詩を書きながら
おつかれさまでした。
長くなったのは、
それだけ大変だったと
いうことですね。
行動に自信を持っている
からですね。
自分を信じられるから
動けたんですね。
その優秀な頭と体で、
世界の国難を救えるなら、
それに越したことは
なかったんでしょう。
色々な言葉が出てきます。
色々な文字が出てきます。
何が良いとか悪いとか、
そういうことはいりません。
失敗も、するでしょう。
誤魔化しも、するでしょう。
裏切りも、するんでしょう。
嘘だって、つくんでしょう。
神様じゃああるまいし、
神様ならどうでしょう。
どこまでもどこまでも、
すべてを知ってみるのでしょう。
ただの正しい人生を
送りたい人であるのなら、
間違えていないかを
気にしてばかりいたでしょう。
人類の大方はそうでしょう。
幸せな人生をおくろうと、
間違わないようにしようと、
そう思い込んでいるのでしょう。
いつもそれを意識して、
考えて、悩んで、疲れて、
考えたのとは違った意見には
そえなくなってゆくのでしょう。
何が正しいかなんて、
きちんと決められるほど、
暮らしにも、人生にも、
目印なんてついてません。
自分が正しいと思うなら、
相手は間違っていると思い、
狭い溝にはまり込んで、
答えを決めようとするでしょう。
答えなんてないのに、
幻を見つけようとするでしょう。
人類は貧弱な記憶をもとにして、
答えを決めてきたのでしょう。
あれこれと意見の出るときは、
どちらが正しいか考えて、
考えて出した答えほど
入れ替えは難しいのでしょう
いつのまにか思考は、
ここではないどこか、
今ではないいつか、
あなたではない誰かに。
目の前にある自然の思いを、
受け取りにくくなり、
そして、受け取れなくなる。
なんてつまらないことでしょう。
答えを探すようになり、
身動きできぬようになり、
暮らしを憎むようになり、
気持ちをごまかす詩が多くなり。
草木を上から見ていては、
枝葉で地面は見えません。
ましてや、深い根っこなど、
よけいに見えぬことでしょう。
上から目線は、根本を
解決なんてしないでしょう。
解決もなにも、ありません。
幸せもなにも、ありません。
自分は正しいという思いから、
だからお前は間違っていると、
怒りが沸々、沸いてくるんでしょう。
自分が嫌でも、沸いてくるんでしょう。
正しいとか、正しくないとか、
そんなことを決めても、
誰も幸せにはなりません。
決めた世界に、幸せはありません。
詩を書いているのは、
ありのままを、ありのままで、
書き留めておきたいからで。
溝にはまってもがくものでもありません。
相手に言ってあげたいと思う
優しい心も、親切な心も、
私は間違っていないという
狭い心から、発しているのでしょう。
ほんとに、おつかれさまでした。
長いこと、ご苦労様でした。
ゆっくりしてもいいのでしょう。
詩を書きながら、ふとこの狭い心から。