1.絶望のカウントダウン
毎朝天井の瑞希に挨拶して、今まで撮ってあった、歌や踊り以外の動画を少し観て、机の正面に置いたエルブン瑞希(俺の中ではクリスではない)人形に、見ていてもらいながら勉強を続けた。
合間に、御条先生や母さんから、「面白い」と勧められた本を読んだりした。
日本で最高峰の大学に入学が出来たのは、正直煩悩の成せるわざだった。
母さんの研究室も、この大学にある。
大学に入った俺は、鹿川博士の紹介もあって、竜胆兼彦名誉教授の研究室に入った。
研究室に入るのは本来は3年生からなのだが、母さんか誰かの口利きで入れてもらえたのかもしれない。
量子力学の分野でノーベル賞を次々と受賞している凄い先生だ。
ただ、ちょっと趣味が万人受けしないので、最近ただの変態との噂がある。
研究室には女の子が一人もいなかった。
「わしらのあれが、却下じゃとー。まぁ、あの新しい奴らにゃ、責任取ったことも、本物の政治の経験ないからのー。
だめじゃ。とりあえず設定をこの大学から半径50キロ。あとは沿岸の市町村は今すぐカバーじゃの。あいつらには黙っとけぃ」
ドアが開いていたので覗くと、ちょっと薄暗いがそこそこ広い部屋に、配線や機材、ディスプレイが沢山。ごちゃごちゃしたところにたまにアニメやゲーム雑誌が転がっている。
額にバンダナを巻いた黒ぶちメガネ。水色チェックのワイシャツを着た小太りのおじさんがパソコンに向かっていた。
画面ではCGの女の子が手を振っている。
ゲームか何かのテストプレイっぽい感じだ。
えっ、この人?
「失礼、しまぁ…す」
入る部屋間違えたか?
声が尻すぼみになってしまう。
「珍しい。この時期に新人?」
声がさっきのと違う。この人じゃない。
俺は少しホッとした。
机の下から、白髪頭で白髭の小さな白衣のお爺さんが出てきた。
この時期というのも、今が4月ではなく9月だからだろう。
この大学では、一般的に研究室に入るのは3年生の4月からなのだ。
「よう、新人君。ボクはザイル北川。父はアメリカ人、母は中国人のハーフだ。ここの研究室で、修士課程の勉強と研究をしている。ザイルと呼んでくれ」
手を差し出してきたのはさっきの小太りのおじさんで、いい笑顔だった。
って学生だったのかよ!
それにモロ日本人にしか見えないし、名字日本名だし。
色々と家庭の背景の複雑さを感じたが、元々尋ねてもいない情報だったので、深く考えないことにした。
それに、あんまりあなたに興味ない。
一応握手したが、ちょっと湿っていた。
「お~ぅ。真樹ちゃんの小倅じゃの? 遂にわしとの子も、ここまで大きくなったかっ。っと、まぁ冗談はさておいて、こいこい」
小さなお爺さんは、ぴょこぴょこした軽い足取りで、配線を避けながら奥へ進んでいく。
どこまで、冗談かわかんねぇ。
今まで気にしたこともなかったのに、急に俺の父さんは誰なのか、気になり始めた。
この爺さんじゃないことを願う。
何も配置されていない部屋があって、そこに着くと、小さい箱にちょこんと座って、爺さんがしゃべりだした。
「この前政権交代して社会正潔党が政権を握ったのは記憶に新しいと思うが、交代前の首相が誰だったか覚えとるかのぅ?」
急に政治の話を振られるのは予想していなかった。
「あ~。鍋島さん?」
「司馬さんじゃ。鍋島さんは一個前じゃ。惜しいの。まぁよかろ」
暗殺されかけて、今意識不明の植物状態なんじゃ。
「えっ?」
さらっと言われて聞き流しそうになったが、今の衝撃的な機密じゃないか?
「表向きは解散総選挙での大敗による政権交代となっておる」
「それって、かなりヤバくないっすか?」
「実質的なクーデターじゃ。早速あやつら、失言とか余計な軍事行動やらかして、隣国と一触即発じゃあ」
「それも報道されてないっすよね?」
ポケットのスマホが鳴り始める。
「おほっ。桐葉ちゃんとこの娘たちの曲じゃ! 我が娘ながら、いい曲じゃのぅ」
この瑞希たちまで爺さんの娘だとすれば、俺たちはみんなで兄弟姉妹ということに…恐ろしい。
すみませんと断って、別室で電話をとった。
「あ、優樹君? 今クリスと二人、大学の建物の中まで来たんだけど」
桐葉さんだ。
「あぁ、何かありました?」
「クリスが夢の内容で伝えたいことがあったみたいで、あなたに連絡しても繋がらないって言って騒ぐもんだから、まきっぺに電話したら大学行ってるって聞いたのよ」
まきっぺ…本当に母さんだった。
知ったときはもう、何が来ても驚かないような耐性ができ始めているのを感じた。
「そうなんすね。それで、もっかいかけたら今繋がったと」
「そんなとこ」
その時だった。
けたたましいサイレンが大音量で響き渡る。
「こりゃいかんぞーー! すぐに廊下に出て、何か絶対動かんものにつかまれーーい!」
その声を聞いて、他の研究室の扉も開け放たれ、学生たちが飛び出してきた。
「展開!!」
竜胆翁のしわがれた声が響く。
体の奥を振動が通り抜ける。
静かに何か得体の知れないものが通り抜けていったような奇妙な感覚だった。
気付けば通話は切れていた。
それから悠に5分は何もなかった。
無音から始まったらしい超高音が、今ははっきり聞こえる。廊下の窓の外、上空に薄い膜が見えた気がした。
「いきなり全土を殲滅するつもりできおった。自衛隊の迎撃システムも追い付かんな」
廊下に出てきた小さい爺さんが呟いた。
「約1000発くらい同時発射したらしい。今のわしらの技術では、被害を防げるのはせいぜい半径50メートル圏内くらいなもんじゃて」
「いったい何の話すか?」
「短距離ミサイルじゃ。さっきサイレンが鳴る前に航空自衛隊の無線を傍受したんじゃよ。あと数分で着弾するじゃろう」
さらりと恐ろしいことを言っている。
「ここでは迎撃はできんが、被害を防ぐ手立ては多少なりとあるんじゃ。この規模じゃと、大学と周囲を少し守れる程度じゃがのぅ…」
予測を重ねて対策したが、お手上げじゃ…。
小さく呟いて、爺さんは悲しげな表情でうなだれた。
唐突の絶望的状況に、俺は歯噛みをした。
母さんは今大学内か?
桐葉さんとクリスは構内だったはず。
御条先生は学園か?
カルマは家か?
他の人たちは?
助けられないのか?
つい先日、家で食べた母さんがいちから作ったハヤシライスが美味しかったのを思い出した。
猫のカルマが腹の上で寝て動けなかったけれど、温かくて一緒に寝た。
瑞希と同じ容姿なのに、何故かクリスと会ったりするのは緊張しなかったこと。
高校最後の夏休みが、勉強詰めだったこと。
せっかくヨースケと同じ学校同じクラスになったのに、あまり一緒にいられなかったこと。
間もなく周囲の奴らからはヨースケの記憶が消えていっていたことも不思議だった。
中学の頃のことや、小学生の頃のこと、どんどん小さい頃のことを思い出して行って、誰かの肩に乗っている記憶が蘇った。
斜め上からだから、顔がはっきりとしなかった。
スーツのような服を着ていた。
父さん…か?
そういえばうちには親が母さんしかいない理由なんかも、聞いたこと無かった。
どれくらいの時間が流れたのか、俺は思考の無限ループにはまっていたことに気がついた。
眺めていた外の半透明の皮膜が唐突にブラックアウトする。
いや、正確には目の前全てが見えていなかった。
すぐ近くにいた小さい爺さんも、他の学生も、廊下そのものも見えない。
立っているのか座っているのかもわからない。
今、自分が起きているのか気を失っているのかも、全くわからなくなっていた。




