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水飴

作者: ヲン

「また・・・・・また、だ。」


また、両親が喧嘩した。これで、何回目かも分からない。



――ある夏の日


僕は家から少し離れたベンチに腰を掛ける。緑色で所々に割れた箇所、何十年の年季が入っているのかさえも分からないボロボロのベンチ。小学三年生の僕なら耐えてくれるこのベンチ、大人が・・・・・例え女性の体であっても壊れてしまいそうなくらいのものは不思議と今でも壊れずに残っている。


この付近に住んでいる人はこれを『純粋』と呼ぶ。人間は体が成長するにつれて心も成長するのだけど、それと同時に汚い存在に変化してしまうらしい。純粋な心というよりかは、まだ体重の軽い子どもであればこのベンチが壊れることはない。


とある人は言った。大人は神様の国から下界に来て、随分と時間が経ってしまっているから穢れている。しかし、子どもはこの世界に来て年月が浅いから神聖な生き物として『純粋』に体を預ける権利があると。

そんな理論が馬鹿みたいだってことは僕でも分かる。だって、いくら子どもでも凄く太っている人だったらあのベンチは壊れる。それって、太っている人は汚い存在だって言っているのと同じで神様はそんな失礼な方じゃないって思うから。

年老いた亀をあのベンチに乗せて崩れなかったら、成長と汚さはイコールだっていう理論は間違いだし、人間だけが汚くなるって言ったら、神様は生き物によって差別をしてしまうことになるんだ。神様は優しいと思っているし、僕の中ではそれも絶対に違う。


――僕は心が汚れている。だからこそ、分かるんだ。


何回も喧嘩をしてるなら、早く離婚すればいいって思う人もいると思うんだけど、その二人の子どもである僕には全く関係が無い。


母親も父親も、僕を愛してくれない。どっちでもいいんだよ、僕はどっちについていきたいなんて希望はないし。強いて傷つくことと言えば、二人が僕を擦り付け合うことくらいかな。


今日も僕は星を見上げる。そういえば、学校の授業で天体観測をクラスのみんなですることになって、先生がこっそりみんなを集めて準備を進めていてくれたんだ。


あの時の星は、今より遥かに綺麗だった。もちろん、望遠鏡を使ってみたからより近くで綺麗に見えるのは当たり前なんだけど・・・・・多分、みんなが一緒だったことが一番大きい。母親と父親、そして僕の三人で楽しい思い出を作ったことなんて一度も無いから。おじいちゃんとおばあちゃんは居るみたいなんだけど、生まれてから一度も会ったことがないんだ。

だから、みんなや先生と一緒に居られて嬉しかった。『愛情』や『友情』という人間の優しさが僕に綺麗な世界を見せてくれたんだと思う。


「――あ、」


満点の星空を一筋の光が駆け抜けた。『流れ星』・・・・・確か、見えているうちに三回願い事をすると叶えてくれるという伝えがある。そんなことを考えていたら、あっという間に消えてしまった。口に出して三回は難しいけど、次の機会があれば心の中でお願いしてみよう。


このままジッとしているのも何だかムズムズする。僕はベンチから降り、歩いて数分の団地へ向かうことにした。



「あぁ、そっか。」


ここに来る最中、なんだかいつもより騒がしいと感じていたが、今日は夏祭り。通学路にある公共掲示板で夏祭りの日程を目にして、自分には関係ないとしか考えていない。ただ、こうして祭り会場の前まで実際に立ち寄って思い出すということは、みんなと同じように祭りを楽しみたかったのか。

きっと、この気持ちに間違いは無かったと思う。だから、僕は盆踊りの音と提灯の光に誘われてその先を進んでいった。


僕に祭りを連想させるものなんて何も無い。親からの八つ当たりを受けて全身アザだらけの体で子どもの着る半そで半ズボンの浴衣を着れるはずもなく、そんな高価なものは家にはないし高値の花である。お金があれば、お面やら光る棒でお祭りの衣装を身に纏うことが出来たのかもしれないけど、僕には一円も手元になかった。


盆踊りに混ざろうにもこんな汚い姿では、学校の友達を見かけてもお祭りで話せるような格好をしていない。今の団地に来てところで、僕は虚しく一人で佇んでいるだけなのだ。楽しそうにする親子も年金生活を満喫していると思われる老夫婦も僕の視界には嫉妬としか映らない。


こんな悲しい気持ちになる前にどこか違う場所で彷徨うことにしよう。太鼓の振動と上を見つめる観衆を背にして足を進めようとしたとき、僕の隣で動きを止める影が一つ。


「キミ、こんなところで何をしているの?」


若い女の人だった。若いと言っても、年齢は二十代前半。都会を歩くような洋服に着物生地で作られた上着を身に纏っていて、腕には赤青緑黄と四色のケミカルライトを引っ掛け、片手には一口だけかじったと見られる赤いりんご飴。


「いいえ、何も・・・・・」


僕に興味津々なのか、女性は目を輝かせてこちらを見つめてくる。そのようなことをされても困るし、これ以上ここに居たくなかったので引き返そうとするも、彼女は空いた片方の手で僕の細い腕を掴んできた。


「細っ・・・・・ねぇ、何か買ってあげようか?」


この人の思考が全く読めない。ただ、僕がまともに食事を取ることが出来るのは給食くらい。お腹が空いていたのも事実なので


「何か、食べたいです。」


子どもだから、を言い訳にするつもりは無い。脳の、体の、本能のままに僕はお腹に入れるものを求めていただけだ。


「――そう。キミ、親から愛情を受けてないでしょ?」


見透かしたかのように彼女は言った。その発言は現に当たっているし、とにかくお腹が空いている。ここに来なければ空腹は我慢できただろうけど、色々なご飯の美味しい匂いが鼻を通っていた僕には我慢が出来なくなっているのだ。


「普通、知らない人について行ったり物を買ったりしてもらうのは駄目って、親から教わるよ? というか、この時間ならもう晩御飯は済ませてるはずだし」


女性は僕を試す為に話しかけてきたようで、そのまま頷いたら説教。僕を置いて、人の行き交う周りを歩くと


「お父さんとお母さん、ここに居ないみたいだね。キミ、家出?」


「家出・・・・・では、ないです。」


家出というよりは、ほぼ毎晩外に出歩いていて、夏は夜風の涼しさに浸っている。補導の時間になれば戻ればいいわけだし、僕が居ないことなんて心配する人は居ない。むしろ、僕が居たら邪魔になってしまうのでお互いに得しているようにも思えるが。


このまま家まで連れて行かれてしまうのか、そうであれば逃げなくては。この女性の腕を振り切ってでも――と考えていたのだが、女性は僕の肩を掴んで半周回しそのまま手を引く。


「心配してくれる人もいないんだ。じゃあ怒られる覚悟だけど、お姉ちゃんと遊ぼっか!」


「おいで」と半ば強引に連れて行かれる。本来なら、ここで大声を上げたりなどして助けを呼ぶ場面なのだろうけど、状況と気持ちの強さが勝ってしまい僕はそのまま女性と歩いた。



射的の音、水面に浮かぶ金魚、食べ物を調理する音。僕の生まれての始めて『祭り』は心を躍らせ、入り口に居たときよりも食欲を駆り立ててくる。


「一人だと危ないから、一緒に来て。まずは・・・・・焼きそばとイカかな!」


一人で興奮している女性を見て、僕の祭りへの期待度はさらに上がった。焼きそばは鉄板の上でソースと混ざり合うところが見え、容器に入ったものを受け取り女性の真似をしてマヨネーズをかける。それを持ったまま今度はイカの屋台に並んで、串に刺さった丸ごとのイカが渡された。


「そこらへんに座って食べよう。私、さっきも食べたのにお腹空いてきちゃった。」


僕の両手は焼きそばとイカで塞がっていて、女性はというと片手に焼きそばともう片方にイカを持っているのは変わらないものの、僕と違うのは元から持っていたりんご飴と買ったばかりのイカを器用に片手だけを使って持っていることだ。

落としてしまっては勿体無いし、早く食べたいこともあって僕は女性よりも早く高さの無い石垣に座って焼きそばの容器を開ける。その様子が子どもらしいとおかしく感じたのか女性は本当の母親であるかのように微笑む。


膝の上に置いた焼きそばを半分、手に持ったイカを三割程度食べたとき、僕は一番大きな問題を思い出した。


「あ、あの・・・・・お金」


「何か買ってあげよう」とは言われても、ここまでしてもらえるとは思ってもいなかった僕。女性が僕に優しさを向けてくれる理由が分からない。失礼になってしまうけど、もしこの人が僕を誘拐する目的で接してきているのだとしてもそれはそれで良かったのかも知れない。


――実質、僕には帰る場所なんてないから


「一応、いっぱい働いて稼いだから大丈夫。心配しないで。」


これはあくまでも祭りであり高価な宝石が並ぶ展覧会でもなく、食事は一つで数百円の世界。だが、たまに家で食べるご飯よりも美味しくて、大人になるまで口に出来ないものだと諦めていた僕には何千円、何万円もの価値があったので女性のお財布事情が気になってしまったのだ。


学校の給食もこんなに美味しければ・・・・・僕は相当、我儘になったな。


「どうして、そんなに僕を」


「放っておけないんだ。小さい頃の私と似ていて」


僕が言い終わる前に疑問を読み取った彼女は言う。この女性の『小さい頃』と僕の置かれた環境が似ていると、そう言った。


「私さ、親に愛されないままこの町で育ったの。で、ろくな愛情も与えなかったくせに自分の体が悪くなった今、面倒見ろって。」


女性は辛そうな笑顔を浮かべて話すも僕にはそれが分からなかった。僕にとって、親から愛情を受けていないまま『義務』として、ただそれだけの理由で仕方なく育てられていることは重々把握している。もう、悲しいとか寂しいとか――そんな感情は全く無い。


話の重さを理解していなかった僕は女性が話す間も気にすることなくご飯を食べ続ける。焼きそばは完食し、イカは残り一口か二口くらいになるまで食べた。


最後の磯の味・・・・・口に含んで味わい飲み込んだ瞬間、彼女は


「私、今日でこの町を出て行くことにした。だから、今日は育った地元での最後の日――それなら、お祭りを楽しんでからお別れしようって決めてたの。」


どこか、遠くへ。大人だから許される特権、子どもの僕には稼ぐことなんて出来ないし、そもそも住む場所すらない。

今まで優しかった女性が僕に対して皮肉を言っているように聞こえた。人の大事な話の最中にご飯を食べていた僕が悪いと思う点もある。


けれど、女性の言葉は僕の心を嫉妬と憎悪で埋め尽くし、現実をより辛いものにさせるだけだった。


「仕事でお世話になってるおじさんが居てさ、ここから遠い場所で働いてみないかって相談されて。そのおじさんがその先に引っ越すから、そこでお世話になるんだ。」


仕事関係者の家で居候をする。彼女が言っているのはまさにそれ。これ以上、この女性の話は聞きたくない。奢ってもらって何も返せないのは悪いと思うが、僕はこのまま逃げ出そうと目論む。


「顔、怖いよ。ごめんね、自慢話みたいになっちゃって。」


女性はりんご飴を持った手とは違う手で僕の手を握る。焼きそばとイカは完食しているようで、串の入った容器が輪ゴムで留められていた。


「気分を悪くさせちゃってたら、本当にごめんなさい。」


女性は僕の目を見て謝罪した後、僕の分と自身の分のゴミを持って立ち上がる。そして、こちらを顔を向け、顎で前の方向に合図を送ってきた。


「行こ。お詫びと言ってはなんだけど、甘いものをご馳走してあげる。」


――なぜ、このとき逃げなかったのだろうか。絶好の機会、嫌なら走ってしまえばいい。そう思っていたのに、僕は彼女の背中を追いかけてしまった。



ゴミ捨て場に行った後、僕たちは砂糖の焼けた匂いのする屋台の前まで来た。若い男女が一つのものを食べていたり、子どもが『それ』を手に持って喜び走っている。

不思議な匂いに惹かれていると女性は片手で日本を串を持って僕の元に戻ってきた。白くてふわふわした『綿飴』を受け取ると、僕は鼻に変わった感触を味わいながら砂糖の雲を味わう。


最初は溶けるようにして無くなったわたあめ。途中で食べ方を変え、口を閉じ舌で押すようにしてやれば、塊が出来上がった。これを噛めばジャリジャリとする食感になり、砂糖を噛むという考えが口の中の甘さをより一層増す錯覚に繋がる。


「どう? 美味しい?」


「・・・・・はい、とっても」


今よりももっと幼い頃、僕には雲に乗りたい願望があった。去年、それが不可能だということを知ってがっかりしたが、このわたあめのおかげでかつての夢を実現したような気分になる。


「あのさ、今まで勝手に振り回してきちゃったけど」


わたあめを食べ歩きながら、隣の彼女は僕に問う。この人は『小さい頃の自分と似ている』理由から僕に光を見せてくれていた。ただ、詳細を僕が話すことも彼女が聞いてくることもなかったので、ともに祭りを楽しんでいること以外何も分からない。


「たぶん、あなたよりは辛くないです。学校は楽しいですし、それだけでも十分ですから」


この言葉に嘘偽りなど存在しないのは事実。クラスのみんなで星を見たのはもちろん、普段の学校生活や遠足、音楽界に学芸会と楽しいことはたくさんしてきた。みんな優しくて、幸いいじめられたことは一度も無いから。


僕は彼女に全てを話す。もしかしたら、想像していたよりも裕福で騙されたと思ってしまうかもしれない。ただ、ここまで優しくしてもらった『恩人』といっても過言ではない人に嘘はつけなかった。


「そうなんだ。・・・・・でも、キミは辛いでしょ?」


僕は首を横に振る。辛くなんかない、学校でみんなと同じように笑えるだけで幸せだ。


――なのに、僕の視界は霞んでいく


「私ね、親からは愛情を受けられなかった。でもね、さっき話したおじさんに拾ってもらったようなもので、その人からはたくさんの愛情を受けてきたよ。」


里親に拾われたのだろうか。僕は特別、成績が良いわけでもなければ運動が出来るわけでもない。なににおいても中途半端なことを自覚している人間を、どんなモノズキが拾いたいと思う?


僕が僕でなければ、僕を拾うことなど絶対にしないだろう。


「キミ、泣いてるよ? それが、何よりの証拠」


「じゃあ――」


涙を流している、そんなことどうだっていい。僕は


「どうしろって言うんですか!? 僕に慰めの言葉を掛けたところで、あなたにはどうにもできない! あなたは今日でこの町から出て行ってしまう、残される僕に・・・・・一体、何をしろと言うんですか」


怒りが巻き上げ、それはそのまま女性にぶつかる。こんな感情的になったのは初めてで、赤子以来の大声を出した僕は、言葉の最後になるにつれて掠れた声になってしまった。


周囲の人が僕を見る。羞恥などと考えられる余裕が僕には無い。理不尽な怒りをぶつけられて女性は僕に怒鳴ってきたとしても文句は言えない状況だった。


――それなのに


「・・・・・っ!!」


慣れない暖かさ、視界は暗く何が起こっているのか状況は飲み込めない。けっして綺麗とは言えない僕の髪を解かすように指が通り抜ける。


なにもかも初めてのこと、嫌ではなかった。


「逃げよう、私と。キミはもう、ここに居たら駄目なんだよ。」


次々と不可解な出来事が僕を襲う、視界が祭りの風景に戻っても安心することは許されないかのように。


「家を出て、私とおじさんと一緒に暮らそう。」


確かに、僕は親から離れることを求めているのかもしれない。現にここから出て行くと話した彼女に嫉妬の感情を抱いたはず。望んでいたことなのに、ありえない話を持ちかけられて言葉が出なかった。


「え、えっと」


困った僕は目のやり場をどうしていいか分からず、出会ったときから彼女がずっと持っていたりんご飴を無意識のうちに見つめていたらしい。それに気づいたのか、彼女は僕の手を取り再び歩き始める。


わたあめの割り箸を捨て、今度はどの屋台に向かうのだろうと考えていた。しかし、彼女が向かったのは祭り会場の外。屋台の列には目もくれず、ここまで来るのに無駄な寄り道はなかった。


「これで最後、選んで。」


会場の外にはひっそりと建っている屋台が一つ。そこにあったのは、りんご飴や色とりどりの水飴たち。


「食べたかったんでしょ? 買ったら、もう行こう。」


現在、僕は腹九分といったところか。残りを満たすには菓子がちょうど良いくらいで、女性の持つ大きさ

のりんご飴は入りきらない。小さなりんご飴を一つ頼もうとしたとき、ふと青い色をした水飴が僕の視界に止まった。


「じゃあ、あの・・・・・青い水飴を」


「分かった。すみませーん、ソーダ味くださーい!」


自分でも驚くほどのごく自然の流れ。もし、これを人間で例えるとするもならば『一目惚れ』だろうか。女性はお店の人に二百円を渡し、宝石のように輝いている水飴を僕にくれた。

礼を言うと、女性は僕の頭を軽く撫で、静寂した道の先へ進む。


――手を堅く握りしめた、僕も一緒に



途中、祭りから帰る人や酔っ払いなど色々な人を見かけたのだが住宅街へ入っていくうちに、いつの間にか虫の鳴き声だけが聞こえるくらいまでに辺りは静かだった。大人の歩幅に合わせてここまで来るのはとても大変で、水飴を落としそうになりながらも何とか目的地まで辿り着く。


「少し、待ってて。一分で戻ってくる。」


ここが、女性の家のようだ。家の中に人の気配は感じられず、僕は女性が準備を終えるまで玄関の段差に座って待つ。宣言したとおり、彼女は一分ほどで玄関に顔を出して「行こう」とそれ以上は何も言わないで家を出た。


ずっと外に居たときには感じられなかったのだが、外出の理由が涼しさを感じるためと言っても、さすがにこの時間ともなれば寒さを感じてくる。


「あのさ、本当に良かったの?」


言い出した本人が心配そうに僕を訪ね、これからのことを不安そうに聞く。そんなことは僕が知りたいし、未来がどうなるかなどこちらも分からない。出会ったばかりの人間と遠い場所へ逃げる・・・・・学校の図書室に置いてある本ですら見たことなかった。


「どう、でしょう。」


「――確認はこれが最後ね。多分、キミに贅沢はさせてあげられないと思う。学校も行けないし、外出だって難しいかも。それでも、本当に後悔はない?」


心残りと言えば、学校の友達や先生に別れを告げられないことや仮にも僕を生んでくれた両親に感謝の手紙一つすら送れてないこと。近所の人たちにもお礼を言わなければならないのだろうけど、それらを行ってしまったら未練ばかりの旅立ちになってしまう。


「無いです。これから、よろしくおねがいします。」


「うん、いい返事。家族になるわけだし、私のことは『お姉ちゃん』って呼んでね!」


突然の姉気取りに僕は困惑するが、家族になるのは事実。まだ名前を聞いていないのだが、それはまた今度の機会に訪ねることにする。


「分かったよ、『姉さん』」


「うーん、ちょっと違うけど・・・・・いいや。」


女性と少年、互いを知らない二人が出会ったその日に遠くへ旅立つ。言い方を変えれば、女性が僕を誘拐

して警察の目から逃れる為に遠くへ行くといった形になってしまうが。


「あのさ、出発前に『純粋』寄って行かない?」


『純粋』、この地域に住む人間だけが知っている。僕もあれには大分お世話になった、人ではないし最後に挨拶する相手に相応しいのかもしれない。


「分かったよ。」


僕たちは祭り会場までの道を少し引き返して緑のベンチへ向かう。道中、右側に公共掲示板が見えて「これを見るのも今日が最後」と改めて実感した。



「せっかくだし、一緒に座ろうか。」


「え、でも」


ベンチの前まで来ると、女性はベンチにを腰を掛けようとするもその方法は両足を宙に浮かせて――ジャンプしたそのままの勢いでベンチを目掛け座ろうとしたのだが


「――!!」


「いったい!!」


当然ながら、年季の入った緑色のベンチは真っ二つに割れて破壊された。女性に目立った怪我はなく、その場の痛みで済んでも目の前の無残な残骸が元の形に戻ることはない。


「もう、純粋については分かってたはずでしょ?」


「あっちゃー、これは器物損害だぁ。でも、こんな壊れそうなものを放置しておくほうが悪いよね。」


自分に責任がないように言い放つ女性、僕は当然のごとく呆れた。けれど、彼女の言うことは一理あって、純粋がどうとか言って町が意地でも公共事業に徹底しなかったことも悪い。


結局、僕はどちらを味方すればよいのか分からなかった。ベンチが壊れてしまったことはあまりにも衝撃的すぎて笑い出してしまうほどだったけれど、僕たちはここから居なくなるから――


「いけないことだけど、いっか。じゃあ、今度こそ」


――どうでもいいんだ。


「一緒に、行こう。」


こんなに悪いこと、みんなには真似して欲しくない。でも、今だけは僕たちを許して。


外灯の黄色い明かりは僕たちの行く道を照らしてくれている。祭りとは違う光のある方へ、僕たちはただ歩けば良い。二人の行く先を邪魔する者は誰一人として居なかった。


・・・・・僕たちは、やっと解放されたから





**********




十年後――


あれから、僕は元気にやっている。小さい頃は不健康だった体、今でも体重はやや軽めだが身長は成人男性の平均くらいまでにはなった。僕が世間で言う『成人』になるまでは残り二年、もう少しだけ伸びしろがあるかもしれないけれど。


今、とても人生は充実しています。

まず、ある夏の夜に僕たちが進んだ先のことについて話そう。


僕と姉さんは歩き続けた。凄く疲れた記憶があるけど、水飴の甘さと酸っぱさが僕に力を与えてくれたみたいで駅の近くまで辿り着くことに。その頃には、二人とも持っていた飴は無くなっていて・・・・・。


次に、姉さんが口にしていた『おじさん』の待つ車がそこに止まっていたんだ。あまりの成り行きにおじさんは驚いていたけど、姉さんと同じ暖かい心を持っている人で面倒を見てくれることになる。


この後が一番の正念場。なんと、おじさんは警察に連絡してしまったのだ。もちろん、僕も姉さんも怒られて僕の元両親も同時に説教。その直後、二人は離婚してしまったようで今はどうしているか僕にも分からない。気づいてくれた人なら分かると思うけど、その二人は『元』両親――つまり、おじさんが親代わりになってくれていたんだ。ちなみに、ベンチを破壊した件については犯人が判明していないらしく、欠陥品として扱われていたため無事です。


警察に追われるからという理由で姉さんはあの日「学校や外出は難しい」と言ったんだ。しかし、それは現実に起こることなく小中高を卒業して、現在はアルバイトをしつつ大学生もやっています。きっと、おじさんの通報がなければ、こんな贅沢な暮らしは出来なかった。おじさんが姉さんの恩人であるように、僕にとってのおじさんと姉さんは恩人である。


・・・・・大まかに説明すると、こんな感じ。僕は家事全般はこなせるし、生きていくうえでは困らないくらいに成長したはずだ。


「聞いてよ、またフられたぁぁぁー!!」


「おかえり、姉さん。今回はいつもより短めだったね。」


これが、僕の姉さん。もう姉さんもアラサーと呼ばれる年齢だったので、「そろそろ結婚がしたい」と言って、絶賛婚活中。一ヶ月前に交際相手と同居することになり三度目の引越しをしたのだが、長続きせずに別れたらしい。今朝、急に家に帰ってくると聞かされたのだけれど、特に驚くことなく「分かった」と返事を返した。

今日は土曜日、学校も休みでわざわざ休まなくて良かったから快く承諾したのだ。


姉さんは文句を言いながら自室に荷物を投げ入れる。姉さんの部屋は常に空けていて、物などを置く必要が無いのでいつ戻ってきても対応可能。落ち込む気持ちは分からなくも無いけど、部屋が傷つく恐れがあるので投げるのはやめてほしい。


「あ、知ってる? そういえば今日――」


姉さんが話そうとしたとき、遠くのほうで愉快な音楽が流れているのを耳にする。玄関を開けているからよく聞こえるのだが、週末の昼間から何をしているのか気になって様子を見に行こうとしたとき、僕の進路を姉さんが立ちふさがって妨害した。


「今日、お祭りなんだって。だから、久しぶりに二人で行こうよ。」


十年前、確かこの日が二人で行った最後の祭りであり、初めてであった場所だ。意外と近所に住んでいたので出会っていたのかもしれないが、印象的な出会いはこれが始めて。あの日の深夜、「近くに居たのに気づいてあげられなくてごめん!」と何回言われたことか。


それ以来のお祭りは姉さんとおじさんの三人で行ったり、近所に住む人たち、学校の友達と行っていた。その度、あの日の出来事がはっきりと鮮明に見えてしまう。


だから今回は、久しぶりに二人で


「うん、行こう。けど――」


僕たちは昼間の祭りに行くことにした。しかし、せっかく姉さんが帰ってきたこともあり、僕はどうしてもやっておきたいことがあったのだ。



「おじさん・・・・・いえ、父さん。元気ですか?」


家の一室にある仏壇――二年前、事故で亡くなった父さん。


驚いたとか悲しかったとか、そういった感情どころではない。現実とは思えない、みんなで僕たちを騙しているのだと、そうとしか考えられなかった。


父さんが居ないことを認識して、死から一ヶ月が経過した僕はようやく涙を流す。泣いて、叫んで、狂って・・・・・でも、そんな状態では父さんがただ悲しむだけ。どうすれば、天国に居る父さんに安心して見守っていてもらえるのか。そして、僕は留年しない一歩手前の時間をアルバイトの時間に当てた。


家事もそれなりに、仕事もきちんとこなせるようになった僕を見て安心してくれているといいな。


「聞いてよ、父さん。姉さんってば、また戻ってきたよ。僕が高校生の間に家を出て行った挙句、半年で三回も付き合いと別れを繰り返してるのに。」


「ちょっと、恥ずかしいから言わないでよ!」


「未成年には分からない」と言い訳を散らす姉さん。こういうところが、別れを切り出されてしまう原因なのではないかと僕は思う。


「確かに、今はこんなのだよ。だけど、いつか必ず孫の顔を見せてあげるからね。」


手を合わせ、目を瞑り、長い間動かなかった。それだけ姉さんも父さんに対する思いが強いということ。


――僕たちは、本当にあなたへの感謝で溢れています。


「・・・・・それじゃあ、行こう。」


「そうだね。好きなもの、たくさん買ってあげる!」


アルバイトで生計を立てている僕とは違い、仕事をしている姉さんのほうが財産的余裕はある。あの日と同じように、今日は弟として好きなだけ甘えることが出来そうだ。



家から一番近く広い公園は週末ということもあってか、たくさんの人たちで賑わっている。十年前のあの日とは違い、何倍もの屋台と人が並んでいるのだ。一番近くと言っても、歩いて数十分はかかる。家の周りには公園がないので、外でのんびりしたいとなるとこの場所以外ないだろう。


「凄いね、家にまで音が聞こえてくるだけあるよ。」


姉さんは祭りに興味津々な様子。ただ、あの日に肖って手を握ってきたのでそれを振りほどくと、姉さんは「けち」と一言だけ呟いた。


「よし、まずは何から食べよっか!」


姉さんの言うとおり、まずは何かを食べようと屋台のあるほうへ移動する。お昼時でお腹も空いているので焼きそばを頼もうか。それでいったらイカも。ここはあえて、ふわふわなわたあめ・・・・・考えいたらキリがない。前に挙げた三つもいいだろう、まずは何を食べるかなど人それぞれ。


――けれど、僕はもう決まっていた。


「すみません、ソーダ味のください!」


同じ状況で、あの日の記憶を。


「早いなぁ~、そんなに食べたかったんだ?」


「この味、どうしても忘れられなくてさ」


青い水飴を受け取り、僕の気分は最高潮に達した。さっきまでとは立場が逆転、姉さんが姉さんの役割をしていて、弟の僕を仕方ないというような目で見つめる。


僕は今、子どもの頃を思い出しながら水飴を加えているのだろう。夜道、疲れた僕を助けてくれたのは口の中を粘着するような甘さとソーダ飴の酸っぱくて爽やかな味。好き嫌いが分かれるお菓子だが、僕はこれが大好きなんだ。


「もう、水飴のことばっかり。食べ終わったら新しいの買ってあげるから、他のところも行こうよ。」


「うん、行くから待って。」


今、僕の味覚は甘さと酸っぱさが支配している。そのうち、後者を示すものはまだ残っていて溶けるたびに僕の心を躍らせるのだ。


「はぁ・・・・・もう、行っちゃうからね。」


夢中になっている僕を置いて、姉さんは片手に持ったりんご飴を手にしながら先へと進む。やはり姉弟(きょうだい)、何を言おうが好きなものは似ているというもの。


「また、買いに来よう。今日は姉さんの奢りだし、飽きるまで食べるから。」


僕は姉さんのお金がなくなるまで、そうしようと決意した。既に焼きそばの屋台に並んでくれていた姉さんを見つけ、そこに向かって僕は歩き出した。




少年に「飽きる」といった感情はいつ来るのだろうか。それは、誰にも分からない。


青い飴を噛む――そうすれば、少年の心はソーダのように弾けた。

息抜き(といっても数時間)で書いた作品です。なにかで読んだ記憶のある雰囲気だなと思ったのですが、国語や現代文の教科書にこういった類の物語がありそうだと思いました。(その作者様に失礼)


万が一、似てしまった作品がありましたら教えていただけると助かります。長くなってしまいましたが、最後までお読みいただき誠にありがとうございました。

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