“推し活”のすすめ
ファミレスから逃げるように出てきた凪紗は、することもなく家に帰るため歩いていた。
───やってしまった
そんな思いが凪紗の中で膨らんでいき、どんどん罪悪感も大きくなっていく。
奏があんな提案に賛成しないことなど、分かってはいた。口先では迷惑かけたくないだの、なんだの、口当たりの良い事を言っていたが、本当は色んな人からのコメントを見て、怖くなっただけだった。実際に自分はNanashiのファンで、奏のことを狙ってないのかと聞かれるとそれは否定できないし、実力があるわけでもない。ファンとして超えてはならない一線を無理やり超え、彼らに近ずいただけの、ただの迷惑なファンだということを、いつか憶測ではなく本当に見抜かれてしまうのではないかと怖くなっただけだった。
────ほんとうに、いい加減にして欲しい
勝手に踏み込んで、荒すだけ荒らして、怖くなったら逃げだす。最低だ。アーティストとして、彼らと同じ土俵に立つ人間として相応しくないのははなから分かっていた。
でも今の自分は、彼らを応援するファンとしての資格すら、ない。
彼らのこれまで積上げてきたものを壊し、彼らの絆も壊した凪紗には、彼らを「推す」ことすら許されない、そんな気がしてならなかった。
「誰か知らんけど、とりあえず死んで欲しい。」
「存在が無理」
「Nanashiに関わるな、きえろ」
ふとそんなコメントが頭をよぎった。
───もう、どうでもいいか。
Nanashiが生きる理由になっていた凪紗にとって、彼らを推すことが出来なくなることは、自分が生きていく意味を失うことと同じだった。
彼らの近くに居れて、関わりをもてていた今までは全く気にならなかった誹謗中傷も、Nanashiという、そして南野奏という夢から目を覚まし、現実に目を向けている今は、凪紗の心をぐちゃぐちゃにする。ずっと心にナイフが刺さっているような感覚になってしまう。
辛い。
苦しい。
悲しい。
悔しい。
もう、どうでもいい。
別にわざとではなかった。
心がぐちゃぐちゃになっていたために周りが見えなくなっていた。
凪紗は横をむく。
大型トラックが凪紗に近ずいてくる。
運転手はこちらに気づき、必死な顔をしているが、トラックはあまり減速できていない。
おそらく、とばしていたのだろう。
しかし凪紗にはその間の数秒が、とても長い時間に思えた。
───私の人生、しょうもなかったな。お父さんもお母さんもアホみたいな死に方して、私も推しに無理やり近づいた上に、全部ぶっ壊して、結局あの人たちの子供なんだよな。
だんだんとトラックは近ずいてくる。
足に力を入れるが、ビクともしない。
本当に死ぬ。
───あぁ、もっと生きたいな。
─ドンッ
トラックにしてはだいぶ弱い力が凪紗の背中を押し、歩道に倒れ込む。
跳ねられたにしては、全く痛くない。
自分の上に重さを感じて後ろを振り向くと、そこには知らない男性の顔があった。
──助かった……のか?
「ちょっと!!!!!お嬢ちゃん!!!!!!」
何があったのか理解出来ず、まだ放心状態にある凪紗に向かって、トラックの運転手が近づいてくる。
「ちゃんと周……
「君!!!!!!」
そんな運転手の言葉を遮ったのは、さっきまで凪紗の上に倒れ込んでいた、男性だった。
「ほんっとうに、危ないところだったよ!?ちゃんと周り見ないとダメだろ!!まじで焦ったー。」
そう言いながら、凪紗の肩を両手で掴み、ゆさゆさと揺らしている。その手が少し震えていたことに、凪紗はハッとさせられる。
───この人の人生も、運転手さんの人生も壊すとこ ろだった……
──ペシっ
「え……?」
またしても自分が情けなくなり、下を向いていた凪紗の顔が、少し骨張った、大きい手で挟まれた。顔を上げると、助けてくれた男の人が笑顔でこちらを見ていた。
「とにかく、無事で本当に良かった!!!!ちゃんと信号をみて渡らないとダメだよ?あと、運転手さんに謝ろう?」
そう言った男性は、手を引き、座り込んでいた凪紗を起こして、運転手の方に向かっていく。
「この度は本当にお騒がせして、申し訳ないです。」
男性が頭を下げる。
それにつられて凪紗も謝る。
「本当に、ごめんなさい。」
「おぉ。」
運転手も2人に頭を下げられるとは思っていなかったのか、戸惑いが隠せていない。
「まあ……なんだ、とばしてたこっちも悪かったしな。嬢ちゃん、気をつけるんだぞ?まあ、無事でよかったよ。兄ちゃんも本当に、こちらこそお礼を言わないとだな。ありがとう。」
さて、仕事仕事と呟きながら、トラックに戻って行く運転手を見送ったあと、凪紗は改めてその男性にお礼を言った。
「本当に、助かりました。ありがとうございました。なんてお礼すればいいか……。」
「いいよ、無事だっただけで良かったよ。」
そう言ってまた彼は、ふわっと笑った。その笑顔がなんだか、優しくて思わず凪紗は泣きそうになり、思わず反対方向を向く。
「え?どうした?」
急に目を逸らした凪紗に驚いた彼が、顔を覗き込もうとするのを避け、地面に放り出されていたリュックを拾い、では、とだけ言い立ち去ろうとする。
────これ以上一緒にいるとまた、関係ないこの人まで巻き込んでしまう
そんな思いを抱えたまま、彼に背中を向けたその時
「あ!!!!!」
突然の大声に思わず、凪紗は振り返る。彼は凪紗にずいっと近ずき、リュックを指さす。
「そのピンバッジ、俺もほら。」
そう言い彼は肩から掛けていたトートバッグを凪紗の目の前に持ってくる。
「あ、、、」
そこには横に倒した剣のマークの上に、”Nanashi”と書かれたピンバッジが付けられていた。そしてそれは、凪紗のリュックにも同様のものが付けられている。
「それ、この前のライブの」
「そうそう!!君も行ったの?ライブ!!」
「はい。もしかして、プレイヤーですか?」
「うん、推させてもらってます」
いつだったか、奏がNanashiはリアコなどの熱狂的な女性ファンが多いからあまり目立たないが、男女比は4対6くらいなのだと言っていたのを思い出した。
1度彼らのことを考え出すと、止まらなくなってしまう。分かってはいたが、あの夢のような思い出たちが蘇ってくる。
「、、、どうした?」
「え?」
何か違和感を感じ、頬をそっと触ると、手に水滴がつく。凪紗は焦って涙を止めようとするが、次から次へと、色々な思いを吐き出すように涙は流れ出していく。その様子を見ていた男性は再び凪紗の手を引き、またふわっと笑った。
「あっちでゆっくり話そうか。」
その笑顔が前よりも更に温かく感じ、凪紗の頬を伝う涙は、それにつられ、速度を増していた。




