【結】伯爵、メイドの夢をつくる
「すみません、お騒がせしてしまって…」
「彼女は大丈夫だったのかい?」
「悪いところは無いようで…一旦寝かせて様子を見ています。」
少女が倒れた後、リオはすぐに医者を呼び診察をさせましたが、倒れた原因はわからず仕舞いでした。
「気のせいかもしれんのですが、私を見て倒れてしまったような…何かしてしまったんでしょうか。」
一部始終を心配そうに見守っていたチャールズは、気まずげにそう言います。リオは、そんなことはありませんよ、と言いたいところですが、彼女が倒れた原因がチャールズにあることは明らかでした。
「チャールズ公爵、あのメイドとどこかでお会いになったことは?」
「いや、覚えがないのだが…ここに来る前は何をしておった娘なのですか?」
「…僕も詳しくは知らないのです。口がきけない、ということくらいで。」
そういえば、と、リオは少女が先ほどとった行動を思い出します。
「倒れる寸前、机の上の林檎を指さしていたような気がします。」
すると、それを聞いたチャールズはみるみる顔を青ざめさせていきました。
「林檎、話せない…まさか…」
「何か心当たりがあるんですね。よければ聞かせてもらえませんか。」
チャールズは項垂れながら、ぽつりぽつりと昔話を始めました。
十数年ほど前、チャールズは教会へ支援を行い、貧しい子供たちへ食べ物を支給する活動をしていたといいます。ある日、休憩をとるために教会の外に出ると、近くの森で一人遊んでいる少女を見かけました。やあ、こんにちは。そう声をかけると少女は振り返り、目が合った途端、ぐう、と大きなお腹の音を鳴らしました。
もしかして、これのせいかい?チャールズは、休憩中に食べようと手に持っていた林檎を掲げて聞きました。少女は恥ずかしそうに俯いています。
よかったら、君にあげるよ。そうチャールズが言うと、少女は『お金を持っていないから』と小さく呟きました。そこで彼はこう提案したのです。
『じゃあ、こうしよう。お代として、君の声をいただくよ。』
彼としては、ふざけて言ったつもりでした。ですが、おそらく少女はそれを真に受けたのでしょう。真剣な顔で頷き、そして受け取った林檎を齧った後は、お辞儀を一つして静かに去っていきました。
「きっとその時の少女があのメイドの娘さんなんでしょう。あれ以来声が出せないと思い込んでいるのかもしれんです。」
チャールズも本当に悪気は無かったようで、非常に落ち込んでいる様子です。
そんなことで声が出せなくなるなんて、単純なあの女らしい…と、リオは少々呆れ顔で思いました。
「…あの少女の人生を台無しにしてしまったのは私のせいです。責任を取らねばなりません。」
意を決したように、チャールズはリオへ言いました。
「リオ伯爵、あの娘を、私の養女として迎えたいのですが、いかがでしょうか。」
「え?」
リオはその提案に驚き、固まってしまいます。確かに、チャールズはリオ以上に資産を持っており、彼女一人を養うことくらいは容易いでしょう。メイドとして働くよりも、ずっといい暮らしができるかもしれません。ですが、リオは悩みました。
自己中心的な考えとは分かっていても、自分の元から彼女が去ってしまうことが、どうしても嫌だと思ってしまったのです。
「…彼女が元通り、声が出せるようになれば、その必要もないですよね。」
リオは考えた末、静かにチャールズへ言いました。
「僕に考えがあります。手伝っていただけますか?」
少女は、長い眠りについていました。またあの夢を見ています。幼いころの自分、真っ赤な林檎、声を失った後悔。ふと少女の鼻腔を、柔らかい草の匂いがかすめました。
どこか、懐かしいような。そう感じながらそっと目を開くと、少女はちょうど夢の中で遊んでいた森の、草むらの上に寝転がっていました。
状況がわからず、混乱する頭で辺りを見渡します。すると、奥の方に人影が見えました。少しずつ近づいてみて、少女はぎくり、と途中で足を止めました。
夢の中で出てきた男、チャールズ公爵がそこに立っていたのです。
少女が立ちすくんでいると、チャールズが突然、その場に膝をつきました。
「誰か、食べ物を恵んでくれないか…」
チャールズが苦しそうに言うのが聞こえます。少女はその時、いつの間にか手に林檎を持っていることに気づきました。これは、夢の続き?もしここでこの林檎を彼に渡したら、私の声は元に戻るの?少女はそう思いますが、幼いころのトラウマからか、どうしても足が動かず、チャールズに近づくことができません。
自分が情けなくて、涙が出そうになります。すると、こつん、と、頭を軽く小突かれるような衝撃を受けました。振り返ると、自分の主、リオが後ろで仁王立ちをしているではありませんか。
「いつもは肝が据わってるくせに、何してるんだか。」
その姿を見た途端、少女はじわじわと冷たくなっていた手足に血が巡っていくような気がしました。
「仕方ないから、俺が一緒に行ってあげるよ。」
リオに手を引かれ、少女はしっかりとした足取りでチャールズの元へ辿り着きました。
「…娘さん。その林檎を、私に恵んでもらえませんか。」
チャールズが少女にそう言いました。少女に代わって、リオが答えます。
「お代として、この女の声を返していただけますか。」
「ええ、もちろんです。」
二人のやり取りをみて、少女はようやく今の状況を理解し、リオの優しさに涙が溢れ出しました。
少女が差し出した林檎を、チャールズも目に涙を溜めながら受け取り、齧りつきました。その瞬間、少女は水面から顔を出した時のような、息苦しさから解放された気持ちになったのです。
リオは、少女が声が出せるようになったら、まず最初に聞きたかったことを問いかけました。
「あんたの名前、教えてよ。」
少女は涙をぬぐい、笑顔で口を開きました。