境界
―ゼクスピア城内
「カイル様! カイル様が消えたー!」
「侍女もいない! おそらくあの女だ!」
夜が明け、早朝に炊事場にカルラが現れなかったことから2人が消えたことが発覚した。
カルラがカイルを連れ出したのは城内での人の往来が減る深夜。巡回する衛兵はいるものの、カルラはその数やルートを把握しており、2階のある部屋の窓から飛び降りれば城の裏手に回れることを知っていた。
外に出たあとも油断はできない。四方を高い塀に囲まれ、正門には常に門番兵がいるため、一見すれば逃げ場はない。だが、カルラの中ではそれも想定内だった。
城の真裏、奥が森になっている方向の塀の壁には小動物が空けたであろう小さな隙間がある。その周辺地面を少し掘れば成長期前のカイルと細身のカルラならギリギリ通ることができる幅を確保することができる。
2人はそのまま森の奥へと走った。
城の中でカイルとカルラが消えたことは騒ぎになり始めた頃には2人は森の奥へと歩を進めていた。
「カイル様、お体に問題はありませんか?」
「うん、大丈夫。カルラは?」
「問題ございません。急ぎましょう」
夜明け前にカイルに多少の仮眠を取らせたが、カルラ自身はほとんど休んでいない。それでもカルラは足首の痛みを堪えてカイルの手を引いた。
現在の地理と当時の地理は若干異なる。
現在ではカブラルの領土となっているツヴァルスフィアを含む北方諸地域のほとんどはルディアス帝国領であった。故に当時のカブラルとルディアスの国境はより南側であり、最短ルートで越境するには南部戦線の中を掻い潜る必要があった。
「これから何処に行けばいいの?」
「今はこの森の東方にある小さな街に向かっています。距離的にはゼクスピアに近いですが、立地があまりよくないので情報の伝達も遅いでしょうから一晩くらいは凌げるかと思います」
「南には行かないの? あ、でもあっちは今大変なのか・・・」
「よくお勉強されていらっしゃいますね。確かにそれもあるのですが、そもそもこの森を誰にも見つからずに南側に抜けるのは難しいのです」
「え? どういうこと?」
ツヴァルスフィアとゼクスピアの間にある森は年中深い霧に包まれ、日中であっても視認できる範囲は限られている。カイルはその環境が逃げる上で好都合だからこのルートを選んだと思っていたが、カルラの回答はそうではなかった。
「カイル様は他国から奪った領土に元々住んでいた人達がどうなっているかご存じですか?」
「それは・・・、捕虜になって・・・・・・」
カイルは少し言いにくそうに小声で答える。
「はい。その通りで、ほとんどの捕虜はルディアス帝国内で強制労働を強いられています。ですが、一部の人間はもっと酷い、奴隷や家畜のような扱いを受ける場合があります」
「・・・え?」
カルラは周囲に警戒しながらもカイルの手を引きながら話を続ける。
「特に有名なのがウォード公爵です。現在は内政に関わることはないですが、もともと権限の強い貴族でした。ただ・・・、所謂、超のつく変人としても有名でして、戦争が始まる前から人身売買や身寄りのない子を攫って自身の家で奉仕をさせるというような人物です」
「・・・? でも、そんなことしちゃ駄目なんじゃ・・・」
「そうですね。一般の方なら人攫いは法に触れます。しかし、ルディアスの議会は王家と一部の貴族で構成されるため、権力の強い者は例外とされるのです」
「・・・・・・」
カイルはカルラのその話を聞いて少しばつが悪そうに俯いた。
「そして、開戦後は捕虜を買ったり、兵士として戦力とならない国民を軟禁したりしているらしいのですが、その公爵の屋敷がこの森の中、ゼクスピアとツヴァルスフィアを直線で結んだ時のちょうど真ん中あたりにあるのです」
「え!? こんなところに!?」
「はい。正直言って私もあの方が考えていることは理解できません。ただ、その屋敷の衛兵や連れてこられた奴隷がいるかもしれないので、その周辺は避けた方が賢明かと」
「そうなんだ・・・・・・」
カイルは半分理解しきれていなさそうな様子で頷いた。
+++
―夕刻 ゼクスピアより南東の街
1日中歩き続けた2人は一時的に森を抜け、目標であった街に辿り着いた。
「はぁ・・・、疲れた・・・・・・」
「お疲れでしょう。弱音一つ言わず、ご立派でした」
ずっと視界の悪い森を歩いていた2人は開けた場所に出たことに安堵した。
「さて、では街の中にある宿を・・・・・・、! カイル様、こちらへ!」
「え・・・?」
街に出ようとしたカルラは慌てて裏路地にカイルを連れる。
「ど、どうしたの?」
「城の衛兵がいました」
「え!?」
「まさかこんなに早く先回りされるなんて・・・。ご安心ください。少々窮屈な思いをさせていまうかもしれませんが、裏の少し離れたところであればここよりは安全でしょう」
カルラはカイルに防寒用の毛布を頭に被らせた。
カルラはともかく、カイルの顔を知っている国民はいてもおかしくない。そうでなくても衛兵が探しに来ているのなら似顔絵の一つくらい持ち歩いているだろう。
カルラは恐る恐る町外れの寂れた宿に赴き、受付の老婆に1泊したい旨を伝えた。
「よかったね、泊まらせてもらえて!」
「はい。これで一休みできますね」
老婆は一度カルラの顔を覗き込むような動作をしたが、案外すんなりと2人を部屋に通した。
埃臭い狭い部屋にはベッドがひとつだけ。ただ、それでも森の中で野宿することを考えればよほど贅沢だった。
「カルラ、その荷物何が入ってるの?」
カイルはカルラが城から持ってきていた荷物を指さす。カイルのための毛布や数日分の食糧を持ってきてはいるが、それにしても逃亡で持つには少し大きすぎる。
「これは・・・、後で使います。いざって時の切り札として、ですね」
「へぇ~、すごい! どんなの?」
「ふふっ。それはまだ秘密です」
カルラはいたずらっぽく微笑む。
「え~、見せてよ~」
「まあまあ、今日はよく頑張りましたね。お早めにお休みください」
「うん・・・、わかった。ふぁ・・・・・・」
カイルは不満そうにはしているが、大きな欠伸をして、すぐに寝息を立て始めた。
カルラはそのベッドに腰掛け、カイルの頭を優しく撫でる。
腹の虫がうるさい。瞼が重い・・・。
ふとぽつぽつと降り始めた窓の外に目を向ける。
この過酷な旅にもかかわらずカイルは泣き言も吐くことなくカルラに着いてきた。本当に優しく、強い。このペースなら明後日の朝、或いは明日中に国境までたどり着けるかもしれない。
あと少し、あと少しの辛抱だ・・・・・・。
カルラは瞼を擦り、胸から万年筆を取り出した。
+++
―2日後の早朝
「はぁ、はぁ・・・、よく頑張りましたね、カイル様。見えましたよ」
宿に泊まった翌日の早朝、2人は早々に出発し、再び森の中に入った。
ゼクスピアから離れるにつれ森の霧は薄くなり、進むペースも1日目よりも速かった。ただ、先日より降り始めた雨により体力を奪われ、カルラは雨を凌げる場所でカイルを一晩休ませる判断をした。
その場所に着いたのは翌日の明け方だった。
「カイル様、あの吊り橋が見えますか?」
「うん・・・」
カルラが指す先には激しい濁流が押し寄せる大きな川と対岸のカブラル共和国領の森、そしてその岸同士を繋ぐ木製の心許ない吊り橋があった。
「あれは元々、戦争が始まってすぐの頃にルディアス帝国が捕虜を使って突貫で作らせた吊り橋です。当初はあれを渡ってカブラル側に侵攻し、奇襲を仕掛ける作戦でしたが、後に別の戦場でより安全なルートが確保されたことで使われることはありませんでした」
カルラは吊り橋に向かいながら淡々と説明をする。
「それ、大丈夫なの?」
「複数人の武装した兵士が横断するために作られた物なので大丈夫かと思いますが・・・。念のため1人ずつ渡りましょう」
カルラは膝を曲げ、不安そうな表情のカイルに視線を合わせる。
「ご安心ください。万が一、カイル様に何かあっても私がここにいますから」
冷えたカイルの手を両手で包み、温める。
「カイル様は誰よりも強いお方です。ここを渡り、カブラルでカイル様の理想を叶えてください」
「・・・う、うん!」
「では、お気を付けて」
カルラはカイルの背中を押す。
(ここさえ越えればカイル様は自由。そして私も・・・・・・)
冷たい風と濁流により左右に揺れる吊り橋は50m程度の長さだが、カイルの足ではなかなか前に進むことができない。
麻縄の手すりに必死に掴まり、滑る足場を1歩ずつ慎重に進む。
何度も水を被りながら、飲まれそうになりながらゆっくり渡る。目の前に迫る死の恐怖と闘いながらカイルは前に進んだ。
やがてその小さな一歩は確かに繋がり、十数分をかけてカイルはようやく対岸に足を踏み入れた。
「・・・やった。やったよ! 僕やったよ、カルラ・・・・・・」
カイルが安堵と喜びを露わにし、カルラに報告しようと振り返る。
だが、その瞬間、ルディアス側の吊り橋がボォッ!と、音を立てて火の粉が上がった。
僅かに見えるカルラの手には割れた瓶のようなものが握られていた。
「え・・・・・・? カルラ、何して・・・」
「納得のいく説明をしてくれるんだろうな、カルラ=メイ」
「・・・・・・」
「!? あれ・・・城にいた衛兵だ。まずい!! カルラ、早くこっちに!」
カイルは声を張り上げる。
カルラの背後に4人の鎧を着た衛兵が見えた。カルラの表情は見えない。
「・・・これが答えです」
「・・・!?」
カルラは鞄から鉈を取り出し、吊り橋の支柱を破壊した。
「何してるの!? カルラ!?」
激しい濁流は切り離された吊り橋を飲み込み、木屑と化す。
「何の真似だ。カイル王子を何処へやった!?」
「さぁ? 今頃どこかで自由を楽しんでいるのではないですか?」
カルラは手にしていた鉈を川へ放り捨てる。
(カイル様、お見事です。これであなたは晴れて自由の身ですね)
「何故王子を攫った」
「攫っただなんて。少し2人で散歩に出掛けただけですよ」
「ふざけやがって! 貴様、己の大罪を理解しているのか!?」
カルラは雨の落ちる曇天を見上げる。
「カルラ! カルラっ!」
雨はさらに激しさを増す。
(カイル様、ごめんなさい。貴方に嘘を吐いたこと。貴方の傍にいられないこと。どうか私の無礼をお許しください)
「その場に跪け! カルラ=メイ!!」
「・・・嫌です」
「あぁ?」
突風がカルラのローブを攫い、濡れた髪が絡みつく。
「もういい、貴様は処刑だ。言い残すことはあるか?」
衛兵はカルラの前で剣を構える。
(お母様、私は少し先に行きます。宿の方に送付して頂いた書き置きがどれほど信じてもらえるかは分かりませんが、巻き込まれないことを祈っています)
カルラは毅然と衛兵の前に立った。
「・・・私の心はカイル様と共にある。カイル様は勇気を出しました。私もあなた方に屈指はしない! カイル様にこんな国は相応しくない!!」
カルラは両手を広げ、おそらく生まれて初めて攻撃的な言葉を発した。
「貴様・・・! お前は紛れもなく帝国の反逆者だ! あの世で後悔しろっ!」
「カルラ!!」
激しい濁流と雨音はカイルの声を掻き消す。
衛兵が対岸のカイルの存在に気づくことはない。
「これで、私も自由の身・・・・・・」
カルラは最期を覚悟し、カイルに振り返った。
(カイル様、貴方はこれから少しの間寂しい思いをするかもしれない。孤独な辛い旅になるかもしれない。でも、貴方は必ず多くの人を救う素晴らしい人になる。だから・・・・・・。いや、そうじゃない。私の本当の願いは・・・・・・)
「カイル様・・・」
「カルラっっ!!!!!」
振り上げられた白刃が僅かな光を反射して煌めく。
カルラは対岸のカイルに視線を向けて、いつものように微笑んだ。
「・・・・・・どうか、お元気で!」
「っカルラぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!」
赤い鮮血と共に首が撥ねる。
それ以降、カイルがルディアス帝国に追われることはなかった。
お読み頂き、ありがとうございます。
次回は3/23投稿予定です。
お楽しみに。




