女帝蜂の献上蜜 3
「どうした!」
ジェンケルから声をかけられたチェリコは、本来ならばすぐにでも敵襲ではないことを伝えなければならなかった。しかし、敵襲ではないが異常はあった。
チェリコが作り出した泥馬の隣に並んで、もう一頭の泥馬が出現していた。
「この子は、リリアちゃんが作ったのかい?」
できるだけ優しく聞こえるよう問いかけた。子供をあやしていたのはもう十年以上も前になるのだが、チェリコもまた人の親である。
「うん。お馬さんが増えたら、もっと早くハチミツのところに行ける?」
無邪気な返答に、チェリコは眩暈がした。マッドゴーレムを馬型に成形して走らせる魔法は、容易く習得できるものではない。
クリエイトゴーレムを覚えるだけでは足りない。馬という生物を観察して、知悉しなければ泥人形で馬を再現することはできない。故に泥馬の使い手は多くが騎士だ。その教練仮課程で必ず馬と触れ合う彼らは、土属性の適性があれば習得を推奨される。
チェリコは平民であるが、生家は牧場だった。おかげで、中堅冒険者としては珍しい泥馬の使い手として指名依頼を受けることもある。今回の護衛任務もそれだ。
「おい、チェリコ。こいつはどういうこった」
馬車の後方を警戒していたジェンケルがミルルと共に駆け寄ってくる。チェリコは慌てて泥馬に足を止めるよう指示を出した。
並足で歩いていた泥馬はチェリコの意のままにゆっくりと足を止めた。そして、リリアが作ったという泥馬もまた同じように足を止めていた。暴走することもなく、リリアの制御下にあるということだ。
「リリアちゃんが作ったらしいんだよ。この年で泥馬の魔法が使えるだなんて、将来が楽しみだね」
チェリコの言葉に、ミルルが視線を逸らす。その所作に不自然なものを感じる。その後ろめたそうな雰囲気で、チェリコはもっともあり得ない可能性を考えてしまう。
「ううん、チェリコおばさんのを真似したの」
そしてその考えはあたっていた。
「あたしの泥馬を見て、それでこの子を作ったって……?」
そんなことをできる人間がいるとしたら。
「クリエイトゴーレムの天才じゃないか」
「クリエイトゴーレム……?」
今度こそ、チェリコは絶句した。泥馬を真似たどころの話ではない。そもそもの前提が違う。
「すみません。リリアは……少し、かなり……常識はずれで……」
頭を下げるミルルは肩身が狭そうだ。魔法を少しでもかじったことのある者なら、リリアの行いが常識はずれなどというかわいい言葉で済ませてよいものでないことは明らかだ。態度からして、ミルル自身もそれを理解しているのだろう。
「ねえねえ、チェリコおばさん。二頭で引いたら、速くなる? もっとたくさんの方がいい?」
姉の心を知ってか知らずか、リリアは無邪気に問いかけてくる。そして、その問いかけの内容は聞き捨てならないものだった。
「……泥馬をさらに増やせるって?」
「うん! 出す?」
言葉と一緒に、リリアはピッと地面を指さした。もこもこと土が動き、泥馬がさらにもう一頭増えた。見ただけで魔法の習得、無詠唱で同時発動。センスだけでも異常だというのに、魔力量まで規格外だ。
「待て待て待て、これ以上馬車を早くすると俺たちがついていけない。荷台に乗ったら後方や側面の警戒はどうする。そもそも、三頭で引いたら車軸が持たないんだ」
ジェンケルが慌てたようにリリアへ声をかける。
「駄目かー」
残念そうに俯くリリアはとても残念そうで、それだけを見ているとかわいらしい子供にしか思えない。
今さっき数十年分の魔法修行が全てひっくり返されたチェリコですら、慰めの言葉を口にしたくなる。
「あの、ジェンケルさん。乗馬は嗜まれますか?」
そこに声をかけたのはミルルだった。
「乗馬? ああ、チェリコの実家が牧場でな。俺も一通りはこなせるぞ」
「私も乗馬でしたら心得があります。今日はもう遅いですが、明日からの移動を騎乗していければ、速度を上げられないでしょうか。薪に使える枝は拾えなくなりますが、日数が短くなれば物資にも余裕ができるのではないかと」
ミルルの提案は、悪くない。
自分から申し出るくらいなのだからある程度は乗れるのだろう。ジェンケルの武器も剣よりは間合いの広い短槍であるため、馬上でもそれなりに戦える。
「どうするんだい、ジェンケル」
「馬上からどの程度気配が探れるか、やってみないと何とも言えないな。速度が上がる分だけ目立つ代わりに、こっちに追いつける魔物や動物も減るはずだ」
少し考える風にしてジェンケルは頷いた。
「よし、ミルルさん。とりあえず今日の野営場所まで騎乗して行ってみよう」
「わかりました」
ミルルの返答が心なしか弾んでいる。なんだかんだとこの少女もここまで歩き通しだったのだ。乗馬も乗馬で体力を使うが、徒歩とはまた種類が違う。
「大丈夫そうなら明日からもリリアちゃんに泥馬を作ってもらいたい。お願いできるかい」
ジェンケルがリリアへ視線を向ける。リリアは嬉しそうに頷いた。
「うん、任せて!」