“推し活”のすすめ
「肌、綺麗だよね。」
目の前にいる瑞希は凪紗を見つめたまま、そんな事を言う。
「髪も、すごくサラサラだし、まつ毛も長くて、鼻筋も通ってて、目もキラキラしてる。その上、声も透き通ってて、歌声なんかもう、聞き惚れちゃうくらい。」
アハハっと瑞希が笑う。
「何、?」
「凪紗はもう、充分過ぎるほどのものを生まれながらにして持ってる。その上、Nanashiにまで近づくなんて。だから少しくらい奪われたって、文句、言えないよね?」
そう言いながら瑞希は羽織っていた上着のポケットからカッターナイフを取り出した。カチカチカチと音をたてたそれは、凪紗に向けられていた。 ひゅっという音と共に、全身の熱が一気に冷めていくのを凪紗は感じる。
「……本当に、ぐちゃぐちゃに壊したくなるくらい綺麗な顔。」
「……あっ、……」
─────助けて助けて助けて助けて
凪紗が頭の中でそう唱える。鼓動が早くなり、目の前が真っ暗になる。やばい、倒れる、そう思った時だった。不意に母親の顔が脳裏に浮かんだ。
「凪紗、1人で生きていく強さを身につけなさい。じゃないと、お母さんみたくなっちゃうからね?」
母親の優しい声が頭の中に響く。
─────私、ここで何やってるんだろう。
「助けて」じゃない、自分で何とかしないと、そう自分に言い聞かせる。
─────助けてって言って助けてくれる人なんて後にも先にも、私の人生にはいないじゃないか。
キッと前を向く。目の前には、未だこちらに向けられているカッターナイフがあった。
「産まれた時から全てを持っている凪紗には、傷の1つや2つくらい必要でしょ?」
─────すべてを持っている…
「どうせ苦労もせずに、伸び伸びと生きてきたんでしょ?周りからもちやほやされてさ。」
─────伸び伸びと生きてきた……
「人生勝ち組じゃんね。親ガチャ成功。」
─────親ガチャ……?
プツンと音がする。川田の時と同じだった。
凪紗は、目の前にあるカッターナイフを持つ瑞希の手をガシッと掴み、そのまま瑞希を自分の方に引き寄せる。突然の事でバランスを崩した瑞希を見て、凪紗は足をかけ瑞希を転ばせ、カッターナイフを持った手を、地面に押さえつけたまま、倒れた瑞希の上に馬乗りになる。何が起こったのか理解出来て居ないであろう瑞希は、目をぱちぱちさせ凪紗を見ていた。
「……にを、、ってる、の?」
「何?聞こえない。」
「私の何を、知ってるの!!!!!!」
凪紗の大声に瑞希は思わずビクッとする。
「親ガチャ成功?笑わせないで。私の父親は確かに金持ちだった。大物政治家の息子だったから。でも、父は、私が4歳の時に死んだ。それも不倫してた父を祖父は庇い続けて、私と母は家から追い出された。それからは、母と私は2人きりでずっと狭いアパートに住んでた。元々していた仕事も、父親との結婚をきっかけに辞めたから、母はパートを掛け持ちして、2人分の生活費を稼ぎ続けてた。でも母も私が中3の時に死んだ。自殺だった。家に帰ったら、首を吊った母がいて、机の上には父が残した生命保険金と母が残したなけなしのお金が置いてあった。両親との思い出なんて、そのくらい。母が私に残したのは、この容姿を使って生きる術だけ。」
「……でも!!その綺麗な容姿があるんだから、稼ぐ方法なんていくらでもあるじゃない!!」
「……それが、普通の幸せなの?綺麗な容姿はあっても、私には普通の、みんなが感じているような普通の幸せを手に入れることは出来なかった。両親と一緒にご飯を食べて、笑いあって、今日あったことを話して、一緒に布団に入って、朝おはようって言って。」
凪紗の涙が瑞希の顔に落ちる。
「……これ以上、私から何を奪うの?」
「っ……。」
瑞希は一瞬躊躇う。容姿端麗で優しく微笑んでいた彼女の姿からは想像できない程のものを、彼女が背負っていたと知ってしまった、その事実は瑞希の凪紗への嫉妬心を和らげるには十分なものだった。しかし、凪紗がNanashiに近づき、何よりプレイヤーを貶したことには変わりない。もう一度、瑞希はカッターナイフを握っていた手に力を込める。
「でも、それでも、凪紗が私たちプレイヤーに、そしてNanashiに、した事への言い訳にはならない。何より私の気が収まらない。」
色々な過去を思い出し、凪紗の手は震えていた。それを見計らって、瑞希は手を振りほどくと今度は、凪紗の体を地面に転がせ、その上に瑞希が馬乗りになる。そしてカッターナイフを凪紗の綺麗な顔に近づけていく。
「確かにあなたのこと、「かわいそう」とは、思うし、同情もする。でも、これは牽制なの。もう二度と凪紗が彼らに近づけないように、そして、もう二度とナナとして表舞台に立てないようにするために、少しその綺麗な顔に傷を付けるだけ。だから、我慢してて。動くと取り返しがつかなくなるかもしれないわよ?」
「……もうこんな顔、いらないよ。」
凪紗は力の抜けたように呟く。
─────ああ、私の人生こんなものか。
思わず涙が溢れそうになり、目をぎゅっと瞑る。
さようなら、お母さんがくれた財産




