100 マモノくん
マモノくんは蜘蛛の魔女に奥多摩生態調査を丁重に断られると、残念そうにしながらも引き下がった。それからタオルで濡れた体を拭き、ラフな長ズボンとTシャツに着替える。たちまちの内に、ただの河童妖怪から現代に溶け込もうとしてしくじった河童妖怪に変身した。
水着の上から服を着る最中も頑なに河童の被り物を脱がなかったので、好奇心に駆られて聞いてみる。
「その被り物は脱がないんですか?」
「脱がないですねぇ。体の一部なので」
「体の一部なんですか!? じゃあ魔法使い? 河童の魔人?」
「河童を御存知なのですか? 珍しい。私は確かに魔人ですが……何か誤解があるようですね。夢を壊して大変申し訳ないのですが、私は河童ではありません。河童の事は好きですが、残念ながら河童の実在は確認できていないんですよ。体の一部というのは物の例えであって、これは被り物です。素顔は普通の人間ですよ」
「なんだ。河童じゃないのか……」
「いえ私はマモノくんであり、素顔なんて無いですけどね?」
マモノくんは礼儀正しく説明しながら矛盾した事を言う。
要するに遊園地の着ぐるみマンみたいなものか。中の人などいない。了解です。
「超越者の子供って異形になるイメージありましたけど、マモノくんは普通なんですね」
マモノくんは頭部が完全に河童だが、首から下は人間だ。
その頭部も被り物であって素顔は普通だというのなら、本来の見た目は全身ノーマル人間という事になる。
いや本人の言う通りマモノくんはマモノくんであって「本来の見た目」なんて存在しないんだろうけどね?
花の魔女の子や、継火とヒヨリの子はバリバリの異形だ。なんとなく魔人はみんな人ならざる者のイメージがあったが、別にそうとは限らないらしい。
マモノくんの被り物は非常に精度が高く作り込まれ肌にフィットしているため、俺の言葉に河童が不思議に思ったらしいのが表情から簡単に読み取れた。なんなら人間より読み取りやすい。
「もしやと思いますが、お兄さんは魔人とは何か御存知無い?」
「超越者の子供ですよね? あ、いやなんか別の定義を聞いたような気も」
「昔と今では定義が違います。50年ほど前まではお兄さんの定義で合っていたらしいんですけどね。僭越ながら説明させて下さい。トラブルの原因にもなりかねないですし」
そういって、マモノくんは「魔人とは何か?」を丁寧に教えてくれた。
魔人とは「魔力コントロールができて、生まれつきグレムリンを持っていて、人間の血統の流れを汲む者」であり、大きく二種類に分けられる。
一つは超越者の子供だ。
花の魔女が自家受粉で産んだフヨウは生まれつきグレムリンを持つ(花びらスカートの中に隠れている)。火蜥蜴も幼体時代はお腹に、成体になってからは胸元にグレムリンを持つ。
魔力コントロールができるし、親の超越者は元々人間。
だから超越者の子供は人間の血統であり、魔人である。
もう一つは魔獣使いの子供だ。
グレムリン埋め込みを行った者の子供は、生まれながらにしてグレムリンを持っている可能性がある。
こっちの由来により生まれつきグレムリンを持ち、魔力コントロールができている者も、紛れもなく人間の血統なので、魔人である。
マモノくんは親が二人とも北海道の魔獣使いで、グレムリンを埋め込んでいたため、魔人として生まれた。
ただし親がグレムリンを埋め込んでいれば必ず魔人として生まれるわけではない。年々出生率は上がっているものの、大変な低確率だ。魔人の総人口は多くない。
「低確率ってどんなもん? 確率低くてもグレムリン災害から90年ぐらいじゃないですか。世代交代で普通の人間がけっこう魔人に入れ替わってるんじゃ」
「あ、興味あります? ちょっと話難しくなりますけど、専門的な話も是非。いやあ、こういう話に興味を持ってもらえて嬉しいですよ」
俺が挙手して質問すると、マモノくんはウキウキと突っ込んだ話をしてくれた。
河原に座って聴講しようとしたら蜘蛛さんが黙って前脚を貸してくれたので、脚の上に座らせてもらう。
各国の長年の調査により魔人出生の法則は特定されている。
まず、大原則として最低でも両親のどちらか一方がグレムリンを埋め込んでいる必要がある。そしてグレムリン埋め込み期間が長いほど、魔人の出生率は高くなる。
片親がグレムリン埋め込み1年で、子供が魔人として生まれる確率0.01%。
両親ともにグレムリン埋め込み20年なら、0.4%だ。
魔人は低確率でしか生まれないが、魔人の子は高確率で魔人になる。
母親だけが生まれながらのグレムリン持ちだった場合、子供には90%の確率で遺伝。
父親だけなら5%。
両親共に生まれながらのグレムリン持ちなら100%遺伝する。
「へー。ほぼ母親依存なんだ。ミトコンドリアっぽいなぁ」
「!? お兄さん、古典生物学にお詳しいですね。もしやどこかの大学で教鞭をとっていらっしゃいます? 前時代生物学専攻だとか?」
「マモノくんさん、彼は青の魔女の身内だから。色々あるんだよ……」
俺の何気ない呟きにマモノくんが食い付いてきて一瞬焦ったが、蜘蛛の魔女がフォローしてくれて事なきを得る。
やべ。80年前とは知識の基準がかなり変わっているようだ。
グレムリン災害前では高校生レベルの生物学知識が、今では大学レベル。まいっちゃうね。
相対的に賢くなったようだが、逆に現代では当然の知識(魔人とか)についてよく知らないから、差し引きトントンってところか。
俺はマモノくんの話からミトコンドリアの遺伝を連想したが、本当にそういう学説があるらしい。
ザックリいうと、人間は元々ロースペックのクソザコ細胞しか持たない雑魚だった。
ところが、進化の過程で原始生命と融合合体。ハイスペック細胞を持つ強い人間になった。
これと似た生物としての進化とでも呼ぶべき事件が、今まさに起きている。
グレムリンとは、ある種の生物である。
電気を食って育ち、胞子のようなものを撒いて広がり繁殖する。
かつてミトコンドリアと融合合体し生物としての性能を向上させたように、魔人はグレムリンと融合合体し生物としての性能を向上させた存在だと言える。
超越者の子の魔人は生殖能力を持たないが、グレムリン埋め込み由来の魔人は生殖能力を持つから、いずれ人間は魔人と世代交代による入れ替わりが進んでいき、絶滅するだろうと言われている。
現在の魔人総人口は二万人前後。
しかし増加ペースはゆるやかに加速している。
魔人は超越者ほどではないが魔力が多いし、魔力コントロールができる。発音不可音は発声できないものの、旧型人類の上位互換といって良い。
日本を含むほとんどの国では、多かれ少なかれ魔人優遇政策が執られている。
魔人同士の結婚に対する補助金、奨励だとか。
魔人の出産・子育て支援だとか。
精子ドナー制度をやっている国もある。
国が国なら貴族階級だ。
という事は、マモノくんも国が国なら貴族階級!?
河童の被り物して川で怪魚と格闘しているヤバい人なのに?
いやこうして講義を聞いてる感じ、本当に頭が良い知識人だなとは思うけど。
河童の被り物を外さない知識人とは一体。河童スタイルがノイズ過ぎる。
「魔人の婚姻優遇があるって事は、マモノくんも結婚していらっしゃる?」
「ああ……そういう話もあったんですがね。一度目は浮気で。二度目は婚約まで行ったんですが、向こうから婚約解消を突きつけられてしまいましてね。まあこんな格好をしていますし無理も無いと思いますが。独身ですよ」
なんかすごく聞き覚えのある恋愛遍歴だな……?
じゃあこの話題はノータッチ安定か。
別の話に行こう。
「話変わるんですけど、その河童の被り物ってどこで手に入れました? さぞや名のある職人による作とお見受けしますが」
「あ、自作ですね」
「自作!? マ、マモノくんさんッ!」
豊富な生物知識。
体を張ったフィールドワークをする情熱。
凄まじい作り込みの被り物を自作する職人としての腕前。
敬意を払うに値する男だ。これは「さん」付けでお呼びしなければなるまい。
「ちょっと被り物見せてもらっていいですか? いやちょっとどころじゃないぐらい見せてもらっていいです? 見ますね。ほう。ほうほうほう。裏側まで作り込みが……うおっ、凄い質感だ! 堅そうな鱗なのにしっとり湿って触るとプニッてしてる! それでいて一枚一枚の鱗に芯が入ってる。見た目じゃ分からないこんなところまで……! えっ、これクチバシの鼻の孔の構造までちゃんとやってません? 単純に穿孔しただけじゃない。分かる、分かりますよこれ、もし本当に河童が嗅覚を持っているとしたら鼻の穴の形状はこうなのではないか、という理論に基づいていますね? 縫製の甘さを補って余りあるこのクオリティ。ただのコスプレではない、この被り物には『生物感』があるッ! まるで本当に生きてるみたいだ!」
夢中でスーパーハイクオリティ河童マスクに詰め込まれた知識や工夫、職人芸の数々を調べ、調べ尽くした後になってハッと我に返る。
そして蒼褪めた。
や、やべぇ。
もしかしてまたやった?
不躾に人を調べるのは不愉快な事なのだと、ヒヨリのマッサージ事件を通して学んだはずなのに。
「あ、その、マモノくんさん、すみませんいきなりこんなベタベタと。大変失礼しました……」
「いえいえ。河童の良さを分かって下さって嬉しいですよ。いや本当に。そもそも『河童』を知っている方が珍しいですからね」
かなり失礼な事をしたはずなのに、マモノくんさんは河童のクチバシをパカパカして笑い、鷹揚に許してくれた。マモノくんさんッ! 懐がでけぇや。
「いや、本当に凄いです。一体何食べたらこんなマスク作れるんですか? 技術というか、こう、発想がすごい。架空の生き物の構造をここまで突き詰めて考える事ができるのはもう異次元の超天才としか」
「お兄さん、目の付け所が鋭いですねぇ。実はですね、元々私自身の発想ではないんです。自然界の魔物たちが持つ体の構造をよく観察し、調べ、仕組みを理解し。それを調和させ取り入れているに過ぎません。
魔物は常に、理解しようとする者にだけ自然と魔法の叡智を授けてくれる。かくも素晴らしい生き物たちなのです……!」
拳を掲げるマモノくんさんの力説に、俺は熱狂した。
「うおおおお、カッケェ! 自然に学ぶ! なるほどなあ。確かに竜炉彫多層構造も天然のグレムリン由来技術だし。ハニカム構造は蜂由来、サメ肌水着なんて物もありますもんね。自然の技術を職工に活かすのは今に始まった事じゃないのか」
「おお……! お兄さん本当にお詳しいですねぇ! どうです? お暇ならこの後ウチに来ませんか? ウチでは色々魔物を飼っていまして、興味深い標本も揃えているんですよ。魔物が作り出す自然の芸術をお見せしますよ」
「いくいく、行きます! めっちゃ面白そうだ!」
マモノくんさんが嬉しいお誘いをしてくれ、喜んで頷く。
しかしそのままホイホイ着いて行こうとすると、蜘蛛の魔女に袖を引っ張って止められた。
「ねぇ。デートの下見は……?」
「あ」
完全に職人モードになっていた頭の中に本来の目的が戻ってくる。
俺の頭の中の天使が、入間に馬乗りになってボコボコにしながら「マモノくんさんにはお待ち頂け。デート優先だ」と囁く。
ほなデート優先か。
マモノくんさんは良い人だけど、マモノくんさんのお宅にお邪魔してもワクワクするだけで、ドキドキはしないしな。
俺はマモノくんさんに住所を聞き、後日お宅にお邪魔する約束をして、名残惜しくもいったんお別れをした。
初見では得体の知れない変人に思えたマモノくんさんも、話してみると得体の知れる変人だった。
話も合うし、もしかしたら、本当にもしかしたら、80歳ぐらい年下の友達ができるかも知れないな。





