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女帝蜂の献上蜜 5

「まずは空間を清掃する」


「うん。ミル姉さまたち、少し離れていてね」


 リリアに促され、チェリコたちは距離を取る。空間を清掃、という言葉の意味はよく分からなかったが、ミルルが数歩さがったのを見て、チェリコたちもそれに倣った。


「今日はシチューだから、えっと、これくらい」


 くるり、とリリアが腕を振って、空中に円を描く。その軌道に合わせて特大のウォーターボールが出現した。その中心にボコリと泡が立つ。

 泡はみるみるうちにウォーターボールの中を満たし、巨大なシャボン玉のようになった。

 シャボン玉の中で一瞬だけ炎が上がる。それは幻想的な美しさをしていたが、料理の準備とまったく結びつかない。


「……あれは、何を?」


 手ごろな岩へと腰を下ろしたミルルに尋ねる。


「私も理屈はよく分かっていませんが、あれの中で食材を扱うとゴミがつかないそうなんですよ」


「魔法ってのはそんなこともできるのか?」


 ジェンケルの言葉に、チェリコは首を振る。そんな話は聞いたこともない。そもそも、ああやって水球の膜を均一な厚さで維持しながら中で炎を燃やすなど、いくつの魔法を同時発動すれば可能なのか、想像もできない。


「次に食材を切る。サイズは一口大だ」


「はーい」


 リリアはシャボン玉を維持したまま、さらにもう一つ水球を作り出し、そこへ食材を通して洗い、空中で風の刃を操って皮を剥いた。くるりと芋が回転したかと思えば、食べやすいサイズへとバラバラになっている。

 根菜を洗って泥に汚れた水は他と混ざらないように地面へと捨てる。そんなことをしたら地面がぬかるむのではないかと視線をやれば、濡れたはずの地面は乾いていた。


「待ってくれ、リリアちゃん。生ゴミをその辺に捨てられると困る。野犬が寄ってくるからな。まとめておいてくれれば後で埋めるから」


 ジェンケルは、目の前で起こっているその光景がどれだけ常識外れなのか、なんとなくでしか理解できていないのだろう。調理と呼ぶにはあまりに高度で繊細な魔法の行使。

 だから、その集中を崩すような声を横合いからかけてしまう。

 気負いもなく自然に発された声は、チェリコが止める間もなかった。


「こんな感じ?」


 だというのに、リリアは軽く地面を一瞥しただけで深い穴を掘り、そこへ不要な野菜の部位を捨てて行く。


「いや、大したもんだ」


 大したもの、どころではない。

 冒険者にとっての『強い魔法』はどうしても攻撃魔法へと印象が偏りがちだ。自身を強化する付与魔法や、傷ついた体を癒す治癒魔法もそうだろう。しかし、詠唱もなくこれだけのことを並行して魔法で行えるリリアが本気で戦闘に使える魔法を行使したならばチェリコなど足元にも及ばないはずだ。魔法が使えないジェンケルに、それをどう理解させればよいのか分からない。


「野菜は火の通りにくいのから順番に炒めるんだよね?」


「そうだ。よく覚えていたな。賢いではないか。ただし今回は干し肉をの塩抜きも同時に行う。そのままでは堅すぎる。煮戻した湯はシチューの味付けに使うので捨てぬように」


「圧もかける?」


「もちろんだ」


 人並み程度には料理ができるチェリコにも理解できない単語が混じる言葉を交わして、リリアと悪魔は調理を続ける。ここまで包丁も鍋も出てきていないというのに、調理が進んでいることだけは誰の目にも明らかだった。

 干し肉は薄くスライスされ、宙に浮いた小さな水球の中へと浸される。水の中には臭み取りであろうハーブが浮いている。時を置かぬ内に水球から湯気が立ち始めた。火を使うこともなく、ただ水温だけを上昇させているのだ。


「未熟者。湯気が漏れておるではないか」


「うー、ごめんなさい。こう……?」


 リリアが水球を見つめると、湯気が収まる。水温が低くなったのかと思ったが、そうではないようだ。よく見れば水球の表面から陽炎が立ち上っている。


「ミルルさん、あれは何を?」


「ええと、チェリコさんたちは山で野営をされたことはありますか?」


「何度かあるよ」


「侯爵が教えてくれたんですけど、山の上の方だと、ぬるいままのお湯が沸くらしいじゃないですか」


 ミルルの言葉にはチェリコも心当たりがあった。山の上で煮炊きをするときは、そのあたりを意識しなければ生煮えの飯を食べることになる。


「それで、圧……って言うらしいんですけど、それが弱いとぬるくてもお湯が沸いて、逆に強いとすごく熱くなってもお湯が沸かないらしいんです」


「ああ、ありがとう。分からないことが分かったよ」


「すみません、私がもっと料理のことを分かっていれば良かったんですけど」


 頭を下げるミルルに、チェリコは慌てて両手を振る。


「いや、こっちこそすまないね。変なことを聞いて」


 今の話は料理の知識ではない。世界がなぜそうなっているのかを問うことは、王都の学者先生たちが額をつきあわせて考えるような魔法の知識だ。

 話し込んでいる間にも調理は進み、調理油を絡められた野菜たちが宙を踊るようにしている間に焼き色がついていく。


「ルーは我が作ってやろう。まだ牛乳からバターを作るのは荷が重い。もう少し修練を積んでからだな」


 言うが早いか、白い水球――悪魔の言葉を信じるならば牛乳球が闇の中から出現し、高速で回転したかと思うとバターが出来上がっていた。チェリコはもはや驚き疲れた。

 小麦粉とバターが宙で混ぜられ、溶けあい、炒められていく。

 訳の分からない魔法技術を見せつけられ続けているが、最終的な調理の手順自体はチェリコにも馴染みのあるものだ。

 悪魔に手ほどきを受けた料理は、きっと美味しいのだろう。


「堅パンと干し肉だけのつもりだったんだけどね……。豪勢な夕飯になりそうだ」


「はい、楽しみですね!」


 チェリコの独り言に、ミルルが笑って頷いた。

 なるほど、悪魔憑きの妹を持つと、姉という生き物はこうも神経が強くなるらしい。

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