本能
闘簫天から逃げてしばらく休んだ後、私たちは中央監獄まで戻った。道中は警戒していたけど闘簫天が襲ってくることはなかった。
門の前まで戻ってくると、ルカさんの家で見かけたことのある仲裁組織の人とレアンドロさんがいて、何か話しているようだった。
「…あ! 良かった、3人とも無事だったんだね…ってすごい怪我してるじゃん!」
そのうちの1人が私たちに気づき駆け寄ってきた。
「いや…、これは、その…」
あの状況をどう説明しようか言い淀んでいると、思わぬ返事が返ってきた。
「やっぱり君たちも巻き込まれたんだね。でも安心して。今はルカさん達が止めてくれてるから。私たちも今のうちに拠点に戻ろう。」
「え? どういうことですか?」
「さっき、すぐ近くで反乱軍と国軍の衝突があったんだ。君たちも訳わからなかったかもしれないけど、多分それに巻き込まれたんだよ。」
「え、いや、そういうわけじゃ…」
夢中になっていて気づかなかったけど、私たちと闘簫天が闘っていたすぐそばで武力衝突があったようだ。私たちが怪我をしてるのはそのせいではないけど、堕天使が…なんて言っても信じてもらえないだろうから今はそういうことにした。
「だから、私たちは君たちを迎えに来たんだけど、ちょうど出かけてるって聞いたから焦っちゃったよ。とにかく無事で良かった。」
「ええ。出かけるなら行き先くらい教えていただきたいところですね。」
レアンドロさんは相変わらず無表情で淡泊な口調だったけど、私たちを心配してくれているようだった。
「また危なくなる前にここを離れよう。」
疲労でこれ以上作業なんてできそうにないし、闘簫天のこともあって、まだ昼過ぎだけど今日はルカさんの家に戻ることにした。
+++
私たちが戻るとルカさんやルークさんが既に戻ってきていた。みんな怪我をしていて暗い顔をしている。
「心配したよ。帰りが遅いから何かあったんじゃないかと思って。みんな無事…ではなさそうだけどとりあえず帰って来られて良かった。」
ルカさんは包帯の巻かれた腕で恵の容態を確認し、私たちの怪我の手当てをしてくれた。3人ともたいした怪我はしていなかったけど多めに包帯をもらい、地下室まで付き添ってくれた。
寝泊まりさせてもらっている部屋に行き、ベッドに恵を寝かせた。恵は気を失ってはいるけど、息はあって疲れて寝ているような感じだった。
「すまなかったね。私たちの力不足だった…。中央部は議事堂とか重要機関もあるから、両軍の武装解除の協定まで持って行きたかったんだけど。」
ルカさんは申し訳なさそうに話した。
「ルカさんのせいじゃないですよ。…それに、この戦争は誰のせいでもないです。」
「え?」
話そうか迷っていたけど、このままルカさんが一人で抱え込んでしまいそうな気がして、私たちは闘簫天のことをルカさんに話してみることにした。
「信じられない話かもしれないんですけど、この戦争は闘簫天っていう堕天使が仕組んだ戦争なんです。そいつはでっかい角笛みたいなのを持ってて、その音を聞くと、理性を欠いて、攻撃的になってしまうんです。だから、ルカさんのお父さんも、この街に住んでいる人たちもその笛のせいで…」
桐香は少し興奮気味にルカさんに話した。
「…そうか。君たちがこんな時に冗談を言うような人間ではないことはここ数日でわかったけど、さすがにそれは…」
ルカさんは困ったように頭を掻いて、視線をそらした。
「ほ、本当なんです! 実は私たちが怪我してるのも、中央地区での武力衝突に巻き込まれたんじゃなくて、その堕天使にやられたんです!」
ルカさんは私たちを信頼してくれていたようだけど、この話は信じられない様子だった。それは当然かも知れないけど、私は信じてほしくて必死に伝えた。
「……。」
ルカさんは考え込むように腕を組んで俯いた。私と桐香もそれ以上話すことはなく、少しの間沈黙が続いた。
「…じゃあ、その堕天使って奴を殺せばこの戦争は終わるの?」
「え…、でも確かに元凶はその堕天使で……」
「桜、戦争の原因なんてのは発端に過ぎないんだよ。確かに戦争の元凶がいなくなればそれにこしたことはないけど、それだけで終戦ってなるほど単純じゃない。」
「…。」
私はルカさんの言葉に何も言い返せなかった。確かに私たちは戦争の原因を、堕天使を探すためにアインスに来た。でも、戦争は人間の性格の象徴だという闘簫天の言葉が頭にちらついて、何も言えなくなってしまった。
「今日はこの部屋で休んでてもらえる? これからみんなと今後の作戦会議をしなくちゃいけないんだ。」
ルカさんはそう言って部屋を後にした。
「…っじゃあ、私たちはどうすればいいってんだよ……」
桐香はベッドに座り、両手で頭を抱え込んだ。私も桐香と同じ気持ちだった。部屋の片隅に置かれた机の上の蝋燭が照らすだけの薄暗い部屋に重たい空気が漂っている。
「…あれを倒しても戦争が終わらないなら、私たちもルカさんの手伝いをすれば、」
「私たちみたいな素人にそんなことができるならルカさんがあんなに苦労してないだろ。第一、あの化け物にどうやって勝つっていうだよ。」
桐香は私の言葉にかぶせるように声を荒げた。その声は少し震えていて、悔しさを噛み殺しているようだった。
「…ごめん。まだあいつの笛残ってるかも。」
はは…。と桐香は場を和ませようと思ったのか、そんな冗談を言った。ここまで桐香が取り乱しているのは初めて見るし、私自身ももうどうすれば良いのかわからなかった。
「ん…、あれ? ここどこ?」
押しつぶされそうな空気の中で、ベッドで寝ていた恵が目を覚ました。
「恵! よかった…!」
私は安堵して恵の肩に抱きついた。桐香もそれをみて少し表情が緩んだ。
「私、闘ってて、それで逃げて…、あれ?」
「わかんないよな。あの後、恵は闘簫天に向かっていったんだ。それで体力使い切って倒れたんだよ。」
「うそ!? 私が…?」
「腰に大きい笛差してたでしょ? あの音を聞くとおかしくなっちゃうみたいなんだよ。」
それから私たちは恵が倒れた後のことを伝えた。
「そう…なんだ。そんなことになってたなんて。」
「うん…、それで、これからどうしようかってとこなんだけど。」
桐香はまた俯き加減でつぶやくように言った。
「…私が言えたことじゃないかもだけど、私たちがしなくちゃいけないのは闘簫天を倒すことでしょ? 戦争の収束とかは私たちじゃよくわからないし、私たちがここに来た目的は堕天使を倒して莉里を助けることだよ。だから、今はまず、難しいことは置いといて、闘簫天に勝つ方法を考えることに専念しようよ。」
「…そうか。そういえばそうだったな。」
言われてみればすごくシンプルな話だ。だけど、私と桐香は先のことばかりを考えて一番の目的を疎かにしていたのかもしれない。
「そうだ。まず、アイツに勝たないと始まらない。」
「よし、それじゃ少しでも可能性を考えよう。」
正直、思っていたよりもずっと辛い闘いになった。それでも私は桐香と恵がいればなんとかなるような気がした。
+++
その日の夜は昼間の疲れもあって早めに寝ることにした。寝る前に3人で話し合ったことは闘簫天とどう闘うかについてだった。一番気をつけなくちゃいけないことはあの笛で、吹かれたら耳を塞ぐか全力で平静を保つしかない。でも、それを即座にできるかと言われれば、特に後者はほぼ無理なので、なんとか笛を吹かれないようにすることが第一目標となった。それと不死身の体にどうダメージを与えるかに関しては、みんな良い案が思いつかず、今日は休んで明日考えることにしたのだった。
その夜は疲れているはずなのになんとなく眠れなかった。昼間の緊張がまだ解けていないような気がして、私は水でも飲もうと部屋を出た。私たちがいる地下室は階段を降りた突き当たりにあるのだが、その隣の部屋のルカさんの書斎から光が零れていた。
「ルカさんまだ起きてるのかな…」
私は気になって、少しだけ開いた扉の隙間からそっと部屋を覗いた。部屋の中ではルカさんが机に向かって何かを書いてるのが見えた。
「入ってきても良いよ。」
私が扉の前にいることは秒でばれているようだった。勝手に覗いたことに後ろめたさを感じながら、私は静かに扉を開けた。
「お、お邪魔します。すいません、覗きに来たわけじゃなくて、たまたま外に出たら明かりがついてることに気づいて、気になって…」
「いいよ。それと覗くならもっと慎重にね。」
「い、いや、だからそういうわけじゃ…」
ルカさんは私に背を向けたまま冗談交じりにそんなことを言った。顔は見えないけど、昼間と違って少し表情が穏やかなことがなんとなくわかった。
「あの、何を書いてるんですか?」
「今日あったことととか、新しい情報とかをまとめてるんだよ。こういうことしてると、情報の有無が命取りになりかねないからね。」
「そうなんですか…」
昼間のこともあって、私は少しルカさんと話すことに緊張していた。
「…昼間はごめんね。大人げなかった。私も気が立ってしまってたみたいで。」
ルカさんは机に向かったまま申し訳なさそうに切り出した。
「そんな、私たちこそすいません。突然変なこと言って。…でも、本当に本当なんです。実は私たちはこの世界に堕天使って言うのを探して別の世界から来たんです。」
「…そう。そこまで言うなら本当にそうなんだろうね。」
「信じてくれるんですか?」
「信じるというか、その別の世界?とかはよくわからないけど、そんな冗談言うためにわざわざバーリングから来たわけじゃないでしょ? 撹乱が目的だとしても意味わかんないし、なによりマルティアス司教は意味のないことをする人じゃないから。」
ルカさんは筆を置き、一息ついてから続けた。
「でも、やっぱりそれを聞いたところで私たちにはどうにもできない。きっかけがどうであれ、原因を取り除けば結果が変わるなんて簡単な話じゃない。最初は争いなんて望んでいなかった人でさえ巻き込まれれば、家族や友人が殺されれば闘う動機はできてしまう。戦争ってのはそういう行き場のない怒りと悲しみが連鎖して、気づいたら終わりが見えなくなってるものなんだよ。」
書いていた資料と筆を机の端に寄せて、ルカさんは私の方に振り向いた。
「少し話そうか。」
そう言ってルカさんは私をベッドに座らせた。
「ねぇ、桜はさ、戦争って誰が悪いんだと思う?」
「え……、えっと、多分誰も戦争なんて望んでないと思うし、誰も悪くない?」
私は唐突な質問に少し言葉をつまらせ、曖昧な返答をした。
「そうか。やっぱり桜はそう答えるよね。」
「違うんですか?」
「私はね、戦争に関わった人は全員悪いと思ってるよ。戦争を始めた張本人はもちろん、指揮する人も、指示に従って人を殺した人も、仲裁だなんて言いながら何もできずにいる人も、全員ね。だから、誰か一人じゃなくて全員が協力しない限り、人類が滅びるまで戦争は終わらないんじゃないかって思ってる。あくまで持論だけどね。」
ルカさんは視線をそらして、悔しそうに言った。残酷にも聞こえるその言葉は私にはあまりに重くて何も答えることができなかった。
「どうして人って戦争なんてしたがるんだろうね。どんな大義や報酬があったとしても積み上げた死体の山より大きな利益なんてないことくらいわかりきっているはずなのに。…もしかして、それが人の本能なのかな?」
初めて会ったときには想像できなかったような弱々しい声で話すルカさんの目は少し潤んでいるように見えた。こんなに強そうに見ていた人も心の中では苦しんでいたのだと、状況の悲惨さを改めて思い知った。と同時にこんなに頑張ってる人がそんな思いをしなくてはならないような理不尽な状況に少し腹が立った。
「…私はそうは思いません。難しいことはよくわからないけど、戦争をするのが人間の本能だなんて、そんな…そんなひどいことはないと思います!」
ルカさんは私の発言が意外だったのか目を丸くした。
「…そうだよね。ごめん、私がこんなに弱気なこと言ったら駄目だよね。」
ルカさんは目尻を拭って、私に微笑みかけた。
それから、ルカさんとはアインスからずっと南の方に行ったところにきれいなビーチがあるだとか、ルークさんは実は怖がりだとかそんな他愛もない話をして、眠くなってきたところで私は部屋に戻ることにした。
「すみません、こんな夜遅くまで話してしまって。」
「私こそ。桜と話して少し気分が軽くなったよ。」
「はは、それなら良かったです。では、おやすみなさい。」
「うん、おやすみ。」
私はぺこりと頭を下げて、隣の寝室に戻った。
+++
「さくらー、起きてー。」
翌朝、私は恵に起こされ目を覚ました。昨日夜遅くまで起きていた分まだ眠い。重いまぶたをこすり、ほとんど光が届かない暗い部屋を見渡すと桐香も起きていることに気づいた。
「う~、おはよう2人とも。」
「やっと起きた。も~桜は緊張感がないなー。」
「あはは。ごめん、ごめん。」
恵は不服そうに頬を膨らませて言った。
「今日は出かけないつもりだけど、1日中こんな暗い部屋にいるわけにもいかないし、とりあえず上行こう。」
昨日のこととルカさんに止められていたこともあり、今日は外出しない予定だったのだが、桐香は既に着替えを済ませ、監獄で書いた情報をまとめたメモ帳とペンを持って準備していた。
「待って~、私も今着替えるから~。」
私は包まれていたブランケットから這い出し、いつもの服を取り出した。慌てて準備を始めた私を横目に恵は準備万端といった感じで三角帽子のつばの位置を整えていた。
5分くらいでバタバタと準備し、いつも通り階段を上って1階に出たのだが、なんとなく今日は騒がしい。
「何かあったのかな?」
階段を上る前にルカさんの部屋の前を通り過ぎたとき、いつも朝はしっかり閉まっている書斎の扉が少し開いていることに気づき、なんとなくいやな予感がした。
1階のいつもは食事などをしてる大きな机がある部屋に入ると、机を囲むように仲裁組織のみんなが集まっていて、その真ん中には何かが書かれた紙が置かれていた。
「何かあったんですか?」
ただならぬ雰囲気に話しかけるのを一瞬躊躇ったけど、やっぱり聞かずにはいられなかった。
「みんな起きたんだね。まずはこれを見てほしい。それで何か知ってることがあったら教えて。」
いつもの脳天気なルークさんとは違って、真剣なまなざしで私たちの前に机に置かれた紙を渡した。その紙は新聞の号外のようなもので、ルカさんの肖像画とともにこう書かれていた。
”アインス内乱における有志の仲裁組織のリーダー・ルカ=リムを司法相殺害の罪で拘束”
「え…?」
私は目を疑った。昨日、つい数時間前に話していたルカさんが拘束? それに、殺害の罪って…
「こんなのおかしいですよ! ルカさんがそんなことするはずがない、何かの間違いです!」
「そんなことはみんなわかってる!」
ルークさんは私の言葉を聞くやいなや机をバンッと叩いて声を荒げた。
「何も知らないなら君たちはここにいてくれ。僕たちは行ってくるから。」
「行くって、どこにですか?」
ルークさんは革製の手袋をはめ、大きな剣を手に取り、まるで戦場にでも行くかのような格好をしていた。
「どこって、中央監獄だよ。ルカを取り戻しに行く。」
「…! 待って、まだこれが本当かどうかわからないじゃないですか! もっと冷静になってください!」
「そうですよ。もしかしたら誰かの罠かもしれないんですよ?」
「残念だけど、これは本当だよ。だってこれを持ってきたのは中央監獄の役員なんだから。」
「うそ……」
どうしてもこの情報を否定したかった。でも、ルークさんの言うとおり、これを持ってきたのが中央監獄のひとならおそらくデマの類いではない。
「僕たちだって考えたよ。でも、ここで話し合ってたって答えなんか出ない。真偽はルカの口から直接聞きに行く。」
周りにいた人たちもそれぞれ剣や鉄棒のような武器を持ち、家から出て行く。ルークさんは私たちの制止など気にも留めていないように覚悟の決まった顔をしていた。
「ルークさん!」
ルークさん達は振り返らずに歩いて行く。ルークさん達の気持ちはわかるけど、このまま行かせてしまっては取り返しのつかないことになりそうで、必死に止めようとした。
「待ってください! ルカさんを取り戻すって中央監獄に襲撃でもするつもりですか!?」
「……。」
私の訴えにルークさんの足が止まった。
「皆さんの目的は平和でしょ!? こんなことルカさんが望んでいるはずがない!」
言い終える前にルークさんは振り返り、鬼のような形相で私に迫った。
「じゃあ、どうすれば良いか教えてくれよ! ついこの間会ったばかりの君たちにそんなこと言われなくてもわかってるんだよ! ルカはお父さんが捕まって、周りから揶揄されようとこの街の平和を願ってこの組織を作ったんだ。自分のことよりもみんなのためって、そんな姿に僕たちは憧れたんだよ。そんなルカをこんな形で馬鹿にされて、黙っていられるわけがない!!」
ルークさんは私の目をまっすぐ見ながらまくし立てた。
「君たちが言いたいことはわかるよ。でも、今回はそれだけじゃないんだよ。」
一転して別れを告げるように落ち着いた声色でそう言うと、ルークさんは再び振り返って外へ出て行った。バタンと音を立て扉が閉められた薄暗い部屋は静寂に包まれた。
「待って……」
止めたいのに、止めないといけないのに、何も言葉にできない無力感で私はその場にへたり込んだ。
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