105 マモノくんは僕が守る
よく勘違いされる事だが、マモノくんは魔物至上主義者では無い。
なにしろ自身が魔人であるし、親と弟は人間である。
マモノくんにはたくさんの人間の友人がいる。学会で研究発表をするし、他の学者と意見交換をする。漏らしそうなのに公衆トイレに列ができていれば蒼褪めるし、流行の映画を観に行ったりもする。
そういう一般人と同じ感性を持った上で、魔物が一番好きなのだ。
だからこそマモノくんは「マモノ野郎」と蔑まれたりはせず、親しみを込めて「マモノくん」と呼ばれているのである。
マモノくんの弟もまた魔物が好きだったが、自分のせいで弟の人生を歪めてしまった事は常々気にかかっていた。
弟は常にマモノくんと比較され生きざるを得なかった。弟はどれほど努力しても「兄との比較に負けずに頑張った」というレッテルを貼られ、感動エンターテイメントとして消費された。
「兄弟そろってすごいね!」という、兄の功績を前提とした誉め言葉になっていない誉め言葉がどれほど弟を傷付けたか!
兄と比較し苦しめ、苦しい努力を強いておきながら、苦しみを乗り越えると美談扱い。最悪だった。多くの人々は自らの暴力に無自覚で、自らにとって心地よい物しか見ようとしない。
しかし、世の中はそんな物である。
マモノくんに世の中を変える力は無い。
せめて手の届く範囲だけでもと考え、マモノくんは親や親戚に声をかけ、己も顧みて、弟にとって家が安らげる場所であれるよう腐心した。
安全な巣を持たず、ストレスを受ける魔物は早死にする。
マモノくんは弟が心配だった。
しかし弟は大変な努力家で、苦しみ悩み、時に立ち止まりながらも着実に歩みを進め、大学卒業後はマモノくんのようなフリーランスではなく安定した外資系大企業に就職を決めた。
弟は強い。マモノくんは安心した。
自由奔放に生きる自分より、プレッシャーに晒されながら立派な道を歩んでいる弟の方がずっと素晴らしい。
二度の婚活失敗で起きた問題を弟の仲裁で丸く収めてもらってからは、兄として情けなくなったぐらいだった。頼れる兄でいたつもりだったが、いつの間にか弟の方が頼れる存在になっていた。
マモノくんがその卵を手に入れたのは、婚約解消による傷心旅行をしていた時の事だった。
「魔物と私、どっちが大事なの?」という言葉に即答できなかったのは己の責である、とマモノくんは考える。恐らくそれが最後の一押しとなって婚約を解消されたというのに、傷心旅行でやる事は僻地の魔物調査だ。つくづく、マモノくんは魔物好きだった。
フィールドワークを中心に活動するマモノくんの優れた観察眼は、海岸に流れ着いた鯨の腐乱死体から卵を見つけ出した。白いブヨブヨとした卵は海鳥につつかれ今にも破れて内容物がこぼれ出そうになっていた。
口だけで呼吸しても臭いが分かるような腐乱臭に耐え卵を救出し、死体から採取した被膜で傷ついた卵の応急処置をしたマモノくんは、海鳥に群がられながらなんとか海岸から離脱した。
自宅に持ち帰った卵は、謎に満ちていた。サイズはサッカーボール大。不快な悪臭を放ち、ブヨブヨしていて、表面はじっとり濡れ生暖かかった。
鯨の死体に産み付けられた卵だろうか? それとも鯨の胎児が魔物へ変異したものだろうか? あるいは鯨に寄生していた生物の変異体だろうか?
魔物の変異に関してはまだまだ分かっていない事が多い。初めて見る卵に、マモノくんは大いに興味をそそられた。新種の魔物か。卵未発見の既知の魔物か。
マモノくんは警戒しつつ、慎重かつ大切に卵を扱った。
まず行ったのは、卵を地下で厳重に管理する事だ。
魔物の中には孵化直後に手近な大型生物の皮膚を食い破り体内に寄生するような者もいる。ブヨブヨの卵がその手の物であったとしても、被害を己一人に納めるよう、マモノくんは万全の警戒を敷いた。
その上で、卵が無事孵化するよう環境を整えた。
元々あった場所を再現するよう腐肉で覆ってやり、こまめに海水で表面を湿らせてやり、時々卵の位置を変えたりもした。地下室の採光窓の光が当たるようにして、温度や時間にも気を配った。
卵は二ヵ月で孵化し、元気な魔物が生まれた。
大きな眼球がそのまま体になった魔物はイビルアイ種の未確認種と思われる。
眼球の体からは七本の触手が生え、その触手の先端に小さな目玉をくっつけている。
マモノくんは魔物に「睨み屋」と名付け、新種の魔物とのハートフルな交流が始まった。
ゲイザーくんは卵から孵った鳥が初めて目にした動く物を親だと思うように、刷り込みによってマモノくんを親だと思ったようだった。ふよふよと宙に浮かぶゲイザーくんは、マモノくんに大変よく懐いた。
ゲイザーくんの好物は他の生物の目玉で、マモノくんの手から魚や昆虫、餌用に繁殖飼育している鼠魔物の目玉を喜んで食べた。
夜更かしして目を充血させた時に目薬を差してやると、大喜びして触手を絡ませしばらく離れようとせず、時には餌の目玉のおすそ分けをしてくれた。不気味な空飛ぶ巨大な目玉怪物は、マモノくんにとっては人懐っこい可愛い魔物だった。
マモノくんは、この愛らしい魔物の存在を誰にも伝えず、地下で秘密裡に育てた。
理由は二つ。
甲類魔物の特徴を持っていた事と、殺人の恐れがあった事だ。
ゲイザーくんは孵化直後から強大な魔力を示した。魔力計測器が無いため正確には分からないが、目算で3000Kを超えているように思われた。
生まれながらにして超越者に迫る魔力量。脅威度に換算すれば甲3類である。
しかも日に日に魔力量は右肩上がりに増えていき、成長曲線からの予測として、遠からず30,000Kを超えるだろうと考えられた。
加えて、ゲイザーくんは複数の魔法を操る。
まず常に浮遊しているので、重力か斥力、浮遊系の魔法を常時発動しているのは間違いない。
胴体であり頭部でもある体の巨大な眼球は、石化魔法を発動できた。ゲイザーくんの瞳孔はグレムリンになっており、鳴き声と共に発される強力な石化光線は生餌の鼠を容易く石像に変えた。
また、七本の触手の先端についている目玉はそれぞれ能力が違い、圧力光線、恐慌付与、透視、遠視の四種類の効果が確認できている。残り三本は不明である。
莫大な魔力。
複数の生得的魔法。
マモノくんとオセロ遊びができるほどの高い知能。
マモノくんは己が甲1類魔物を育てているという事実にすぐ気づいた。
地球に魔物と魔法がもたらされ90年近く。人類は、未だ甲1類魔物を手なづけた前例を持たない。
グレムリン埋め込みすら無しで、となれば驚天動地の奇跡と言っても過言ではない。
マモノくんのゲイザーは魔獣学の新境地となり得る貴重な存在だったが、同時に危険でもあった。
ゲイザーくんはたびたび地下室で居眠りするマモノくんの目玉を抉り取り、食べてしまった。何度も身振り手振りや泣き真似によって教え諭すとやらないようになったが、危険極まりない。
ゲイザーくんはマモノくんに対し明らかに特別優しく丁寧に接している。そんなマモノくんが相手でさえ目玉を喰らおうとする上、目玉を抉るために頭を抑えつけられる時には頭蓋骨が砕けるかと思った。懐いていない相手であれば、頭部を砕いてから目玉を引きずり出すのだろう。
ゲイザーくんを空腹にしてはいけない。簡単な言葉や絵を理解するため、人を襲わないよう、というお願いに頷いてはくれたが、腹を空かせればマモノくんの頼みは頭から消える。
彼は世に出せる魔物では無かった。
甲1類魔物の飼育はいかなる状況においても禁止されている。
甲2~3類ですら、煩雑な手続きを踏み、国の許可を個別に取り、念入りに点検を繰り返した専用設備を用意し、複数人の専門家による万全な体制を構築しなければならないのだ。人食い甲1類の個人飼育など到底許されない。
ゲイザーくんは幸い巨体になる種族ではなく、全長2m強で成長を止めた。
外の空気を欲しがりもしなかったので、暗い地下室で大人しく育った。
特に目玉の魔女の石像を与えてからは、熱心に石像に構うようになった。激しくじゃれつきたびたび壊してしまうため、予備の用意が欠かせないぐらいだ。
ゲイザーくんが目玉の魔女に興味を示したのは、偶然地下室に持ち込んだ新聞に、没後30年の目玉の魔女の肖像画が描かれていた事が切っ掛けだった。
新聞を見たゲイザーくんは特異な反応を示し興奮した。1つの主眼と7つの副眼を全て使って肖像を凝視するゲイザーくんのために、マモノくんは目玉の魔女の1/1スケール石像を作ってプレゼントした。
ゲイザーくんは大層感激したらしく、全ての目を使った熱烈な瞬きで好意と感謝を示してくれた。
マモノくんの推測によると、ゲイザーくんは目玉の魔女の同族だ。
食性が同じだし、能力が似通っているし、反応も特異的だ。
恐らく、オスとメスの関係なのだろう。
オスとメスで姿が違う生き物は魔物では珍しくない。フェニックスが代表例として有名であり、ケンタウロス・アマリとケンタウロスも同種の雌雄差なのではないかという学説がある。
推測が正しいなら、いずれゲイザーくんの嫁探しをしてやらなければなるまい。
目玉の魔女の空き枠として変異した魔女は未だ発見されていない。発見されているが秘匿されている可能性もある。
だが、ゲイザーくんも世界に一匹だけでは寂しいだろう。一生地下に閉じ込め暮らさせるわけにはいかない。いつか同族に引き合わせてやりたかった。
甲1類魔物は素晴らしい生き物であり、賢く、友好関係さえ築ければ友とすら呼べる。
しかしマモノくんが友と思っていても、世論はそう思わない。
存在を公表すれば、いくらゲイザーくんは無害ではないが制御可能だと主張したところで駆除されてしまうだろう。嫁探しなど夢のまた夢である。
地下室に秘密を隠しながら、表向きはいつものマモノくんとして過ごしているうちに、転機が訪れた。
多摩川で遭遇した変人、大利は高確率で伝説の魔法杖職人0933その人だった。
大利の護衛をしていた蜘蛛の魔女は、青の魔女と関係が深い。
その青の魔女は、ゾンビパニックによる0933死亡直後から蘇生魔法探求の旅に出ている。
青の魔女が一時帰郷ではなく二ヵ月も東京に留まっていて、職人的感性を持つ大利が青の魔女の領地青梅市沿いの多摩川にいる……これで関係性を疑うなという方が無理がある。
本人が口を滑らせた事もあり、マモノくんは大利が0933だとほとんど確信した。
青の魔女はグレムリン災害直後から生きる古魔女であり、その強烈な伝説的逸話は枚挙に暇がない。各国要人に太いパイプも持っている。
大利は好ましい性格をしていたし、満腹のゲイザーくんが相手であれば友好関係を築けるだろうという感触がある。
大利を通じて青の魔女に繋ぎを取れれば、成長し一人前の甲1類となったゲイザーくんの即刻処分を回避し、大手を振って日の下に出してやれる。
大利から感じる親愛を利用するようで申し訳なく思ったが、真摯に話せばきっと理解してもらえるだろうという打算もあった。
何しろ、大利は蜘蛛の魔女に微塵も恐怖心を抱いていないようだったから。マモノくんのように恐怖を受け入れ賛美するのではなく、そもそもハナから恐怖を持っていないとしか思えなかった。変人の呼び名高いマモノくんにとっても、大利は変人だ。
ところが、マモノくんの計画は立てた数日後に脆くも崩れ去った。
ある朝、地下室で嬉しそうにギィギィ鳴きながらバケツいっぱいの目玉スープを貪り食っていた可愛いゲイザーくんは、突然動きを止め壁の一点を睨み始めた。
触手の先端の二つの副眼が見開かれ、透視と遠視が発動しているのが分かる。
しばらくどこか遠方を睨んでいたゲイザーくんは、やがて眼を閉じ身震いする。
それから七本の触手を使い、訝しむマモノくんに愛情の籠った優しい抱擁をすると、身の毛もよだつ咆哮と共に地下室の天井を破壊し、一瞬にして逃走した。
マモノくんの全身から血の気が引き、卒倒しかける。
何が起きたか分からない。ゲイザーくんは何を視たというのだろう?
ゲイザーくんは賢い魔物だ。何か考えがあって逃げ出したに違いない。
しかしどんな理由があれど、市街地に甲1類が解き放たれたのはマズ過ぎる。
マモノくんは大慌てでゲイザーくんを追いかけ家を飛び出し。
そして、弟とばったり出会い、ゲイザーくんが逃げ出したのではなく、戦いに赴いたのだと知った。
世論は甲1類同士の激突なのだと思うだろう。二体まとめて殺そうとするだろう。
しかし違うのだ。
ゲイザーくんは人類の味方なのだ。少なくともマモノくんの味方だ。
事情を話すと、弟は絶句を超えて放心した後、頬を叩いて自分で意識を引き戻した。
頼れる弟、宮部邦秋はかつてマモノくんの婚約解消の際に起きた修羅場を颯爽と解決した時のような、頼もしい目でテキパキと言った。
「兄さんのツテが頼りだ。今すぐ0933の家に行こう。甲1類二体のうち一体だけを選んで倒して、もう一体の討伐作戦を取り下げさせるなんて青の魔女にしかできない」
混迷を極める事態だが、希望は見えた。
二人は河童ハウスの庭で涎を垂らし良い夢を見ていたらしい虎魔物を叩き起こし、急いで鞍をつけ、二人乗りして0933がいる奥多摩へ急いだ。