【承】伯爵様の本性
『急な話で驚くのも無理はない。ここでは何だし、僕の屋敷で詳しい話をさせてもらえないかな?』
リオからの突然の提案に少女は当然ながら驚き、戸惑いましたが、そう言われるがまま、あれよあれよという間に馬車に乗せられ、彼の屋敷へと連れてこられてしまいました。
「新しいメイド候補を連れてきた。少し二人で話をしたいから、人払いをしてくれ。」
従者へそう命じると、リオは書斎に少女を通し、机の正面の椅子にかけるよう促しました。
少女はそこへ座り、リオと向かい合います。改めて見ると、彼は本当に整った顔立ちをしていました。そんな容姿もあってか、道中も黄色い声を上げる婦人たちが大勢いました。その一人一人にリオは馬車から笑顔で手を振って応えており、この人は本当に素晴らしい方なんだな…と、少女は目の前のその人に尊敬の眼差しを向けました。
「チッ…あの女ども、用もないのに話しかけやがって。無駄に時間くったじゃねえか。」
…ぼそりと、不穏な言葉が聞こえてきました。一体、今の声はどこからしたのでしょうか。少女は自分の左右、そして後ろまで見渡しますが、部屋にはやはり、少女とリオしかいませんでした。
まさか、そんな馬鹿な。恐る恐る顔を前に向けると、リオの真っすぐな視線とぶつかりました。
「あ、びっくりした?悪いけど、こっちが本性だから。」
面倒臭そうにそう告げたリオからは、先ほどまでの紳士的な雰囲気も、柔和な笑顔も一切消えています。少女は声こそ上げられませんが、ぽかんと口を開けた表情を見れば、彼女の受けた衝撃がありありと読み取れました。
「色々と都合がいいから、外ではあのキャラを演じてるんだよ。でもさ、屋敷の中まで窮屈な思いはしたくないわけ。」
はあ、とため息をつくリオからは、確かにストレスを抱えていそうな様子がにじみ出ています。
「女ってのはどうしてか口が軽い奴が多くてね。今まで雇ってたメイドはちょっとこっちの口が悪いだけですぐ噂にするもんだから、全員クビにしたんだよ。」
そこまで聞いて、少女はなぜ自分が選ばれたのかをようやく理解しました。
「僕の…いや、俺の本性を隠さなくても、あんたなら言いふらせないだろ?丁度いいと思ったんだよね。」
少女からすればあまり嬉しくない理由ではありますが、そういうことであれば、出会ったばかりの自分に目を止められたのにも十分納得はできます。
「仕事内容は、基本的に俺の身の回りの世話、雑用とか。給料も弾むし部屋も用意する、食事つき。どう?悪くない条件だと思うけど。」
確かに、失業して次の仕事のあてもない少女にとっては好条件です。
「もう一度言っておくけど、ここで見たこと、聞いたことは一切他言しないこと。家族への手紙も中身をチェックさせてもらう。」
それを聞いた少女は、空にペンを走らせるジェスチャーをした後で、手で「×」を作りました。そう、少女は学校を出ていないため、読み書きができないのです。
「なるほど、ますます好都合だ。じゃあ、交渉成立ってことで。今日からよろしく頼むよ。」
こうして、不幸な少女は、少し性格の歪んだ伯爵の専属メイドとして仕えることとなったのでした。
少女がメイドとして働き始めて早一か月。仕事にもだいぶ慣れ、最初のころは毎回おびえていた伯爵の不穏な独り言も、今ではすっかり日常として受け入れられるようになっておりました。
「ったく、あのクソ老害どもが。そんなに保身が大事ならさっさと隠居しろっての。」
今日も今日とて、本棚の掃除をしている少女の横で、机に両肘をついたリオが呪いのような愚痴を呟き続けています。
その疲れた表情を見た少女は、一度掃除を中断すると、部屋の小瓶に入っている砂糖菓子をお皿に盛り付けてそっとリオの目の前に差し出しました。
「あーこれこれ。気が利くじゃん。」
リオは言うや否や、ポリポリと菓子をつまみ始めます。あまり子供っぽい印象を与えたくないという理由で、普段人前では食べないように気を付けていますが、実はリオはこういった甘いものに目がないのでした。口をきくことができない、という理由からではありますが、リオが少しずつ自分にしか見せない一面を見せてくれるようになってきたことに、少女はひそかに喜びを感じていました。
「この店の砂糖菓子が一番いいんだよな、少しフルーティさがあって。」
うんうん、と強く頷く少女。それを見て、伯爵はじろりと横目で少女を睨みつけました。
「おい。あんたやっぱり、こっそりつまみ食いしただろ。」
ぎくり、少女が固まります。
「やっぱりか!どうりで減りが早いはずだよ…前も氷室のケーキ食べたの怒ったばっかりだろ!」
少女は観念したようで、しゅん、と叱られた子犬のように項垂れて小さくなりました。
そんな少女の様子を見ているとなんとなく怒る気も失せてしまいます。リオはまったく、とため息をつきました。
それにしても。リオは少女を改めて見やります。最初は、口がきけない相手との意思疎通なんてどうやってしたものかと考えていましたが、このすぐ顔に出る少女の性格のおかげで、その心配は杞憂に終わりました。
「あんたって本当、見てて飽きないよな。」
ぼそりとリオが呟きました。少女には聞こえていなかったようで、未だに、もう怒っていないのかな?と言うかのようにリオの様子をうかがっています。
(そういえば俺、こいつの名前知らないんだっけ。)
聞こうにも、少女は答えることもできなければ、文字に書くこともできません。
(まあ、別に不自由してないし、いいんだけど。)
リオは手元の砂糖菓子をもう一口つまみましたが、先ほどよりも、それは少しだけ苦いような気がしました。