それぞれのクリスマスイヴ
※本作品は森見登美彦さんの「太陽の塔」のオマージュ作品です。しかし勿論「太陽の塔」とはまったく別のお話になっており、「太陽の塔」を既読の方でも未読の方でも楽しめる内容になっていると思われますので是非気にせず読んでいただけると幸いです。
クリスマスイヴ、俺はなんば駅のトイレの便座に座り腹をさすっていた。震えるほど痛い腹に腹を立てながら、震える声で俺は「クソが」と呟いた。
何故俺がこんな哀れで惨めな状態に至ったのか、時は数時間前に遡る。
朝、俺は自分の部屋で何をするでもなく、とにかく寒さを凌ぐべく分厚い毛布に包まっていた。
新今宮駅のすぐそばにあり、駅のホームからも某リゾート施設建設予定地の先に見える、デカデカと聳え立つ存在感だけは見事な古いアパートが我が住居である。すぐそばには更にデカデカと聳え立つ通天閣がある。
しかし本日からこんな愛すべき冬季長期休暇に突入したというのに布団にくるまり眉を顰め頭を掻き毟っているのは何故か。まさかまだクリスマスをマフラーに顔をうずめた可愛らしく美しい女と共に過ごしたいなどという叶うわけもなかろう願望に想いを馳せているのではあるまいな。これはいかんと自分で自分の頭をぶん殴ってやろうかと思ったが痛いであろうからやめた。痛いのは嫌だ。
そうしてまた毛布に包まり眉を顰め頭を掻き毟った。そうしてその後、溜め息を吐きながらズボンを脱ぎ、我が息子を満足させた。そうしてまた毛布に包まり眉を顰め頭を掻き毟った。
携帯が鳴った。
液晶に表示された「クズ塚」という名前を見て舌打ちをしながら電話に出た。
「メリーーークリスマーーース!!!ウェエエエエエイイ!!!フゥウーーー!!!」
「うるせえなクズが」
「住吉くぅん!!楽しんでルゥ?クリスマスイブ楽しんでルゥ?フゥウーーーー!!!」
「黙れクズ塚」
「誰がクズ塚じゃ、俺は貝塚じゃ」
「なんやねんクソが、朝からうるさいんじゃ」
「朝って、もう十一時やぞ」
「ギリ朝やろ、てかなんやねん」
「なんやねんってクリスマスやぞ!クリスマスイブやぞ!俺はこれからツレと遊んで夜からは女たちとパーティーなんだよ!!フゥウーーーー!!!」
「黙れクソったれが死せ!もう寝るわクソが!」
そうして電話を切ろうとすると貝塚が俺を呼び止める。
「おい待て待て、お前ほんまにクリスマスなんもせんで過ごすつもりかよ、もう俺たち大学三年やぞ、大学生活楽しめや、クリスマス楽しめや、外でろや!パーティーくるか?」
「んな汚らわしい男女の中に飛び込むわけがないやろ、俺は純粋なんじゃ、んなクソパーティーなんて行ってたまるもんか!このヤリチン野郎!」
「汚らわしくねえよ、てかお前のどこが純粋やねん、ただ童貞なだけやろ!」
「口を慎め!」
「おい、そんなことより外を見ろ、雪やぞ」
「おい!その名を口にするな!」
「別にあの子の名前言ったんちゃうわ!てかお前まだ未練タラタラかよ、はよ新しい恋探して童貞捨てろよ」
「未練もクソもねえわ、付き合ってもねえんだから。てかその話はするな!しかもこのクリスマスイヴによ」
「おいお前そのままじゃほんまに一生童貞やぞ」
「ええんじゃ別に、お前みたいな女の下半身しか見てない奴じゃねえんだよ俺は!」
「は?おい!俺は下半身だけじゃなく乳もちゃんと見とるぞ!」
「黙れゴミが!おいゴミクズ!お前はゴミクズだ!」
「おいこら、言いすぎやろ!ええ加減にせえよ!どうせお前はクリスマスも部屋に引きこもって一人でズリこいて終わりやろ!無様やな!ふひゃひゃひゃひゃ!!!」
「なっ!おいっ!うるせえ!ゴミクズ!もう切るぞクソが!クソ自慢しやがって!羨ましくなんてないぞ!クソが!」
そう怒鳴って電話を切り、怒りが収まらない俺は柔らかい毛布を一発殴った。
「クソが」
貝塚は俺の高校時代の同級生である。お互い高校時代軽音楽部に属しており(俺はすぐに辞めてしまったが)そこで知り合った。茶髪で髪が無駄にツンツンしており、身長は百八十センチ程であり俺よりも五センチ程高い。俺とは全くタイプが異なり所謂陽キャラ、いや自らを陰キャラと認めたわけではない、断じてそうではない。
高校卒業後は俺より全然頭の悪い大学に進学し、バンドマンをやっている。色んな女を抱いて回るような破廉恥クソ野郎である。そして高校時代から度々俺に何かしらの自慢をしてきて苛立たせるクズ野郎である。
そうして俺はもう一度「クソが」と呟いた。
もう一度毛布に包まってクリスマスイヴそしてクリスマスが過ぎ去るまでずっと眠ってやろうかと思ったところでまた携帯が鳴る。液晶に表示された名前を見て、もしかすると可愛らしく美しい女性から電話がかかってきたのではないかと僅かでも期待してしまっていた自分をぶん殴ってやろうかと思ったが痛いであろうからやめた。痛いのは嫌だ。
携帯の液晶には「タコ助」と表示されていた。そうして俺は電話に出た。
「クリスマスイブ、いかがお過ごしかね、住吉さんや」
「多分お前と同じだ」
「やはりそうだったか、君のことだからそんなもんだと思ったよ」
「なんだそんなもんとは失敬な」
「ぐふふ、でも事実であろうぞ?」
「黙れぃ!」
「少しは外に出たらどうかね」
「お前が言ってんなよ、お前が出てから言えよ」
「ああ、だから電話したのさ」
「は?」
「まあ要するに一緒に何処かへ出かけようぞ」
「何が悲しくてクリスマスイヴにお前みたいなタコデブ男と二人で出かけにゃならんのだ!」
「ぐふっ、ではこれから一日半程、クリスマスが過ぎるまで部屋に引きこもると言うのか?」
「あたりめえだろ!!」
「実に無様だなあ」
「ああ!?」
「ぐふぁふぁふぁ」
「笑ってんなよタコ助!!」
「笑われたくないのなら外に出るんだな」
「チッ、クッソ、わかったよ外出てやるよ」
「じゃあ今起きたばっかでだるいから十二時頃に落ち合おう」
そうして十二時に飲み屋で待ち合わせをした。
タコ助こと蛸川慈蔵は高校時代同級生として出会い、今現在通っている大学でも一緒である。名前は堅苦しくも思えるが容姿は全体的に柔らかそうである。身長は百六十センチ程で低めであり、ぶくぶくと太った容姿は豚のようにも見えるが顔はタコによく似ている。性格は穏やかだがさらりとイラつくことを言ってのける童貞タコ野郎である。まあ俺も童貞であるのは事実であるが、俺は童貞を大事にしているだけであり、捨てようにもどうしても捨てられない蛸川とは違うのだ。決して一緒にはしないでいただきたい。
貝塚や蛸川に煽られて外に出ることにしたはいいものの、これではただ二人の煽りに乗ってしまっているだけではないかと後悔しかけたが実際部屋にいても何もないことは事実であろう。腹も減っているし外に出て旨いもんが食えるならとここは後悔を取り下げた。
そうしてまだ待ち合わせの十二時まで時間があるので小説を読んで時間を潰すことにした。
三十分程経った頃、また携帯が鳴った。普段はこんなに鳴らんのにと苛立ちを覚えながら携帯を手に取り液晶を見る。今度は電話ではなくメールであった。表示された名前は「ダンボール制作員」であった。そうしてメールを開く。
「今日はあくまでただの冬休み初日であり、それ以前にただの十二月二十四日であります。ですので僕は今からいつも通り小説を読んだりゲームをしたりしようと思うのですが、何故か少し虚しくなるのです。何故でしょうか。」
その全体的にどこか陰湿さの漂うメールに俺は返信する。
「クリスマスイヴだからだ」
すぐにまた返信がきた。
「その言葉を口にしないでください!」
それにまた返信する。
「しかし事実だ。いやそれより俺は今忙しいんだ、この後人と会うんだよ」
そのメールを送った直後、今度は電話がかかってきた。電話に出ると「ダンボール制作員」の鬱陶しい低くうるさい声が聞こえた。
「ちょっと!住吉さん!人と会うって!まさか!おい!この裏切り者ぉ!!」
「おい落ち着け」
「誰と出かけるんだ!信じていたのに!」
「ただの蛸川だ」
すると「ダンボール制作員」は唐突に落ち着いた。
「なんだ、ただの蛸川さんですか。取り乱しました、申し訳ありません。」
「別にいいさ」
「嗚呼...クリスマスイヴ...ですか。」
「嗚呼、クリスマスイヴだ」
「僕はいったいこの二日間どうすればいいんでしょうか。」
「家に引きこもっていればすぐに過ぎるだろうよ」
「じゃあ住吉さんはなんで出かけるんですか?」
俺は言葉に迷うも、二人の奴に煽られてなんて言えるはずもなく、しかし嘘はつかずに言う。
「旨いもんが食いたいからだ」
「旨いもん?ポテチもうまいですよ?」
「いやまあ確かにそうだが、外で飲みながら旨いもんが食いたいんだ、肉とか。お前も一緒に来るか?」
「うーん、雪も降ってますし、僕寒がりなんで、炬燵に入ってゲームでもしてますわい」
「そうか」
「くれぐれもクリスマスに溢れ湧くカップルたちに飲み込まれて溺れないよう、お気をつけください。」
「ああ、じゃあな」
「はい」
そうして無意味な電話を切った。
ダンボール制作員こと箱作は大学の一年後輩で二回生の陰気な男だ。ロン毛でガリガリ、いつも黒い服を着ており、全体的に暗さが漂うというか、暗さが染み付いているような男だ。しかしそれとは反対に肌は異常に白い。寂しがり屋の可愛い奴だがこちらまで暗い気持ちになりそうになるので頻繁に関わりを持つことは避けている。
そうして俺はまだ少し早いが家を出ることにした。エロビデオを手に。そうして「TENGA」という名前の書かれたポストにそのエロビデオを入れようとした時だった。そのポストの使用者当人が現れた。そうして俺はそいつに声をかける。
「よう」
「ん、ああ住吉か」
そして俺は当人がすぐそこにいるなら手で渡せばいいと思い、そのエロビデオを直接そいつに差し出した。
「ん、これええぞ、出てくる人妻が綺麗でエロ...」
するとそいつは俺の言葉を遮る。
「ああ、いつも通りポストに入れといてくれ」
「んあ?せっかく会ったんやしわざわざポストに入れんでもよくないか?」
「あ、いや俺今から出かけんのよ」
「ああ、そうか」
「おう、女とな」
「ああ!?!?」
驚きと怒りが溢れる。
「女!?嘘やろ!?」
「嘘じゃないわ、クリスマスに女とデートや」
「おい!クソ!裏切り者!!クソったれ!!」
「お前もそろそろそういうのやめろよ、嫉妬で溢れすぎやろ」
「は!?ふざけんな!おい!戻るなら今のうちやぞ!行ったら終わりやぞ!」
「何言っとんのじゃ阿呆が」
「クッソ、お前、変わっちまったな、あーあ、信用してたのに」
「お前が変わらなさすぎやねん、じゃあな、お前もはよ恋人くらい作れよ〜」
そうしてうざったらしくニヤケながら手を振り去って行くそいつの背に俺は「クソが!裏切りクソ野郎!!」と罵倒した。
TENGAこと天下は俺と蛸川と同じ大学の同回生である。まるで天狗のような顔をしている。そして「江口会」の会長である。「江口会」とは主に素晴らしきエロビデオなどの研究に勤しみ、簡単に言えばエロビデオなどの貸し借りのための、極秘の会である。会員数は三人、俺と天下と蛸川だ。「江口会」という名前だが江口さんという方がいる訳ではない。ただ「エロ」の字をもじっただけである。
天下は俺と同じアパートに住んでおり、いつもポストを用いて「江口会」の活動としてエロビデオなどの貸し借りを行なっている。その分野においてこいつほど考えや趣味が合う奴はいないのだ。そしてその種の作品選びなどのセンスは俺よりも素晴らしい。尊敬できるほどである。しかしその分野以外では尊敬どころか良いところは皆無に思える。蛸川は大学構内のある場所において天下とエロビデオなどの貸し借りを行なっているが、どうも蛸川は同じような作品ばかり好く傾向があり、毎回毎回同じような作品を差し出されることで天下は度々蛸川に怒っていることがある。俺も少し怒っている。
しかしこいつがクリスマスに女とデートだと、そんな奴だとは思っていなかった。誠に遺憾である。
怒りを覚えながらそのエロビデオをカバンに押し込んだ。貸してたまるものか。
そうしてアパートから出る。外は参ったことに未だ結構な雪が降っており、場所によると多少積もっているところもあるようだった。空は雲で覆われており、まだ昼頃とは思えないほどあたりは少し暗かった。息を吐くと見事な白い息が出た。冷たい風は肌に刺さるようで、俺はマフラーに顔をうずめた。そうして俺は待ち合わせ場所である飲み屋に向かうのだった。
その道中、辺りにはこの雪の中、家族連れやカップルの姿が多く見え、俺はマフラーの中で「クソが」と呟いた。
飲み屋に到着、席に座りビールとおつまみを頼み、十分程が経てば蛸川がやってきた。
「やあ」
「おう」
「いやあ、寒いですなあ、参ったねえ」
「お前は脂肪があるからマシだろ」
「これがそうでもないんですわい」
そして蛸川はビールと見るからに味の濃さそうでうまそうなものをいっぱい注文した。そうして運ばれてきたビールを一気に飲み干す。そうして「ぷふぁーー」なんて言ってニンマリと満面の笑みになった。
「うまいなあ、我輩はビールと旨い飯さえあれば満足だ、クリスマスを共に過ごす女などいらん」
俺は声には出さず心の中で「心の友よ!!」と叫んだ。
そうして俺はカバンの中から先程のエロビデオを取り出し、蛸川の脛あたりをツンツンと足でつつき、机の下でそのエロビデオを手渡した。真剣な顔つきでパッケージを見て、裏もしっかりと見た蛸川は、突然またニンマリとして「これは素晴らしい、年末に実家へ帰るからそれまでに見て返すよ」
「いやあ、良いんだ、結構長い作品だからゆっくり見ろ、しばらく貸してやる」
「ありがたき幸せ」
そうして蛸川は二杯目のビールをぐびっと飲み、またニンマリとして「いやあ、良いクリスマスイブだ」そう言った。