女帝蜂の献上蜜 2
主要街道を外れても、即座に道がなくなるわけではない。林業や炭焼き、あるいは石切りを主な産業とする村はこの地方にも点在しているし、そこを縄張りとしている隊商もいる。
それらの村と街を繋ぐ道には宿場町こそないものの、野営に適した拓けた場所が作られている。
「ミルルさん、もう少しいったところで今晩は野営だ。この辺りならテントを張ってもいいし、そのまま荷台で寝てもいい」
ジェンケルは隣を歩くミルルへとそう声をかけた。ミル、というのは妹が姉を呼ぶときの愛称であると、顔合わせの時に聞いていた。
「分かりました。それでは、テントで。張り方も覚えねばなりませんから」
その受け答えには迷いがない。ジェンケルの娘くらいの年齢でしかないこの依頼人は、、旅のやり方を本当にこちらから盗む気でいるようだった。だからだろうか、幌付きの荷台があるというのに馬車には乗らず、ジェンケルたちと共に歩いている。
さすがに妹のリリアの方は疲れたのか、今は御者台でチェリコの隣に座っているはずだ。それでも昼過ぎまでは姉と共に歩いていたのだからたいしたものである。
「これからもジェンケルさんたちの様なかたを雇えるとは限りませんから。……たぶん、また無茶なところへ行くことになるのでしょうし」
「ああ、女帝蜂の巣へ行きたいなんてことを言い出すのは普通じゃない。そこは分かっているんだな」
先日の『夢見る蜥蜴亭』でのやり取りを見ていても感じたが、ミルルの方はまだ常識がある。自分たちのやっていることが無茶だという自覚があるだけマシだ。
「それは、もちろん。リリアの契約が無ければ、引きこもって寝ていたいというのが本音なんですよ」
そう答えながら、ミルルは少し早足となって前へ進み、乾いた木の枝を拾った。それを馬車の荷台へと放り込む。そうするよう教えたのはジェンケルだった。薪も馬車に積んできてはいるが、温存できるならそれに越したことはない。
枝を拾った手は多少荒れてはいるが白い。少なくとも、水仕事も畑仕事も日常でなかったことは確かだろう。引きこもって寝ていることが許される階級の出自であろう娘が、悪魔憑きの妹と旅暮らし。
「理由ありなのはミルルさんたちを見れば誰でも分かるとは思うが、もう少し隠した方がいいんじゃないか」
「あ、女将さんにも似たようなことを言われました。銀貨の扱いが雑過ぎる、こんなところで大金をちらつかせるんじゃないよ、って」
自分のお店をこんなところだなんて面白いですよねと、ミルルは笑って言う。ジェンケルは周囲に気を配りながらも、ため息をついた。素直な気質で忘れそうになるが、この依頼人はやはり『お嬢さん』である。
「世間知らずついでに聞きますけれど、冒険者さんも馬車を使うんですね」
「ソーロウボンズなんかで迷宮攻略をしてる連中だとまた違うんだろうけどな。この辺りだと護衛とか討伐とかの依頼が多いから」
移動距離が延びればどうしても荷物が増える。貴重な素材の取れる魔物を討伐したならば、その肉も皮も骨も、使える部分は余すところなく持って帰りたい。荷車が入れるところならば馬車を使った方がよいのは当たり前の話だった。
「今回の依頼がウチに回ってきたのは、ミルルさん達が行きたいって言ってる場所が場所だからだな。普通の馬車じゃあ、槍兵蜂に刺されに行くようなもんだ」
ジェンケルは馬車の前方へと視線を投げる。荷車を引くのはチェリコの魔法によって生成されたマッドゴーレム。水も飼い葉もいらぬ疲れ知らずの泥馬は、蜂の羽音に怯えることもなければ、刺された痛みで突然走りだすこともない。
「とはいえ、だ。無理そうなら引き返す。そこは最初に言った通りだ。依頼未達で経費と半金だけ。俺もチェリコも、悪魔ってのがどれくらい強いもんなのか、実際に分かってやしないんだ」
その言葉に、ミルルは当たり前のように頷きを返した。
「はい。上手く行ったら、女帝蜂の献上蜜はみんなで分けしましょうね。仲買いに壺で納品するだけでも一財産だって聞きましたよ」
やはり、どこかずれているとジェンケルは考える。女帝蜂の巣へ行くことが無茶だと分かっているくせに、その探索の成功を疑ってはいない。侯爵級悪魔の力とはそれほどのものなのか、あるいは。
「ひょっ!?」
ジェンケルの思考は、チェリコの素っ頓狂な悲鳴で中断された。黒黄の森はまだ遠く、獣や野盗の気配もなかったはずだった。
「どうした!」
背負っていた短槍を素早く構えたジェンケルは、チェリコへと声を投げる。馬車の進む先、それから周囲へと素早く視線を走らせ、目を疑った。
馬車を引く泥馬が、二頭に増えていた。