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ティラミスのような時間

どうしても元気が出ないときとか、頑張れないときとかって誰にでもあると思う。でも、お前は一人じゃない。俺が一人にしない。お前みたいに元気になれるお菓子を作れたりとか、そんな力はないけれど、隣にいることくらいはできる。だからさ、たまには俺を頼ってよ。



その日は朝からスズの元気がなかった。本人はいつも通り振る舞っているつもりみたいだったけれど、表情がどことなく暗いし、笑ったときに眉尻が下がっていた。何かを隠そうとしているときのスズの癖だ。

「元気ないじゃん、どうした?」

スズの顔をのぞき込むようにして声を掛けた。俺の声に驚いたのか、びくりと肩をふるわせたスズは、驚いた表情のままで必死の形相で首を横に振った。

「そんなに必死に否定しなくても。って、いてて!髪、腕に当たってるって!」

下の方で一つにまとめた、紗音の栗毛色の毛先が首の動きに合わせて俺の腕にさわさわと当たる。本当は痛くなんかなくて、くすぐったいくらいだったけれど、ちょっとふざけてやろうと笑い半分で痛がったフリをした。

『ごめん!』

声は聞えないし、何か書いたわけでもないけれど、紗音が謝っているのが分かる。キュッと髪を右手で握りしめ、眉をハの字に下げ、俺の右腕にそっと左手を乗せてくる。その仕草があれば何を言いたいかなんて十二分に感じ取れる。

「ウソウソ。じょーだん。痛くないから、むしろくすぐったいくらいだから気にすんな。」

そう言うと、紗音は安心したように息をつき小さく頷いた。そんなやりとりをしながらいつもの道を歩き、昇降口で分かれた。


委員会の集まりを終えて、俺は早足で紗音の教室に向かった。木曜日は部活がないため、紗音と一緒に帰るようにしていたが、委員会があることを伝え忘れていた。

あれから3日経った今朝も、紗音の表情は暗いままだった。だから今日の放課後は寄り道をして以前から紗音が行きたそうにしていたカフェにでも誘おうと思っていたのだ。

教室をのぞいてみると、紗音はいなかった。荷物もない。仕方ないと、教室に残っていた女子生徒2人に声を抱えた。

「ねえ、スズ、遠山知らない?」

「えっ、谷山先輩!?かっこいい~!」

ショートヘアの生徒はそう言ってひとりでに話し始めてしまった。部活のときの俺の様子やなんかを熱心に語ってくれている。

「いや、俺が聞きたいのは、とお…」

「紗音ちゃんなら、帰りましたよ。」

もう1人のロングヘアの子がそう教えてくれた。

「すみません、あの子、かっこいい人とか、運動できる人とかに目がなくて。ほおっておいて大丈夫なので。」友人が一人語っているのを華麗にスルーして、彼女は俺に謝りつつ、「また話しかける前に」と教えてくれた。俺はお礼だけ言って帰ることにした。


鍵を差し込んだのは自分の家のドアではなく、紗音の家のドア。小さな頃からあまりにもお互いの家を行き来するからと、俺も紗音も互いの家の鍵を持っている。家の前に立つと庭先の花ではない、ほのかに甘い香りがした。



両親は共働きで、夜にならないと帰ってこない。それまでは玄関から聞えるはずのないガチャリという音に少し驚き、紗音はそちらをのぞき込んだ。その時廊下からリビングに続く扉を開いて現れたのは圭佑だった。

「え、待って、そのフライパン、なに?なんでフルスイングしようとしてんの!?」

扉を閉めて紗音の方を見た圭佑は、紗音が固く握りしめているフライパンに釘付けになりながら驚愕の声を上げた。そんな声をよそに、紗音は筆談用のホワイトボードに何かを書き始める。

『ごめん、変な人が入ってきたのかと思って。護身用。』

「護身って言うか、やる気満々な構えだろ、それ。ってか、入られたことあるのか、変な奴に。」

『ない。けど、連絡無しで玄関開いたときは気をつけるようにしてる。』

なんと答えて良いか分からず、「あー。」と曖昧に返事を返していると、紗音はホワイトボードにまた何かを書き始めた。

『座って待ってて。もうできるから。食べていくでしょ?』

「わかった。あ、洗面所借りる。手、洗わせて。」


手を洗い、座って待っているとまもなく出てきたのはティラミスだった。苦いものがあまりときではない俺は、一度お店のものを食べて以来ティラミスを食べていない。紗音も俺が苦いものは苦手なことを知っているはずで、それでも出すと言うことは、大丈夫だと言うことなのだろう。圭佑はやや緊張した面持ちでカップに入ったティラミスに手を伸ばした。

「…うま。」

思わずこぼれたその一言に、紗音は柔らかく笑みを返した。

「ティラミスって、もっと苦くて食べにくかったと思うんだけど。これはおいしい。苦いけど、甘いから、ケーキ食べてるって感じがする。」

『クリームとスポンジに使うお砂糖を少し増やしてみた。どうしても、圭ちゃんと一緒に食べたくて。』

「俺と?」

紗音は恥ずかしそうにうなずき、残りを食べ始めた。一緒に食べたいからと、俺が食べられるように分量を変えて作られたティラミス。きっとこれを超えられるものはどこを探しても見つからないだろうな。そう思いながら圭佑も黙って残りを口に運んだ。


食べ終えて、私が洗い物をしていると、圭ちゃんは「お茶入れるね」とキッチンに入ってきた。もう洗い終わるから私が入れるよ、と言ってみたが、「大丈夫、座ってて。」と言われたので、甘えることにした。

「はい、熱いよ。」

庭に続く窓を開けてぼんやり座っていると、圭ちゃんはマグカップをひとつ、手渡してくれた。湯気と一緒に、紅茶とミルク、スパイスの香りがあたりを満たしていくのが分かった。口を付けたとき、「ああ、伝わったんだ。」と安心のため息が漏れる。

ティラミスは「私を元気にして」や「励まして欲しい」の意味を持つ。直接言うのは恥ずかしいし、情けなくて言えなかった。だから、伝わったら良いな、くらいの気持ちで作ったその意味を圭ちゃんは正しく汲み取ってくれた。私の元気がないとき、圭ちゃんは決まってスパイス入りのミルクティーを煎れてくれる。たっぷりのはちみつを添えて。声が出せなくなって、それに甘えるように恥ずかしいことや自分にとって都合のよくないことをお菓子の意味に乗せて伝えるようになった。それこそ情けないことだと自分でも分かっているけれど、それでも圭ちゃんは隣にいてくれる。


元気がない理由だって私から話すまでは絶対に聞いてこないし、「俺を頼ってよ」とも言わない。ただ一つ頭をぽんと叩いた後は、両親が帰ってくるまで気まずくならないように、でも騒がしくない程度にいろいろな話をしてくれる。

この時間は私だけの元気が出るおまじない。温かい紅茶と少しだけ刺激的なスパイス。それを包んでくれるハチミツの甘みが、下がっていた私の顎を上げさせてくれる。私は圭ちゃんにいつももらってばかりで、何も返せていない。本当は「ありがとう」も声に出して伝えたい。こんなことで何かを返せるなんて思っていないけれど、せめてと、私はいつもより丁寧に「ごちそうさま」のジェスチャーをする。


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