103 ゆうべはおたのしみでしたね
日が昇る頃、俺は気絶するように眠るヒヨリを起こさないようにベッドを離れ、ひとっ風呂浴びた。ラフな格好に着替えて土間に行き朝飯を適当に作り始めると、裏庭に繋がる勝手口から大あくびするモクタンが入ってきた。
「オーリ、おはよー」
「おお。おはよう。どっか出かけてたのか」
「フヨウのとこいた。きのーの夜、お家いちゃダメ言われてお泊りした」
「そ……あ、ああ」
平静を取り繕おうとしたが失敗して変な声がでた。
いや、一晩中変な声出してたのはヒヨリだけど。フヨウが気を利かせてくれて助かった。モクタンの存在が完全に頭からすっぽ抜けていた。危うく夜の大人のプロレスごっこを見せてしまうところだったぜ。
捌いた魚を三尾渡すと、モクタンは火を吹いてあっという間に焼き上げる。二尾を俺に返したモクタンは、残り一尾を黒焦げに変えて美味そうにジャリジャリ食べた。
朝食は焼き魚とご飯、漬物、お麩と小ネギの味噌汁、あとはヒヨリが好きだと言っていた甘めの味付けの出汁巻卵にした。
が、しばらく待っても起きてこない。寝室に様子を見に行くとぐっすり寝ていたので、起こさないように一人で食べた。
結局、ヒヨリが起き出したのは昼過ぎだった。
よろよろと寝室から出てきたヒヨリは風呂に直行し、長風呂の後、無詠唱魔法で器用に温風を出し髪を乾かしながら出てきた。
居間で新聞を広げる俺と目が合うと、顔を真っ赤にして床を見つめ、もじもじしながら言う。
「お、おはよう……」
「もう昼だが。朝食弁当箱に詰めてそこに置いてあるから。食うなら食ってくれ」
「ん」
ヒヨリは腰をさすりながら食卓についた。
ちょっとぼんやりしているヒヨリが弁当箱の蓋を開け、醤油を探したので、醤油瓶をとって渡してやる。その時に手と手が触れ、ヒヨリはびくりとした。
「なんだなんだ、どうした?」
「いや、だってお前昨日散々……いやいい。喋るな。何も言うな。お前の器用さが攻撃力に変わる状況もあるという単純な事を忘れていた私が悪い」
「…………?」
攻撃なんてした記憶は無い。保健体育の授業で習った事と、ネットで聞き齧った知識を総動員しながらヒヨリの反応を見つつ色々やっただけだ。本能を解き放ちもしたが、大切にしたはず。
しかしヒヨリが攻撃されたと言うなら、我知らず乱暴にしてしまったのかも知れない。次からは気をつけよう。
「ん、冷めていても美味いな。大利は良い嫁になる」
「俺が嫁かよ。あ、俺とヒヨリの間に生まれるかも知れない子供の話なんだけどさあ」
俺が新聞を畳みながら言うと、ヒヨリは口の中の物を吹き出しかけ、手で口元を押さえてむせ込んだ。湯呑にお茶を注いで渡してやると非難がましく睨みながら受け取り、一息ついてから文句をつけてくる。
「いきなりなんて話をするんだお前は!」
「は? 全然いきなりじゃねぇよ。むしろ遅いだろ。本当なら子供できるような事をする前に話すべきだぞ、これは」
「ま、まあ。それはそうなのか……?」
ヒヨリはまたもや顔を赤らめ、言葉を出す代わりに箸で焼き魚をつついた。
何をモジモジしてるんだお前は。大事な話だろうが。
「まず第一に。俺は死んでる時間を除けば30年ぐらい生きて来たわけだけど、今までの経験から言うとあと30年は間違いなくヒヨリを一番に愛し抜ける。世界全てを敵に回しても、魔法杖職人を辞める事になってもだ。これは揺るぎない事実だと思ってくれ」
「は、はい」
「30年以上の年月については経験した事が無いから保証できない。ごめんな。
んでここからが問題なんだけど、これから長い時間を一緒に過ごす内に俺とヒヨリの間に子供が生まれたとしてだ。その子供を愛してやる自信が俺には無い。分からん。子供なんて想像もできない。ヒヨリを一番大切にするだけで精一杯なんだよ。それは理解して欲しい」
「ああ」
「確実に子供が欲しいなら、ヒヨリの同族の男を探すのが一番だ。一人いたんだから、もう一人二人いたっておかしくない。が、これは俺のワガママなんだけど、頼むからやめてくれ。ヒヨリが他の男を俺より好きになっても、俺はヒヨリが一番好きだけど、それはそれとして頭おかしくなる」
「安心しろ。浮気はしない」
ヒヨリは力強く断言した。
そっか。良かった。
でも、今の俺とヒヨリぐらいの関係になったはずなのに婚約破棄とかいう超常現象に襲われた実例を二人も知ってる。油断は禁物だ。災害はいつだって突然やってくる。
未来視の魔法使いの現役時代は突然のはずの災害が突然じゃなくなった場合もあったが、それはそれとして。
「考えたんだけど、一番の理想論で言えば俺がヒヨリの同族になるのが一番良いんだよな。色々問題解決するし。そのへんどうなんだ? 後天的に……というか、グレムリン災害直後は何ともなかった人間が時間が経ってから超越者になる可能性とかあったりする?」
俺が生きた時代はグレムリン災害からの七年間で、蒸気船で世界が結ばれ始めたばかりだった。当時はデータ不足で分からなかったアレコレも、現代では分かっているだろう。
期待通り、俺の疑問にヒヨリはスラスラと答えてくれた。
結論としては、俺は超越者になれない。
一つは超越者の素質である静電気体質が後天的に発現した前例が無いから。
もう一つは超越者には規定枠があるからだ。
超越者には定員がある。この定員は無名叙事詩の登場人物に対応しているとされ、人口分布などから超越者の定員は400~500名であるというのが通説だ。
超越者である事を隠している者もいるし、僻地で隠遁生活をしている者もいるし、国家の切り札として秘匿されている者もいるので、定員の正確な数は分かっていない。
前時代の最盛期に地球人口は80億人だった。超越者は変異に耐えられず死んだ者も含めれば50万人に1人だから、単純計算で超越者は16000人いないとおかしい。
しかし、そうはならなかった。
まずグレムリン災害直後、約450名の超越者が誕生。
突然目覚めた力を使いこなせない超越者は魔法を暴走させたり魔物に殺されたりして比較的簡単に死んだ。無理もない。ヒヨリですら、覚醒直後はおぼつかなかったらしい。
災害後、魔物がみるみる増え、人口密集地では特に食料不足や火災、疫病、暴動などにより一気に人口が減る。たちまちの内に世界人口は2億を切り(推計)、そこから生まれる超越者も限られたものになった。
超越者が死亡すると、死亡者の枠が空く。死体の魔力喪失が一定段階まで進んだり、損壊が激しくなり蘇生魔法をかけられなくなったりした時点で、その空き枠を埋めるように新たな超越者が誕生する。
だから、実のところグレムリン災害直後の超越者誕生には数日~十数日程度のタイムラグがあった。年月が経ち世界各地のデータが集まる事によってはじめて判明した事だ。
超越者の死亡→空き枠発生→同枠に超越者が変異、という流れは断続的に起きている。例えばかつて東京魔女集会に所属していた荒川の魔法使いは、20年ほど前に死亡し、それから間もなく種族と習得魔法が全く同じ魔法使いがアメリカに生まれている。
近年空き枠に滑り込む形で生まれる超越者は、大抵静電気体質の赤ん坊だ。子供や成人の静電気体質の人は既に超越者に変異している。
だから大利賢師が超越者になる事は無い、と断言して良い。そもそも空き枠が埋まっているし、新しく枠が空いても静電気体質の赤ん坊がその枠に収まる。俺の出る幕はないのだ。
「変異によって死んだ死体は奇形化して蘇生を受け付けない。大利はそのままでいてくれ」
「え、こわ」
淡々と語り締めくくったヒヨリの話に背筋が冷える。
じゃあヒヨリとお揃い種族になるのは無理か。残念だが流石に仕方ない。
俺達は一日いっぱいを話し合いに費やし、しばらくは関係性を色々様子見していこうという事に決めた。俺も昨夜のアレでかなり気が急いてしまったが、まだ交際を始めて二ヵ月。将来の計画を全て決めてしまうには早すぎる。
俺に言わせればしばらく様子見。
ヒヨリに言わせればしばらく二人でゆっくり、という話だ。
俺達の人生はまだまだ長い。急ぐ必要はどこにもない。昨日一日で進め過ぎたぐらいだ。
目下の重要課題としてルーシ王国のクォデネンツの件は引っかかるが、それだって今すぐ解決しなければならない問題でも無い。
ゆっくり行こう。