理由
闘簫天は私たちが気づいたことを確認し、黒い翼を広げてゆっくりと武器を構える私たちの前に降りてきた。白いボサボサの長髪に背中から生えた大きな黒い翼、おおよそ元天使とは思えない禍々しい姿がそこにあった。
「探したぜ、まさかお前らから戻ってくるとはなぁ。」
「ふざけないで! どうしてこんなことするの、何が目的なの!?」
煽るように薄笑いを浮かべている闘簫天に対して私は怒りの限り叫んだ。
「叫ぶなよ、うるせぇな。」
闘簫天は面倒くさそうに手を首の後ろに回してコキコキと首をならしている。
「目的なんかねぇよ! 俺はただ人間が戦ってんの見てんのが楽しいだけだ。強欲、傲慢、残忍! 私利私欲に忠実な人間の、滑稽な本質が如実に表れる戦争は最高におもしれぇ!」
闘簫天は持っていた大きな剣を地面に突き刺してさらに続けた。
「なのに! あの眼鏡もデブのじじいも戦争の仲裁だの言いやがって。だから殺したんだよ! この世界の人間には直接干渉できなぇが、剣を介せばできるからな。」
「……は?」
さっきからの何を言っているんだ? 眼鏡、仲裁…?
「…じゃあ、お前がレイノルズさんを殺したの?」
私の問に闘簫天はニヤァと気味の悪い笑みを浮かべた。
「…ククク、ああそうだ。本当はあの女を殺そうかと思ったが、じじいの剣でじじい殺した方がもっとでかい戦いが見れそうだろ?」
私の理解などとうに超えていた。わかっていたはずなのにわかろうとしていなかった。
今目の前にいるのは人間でなければこの世の物ですらない。厄災をもたらす堕天使なのだと。
「なんだよ…、何なんだよお前!!!!!!」
私は生まれて初めて心の底から誰かを呪った。
私は地面を蹴り、闘簫天までの数mの距離を一気に詰め、刀を抜いた。しかし、払った白刃は空を切り、闘簫天は後ろに飛び退く。再び距離を詰める頃には大剣を構え、2撃目はその剣で止められた。
「はははは! 良い表情してんじゃねぇか。もっと怒れ!俺を殺してみろ!!」
相変わらずその力は凄まじく、私は後ろの桐香達のところまで飛ばされた。
「くっ…」
「桜、大丈夫!?」
恵が駆け寄って私を気遣ってくれた。力で勝てないことはわかっていたから、受け止められた時点で弾き飛ばされるのを想定していた。おかげでうまく着地できて特に傷を負うことはなかった。私はもう一度刀を握り、立ち上がろうとしたところで桐香が止めるように私の前に腕を出した。
「待って。桜。ここに来るまでに話したこと覚えてる?」
桐香は銃を闘簫天に構え、視線を置いたまま私に聞いた。
ルークさん達を追って中央監獄までに来る途中、私たちは闘簫天の対策を少し話していた。
+++
―数時間前、商店リムから中央監獄までの道中
「ねえ、闘簫天と闘う方法のことなんだけど。」
中央監獄に向かって走りながら桐香が言い出した。
「え? 今話すの?」
「うん、私もゆっくり話し合うつもりだったけど、そんな状況じゃなくなったし、こうして外に出てる以上また出くわす可能性もある訳じゃん?」
桐香の言うように私たちは外に出る予定のなかった今日に闘簫天の対策をゆっくり考える予定だった。
「だから、今のうちに話し合っておこうと思って。」
「確かにそうね。でも、動きも普通じゃないし、傷もすぐ治っちゃうような化け物に勝つ方法なんてあるのかな?」
「ん、寝る前に少し考えたんだけど、勝つ方法は絶対あるはずなんだよ。だってあの白ローブは堕天使と闘うための武器って言って私たちに銃だの刀だの渡したんだよ? あいつがそもそも何なのか知らないけど、勝てもしない相手と闘わせるためにわざわざ私たちを異世界になんて飛ばすかな?」
「…確かに。」
確かにメタ的に考えればその通りかもしれないけど、肝心の方法がわからない。
「何か検討はついてるの?」
「いや、わかんない。」
「そこはわかんないのか…。」
「さすがにそこは勘弁してよ。そんなわけだから、今日は色んな可能性を試行錯誤したい。そのために、第一に私たちが受けるダメージを最小限にしよう。桜は前に出て直接闘うことになっちゃうけど、なるべく受けに注力して。」
「う、うん! わかった。」
「恵と私は後ろから桜のサポート。もし桜の体勢が崩れたら闘簫天に攻撃して隙を作る。顔を狙えば威力低くても時間は稼げるから。」
「おっけー、昨日の二の舞にはならないよ!」
私と恵は桐香の作戦に同意して、まずは探りを入れることに注力することになった。
「それと、何があっても冷静に、笛を吹かれないようにだけ注意して。」
「うん! じゃあ、頑張って闘簫天の弱点を探そう!」
「おー!」
こうして私たちはとりあえずの目標を立てた。
+++
―現在、中央監獄門前
「うん、覚えてるよ。ごめん、何があっても冷静にだったね。」
私は桐香の言葉で約束を思い出し、ゆっくりと立ち上がった。闘簫天は余裕綽々といった様子でこちらにすぐ襲ってくる様子はない。
「とりあえず傷の回復回数に限界があるのかを調べたい。だから、桜はかすり傷でも良いからあいつにできるだけ攻撃し続けて。もちろん私と恵がサポートするし、危なくなったらすぐに距離取って良いから。」
「わかった。やってみるよ。」
はぁ、と浅く息を吐き、気合いを入れ直してからもう一度闘簫天のところまで踏み込んだ。昨日の今日で私の技術や能力が変わっているはずもなく、正面から打ち合ったところでまともに攻撃が通ることはない。それでも考え方を変えて、一振りごとに1歩退くヒット&アウェイを繰り返す。まずは、闘簫天に笛を吹かれないことが一番重要だ。
「…闘い方変えたなァ。あの黒髪の入れ知恵か?」
「さあ、向こうの世界の女子高生はそんなに馬鹿じゃないってことよ。」
私は作戦を悟られないようにすることと、少しでも恐怖心を和らげるために敢えて闘簫天の話に乗ってみた。
「お前みたいな雑魚が、今更何をしようとしたところで変わらねぇだろうがな。」
「…でも、私は一人じゃない。」
さっきまでバクバクと激しく脈を打っていた私の心臓は今は落ち着き、周りも見えるようになっている。桐香も恵も2人がいるから、私は闘える。
「ど、どうしよう、どのタイミングで撃てば良いかな…」
「落ち着いて恵、まず火力は必要最小限に下げて、闘簫天が桜に攻撃しようとしたタイミングで撃って。」
(恵の魔法の準備にどれくらいかかるかはわからないけど、少なくとも恵が叫んでからのラグはほとんど無い。だったら体力温存の意味でも闘簫天が動き出してからでも問題ないはず…。)
「桐香は?」
「私も手伝うけど、とりあえずはあの笛を狙う。」
「笛を?」
「もしアイツにの回復力に底がないとしても、最低限あの笛さえ壊しておけば最大の脅威は取り払える。あの笛がなければ衝突を意図的に起こすこともできなくなるから。」
「な、なるほど~…。よく考えてるね、さすが桐香!」
「はいはい。ちゃんと集中してよ。」
「…ちっ、鬱陶しいな。やる気ねぇならこっちから行ってやるよ!」
一撃離脱を数回繰り返していると、しびれを切らした闘簫天は私が退いたタイミングで剣を振り上げた。その瞬間、恵達にちょうど背を向ける角度になった。
「今!」
「火っ!」
桐香のかけ声とともに放った恵の魔法により闘簫天の頭が火に包まれた。
「!? てめぇら…!!」
不意を突かれた闘簫天は火をかき消そうと首を振った。その隙に私は思いきって深く踏み込んだ。
「やあああ!!!」
私は滑り込むように懐に入り、闘簫天の右腕の脇を切り裂いた。堕天使はどうかわからないけど人間なら弱点の一つである部位を深く傷つけた。少なくとも少しの間右腕はまともに動かないはずだ。
「どう!?」
私は振り返り、闘簫天の方を見た。顔は焼けただれ、右腕はだらんと垂れているが、徐々に再生していく。
「なめやがって…」
闘簫天は剣を左手で持ち直し、私を睨み返した。はやくたたみ掛けないと再生の限界がわからない。私はすぐに間合いを詰め、傷ついた右腕に向かって剣を振り抜いた。左で受けられるだろうという想定で恵か桐香の援護ありきの攻撃つもりだったが、私が剣を振った瞬間に目の前から闘簫天の姿が消えた。と同時にその姿は私の左側にあった。
「少しはマシになったみたいだが、そんな小細工が何度も通用すると思うな!」
忘れていたわけじゃない。でも、わかっていても防ぎようがない、闘簫天の身体能力は人間の範疇を超えていて、その気になれば私の攻撃も桐香と恵のサポートさえ追いつかないほどの速度で攻撃することができる。「しまった」と思う頃には闘簫天の剣が私の目の前にあった。
「桜!」
桐香が反射で放った銃弾は闘簫天の剣に当たり、僅かに角度がずれ、私はなんとか刀の鍔でその刃を受け止めることができた。それでも圧倒的な力の差で私の身体が空を舞い、近くの建物の壁に激しく衝突した。
「う、ぐっ…」
衝突した建物の外壁はガラガラと崩れた、それによる土煙と頭を打ったことで私の視界はぼんやりぼやけた。身体能力と回復力にバフがかかっていなければ即死だったような衝撃だった。
「はぁ、まだ死んでねぇよな。また逃げられないように今度は確実に殺してやるよ。」
虚ろな意識の中で闘簫天がゆっくりと歩いてきているのがわかった。直後に、ドンッと銃声が響くのが聞こえた。
「ああ。そういえば黒髪、お前がこいつらの脳だったな。やっぱお前から殺すか。」
「どうすんの桐香!? こっち来るよ!」
「私が引きつけるから、恵は桜のところに急いで! 速く!」
「え!? うん、わかった!」
恵は桐香の声に少し驚いた後、桜のところに走り出した。
「させねぇよ!」
「!? えっと…、小っちゃい壁!」
途中で闘簫天に襲われた恵は、人一人がぎりぎり収まる程度の透明な壁を作り、必死に防御した。
「恵に手を出すな!」
桐香のやや威力を抑えめにして放った弾丸は闘簫天の右膝に命中し体勢を崩した。その間に恵はうなだれる桜のもとへ駆け寄った。
「やっぱ邪魔だなお前!!」
「それはこっちの台詞だよ…!」
膝がすぐに回復し、桐香の方へ歩を運ぶ。桐香は応戦するように何度も闘簫天の足下に連射した。
(私が桜を一人で闘わせた。桜が回復するまで時間を稼がなくちゃ示しがつかない!)
桐香は体力の消耗を顧みず撃ち続けた。しかし、次の瞬間、闘簫天の体は桐香の目の前にあった。闘簫天は全快した右腕で剣を振り下ろす。桐香は咄嗟に銃身で直撃は防いだ。
「お前のその武器、上の奴らの創造物だろうが、至近距離じゃ剣に勝てねぇよな!」
「…っ、重っ!」
闘簫天は防御されていることに構わず、銃ごと押しつぶすように力をかけ続けた。力に耐えきれなくなり、握力に限界が来た桐香の手から銃が離れた。
「…しまった!」
すぐに後退し、距離を取るも銃を落とした桐香に闘簫天の剣を防ぐ術はなかった。
「終わりだなァ、黒髪ィィ!!!」
闘簫天は勝ちを確信したように踏み込んだ。
「…ら、桜! 起きて!」
朦朧とする意識の中で恵の声が聞こえた。
「……恵?」
「よかった…! 立てる? 今桐香が闘簫天を引きつけてくれてるの、速く立って逃げ道確保しないと。」
恵は私の身体を気遣って、逃げる方法を考えているようだった。
「大丈夫、まだ闘えるよ。」
私は手元に落ちていた刀を拾い、恵に体を支えてもらいながら立ち上がった。ゾーンかハイという状態なのだろう。ひどい傷を負っているし、まだ恐怖心だってあるはずなのに、霞む視界の中で闘簫天の姿をはっきりと捉えていた。
「でも、桜ボロボロだよ?」
恵は心配そうに私の顔を見た。
「ありがとう。でも、もう少し頑張ってみるよ。」
そう言って闘簫天の方に向き直ると、闘簫天は丸腰の桐香に斬りかかろうとしていた。その光景を見た途端、私は走り出していた。
額から流れる血と汗で視界が悪い。正確な間合いが計れず、私が闘簫天を止めようと払った刀は闘簫天には届かなかった。しかし、次の瞬間、闘簫天の首がゴロッと地面に落ち、残った体は力なく膝をついた。
「…、……。」
それでも闘簫天は生きてるようで、落ちた首は私を睨み、何か言っているが喉がないため声になっていない。
「桜…?」
桐香は驚いたように私と闘簫天を交互に見ていた。私自身も何が起きたのかわからないけど、とにかく今は桐香を助けないと。私は桐香の銃を拾い、桐香の元まで走った。
「桐香、心配させてごめん。もう大丈夫だから、一人で闘おうとしないで。」
桐香はいつも冷静で頭の回転が速いから、つい頼ってしまうけど、私だって桐香の力になりたいと思ってる。だから、今はなるべく桐香に心配させないために笑顔でいようと思った。
「…私の方こそ、ごめん。じゃあ頼んでも良いかな、桜。」
「うん。任せてよ。」
桐香は私の手を取り、服についた土を払いながら立ち上がった。一方で、地面に落ちた闘簫天の首はタイムラプスのように高速で腐敗し、同時に体の方で頭が再生していた。
「首が落ちたのに生きてるなんてゾンビもびっくりだよ…。」
恵は後ろで杖を構えながら、あきれたように呟いた。
「…あァ、そういうことか。道理で黒髪の武器もチビの杖も見たことねぇのに、お前の剣だけはどこかで見覚えがあるわけだ。そこら辺のただの剣なわけねぇよな。」
再び立ち上がった闘簫天は額を押さえながら言った。
「その剣、”賜物”だろ。」
「は? たまもの?」
「そこの2人が持ってんのは神共が作った”創造物”だが、お前のその剣はそれとは違う。もともと天上に存在する、神同様のもんだ。聞いたところじゃ、神の一部だとか、天使の成れの果てだってなァ。」
闘簫天は私の刀を指さしながらよくわからない話を始めた。
「その様子じゃ知らねぇで使ってたのか。上の連中も不親切なもんだな。ははは!」
自分で始めたくせに興味なさそうに、奴は再び剣を構えた。
「まぁいい。さっさと第2ラウンドと行こうぜ!!」
首の傷など跡形もなく消え去った闘簫天は剣を振り上げ、向かってきた。
「桜、さっきのやつできる?」
「わかんないけど、多分できる気がする!」
私は額の血を拭い、腰のあたりから刀を振り上げた。私の刀は確かに空を切ったが、闘簫天の左目のあたりが斬り裂かれた。
「…っ効かねぇよ!」
一瞬動きが止まるも、傷に構わず突っ込んでくる。
「…な!?」
「壁!!」
予想外の動きに私の防御は間に合わなかったけど、恵の魔法に守られた。続けざまに桐香が闘簫天の右脚に銃弾を撃ち込み、私は距離を取る。
「恵、桜の援護お願いできる?」
「わかった、任せて! 桜、安心して前出ていいよ!」
恵はいつもの調子で私の背中を押した。さっきまでより連携がとれている。相変わらずダメージは与えられていないし、勝つ方法だってわかっていないけど、今なら3人で対等に闘えている。
「ふぅ…、じゃあ行くよ!」
今度は私の方から闘簫天に向かって間合いの外から何度も刀を振った。
「うららららああ!!」
剣道とか居合とかをやってる人からしたら、型も技もないでたらめな動きだろうけど、さすがの闘簫天も見えない攻撃は防ぎきれないようで、次々と数カ所の傷ができていく。心なしか普通に斬るよりも斬れ味がいいようで、回復にも少し時間がかかっている。
「…っああ! おもしれぇじゃねえか!!」
防ぎきれないと判断した闘簫天は防御するのをやめ、体を何カ所も裂かれながらも跳躍した。気づくと闘簫天は頭上で剣を構えている。
「っ雷!」
闘簫天が剣を振りはじめると同時に閃光が走り、動きが止まった。
「!? が、あ?」
「ナイスタイミング、恵!」
私はその隙を逃すまいと、がら空きになった腹に力一杯刀を振り抜いた。
「うっ…、くそが!!」
空中で自由を失った闘簫天はどしゃっと地面に落ちた。体幹に力が入らないのかすぐには立ち上がらず、這いつくばるような体勢でいる闘簫天に向かって、もう一度刀を振る下ろした。しかし、闘簫天は素手で私の刃を止めた。
「調子に乗るな、お前らがどれだけ足掻こうと俺には傷一つ付けられやしない。」
一見、弱っているようにも見えるが、怪力は健在で、捕まれた刀はびくともしない。
でも、今はこれでいい。
「桐香!!」
私の合図と同時に桐香は引き金を引いた。その発砲音が響くより速く、桐香の銃弾は闘簫天の笛に届いていた。
「ッ貴様…」
一発で完全に破壊とはいかなかったけど、闘簫天の笛の真ん中当たりに蜘蛛の巣状のひびが入っていた。それを見た闘簫天は目を丸くし、息をのんだ。
「貴様ァァァァァァァァ!!!!!」
明らかにさっきまでの反応と違う。闘簫天はすぐに刀を放し、桐香に向かっていった。その顔はさっきまでの余裕も不敵な笑みもなく、怒りに満ちた鬼のような形相だった。
「…まずいっ!」
「壁!」
あまりにも唐突な切り返しに桐香の反応が遅れたのを見て恵がアシストした。闘簫天の剣は恵の透明な壁に当たりキイィンという乾いた音を立てた。
「ッ…くそがぁぁぁ!!!!」
闘簫天は歯を食いしばり、やけくそのように壁に向かって何度も剣を叩き付けた。
「ちょっと…、待ちなさい!」
恵の壁に闘簫天の攻撃を何度も防げるほどの強度はない。私は闘簫天の背中に向かって突きを入れた。翼の付け根当たりがズバッと抉れ、闘簫天は「うぐ…!」と噛み殺したような声を漏らした。
「ふざけやがって…!」
視線だけを私に向けた闘簫天の目は血走っており、明らかに焦っていることが見て取れた。
桐香の予想通り、闘簫天のあの笛は相当大事な物なのだろう。
そんなことを考えていたとき、闘簫天はバサッと翼を広げた。反撃が来ると思い、飛び退いて刀を構えたが、闘簫天は上空5mほどの高さまで飛翔していた。
「え!? 逃げた!?」
「恵!」
「うん! わかってる! っh…」
上空に飛び上がった闘簫天に向かって恵が杖を構え、魔法を撃とうとした瞬間に闘簫天は身をひねり、剣を投げ下ろした。高速で放られた剣は恵の左肩に突き刺さり、恵はその勢いのまま数歩後ろまで飛ばされ、背中から地面に叩き付けられた。
「「恵!!」」
私と桐香が咄嗟に恵の方へ走り出すと、恵がはっとし、私たちの後ろを指さした。
「桜! 桐香! あれ…」
私たちが振り返ると闘簫天は腰に差していた笛を持っていた。
「やば…!」
ブオオオオオオオ!!!!!
「うっ…!」
私と桐香はすぐに耳を塞ぎ、なんとか冷静さを保つことができた。恵は耳を塞ぐことはできなかった出血でそれどころではなかったことと、闘簫天が投げた剣の衝撃で杖を落としていたことで、昨日のように暴走することはなかった。
しかし、街のほぼ中心部の上空で笛を吹かれたのは最悪といえる事態だった。数秒遅れて時計塔の広場の方から爆音が聞こえた。静かだった街は狂乱する人々の喧騒で満ちていた。
「そんな…」
「狂ってる…」
ここまでルカさん達がやってきたことを嘲笑うかのように、闘簫天は一瞬のうちに争いを引き起こした。
「…ククク、ははははは!! 闘え! 殺し合え、人間共ォォォォォォォ!!!」
重たい雲が覆うアインスの上空で闘簫天の高笑いが響いた。
「ふざけんな! 降りてこい! 逃げるな!!」
「あ?」
桐香は闘簫天に銃口を向け、発砲した。しかし、その銃弾が当たることはなく、次の瞬間、闘簫天は桐香の前に現れた。
「逃げてねえよ。」
そのままの勢いで闘簫天は桐香の腹を殴り飛ばした。
「が、は―」
防御や受け身をとる余裕のなかった桐香はそのまま監獄の壁まで叩き付けられた。それどころか壁を破り、監獄の敷地内まで飛ばされた。
「桐香!」
瞬間移動を疑うレベルの高速移動に私の動体視力は追いつかず、後ろにいた桐香の方に振り向いた頃には闘簫天は既にいなかった。
「はぁ、はぁ…、お前も随分邪魔してくれたなァ。」
桐香の後、闘簫天は恵の脇に立っていた。肩から血を流しながらも、這いつくばりながら自分の杖と闘簫天の剣を取ろうとしてた恵の腹を闘簫天が蹴り上げた。その闘簫天の後ろ姿になんとなく違和感を覚えたが、今はそれどころじゃない。
「きゃあああ!」
恵は悲鳴とともに街灯の支柱に背中を打ちつけた。
「恵!」
本当に今まで本気ではなかったかのように、一瞬で桐香と恵がやられた。闘簫天はゆっくりと落ちていた剣を拾い上げ、私の方に振り向いた。
「興は終いだ。お前らは全員この場で殺す。」
淡々とした口調で近づいてきたと思えば、瞬きする間に私の目の前にいた。
「…はやっ!」
私はギリギリで体の前に構えていた刀でそれを受けた。今までとは段違いで速すぎるそれを正確に見切ることはできなかった。
「はぁ…、ガキ共が、調子に乗るなッ!!!」
闘簫天は何度も連続して剣を振った。あまりにも速い剣速に為す術なく、私は防戦一方を強いられた。それだけでなく、一振り一振りが押し潰されそうなほど重い。さっきまでのように一撃離脱を繰り返すことも距離を取って間合いの外から攻撃することもできそうにない。
このままじゃ、いつかやられる……。
焦りが募っていく。まともに受けて押し返すことなんてできそうにないし、とはいえ、このまま斬激を受け続けることもできない。できたとしてもいずれ体力がなくなってやられるのはこっちの方だ。
私は意を決して、闘簫天が剣を引いたタイミングで一歩踏み出した。とても隙と言えるようなタイミングではなかったけど、それでもこの状況を打破できるならと、私は下段から刀を振り上げた。
「…っやああ!!」
焦っていた。あれほど冷静さを欠かないように気をつけていたのに、桐香と恵の2人の力があったから対等に闘えていただけで、私一人では力も速度も技も何もかも劣っているとあれほど思い知らされたのに…
闘簫天はしゃがむように避け、私の刀は髪を掠っただけだった。下に目をやれば、闘簫天がニタァと笑みを浮かべていた。
「…っはは、馬鹿が!」
闘簫天はその態勢のまま右腕を振り挙げた。その瞬間、私の視界には真っ赤な鮮血が映っていた。状況を理解するよりはやく、私は反射的に飛び退き、闘簫天と距離を取っていた。
「ぐふっ…! う……」
血を吹き出し、ふっと全身から力が抜けるような感じがして私はその場で膝をついた。地面にボタボタと落ちる血が私の身体から流れていることに気づき、そこで初めて私が斬られたのだと自覚した。ドクドクと体の中から血が溢れ出ている感覚にサーと頭から血の気が引いていくのを感じた。
恐い。いやだ、死にたくない…
覚悟はできたなんて思っておきながら、想像さえできていなかった。
「っははは! 呆気ねぇなあ。散々大口叩いてといて最後は自滅か?」
闘簫天は笑いながら近づいてくるのに、こんな時に限って体が固まって動かない。
「あ…、ゃ、やめて、待って…」
剣を握る手は震えていて、今にも刀を落としそうだった。動かなきゃ殺されるとわかっているのに悪い想像だけが頭を巡って立ち上がれない。
やっぱり、闘えるなんて嘘だったんだ。こんな化け物になんて勝てなかったんだ…
「じゃあな。お前の魂は俺が上まで持ってってやるよ。」
「あぁ…」
私はただ闘簫天が振り下ろす剣をただ眺めているしかなかった。
「…雷!!!」
突然目の前を走った青白い光に私は目を細めた。
「…っ! まだ意識あったのかお前!」
恵はうつ伏せに倒れたまま杖を握り、闘簫天の動きを止めた。
「桜! 立て! こんなところで死んじゃ駄目だ!!」
恵は泣きそうな顔で声が震えていたけど、それでも勇気を出して私を助けようとしてくれた。こんな状況、恐くて仕方ないはずなのに、それでも私を助けるために体力を削った。
「うるせえな。じゃあ、お前から殺してやるよ!」
闘簫天はうつ伏せに横たわる恵に剣を向けた。恵に避ける体力なんて残っていない。このまま見ていたら恵が殺されることは目に見えていた。なのに…
―どうして私は今地面に座っているのだろう
―どうして私は今恵の危機を眺めているのだろう
―どうして私の意識はまだあるのだろう
ーどうして私は……
「…桜、ごめん。それと今までありがとう。」
「……!」
気がつけば私は歯を食いしばり、刀を握っていた。
「ぁぁああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!」
喉から血が噴き出そうと、体が悲鳴を上げていようと、私は構わず力任せに闘簫天の背中に向かって刀を振った。闘簫天の手首を飛ばし、それでも私の刀は収まらず、延長線上にある地面や建物の壁まで斬り裂いた。
「はぁ、はぁ、ごめん、恵。私諦めようとしてた。私がやらないといけないのに。アイツを倒さないといけないのに。…でも、もう大丈夫だから。勇気をくれてありがとう。」
覚悟や使命なんて格好良いものじゃない。体はボロボロで今にも意識が飛びそうだし、傷つくのも死ぬのも恐い。でも、今私の命には恵と桐香と、莉里の命が乗っている。それだけで闘える理由は十分だった。
「だから、勝とう。3人で。」
「…っ、どいつもこいつも粘りやがって、そのボロボロの体で何ができるんだ? なあ、やれるもんならやってみろよ!」
闘簫天は再生した腕で剣を握り、私に突っ込んでくる。やっぱりカウンターなんて考える余裕はなく、私は精一杯それを受け止めた。
「さっきまでガタガタ震えてた臆病者が今更どうしようってんだ、あぁ?」
「今だって闘うのは恐いに決まってる。それでも私を殺したら、お前は桐香と恵を殺すだろ? だったら私は倒れるわけにはいかない!」
右手を刀の先端に添えて、思い切り押し返すと、闘簫天はバランスを崩して一歩退いた。
やっぱりそうだ。こいつ…
「くだらねぇ、そうやって全員死んでいくんだよ!」
間髪入れずにもう一度水平に剣を振ってくる。なんとか防ぎ、次の一撃も防ごうとしたとき、不意に右足の力が抜け、私はガクッと体勢を崩した。
「言わんこっちゃねぇなあ、人間!!!!」
闘簫天はとどめと言わんばかりに剣を振り上げた。
ほんの一瞬、闘簫天が油断した。その一瞬を狙い、監獄の壁の影から桐香が引き金を引いた。
ドンッ!!っという轟音とともに闘簫天の背中が爆発し、闘簫天の体が泳いだ。
「あ!? 何を…?」
「今出せる私の最高火力。後は頼んだよ桜。」
桐香は吹き飛ばされた壁の向こうで、銃を構えながら言った。
「ありがとう、桐香。」
私は闘簫天が腰に差した笛の中央にできた大きな蜘蛛の巣状のひびに向かって全力で刀を振り下ろした。
あのとき感じた違和感。笛を吹いた後、降りてきた闘簫天の背中には確かに傷があった。飛ぶ前に私が突きで入れた傷がそのまま回復することなく残っていた。桐香が笛にひびを入れた直後にできた傷だ。おまけにその時の闘簫天は息が切れていた。違和感は確信に変わり、私はあの笛が闘簫天の弱点なのだと知った。
「闘簫天、私たちの勝ちだ。」
バキッと鈍い音を立てて、笛は真っ二つに割れ、破片が地面に散乱した。
「馬鹿…な……」
闘簫天は絶望したように膝を突き、砕けた笛の破片を拾い上げて見つめていた。しかし、その拾い上げた破片はすぐに地面に落ちた。闘簫天の手が灰燼のようにボロボロと崩れ落ちていた。
「…何故だ、何故だ何故だ何故だ!」
闘簫天は狂ったようにうずくまって叫んだ。私が呆然と闘簫天が崩れ落ちていく様を傍らで見ていると不意に闘簫天がこちらを睨んだ。
「俺が負けるはずがない…、こんなガキ共に俺が!!」
闘簫天は立ち上がり、殴りかかるように右腕を振りかぶった。しかし、その腕が私に触れることなく、私の目の前で闘簫天の体は完全に崩れ、跡形もなく消えた。
「死んだ…の?」
闘簫天が消えたことで、緊張がほどけ、私は地面にへたり込み、空を仰いだ。
「ほんとに勝ったんだ、私…」
どんよりと淀んだ空には3羽の鳥が輪を描くように低く飛んでいた。
お読みいただきありがとうございます。
第1章はあと2話ほど続きます。ぜひ最後までお読みください。




