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3.

 ロリス伯爵様がご帰還なされた。

 義母様とマードック、そして私。漸く揃ってご挨拶出来たのだ。感慨深い。


「しばらく振りだなマードック。肉は付いていないが身体が大きくなったな。息災だったか?」

「はい、父上。父上もご無事で何よりです」

「お帰りなさいませ伯爵様。ご無事のご帰還お待ちしておりました」


 マードックと二人頭を下げ挨拶をする。

 義母様は伯爵と再会の長いハグをしていた。仲の良いご夫婦だ。いつかこんな関係になれたらと思っていた。二人で一つ…そんな夫婦に。だがそれは存外難く、きっと…私には一生手に入らないのかも知れない。

 欲しいと思っていたものは他人に対する唯の希望や欲望で構成されていた感情の塊なのだと…早々に気付いて良かったと思う。それなら…まだ…何とかなる。


「苦労を掛けたねセレーニア嬢。君が居なかったらロリス家は立ち行かなかったよ。感謝する」

「お役に立てたなら僥倖です、伯爵様」

「結婚式に間に合って良かった。二人で色々準備もあるだろう?中々連絡をよこさなかった愚息だが宜しく頼む」

「ええ…望まれるならば」

「……」


 一瞬シンと空気が冷えたが伯爵には気付かれなかったようだ。

 いかんな…つい迂闊な事を口走りそうになってしまった。宴会の準備に回ろう。七日後に討伐に向かう為の最終準備も終えなければ。今回は大森林の中でも滝周辺の比較的近場に限定している為、滞在は三日間の予定だ。余計な感情に振り回されている時間は無い。だが一応あの事を伯爵様にもご報告はしておくべきだとは思っている。


「父上は白髪が増えたね…」


 そうマードックがポツリと呟く。


「我々が大人になったのだ…皆変わって行くさ」

「そう?君は変わらないよ」

「失礼な。これでも尻はかなり大きくなったんだぞ?身長だって…少しは伸びてる。髪も伸ばしたし…」

「うん、綺麗になった。勿論前も可愛いかったよ」

「アルバード氏より綺麗か?」

「比べる基準が分からない」

「ならもっと格好良くならねばな」

「十分だよ」

「ふふ…」


 こんなたわいも無い会話でも私の胸は痛んだ。


 大学校に在籍していた間、マードックは執拗な虐めやその容姿に執着され被害を受けていたらしい。手紙は隠され盗まれ、私物までも盗難に遭い、教室では誹謗中傷を投げ掛けられたりと…だがある日その現場をルームメイトのアルバードに助けて貰った事から徐々に仲が深まったとか。結局卒業までアルバードの庇護を受け今に至る。

 しかも手紙を隠していたのは寮長だと言うのだから目も当てられない。


 こつこつ日々を綴った手紙を書き続けた私の五年間を返して欲しいくらいだ。


「何度か襲われそうになったんだけどアルバードに助けて貰って…」

「そんな事が……私が女でなければ良かった。そうすれば大学校に行けたし貴方を護るのは私だったのにな。アルバード氏が少し羨ましい…いや不謹慎だな、すまないマードック」

「ふふ…それは確かに情け無いね」

「人には得て不得てがある。…君達はお互いを支え合って来たんだな」

「…そうだね」


 話を聞いたその時はそう言うしかなかった。そんな状況だとは知らず情けない事に私は手紙を送り続ける事しか出来なかったのだから…胸がズキズキと痛む。例えどんなに想っていても遠くにいるだけの私に勝ち目は無いのだと思い知らされた。


「私に…いや、何でも無い。遠征に行っていた隊員達に労いの声を掛けに行こう」

「ああ、うん」


 私に…二人の間に入り込む資格はないのかも知れない。そう言い掛けた。


 後一月…か。


 **


「うむ、よしよし綺麗になったなレットイットビー、長い間お疲れ様」


 翌日、遠征からタートルドンドン農場に戻って来ていた彼の汚れた甲羅を硬いブラシでゴシゴシ擦って魔術を使って水を掛けてやる。亀なので鳴きはしないが口をカチカチ鳴らすのが機嫌の良い合図だ。この子は大森林から持ち帰った卵で、初めて育てあげた第一期の雄。足が一番長くて太く、甲羅は縦長で頑丈だ。好物は勿論洋梨カラメルプリンだ。バケツ一杯はあっという間に食べてしまう。

 他のタートルドンドン達も其々体を洗って貰っている。農場の一角に溜め池を作り水に慣れさせていた為か、陸亀だが水にも入れるので湿地などを移動するのも重宝していた。


「…なあ、レットイットビー。私が居なくなっても皆んな大丈夫かな?」


 何気無く口を付いた言葉。


 だが彼は聞き逃さずいつもは半開きの漆黒の目が私に向けられまん丸だ。その内私の頭を甘噛みして来る。更に彼の口の中に半分程スッポリ入れられた。


「ううん…なんだ怒ってるのか?もしもだよもしも」


 ははっと笑いながら硬い甲羅をパンパンと叩く。全く、いつまでも親離れ出来ないでいるんだから…などと思っていたら


「セレーニア!!」


 と慌てるマードックの声が背後から聞こえ、レットイットビーの口をガシッと掴みこじ開けて引き離した。


「無事かセレーニア!」


 マードックがガバッと私を引き寄せヒョイッと抱っこしてそのまま走り出す。

 キョトンとした顔で佇むレットイットビーから距離が離れて行く。彼に声が聞こえないだろう辺りまで来ると更にポカンとしている私にマードックがキッと睨んだ。


「いくら何でも魔獣の口の中に入るのは危険だ!ふざけて口を閉じたりしたら頭であろうと簡単に潰されるぞ!」

「す…すまない」

「はぁ、全く君は変わってないな。そう言うところが危なっかしくて怖いんだよ」

「……心配かけた。以後気を付ける」


 久々にマードックに叱られシュンと落ち込む私の肩を抱っこしたままギュッと掴みふぅっと息を吐く彼。

 彼は怒ると口調が変わる。普段柔らかい口調がギガント級になる。そうだ。昔私はよくマードックに叱られていたのだ。いつも私がやり過ぎてそれを諌めるのが彼だった。父や兄に叱られるよりよっぽど怖かった。でも彼が叱るのは必ず私の身に危険がある時だ。それがとても嬉しかったのだ。怒った後はいつも優しく頭を撫でてくれたし…だが今回は違った。


「君だけ洋梨カラメルプリンのデザートは今後禁止にするから」

「え!そ、それは嫌だぞ!き、気を付けるからっ」


 皆んな大好き洋梨カラメルプリンが私だけ食べられないなんて!あのジャリジャリした食感が最高のデザート洋梨カラメルプリンをもう味わえないなんて!


 ちょっと涙目になりながら私はマードックに謝り続ける。


「ごめんなさいマードック…許してくれ」

「ダメだ」

「頼むよマードック」

「死んでからじゃ食べられないんだ」

「そんな事言わないでくれっもうしないからっ」


 抱っこされたまま足をパタパタさせてみてもマードックは許してくれない。彼は怒ると頑固なんだ。五年も離れていたのに扱いも子供の時のまま…きっと私の事を成長しない女だと思っているに違いない。しかも男色になってしまったのなら、やり方は知らないが私がお色気タップリにねだっても駄目だろう。彼にとって私は…手の掛かる妹の様な感じだろうか?

 なら妹が兄にお願いを聞いて貰うには…


「許して、お願い…ね?」


 そう言って彼の首に両腕を回しキュッと抱き付いた。私の実兄は大体これで文句を言いながらも許してくれたんだが…やはり駄目かな…ああ~洋梨カラメルプリン~っ


「……」

「マードック?」

「…はぁぁ~~…」

「?」

「分かった。二度は無いよ」

「やった!ありがとうマードック!」


 彼の腕の中からぴょいっと飛び降りて、再びレットイットビーの所まで走って行く。対兄用のおねだり作戦大成功だ!何でもやってみるものだな!


 **


「……」

「どした?固まって?」


 ザッザッと靴音を鳴らしながらアルバードが近づいて来た。彼はすっかり此処の暮らしに慣れ親しんでいる様だ。大学校に居る時より断然顔の表情が良くなっている。


「…いや、なんでも無い」

「しかしお前の婚約者は可笑しな奴だな。まあ、でもつまんねーよりずっと良い。気に入ったよ」

「…そう」

「お前が要らないんだったら、俺が引き受けても良いぞ?何てったってギルナイン総統と縁続きになれるしな。俺なら婿入りも問題無いし…」

「……確かにセレーニアはロリス家には勿体無い子だ。いや、僕に、かな?でもねアルバード。多分君でも無理だ」

「あれ?俺の魅力疑っちゃうのか?」

「そう言うんじゃないよ…彼女がギルナインである事が問題なんだ」

「は?今更?」


 そう、今更だ。だが僕はずっと()()に悩まされて来た。


 でも…彼女が僕に抱き付いて来た時の


「やっぱり…諦めるのは難しいな…」


 胸の高まりが手放したく無いと言っている。


**


 討伐当日。

 総勢五十人。今回は伯爵は参加せず第二部隊と第三部隊のみで行う。その他の部隊は連絡の付く伯爵領内で待機となる。


 私も久々に甲冑を着込み、肩からソードベルトを通し背中に剣を鞘ごと通す。脇下に札結界、更に腿を覆うクウィスには数本のナイフ、信号弾などを取り付ける。幾ら魔術が使えるとは言え、長時間保つのは難しい。魔力切れを起こした際身を護れる装備は必要だ。


「用意は良いか、マードック」

「…相変わらず凛々しいね」

「そうか?皆同じだぞ?どうせ泥々で汗だくのぐちゃぐちゃになるしな、お陰で洋梨カラメルプリンを幾ら食べても太らない。ふふっ」

「……」

「さあ、行こうか」


 私達は各自のタートルドンドンに騎乗し隊列を組んで大森林へと向かった。途中で数十匹の魔獣蜥蜴を討伐しながら徐々に森林の奥に分入る。

 二日目。確かに数は多いがどちらかと言うと大規模な巣がある様には感じない。だがこの違和感…

 何度か大森林でサバイバルをしたからか何かが違う気がした。その時ふと嗅いだ事の無い臭いが甘い臭いが鼻腔を掠める。

 大森林は特殊な場所だ。森林の中には滝があり流れ落ちた先に膨大な水を湛えた小さな湖がある。そして美しく澄んだその底に魔力溜まりが出来ているのだ。このお陰でこの森では魔獣が生まれ力の強い獣が森の外に出て来てしまう。スタンピードの原因にもなる為数年に一度この魔力溜まりを覆う結界を高位の魔術師達が掛けるのだが…


「ぬ…全隊止まれ!」

「…これは…っ」


 足元に喰い散らかされた魔獣の鹿が数匹転がっている。集団で襲われたのだ。よく見ると歯形の残る箇所、一口の大きさが異様に大きい事が分かる。


「大型種がいるな…皆気を引き締めろ」


 蜥蜴の歯形では無い。魔力溜まりに正常に結界が張られていれば魔獣の大きさは通常の動物と変わらない筈で、最大はタイガーの大きさ程だ。だがこの歯形からはそれ以上…


 嫌な予感がする。


「総員厳戒態勢に入れ。これより決してタートルドンドンから下乗してはならない。抜剣及び騎射は前へ」


 私も自身の剣を鞘からスラッと抜いた。剣身は紅く血の様にぬらりと鈍く光る。魔術陣が施されたこれは私に祖父が下げ渡してくれたギルナイン家の両刃の半湾刀宝魔剣だ。本来受け継ぐ筈の従兄は予期せぬ大事故で片足を失い騎士を辞めた。今は結婚して公爵家の内政のみをしている。

 問題はこの魔剣、かなり魔力を選り好みするのだ。縁者、兄や父が持つと手が弾かれ私だけが手にする事が出来た。


「名」はバルキリアンノトゥス。ギルナイン家の祖先が魔導を駆使し魔術陣を刻み込んで造り上げた最古で最強の魔剣。


 私はそれを受け継ぐ事になったのだ。


「滝の辺り陰影から臭いがしていないか?風に混じって甘い様な腐った様な…あそこに何かある様だ。先遣者を出す。二名組四名は対象を確認し帰還せよ」


 タートルドンドンに乗った四名が左右にバラけて走り出す。我々はその様子を見守っていた。滝に到着した隊員達が焦った様に踵を返し、タートルドンドンで戻ろうとした時、滝壺の中から黒い陰影がドバッァと水飛沫を上げ飛び出した。


「!! 加速!急げ!」


 私はバルキリアンノトゥスに魔力を込め魔術陣を起動し構える。逃げる隊員が横をすり抜けると同時に追って来る黒いボコボコした羊歯(しだ)の様な形の太い蔦に向かい大振りに薙ぎ払った。スパッと空を切る音と幾つものパシャッと液体が弾ける音。数本の蔦の先がビタンッと地に落ちピクピクとうねっている。切られた黒い蔦は跳ね上がる様に滝壺へ戻って行った。


「…何だあれは…植物?いや…動いているな。これは体液か?」


 剣先に切り取った蔦をブスリと刺して観察していると、マードックがやって来てこう言った。


「…うちの指揮官殿は格好良過ぎるね」

「惚れたか?ところでこれどう思う?」


 魔剣の先にある蔦。もう動かなくなったが粘りがあり体液も認められる。やはり生き物か。


「これは…触手じゃないかな…」

「触手?なんだってそんなものが…先遣者、報告を」


 滝壺まで到達した先遣者四名の話を統合すると

 滝壺の中に巨大な陰影。魔力溜まりの結界は目視出来たがそれを羊歯状の黒い物が包んでいた。こちらに気が付いたのか突然羊歯が動き出し数本の蔦状の物が襲い掛かって来たので帰還した。との事。


「…私が切った蔦…いや、触手か。これはまるで生き物の様に動いていた。つまり生物だと断定出来る。まさかとは思うが魔力溜まりの魔力を吸収している可能性もあるな。これは第一級危険討伐対象だ。討伐出来ても余波が何かしら起こるかも知れん。伝令を出す。事前に信号弾を打つ。早急に伯爵に伝えてくれ。領内に影響が出る可能性有り。防御対策要。それから…マードック」

「うん」

「貴方は戻れ」

「! …それは出来ない」

「いや、相手は未知の生物。何が起こるか分からない。アルバード貴方もだ。マードックの護衛として伝令二名と共に伯爵家へ帰還せよ」

「おいおい、魔剣を使う俺が居なくなったらこの相手辛いんじゃ無いのか?」

「自惚れるな。貴方はマードックを護り少人数で大森林を無事抜ける事を考えろ。討伐後の今なら蜥蜴の数も落ち着いている。今がチャンスだ」


「セレーニア!」


 マードックが怒りの声を挙げる。


「僕は認められない。最後まで見届ける」

「……すまないが却下だ。何故なら貴方は次期伯爵。どんな事があろうとも命を繋いで行かなければならない。そして私はまだギルナイン家の者だ。この家名を名乗る内は討伐対象から逃げる事は許されない。…正直貴方を護りながらではやり難いんだ」

「これは僕の我儘か?君を残して僕だけ安全な所へ逃げるなんて…絶対了承出来ない!」

「なぜだ…どんな事が起こるか分からないんだぞ?魔力溜まりを吸収しているかも知れない魔獣が目の前に居るんだ。もしかしたらこの辺りが吹き飛ぶかも知れない。魔導を学んだ貴方なら分かるだろう…」


 魔力溜まりは自然に魔力が長い年月を経て一箇所に集まり凝縮された場所を言う。その魔力に触れた動物は姿形を変え強力な力を身に付けるが、直ぐに破裂してしまうのだ。一気に流れ込む魔力が器に入り切らないからだと言われている。

 触れる事は死に直結する為、結界を張って放置するしか無い、それが魔力溜まりなのだ。


 そんな魔力溜まりの魔力を取り込める魔獣がいたとしたら…それは…脅威だ。

 おそらく蜥蜴が大森林から逃げ出したのはこいつが水場に居たからだ。しかも肉食。


「セレーニア。君が残って魔獣を倒せる自信があるのか?」

「……まず魔力溜まりから奴を引き剥がす。私の魔剣が通用するのは確認出来たからな…その間に結界を強化しようと思う。事前に隊員達に渡してある簡易結界札五十柱を全て起動させる」

「…君は…命を投げ出すつもりか」

「そんなつもりは無い。生きて帰る」

「セレーニア…無理だ」

「ここでやらねば誰がやる。チャンスをみすみす逃せばいずれ大勢が犠牲になる可能性もある」


 大森林に一番近いのはロリス伯爵領だ。まず何かあるとすれば…狙われるのは街や村、その中に生活する隊員達の家族だろう。躊躇する理由は無い。


 私は隊員達から防御結界の札を集めさせ札に付いた紐を結ばせ繋げた。クルクルと丸め隊員達数名に託す。揺動で私が触手魔獣を徐々に魔力溜まりから引き剥がせれば結界の上に更に結界を張る事が出来る筈だ。魔力の供給源を断つ事が出来ればそれで良い。後は力の続く限り奴を切り刻むだけだ。倒せるかは不明だが時間稼ぎにはなる筈だ。


 そしてマードックはやっぱり私の言う事を聞いてはくれなかった。


 最後に


「婚約者を置いて逃げるなど死んでも嫌だ!」


 と言った。


 …でも貴方は婚約破棄したかったのでは無いのか?私が嫌なのでは無いのか?と聞きたかったが、あまりに真っ直ぐ私を見つめるその瞳に


 また胸が痛くなって…もう何も言えなくなった。


 マードックはちょっとズルいと思う。








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