“推し活”のすすめ
泣いている凪紗の手を引いたその人は、近くにあった公園のベンチに凪紗を座らせ、そのまま飲み物買ってくるね、とその場を離れた。1人取り残された凪紗は少し冷静になる。
───めちゃくちゃ迷惑をかけてしまった
ついさっき知り合ったばかりの人の前で号泣してしまった恥ずかしさと2度も迷惑をかけてしまった申し訳なさが一気に押し寄せてくる。どんな顔をして話せばいいのかと凪紗が悩んでいると、あの男性が小走りで戻ってきてしまった。とりあえず凪紗は自分の出来る精一杯の冷静な顔をした。
「はい……どうした、また顔強ばってるよ?」
と彼は少し笑いながら、凪紗に炭酸のジュースを差し出す。
「ありがとうございます。」
そう言い、凪紗は受け取ったジュースを一気に飲むと、彼に頭を下げる。
「あの、すみませんでした!ご迷惑をおかけして、それも2回も。」
「いえいえ、落ち着いたようで何よりです。」
────
沈黙が続く。いきなり赤信号で歩道を渡り、トラックが近づいてくるにも関わらず、全く逃げようとしなかった少女。それも急に泣き出すという、この状況の下でだいたい誰しも考えること。最悪の事態、この人もおそらくその考えには行き着いているだろう。実際に凪紗にも、赤信号に気づかず渡ってしまい、最初はそんなつもりがなかったとしても、どこかで死を受け入れている自分がいたこともまた、事実であった。
───気まづいだろうな
「それにしても、こんな風にプレイヤーと出会うなんてねー!感動しちゃったよ。」
「……え?」
大丈夫?とか話聞くよ?とか、定型文じみたことを言われるのだろうと思い、なんて答えようと言うところまで考えていた凪紗にとって、それは予想外の話題だった。
「あ、でも俺の周りにいないだけで、女の子のファンは多いし、そんな珍しくないか。」
「いや、そんな事は。私もこんな形でプレイヤーの方とお会いするとはびっくりでしたし。それに、プレイヤーの男女比は4対6でそこまで差はないらしいですよ。」
「えっ、そうなんだ!初耳だなー。」
「……」
「どうした?」
凪紗は気まづくなるとは分かっていても、聞くことを決心した。
「どうして聞かないんですか?どうして泣いたのか。」
彼は少し驚いたような表情をした後、ふわっと笑った。
「ああ、確かに触れるべきなんだろうけどね。でも全然知らないやつに大丈夫?とか話聞くよ?とか、事情聴取みたいなことされるの、迷惑じゃない?余計なお世話っていうか。少なくとも俺はそう思っちゃうからさ。ごめん、もしかして話聞いて欲しかったりとかした?」
「あ、違うんです。私も大丈夫?とかそういう定型文みたいなの、聞かれるかなと思ってたのでびっくりして。でも助かりました。なんて答えればいいか毎回悩むので。」
「毎回?」
そうか、普通こんな風に人から心配されるようなことは頻繁に起こらないから、毎回、はおかしいのか、少し口が滑ったなと凪紗は反省しつつ、話をするか迷う。今まであまり深いところまで自分自身の話をしたことはなかった。
しかし、この人には話してもいい、そんな気がした。
「私、幼い頃に両親を亡くしてるんですよね。父は事故で、母は、自殺でした。」
「自殺……。そっか。話せる範囲でいいから、もう少し教えてくれる?」
「両親は本当に幼かった私から見ても、仲が良かったんです。でも実際それは、母の一方通行の愛であり、父は他の人を愛していた。それを知ったのは父が亡くなった後でした。どうして愛してくれなかったのかという、怒りや悲しみなど、色々な負の感情をぶつけることすら出来ず、今まで大事に、たくさんの愛を受け取り育ってきた母は、最愛の人から愛されていなかったという事実を受け入れることはできず、どんどん愛を欲するようになっていきました。そしてその主な対象は、私でした。父が亡くなったのがちょうど私が小学校4年生の頃だったので、当時の私はすぐには母の異変に気づくことは出来ませんでした。そして、母はそのまま現実を抱えきれなくなり、最後は自分で首を吊って。」
「……ごめんね。辛い話させて。」
「いえ、こちらこそこんな話をしてしまって。」
「ううん。これも答えたくなかったら全然大丈夫なんだけどさ、お母さんが愛を欲するようになったって、ドラマとか映画でよくあるやつ?」
「ああ、あの焼印入れたりとか部屋に閉じ込めたりとか?」
「うん……。ごめん!!!話したくないよね、そんなこと、思い出したくもないはずなのに!」
おそらく色々な状況を想像しているのだろう。まだ話してもいないのに、眉間にキュッと皺を寄せ、険しい顔をしているその人がなんだか可愛く思えて、凪紗はクスッと笑う。
「いや、そんな事は全く。逆にうちの母は家事も仕事もどんなに忙しくても全て自分でこなし、なんというか、私に尽くしている、って感じでした。危害を加えるどころか、父がなくなって以来、叱られた記憶が無いくらいですね。でもたぶんそれは、母親と娘と言うよりは、家来と、えっと、お殿様?」
「うーん、というか君主かな?」
「ああ、君主みたいな感じで。悲しい人ですよね。愛することしか、愛される方法を知らない。尽くすことで、愛がきっと返ってくると信じている。それで結局抱えきれなくなって自ら命を絶ったらどうしようもないのに。」
「そうだね、でもそれ以上に優しい人だよ。愛されたいからと言って、簡単に子供に害を加える親も少なくない。彼らはそうすれば、子供を自分の下に拘束できることを理解しているからね。でも君のお母さんは君を絶対に傷つけないように、自分自身を犠牲にしてきた。それが正しいとは思わないし、親としては失格だと思う。でも、親の背中を見て子供は育つからね。君が人を思いやれるように育てられたことに間違いはないと俺は思うな。」
確かに母、一ノ瀬慧子はどんな事があっても、凪紗に手を出すことは無かった。確かに彼女は凪紗に正しい人の愛し方は教えてくれなかったし、その上歪んだ愛を与え続けた。しかしそれと同時に、人としての最低限のあり方を教えてくれたのも、彼女であったのかもしれない。
凪紗は目をつぶって、今まで閉じ込めていた母との記憶を思い出す。
──凪紗ちゃん?凪紗ちゃんはずっとお母さんと一緒にいてくれるよね?お母さん、凪紗ちゃんのこと頑張って支えるから、2人で生きていこうね。
──凪紗ちゃん。これ、お弁当。今日も学校頑張ってね?お母さんもう仕事行くから
お母さん、くま酷いよ?私別に自分のお弁当くらい作るし、家事だってちょっと手伝うから、もうちょっと休んでよ。
ダメよ。凪紗ちゃんにそんな事させられない。短い学生時代なんだから、家のことは全部私に任せて、たくさん遊んで?ね?
うん……
───凪紗ちゃん?お母さん、凪紗ちゃんのこと本当に誇りに思ってるの。あなたは存在しているだけで、生きているだけで偉いの。だからいつまでも、このままの優しくて、正しい凪紗ちゃんでいてね?
今思い返してみても、だいぶ愛し方が歪んでいるなと痛感して、凪紗は思わず笑ってしまう。これは、世間一般で言う親子とは、かけ離れたものだったのだろう。しかし、あの時は、父親の代わりに使われているだけだとしか思えなかったあの愛も、ウザいだけだった思い出も、もう一度思い返してみると、母は自分が思っていた以上に自分のことを見ていてくれたのかもしれないと思う。
いつの間にか凪紗の中で、思い返すだけで過呼吸になっていた、自分を苦しめるだけの一之瀬慧子との思い出が、少し笑える母親との思い出にかわっていた。
そしてそれは間違いなく、目の前でやはりふわっと笑って、凪紗を見つめている、その人のおかげだった。




