雇い主は大きなネコチャン
出会った当初から思っていたのだけど、この世界の人たちは親しい人に対して距離が近すぎる。
翌朝目覚めると、超絶美形に抱き込まれているなんて早々ある体験ではない。
目覚めてすぐに俺が絶叫したため、その時にアレクシスさんは目が覚めたらしい。
「ごめんねユータ。なんとなく抱き締めていたら、熟睡しちゃって……」
「え?日頃は熟睡出来ていないんですか?」
「……うん、一年前くらいから眠れなくてね。だから、久しぶりにゆっくり眠れて、つい油断しちゃった……てへ」
誤魔化すようにテヘペロをするけど、事情を聞くと怒るに怒れない。
しかも、俺よりも高身長なのにこちらの顔色を伺うように困った笑顔を浮かべている。
それがあまりにも猫っぽいので、可愛い。可愛いから許してしまった。俺よりも、体躯は大きいのに。
「成人した男が可愛いと思う日が来るなんて……!」
「そういえば、僕って猫みたいと皆から言われるよ。何色の猫かな?」
「そうですねぇ……毛色からするとタビーホワイトかなぁ……」
「たび?ホワイトはわかるけど、タビーってなんだろう……」
微妙に言葉がすれ違っているけれど、アレクシスさんの髪の毛の色に近い色合いだと伝えると納得してくれた。
本当はもうちょっと茶色がかってはいるんだけど、そこは省略しておこう。
朝の雑談はここまでにして、朝食作りに取り掛からなければならない。
たぶんアレクシスさんは騎士としての勤務があるだろうし、手早く済ませないと。
パタパタとキッチンへ向かい、椅子に掛けていた最初から付けていたエプロンを付けるとポケットからスマートフォンが落下した。
「あれ?スマホ、入れっぱなしだったんだ……?」
必要最低限の連絡が取れるようにするための個人用スマートフォン。
こちらの世界にはない不思議な通信機器だ。後ろから覆いかぶさるようにアレクシスさんが覗き込んできた。
「なになに、その不思議な板。随分と表面がツルツルだねぇ?」
「えっと、これはスマートフォンと言って、遠い場所にいる人と会話ができる……うーん、連絡が取れるものなんです」
説明をしながら、アレクシスさんにスマートフォンを渡してみる。
意外と持ち方はすぐにわかったらしい。けれど、不思議そうに指先で画面を突いている。
こういう所も猫だなぁとほっこりしながら見守っていると、カシャ、と音が鳴りアレクシスさんが飛び上がった。
やっぱり、彼は前世が猫なのかもしれない。
「な、なんか音がしたぁ!え、さっき画面に僕が半分切り取られていたんだけどぉ?!」
「大丈夫ですよ、さっきのはカメラと言って……映した範囲を絵として描き取っているんです」
「なにそれ、絵師要らずじゃないか……へぇ、便利だなぁ……怖いけど」
完全に異質な物を見る目で、さっさと俺にスマホを返して後ろに隠れている。
先程の画像がどうなっているのかと思ったら、本当に猫が知らない内に自撮りしているような映り方をしていた。
それがあまりにも可愛かったので、編集をして本当に猫っぽく装飾してみた。
うん、どう見ても猫の男性にしか見えないな。これはこれで楽しい。
さっさとその画像を保存して、スマホをオフにしておいた。これで電力は無駄な消費を抑えられるはずだ。
通信自体は圏外になっているので使用できないが、他の機能は使えそう。
スマホをポケットに入れ直すと、アレクシスさんの方を向く。
「アレクシスさん、騎士としてのお仕事があるのでは?」
「うん、あるにはあるけど……僕の勤務は夜からなんだ。今日は御子様をお迎えした歓迎パーティーがあるからね」
「なるほど……そういえば、王族の護衛騎士だっておっしゃっていましたよね?王城に居なくてもいいんですか?」
「敬語は使わなくていいのにぃ……大丈夫だよ、王城に居る方が気が滅入るからね」
随分と自由な護衛騎士だな、アレクシスさん。
王族を守るのが仕事のはずなのに、離れていて問題ない辺りはたぶん腕を信頼されているのだろうけど。
訝しげな視線を向けていたせいか、アレクシスさんが苦笑する。
「以前は王城に住んでは居たんだけど……定期的に脱走していたものだから、国王陛下から勤務外は近いところで暮らせ!って怒られちゃったんだ」
「脱走癖……?そうか、アレクシスさんは外猫ちゃん……!」
「もう完全に猫扱いしているよね、ユータって。さすがに職務放棄はしていないから、大丈夫だよ」
職務放棄は一番やったらダメだと思うので、別に威張れるような内容じゃないと思う。
俺がスン、と冷静な表情に戻ったのでアレクシスさんは、何故か楽しんでいる。
それでも寝間着のままではだらしがない。一旦、私服に着替えて貰い、一緒に朝食を取ることにした。
用意されていたパンと、焼いた目玉焼きと同じく焼いたベーコン。それらを挟んでサンドイッチが完成した。
アレクシスさんは朝ごはんをしっかり食べるタイプなのか、あっという間におかわりを要求される。
作ったサンドイッチのほとんどは、アレクシスさんのお腹の中へと消えて行ってしまった。
食後に紅茶を入れて貰い、優雅な朝ごはんになった。
その後、食料の買い出しのため外出するらしいアレクシスさんにリクエストを伝えておいた。
彼が外出している間は、俺の仕事が始まる。昨日の大掃除の続きだ。
「さて、アレクシスさんの個室は最後にしてってことだから……水回りをまず、綺麗にしようかな」
水回りと言うと、脱衣所にある手洗い場、簡易風呂、台所の流し台、洗濯場の四つになる。
気になっていた箇所を綺麗に仕上げると、次は玄関周りの掃除だ。ゴミやホコリだらけだったので、箒で掃いていく。
出てきたゴミは、大きな袋に一纏めにして玄関の外に出しておいた。
ここまで終わった頃に、アレクシスさんが戻ってきた。結構な量を買ってきてくれたようで、両手に大きな紙袋を持っている。
「わわ、すみません、そんなにいっぱい……!俺が付いていけば良かったですね……」
「大丈夫だよ。力仕事は慣れているし、ユータはまだこの国のことを何も知らないんだから」
「う、おっしゃる通りです……」
「次の休日に、僕と街を散策しようよ。あちこち見回ったら、どこで買い物したらいいのかユータだけでもわかると思うよ」
そうだといいな、と思いながらアレクシスさんを家に入れる。
買ってきてくれた食材の説明を受けながら、今度は昼食の準備だ。
この国の主食はパンのようで、パン自体に何かすることはなく副菜を増やすのがセオリーらしい。
パンは食べやすいのだが、消化が速く食べた気がしない。なので、副菜は野菜とキノコを中心としたものにした。
副菜でお腹を満たす作戦だ。
二人で遅めの昼食を取った後、デザートにプリンも買って来てくれていた。
食後にデザート付きってそうそうない豪華さだと思う。
昼食後は、アレクシスさんの予定を聞くと鍛練場に行くのだと言う。
護衛騎士とは言えど、剣を扱う腕を落とすなと団長から指導されているそうだ。
練習着に着替えたアレクシスさんは、あっという間に家を出ていく。
こうして、夕食までの間に掃除を進めていくのだ。
わりと遅々としたペースなので、アレクシスさんの個室まで掃除できるか大変不安ではある。
それでも、やらなければ終わらない。両頬を叩いて、気合を入れる。
腕まくりをして、再び大掃除を再開させていくのだった。