死は覆せない、これはいいな? 大量の魔力消費、これも超越者ならば賄える。
最後の条件は一定以上の大きさの幽霊グレムリンを消費しなければならないという事だ。この小瓶には二つの幽霊グレムリンが入っている。透明だから見えないだろうが、大型だ。概ね甲類魔物からしか採れないと考えていい。幽霊系の魔物はグレムリン埋め込みができないし、養殖もできない。必然的に幽霊グレムリンも量産できない。自然発生する甲類魔物の中でも幽霊系のものからしか手に入らない極めて貴重な大型幽霊グレムリンが、蘇生魔法には必須なんだ。分かるな? 蘇生魔法は発見したが、連発できるものではないんだ。
そして。ゲイザーはこの制限を取り払うための鍵となり得る……マモノくん、詳しい説明を」
ヒヨリが一歩下がる代わりに、静観していたマモノくんが前に出た。
なんか面白そうな話になってきたな?
マモノくんは深呼吸して気持ちを落ち着かせ、話し出す。
「ご紹介に与りました、日本魔物学会副会長を務めさせて頂いております、マモノくんです。
私はゲイザーくんの飼育をしていました。彼との出会いは偶然によるものでしたが、グレムリン埋め込み無しで友好関係を築き、意思疎通を成立させ、人への攻撃を辞めさせる事に成功しています。
つまり甲1類魔物の制御に成功したのです。今回も、彼は我々人類の味方になる事を決意し、同格の魔物と決死の戦いを行ってくれました。その戦いぶりは御覧になられたでしょう。ゲイザーくんは人類の味方です。
ゲイザーくんには雌雄が存在し、繁殖方法の見当もついています。多くの大きな問題がありますが、理論上は甲1類魔物の繁殖、制御が可能です。他の魔獣と同じように、人類の親愛なる隣人として、彼や彼の一族を友として迎え入れ共に歩む事が可能であると、私は確信しています。
青の魔女様は、ゲイザーくん飼育制御の実績をもちまして、私が行う甲類幽霊魔物の飼育繁殖実験を支援すると約束して下さいました。彼の飼育によって得られた知見を、甲類幽霊魔物飼育に転用します。今はまだ計画段階ですが、計画と研究が進み、成果として結実すれば、大型幽霊グレムリンを量産できるでしょう。蘇生魔法を安定して行使できるようになるのです。
ゲイザーくんの助命は、甲1類魔物の知識に繋がります。その知識は、同じ甲類幽霊魔物の飼育繁殖に繋がり。甲類幽霊魔物の繁殖は蘇生魔法の安定化に繋がります」
友の命がかかった弁論を丁寧に語ったマモノくんは、最後に頭を深々と下げ、話を結んだ。
「甲1類魔物の脅威は皆様が最も深く御存知でしょう。しかし彼の潜在的な危険性の大きさは、そのまま人類を救う希望の大きさであると、私は確信しています。どうか、彼を助命して頂きたい」
魔術師隊はざわつくのが仕事のように再びざわついた。この人たち、さっきからざわついてばっかりだな? 音と気配を殺して息を潜めている俺を見習って欲しい。
ざわざわガヤガヤと話し合っていた魔術師隊だったが、年長の偉そうな人(ヒヨリと話していた人)が手を挙げ合図すると一瞬で静かになった。全員綺麗な姿勢で座りあるいは立ったまま微動だにしなくなる。
うーん。この統制、並じゃない。甲1類魔物のために出撃してきた部隊はやはり精鋭か。彼らに活躍の機会は無かったけど、怪獣バトルに参戦する防衛部隊って基本吹っ飛ばされて盛り上げる係というイメージあるし、活躍の機会が無くて良かったのだろう。命を大事に!
「これは国家及び防衛省の総意ではなく、この現場を預かる部隊長としての言葉なのですが。
充分な安全対策が成されるのであれば、今目の前の脅威を取り除くのではなく、将来の脅威に備えまた被害を抑えるための選択を行う事こそが、真の『防衛』であると考えます」
部隊長の慎重かつ大胆な意見表明を受け、ヒヨリは頷いた。
「上は大丈夫だろう。蘇生魔法の発見とその活用については水面下で関係各所に話を通しているところだ。蘇生魔法の発見を発表すればかなりの騒動が起きる事が予想される。その騒動に対処するのは、現場の君達だ。甲類魔物に対処するのも。その君達が良しとするなら問題あるまい」
「先程申し上げたのは、あくまでもこの場この時、現時点で得られている情報を元にした意見に過ぎません。甲1類魔物と、蘇生魔法に関わる国家いや世界の重大事を、私個人の言葉で左右する訳にはいきません。事実に意見書を添える形で上層部に報告を上げる、という形でよろしいでしょうか?」
「ああ、それで構わない。私からも話を通しておこう」
大筋の話はまとまった。マモノくんがへなへなと崩れ、机に手をつきなんとか立ちながらほーっと長い息を吐く。
「良かった。ああそうだ、今回青の魔女様に救援要請を行ったのは私なのですが、私もクラノム社に勤める弟からの急報で事態の真相を知りました。彼がいなければ、青の魔女様の出動は大きく遅れる事になったでしょう。
防衛省に向かった方の言葉はその信頼性に非常に大きな問題があるように思えますので、弟に防衛省へ出頭するよう言っておきます。ティアマトを扱っていたクラノム社の内情について、より公正な情報が分かるかと」
「弟さんが? そうですか、助かります。防衛省に連絡しておきます。ところでお疲れのところ大変申し訳ないのですが、もう少しお話をよろしいですか? 倉庫街で沈黙しているゲイザーの差し当たっての扱いについてなのですが――――」
マモノくんと部隊長が難しい話を始めたところで、ヒヨリは俺に手招きをする。
「帰るぞ。そろそろ胃が限界だろ」
「分かってる~! 帰ろうぜ」
俺が頷くと、行きと同じようにヒヨリは俺をひょいと担いだ。
が、俺は暴れてヒヨリから下りる。
ヒヨリは訝し気だが、そんな不思議がる事ではないだろ。
行きは急いでいたから仕方なかった。ヒヨリに担いでもらうのが一番速かったからな。
しかし帰りは別に急ぎではない。
俺は自己強化魔法をかけ、ヒヨリを横抱きにした。
俗にいう、お姫様抱っこである。
「!? お、おまっ、これ! わ、ワァ……!」
「お。やっぱこういうの好きか」
俺には何が良いのかサッパリ分からんが、湯気が上がりそうなぐらい顔を真っ赤にしてぎゅっとしがみついてくるのを見るに、大層お気に召した御様子。ありがとう少女漫画。勉強して良かった。
ではヒヨリ姫、帰路は任されよ。
俺は顎が外れそうなぐらい驚愕している魔術師部隊の視線から逃げるように、ヒヨリをしっかり抱え総合商社の屋上から飛び降りた。