嘘が下手すぎ
放課後になり、鞄を隠すように抱えて中等部と高等部の分かれ道あたりをうろうろしていた。
今は、ほとんどの生徒が部活動を始めている時間だ。
鞄は特に外見は変わらないので、かえって行動が不審だった。
ピリリリリ! ピリリリリ!
急に飾り気のない電子音が鳴り響いた。
驚いた優樹は、焦って周囲を見回す。
ピリリリリ! ピリリリリ!
また鳴り響く。鞄の中からだった。
鞄の蓋には外ポケットがあり、金属のマグネットボタンで留まっている。そこを開け、中に入っていたスマートフォンを取り出した。
「盲点だった! 彼女もスマホ持ってたんだ。俺の番号からだ!」
取ろうとして、ふと思い出す。
見られた…。うなだれる。
色々と言い訳が頭に浮かぶが、考えてみれば何も疚しいことはないし、余計なことを考えている場合でもない。
観念して電話に出ることにした。
「はい」
「あ、もしもし?」
透き通ったあの声だ。
「えっと…」
「あの~、ごめんなさい。昼間にぶつかってしまった方であってますか? この電話に出てるってことはそのはずなんだけど…私、鞄を間違えて拾っちゃったみたいで」
「う、うん、合ってる、ます。はい」
「良かった~、今何処にいます?」
「校門の…前」
お互いにいた場所はあまり遠くはなかったようで、すぐに落ち合うことが出来た。
改めて会うと、彼女は眼鏡をかけていた。
頬にはそばかすがたくさんあって、髪型も横で太い一本の三つ編みにしてあり、当たり前だが耳も尖ってない。
ちょっと芋っぽい感じだ。
最初に会ったとき立ち止まって拾っていたのが眼鏡だったのかもしれない。
パッと見、アイドルには見えない。
転校初日で部活動も検討中ということで、あとは帰るだけだったらしく、優樹は部活動サボり常習犯なので、近くの公園まで歩きながら話すことになった。
出会い頭でぶつかってしまったことをお互い謝ったあと、自己紹介をし合った。
「俺は、鹿川優樹」
「私は、河西瑞希です。あの…鞄に書いてあった名前、見ましたよね?」
「ん~…見てないよ?」
目が泳ぐ。無駄に明後日の方向を見ている自分がいる。
嘘が下手か! 歩いていた足が止まり、優樹は自分で突っ込みを入れたくなった。
「有難う。優しいんだね。ぶつかったときも、庇ってくれたでしょ? 私、あれだけ派手に転んで、何処も痛くないのが不思議だったんだ。庇ってくれたとき、怪我とかしなかった?」
敬語じゃなくなった。
少し表情が困惑しているようにも見える。
初対面の男に抱え込まれたのだから、どんな表情すれば良いかわからなくなるのもわかる気がすると、優樹はぼんやり考えた。
「ま、まぁ、こう見えて頑丈だから大丈夫。女の子が怪我をするの、嫌だったからさ。君に怪我が無くて良かったよ」
実は手首捻って肩打撲、膝も両方擦りむいていたが、ちょっと見栄を張りたくて、無傷なふりをしてみた。
「うん…えっと…名前の件、内緒にしておいてもらっても…いい? ホントは私の名前で注文してもらうはずだったんだけど、何か手違いがあったみたいで、姉の名前で届いちゃったんだ」
「うん。大丈夫。俺、何も見てないから」
そこまで言って、大きなクエスチョンマークが頭に浮かんだ。
「え?」
声になってハテナが飛び出した。
「え?」
同じ言葉を繰り返す瑞希。
「溪村クリスティーナが姉?」
瑞希の口が小さく開いたまま、動きが止まった。
重大なミスに気づいたかのような、一瞬の間があった。
「あっ! 今の間違い! ホントは溪村瑞希クリスティーナが姉だったら良いなって思ってたら、注文書に溪村クリスティーナって書いちゃって、間違った名前で鞄が届いちゃったっていう…」
即興のかなり苦しい嘘を言っているのが見てとれる。
アイドルの妹ってことなのか? そんな疑問を持つが、彼女に妹がいるなんて話、聞いたことがなかった。
瑞希がバツの悪そうな上目遣いで見くるので、話を変えた。
「それより、見た?」
今度は優樹が質問する。
「えっ? 何を?」
「スマホの…ホーム画面」
「見て…ないよ」
あり得ない。ホーム画面を開かなければ電話をかけることはできないからだ。
優樹は思わず吹き出した。
「嘘…下手すぎ」
瑞希もだんだん笑いが堪えきれなくなってきて、ついに二人とも笑い始める。
その日は鞄を交換したあと、それ以上お互いの嘘を追及することなく帰路についた。
瑞希の家はひと駅違いだった。
電車内でもほぼしゃべることなかったが、気まずかったわけでもない。
瑞希は窓の外を眺眺め、物思いにふけっている様子だった。
実はアイドルの妹ということならば、そっくりな瞳をしていてもうなずける。
思いがけない出来事に自分の心音がうるさかった。その夜まともに寝れなかったのは言うまでもなく、天井に貼られたポスターすらまともに見ることができなかった。
どんな事情で転校してきたのか、何年生なのか、ホーム画面見てどう思ったのか、色々なことを聞きたかったのにそれどころではなかった。
混乱する頭を鎮める為、小説を読みあさる。
現世でペットトレーナーだった主人公が、ファンタジー世界に転生してドラゴンを簡単に飼い慣らす話だ。
世界に唯一無二のドラゴンテイマーとして、活躍する。
そんな話を読みながら、気づけば空が白み始めていた。
◇ ◇ ◇
今日もまた、優樹は例にもれず遅刻となった。
昨日ほどではなかったが、1限目には間に合わず、2限目の途中、またしても数学の時間に登校することになった。
昨日出された大量の課題は勿論達成ならず、松澤先生には「一週間のご猶予を~」と頼み込み、何とか了承してもらっていた。
3限目は物理の授業だ。
物理の先生は御条志織。クールで才色兼備、年齢不詳の眼鏡美女で、男女問わず絶大な人気を誇る先生だ。
中等部の理科も兼任している多忙な方で、有志で集まるとかいう量子力学同好会っていうサークル活動もやっているとも聞くし、いつ寝ているんだろうと思ってしまう。
授業も面白くて生徒たちの食い付きもよく、間に合って良かったと思う優樹だった。
御条先生が初日の授業の始めに呟いた言葉がふと浮かぶ。
「おもしろき こともなき世に おもしろく」
凛と響く声。
「なんすか? それ」
ヨースケが聞く。
「幕末の志士の一人の辞世の句だ。亡くなる数年前に読んだそうだから、正しくは最後の句といった方がいいが」
「物理と関係なくないですか?」
思わず優樹も一言出てしまった。
「それがあるんだ」
小難しいと敬遠されがちな物理を学ぶにあたって、何故自分が物理を専攻したのかを話してくれた。
「ーー」
当たり前のことを言っていたような気もするし、夢見がちな内容だった気もする。
肝心な言葉は思い出せないが、惹き付けられたから楽しく授業を受けているのだろう。
その日は淡々と1日が過ぎていき、瑞希と会うこともなかった。
中等部と高等部なので、当然といえば当然なのだが、ぼんやりと電車に揺られながら、もやもやしながら優樹はスマホの発信履歴を眺めていた。
視線を移すと帰宅部の秀逸なポスターが、電車の広告掲示スペースに貼られているのが目に映った。
「よし、帰ろう。…って今帰ってるところか」
スマホをポケットにしまった。
ーー間もなく~、衆禅寺~。衆禅寺~。
改札を出ると、今日も社会何とか党が演説していた。
ほとんどBGMになってきていて、言葉も何も入ってこない。
自転車に乗って家に向かおうとしたときだった。ポケットの中でスマホが震えだした。
マナーモードだ。
自転車を止めて、画面を見る。番号に覚えがあった。
瑞希…ちゃんだ!
心臓が早鐘のように鳴りだした。
出るためにスワイプしようとして、何故か手元が狂い、何回か失敗する。
「はい、もひもひ?」
変な声になった。
「あ、鹿川さんですか?」
「あ~、そ、そうだけど、優樹でいいよ」
「わかりました。では優樹さんで」
「えっと、河西…さん、でいいんだよね?」
「瑞希で大丈夫です」
電話では妙にかしこまってしまう二人。
自転車を止めたままだったことを思いだし、優樹は自転車を押しながら歩き始めた。
「どうかした?」
「ちょっと話したいことがあって…今から会えるかな?」
「いいよ」
二つ返事でOKしてしまった。