北部辺境伯領の異変と帰省
お姉さんを家に通して第一声は「これが本当にアレクの家なの?!」だった。
どうやらご実家でも似たような惨状にしてしまうらしい。
アレクシスは散らかしの天才なのかもしれない。それは嫌味だけど。
「ユータが綺麗にしてくれているからね。それよりも、そこの椅子に座って」
「あ、俺がお茶を出しますね。アレクシスさんも座っていて」
「えっ、でも……」
「いいんです。重い荷物も持ってきて貰ったんですし、今は緊急ですから」
本当はアレクシス本人が紅茶を淹れたかったようだけど、今回は俺にさせてもらった。
内容は領地のことだし、なによりご実家の危機なんだと思う。
買ってきた食材を仕舞いこみ、戸棚から紅茶の茶葉を取り出して教わった通りに紅茶を淹れる。
少しだけ蒸らす時間があるといい、と聞いたので少し様子を見ていると話が始まった。
「それで、姉さん。北部辺境伯領に邪神の残滓が魔物の出現を促しているという話は本当なの?」
「えぇ、それは本当よ。アレクが邪神を討伐してからしばらくは平和だったんだけど……ここ最近、魔獣だけじゃなく魔物の数が増えているの」
「動物以外に、人間も感染して襲ってくるってことかな」
「その通りよ。この国には聖女がいるけれど、彼女らの派遣要請を出しても拒否されてしまって……」
「神殿の一部が派遣を一方的に拒否したわけではないの?」
「……聖女ご本人からも話を聞いたけど、恐ろしいから無理だ、と」
ここまで聞いてアレクシスは、大きなため息を吐く。
紅茶の蒸らす時間が経ち、二人分をティーカップに注いでソーサラーに置いてからそっと出す。
それに気づいたお姉さんは、ありがとう、と返事をくれる。優しい。
「あの、聖女様が動けないのなら、俺の知り合いでもある御子様はどうなんでしょうか?」
「うーん、たぶんあの子なら動いてはくれると思うよ。でも、第一王子が反対するはずだ」
「でも、そこは説明をすれば……!」
「命を落とすかもしれない非常な危険な場所に、愛する人を送り出すことなんてできる?」
「……それは……うう……」
「ユータ、ごめんね。責めているわけじゃないんだ。それだけ国は北部に割り当てる戦力が不足しているんだよ」
圧倒的な戦力不足。それは邪神降臨した時のことも絡んでくるそうだ。
あの時も、国の半分以上の戦力を投下したにも関わらず壊滅した辺境騎士団同様に帰らぬ人となった。
それ以来、北部辺境領は呪いの土地と恐れられている。
育成を行っている騎士団たちも、ほぼ全員が辺境領への出兵を拒むらしい。
同じ国内で起こっていることなのに、どうして協力してくれないのだろう。
悔しくて、思わずエプロンの裾をぎゅっと掴んでしまった。
「……怒ってくれてありがとう、ユータ。それで姉さん、王都にまで影響を及ぼす可能性ありだという報告は国王陛下にあげているの?」
「それはもちろん。それがあって、冒険者ギルドに緊急募集をかけられているわ。まだ集まってくれてはいないけれどね……」
「はー……王都にも影響が出るって言うのに、保身ばかり……」
「仕方がないわ。あの邪神は本当に恐ろしい存在だったんだもの。それで、アレク……一度領に帰ることって出来るかしら?」
「そう言うと思った。わかったよ、帰ります。でも、ユータと一緒に行きたいかな」
「えっ、俺とですか?!足手まといになりませんかね……?」
アレクシスの提案に、お姉さんもビックリしている。
けれど、何か考えてから頷いていた。
「いえ、そうはならないわ。きっと、アレクにとって大事な活力になると思うから。そうでしょう?」
「さすが姉さん。弟のことをよくわかっていらっしゃる」
「茶化さないの。ユータ殿、邪神の存在は恐ろしいとは思うけれど……アレクの傍に居てやって貰えないかしら」
確かに邪神という存在は恐ろしい。聞けば聞くほど、近づけば死ぬことが当然のように感じている。
でも、お姉さんは言葉の後に椅子から立ちあがって俺に深々と礼をしていた。
こんな偉い人に頭を下げて貰うなんて、なんとも申し訳ない気持ちになる。
どうして俺がいることで、アレクシスの助けになるかはわからない。
困惑してアレクシスの方を一瞥すると、いつもと変わらないけどちょっと困った笑みを向けてくる。
あぁ、彼自身も申し訳なく思っているんだ。
ここで断れば、大事な存在に失望されかねない。
「わ、わかりました!行きます。……それで、いつ出発ですか?」
「ありがとう、ユータ殿!準備が完了し次第、本日出たいと思っているんだ」
「今日?!あ、そういえばアレクシスさん。第一王子からのお茶会は……?」
「それなら、姉さんが伝えてくれているよ。こういう根回しは早いよね」
「懇意にしていることは知っていたからね。ほら、一番準備に時間がかかるアレクは早く行きなさい」
「えぇ……それもそっか。じゃあ、準備してくるね。ユータの荷物は?」
「ほとんど整理してあります。鞄だけ持って行けばいいので」
「さすがだねぇ……じゃあ、しばらく姉さんとお茶をしていてね」
荷物をほとんど整理してあるのは、昔あった事件がきっかけだ。
いつでも逃亡しやすいように、と必要なものは常にまとめて置いてある。
その違和感に、お姉さんは気づいたようだけど苦笑いでなんとか流して貰えた。
アレクシスが戻ってくるまで、俺はお姉さんからアレクシスの幼少期のお話を聞かせてもらった。
泣き虫で、甘えん坊で、寂しがり屋。
そんな弱々しい子が、今ではこんな風に騎士として召し上げられている。
お姉さんとしても、遠く離れた場所にいるけど弟というのは可愛い存在なんだなと感じていた。
そんな緩やかな時間はあっという間に終了し、荷物をまとめたアレクシスが現れた。
荷物を持った俺たちは、家を出る。
そこから少し先に進むと、お姉さんが口笛で天馬を呼ぶ。
同時にアレクシスの愛馬のゲールも現れた。既に出発準備が終わっていたらしい。
遅れるように辺境伯領用の場所も到着していた。
俺だけ、馬車に乗ることになる。お姉さんは天馬、アレクシスは愛馬に乗って王都を出発した。