EXPRESSION-発現
その日はうだるような暑さの中で始まった。朝起きたときは、何も特別なことのない一日の始まりだと確信していた。
エネルギー資源を輸入に頼る日本は電力が非常に高価なものとなり、自然に家庭用エアコン等は贅沢品になってしまった。
公共交通機関も都内で一時間に1本程度あれば良い方、そんな生活でも惨劇当初からはマシになっていた。
流奈意斗は顔を洗いながら鏡を見た。いつもと同じ顔、いつもと同じ日常、いつもと何か変わる様子はなかった。今日も大学行く予定だが、多分何も変わることはないと思った。
一通り支度を終えて、朝食のパンをかじりながら、ニュースを見ていた。
奈意斗の身長は176cmだが、細身でどちらかといえば色白な見た目が少し不気味さを醸していた。冷静であまり感情を見せない性格で友達も少ないし、作る気もない。
毎日が変わらないことで退屈さを感じていたが、あまり自分の人生に期待もしていなかったので、特に何かを変えようという気もしていなかった。
ニュースの内容は、南アメリカ連合がアメリカ帝国に併合されたというニュースだ。
アメリカは若きリーダーのレビルという男の手腕により軍部を中心とした秩序を形成。国家としての統率機能を無くしたカナダを併合し、次いでメキシコ、キューバと侵攻した。この段階でレビルは自信を皇帝と称し、アメリカ帝国の設立を宣言した。ブラジル・アルゼンチンを中心とした南アメリカ連合もついに軍門に下ったということだ。
「やあね、こわいわー、日本も独立区域とはいえ、いつまでつづくのかしらね~」
奈意斗の叔母、サエはコーヒーをすすりながらそう言った。本当に不安を感じているのか、サエ自身もわからない。この程度の不安は、この15年で飽きるほど経験して、疲れてしまった。
世界の行く末、自分の人生と生活、それを考えることすらも面倒くさいと思う程だ。
それは奈意斗も似たようなものだ。彼は6歳のとき、世界の秩序の崩壊に直面した。
不安がる人々、狂気に駆られる人々、この世の終わりのような光景の中で彼自身も不安に思っていたのかもしれないが、それももう覚えていない。気づいたときにはそんな人々を冷静に見ていた。奈意斗の心には、“くだらない”という言葉だけが浮かんでいた。
いつもより10分遅い登校だった。電車は一時間に一本、もう間に合わない。
「二時間目は遅刻だな、まあ、もともと出る気ないんだけど」
そんなことを考えて駅に向かった。
駅は異臭が漂っていた。
昔は日中に20万人が通ったこの駅も、今は日に千人行くのだろうか。
ちょっと、歩いてみたくなった。
駅の改札を通らず、歩いて3時間程度の道のりを選択した。しかし治安が悪いこの国で、3時間を歩くことは相当に危険だった。道を歩けば通り魔や強盗など当たり前の世の中になっていた。
それでもその選択は、奈意斗の心にある異常性によるものだろう。
彼は人の死に異常な興奮を覚える人間だった。この国では今や平気で人が殺される、彼自身これまで多くの死を見てきた、その中でいつの間にか死の魅力に取りつかれた。人生における極度の退屈が死の魅力を際立たせていた。
人の死を感じるとき、同時に美しさも感じるのである。なぜそんなことを感じるのかわからなかった。
歩いていくと、太陽で熱くなった車道の上に人の死体が転がっていた。死体の顔が太陽の光と車道からの熱で少し歪んで見えている。
まるで物のように捨てられた死体の哀愁が奈意斗を強く引き付けた。
その死体に近づこうと、歩道のガードレールまたいで車道に足を踏み入れた。
しばらく歩くと、何かの泥濘を踏んで滑った。少しよろけて空を仰いだ、雲一つない真っ青な空。
そこには翼を羽ばたかせた鳥が太陽を横切りながら飛んでいた。
いや、何かがおかしい、本当に鳥なのだろうか。
体制を立て直し、少しため息をついた後、もう一度空を見上げた。
それとほぼ同時に体が宙に浮いた、胸ぐらを掴まれたのだ。
「兄ちゃん、金くれや」
ノースリーブの長い赤髪で背の高い若い男が片手で奈意斗を持ち上げていた。口が酷く臭う。
その後ろにはサングラスの男がタバコを咥えながらクスクスと不気味に笑っている。二人組のチンピラらしい。
今の日本では、この程度のことはよくある事件だし、ただ奈意斗は自業自得とはいえ、運が悪いといった質のものだ。奈意斗もそれが解っていた。
奈意斗は全く動揺するでもなく答えた。
「金は持っていない」
その表情を見て、チンピラは怒りを顕にした。ただ金を取るだけのつもりだったが、それ以外のものも取りたくなった。
「むかつくわー、その顔。ほんともっと笑わせてやろう」
チンピラはナイフを奈意斗の口にツッコんだ。口の中に血の味が広がった、どこか切れたらしいが痛みを感じなかった。
奈意斗は思い出した。そういえば、さっきの道端の死体も口を裂かれて死んでいた。
どうやらこの二人は初めてではないようだ。
「ムカつくはその顔、お前何なん」
どうやら、奈意斗はそれでも無関心な表情を貫いていたようだ。恐怖の表情を期待している人間にとって強い怒りを誘う。
「目がムカつく、潰す」
どうやらチンピラは目を潰すことに決めたらしい。
そのナイフを振り上げた、その刃先には奈意斗の左目があった。奈意斗は流石に目を閉じた。
次の瞬間、血しぶきが舞った。瞼を開くと視界が真っ赤に染まりチンピラの頭が見えなくなった。
いや、無事なはずの右目にチンピラの頭が見えていない。チンピラの頭は吹っ飛ばされていた。
気づかぬうちに二人は倒れていた。チンピラが奈意斗の上にのしかかっていた為、奈意斗はすぐには身動きが取れなかった。
後ろのサングラスの男が恐怖の悲鳴を上げた。逃げ出そうと一歩踏み出した瞬間、死んだ。同じように頭が吹っ飛ばされた。
奈意斗はチンピラ越しに上空を見た。
さっきの鳥、やはり鳥ではなかった。翼の生えた人間、鳥のとさかのような髪型とツリ目が見えていた。空を飛ぶ人間は、もうひとり人間を抱えていた。黒人、顔に大きな傷を持つ巨漢の男だった。この暑さの中、フード付きの真っ黒なウィンドブレイカーをに身を包み、両腕にマグナムを持っている。
そのマグナムで、チンピラの頭を撃ち抜いたらしい。
「アンジェラス、本当にわざわざ始末しとく必要があったのかな」
羽の男は、黒人をアンジェラスと呼んだ。アンジェラスは無口な男だった、その返答に答えるより、最後の生存者の動きを目で追っていた。
奈意斗はチンピラの肉塊を押しのけ、立ち上がろうとしながら、アンジェラスの動きを確認した。
既にアンジェラスは銃を構えていた。二人は目があった気がした。
弾が放たれた。奈意斗には世界がスローモーションに見えた。確実に向かってくる弾丸と死、永遠に感じる数秒。自分の死に恐怖はなかった、むしろ不思議な充足感があった。死、これが死の実感、快感。それは究極の快感だった。
奈意斗は目を閉じて、その時を待つことにした、その美しい快感を味わいながら。
数秒が長く感じた、長すぎた、いつまでも届かぬ弾丸が気になって、奈意斗は目を開けた。
「おいアンジェラス、なんだよあれ、きいてねぇよ」
羽の男は驚きと恐怖を隠せなかった。当然アンジェラスが最も驚いていた。
弾は空中で静止していた。というより見えない壁に埋め込まれた。
奈意斗はその壁が自分の意志で発生したことにすぐに気がついた。
空中の弾は地面に落ちた。
アンジェラスは続けざまに5回発泡した。しかし、それは壁に埋め込まれた。
奈意斗はまるで昔から知っていたからのように、その能力の使い方がわかった。彼はその弾丸を勢いよく弾き返した。
恐ろしいスピードで5発の弾丸が、アンジェラスをと羽の男を襲った。
羽の男は、4発を避けたが1発足をかすめた。
その痛みで、アンジェラスを落としてしまった。約20mの高さから、落下したにも関わらずアンジェラスは見事に着地した。そのまま、近くの柱に身を隠した。羽の男が避けた弾丸がビルをえぐり、瓦礫が大量に落下した。奈意斗は自分の上に降ってきたそれを支え、アンジェラスの潜む柱に投げつけた。
アンジェラスは銃をマシンピストルに持ち替え、柱の陰を素早く移動した。
粉塵と、アンジェラスの異常なまでのスピードの為に奈意斗はアンジェラスを見失った。
アンジェラスは、奈意斗の死角に入っていた。
未だ息も上がっていなかったが、いつもより焦っていた。
「まさか、彼以外にサイコキネシスを使う人間がいるとは」
アンジェラスはマシンピストルを両手に柱の陰から奈意斗の様子を見た。ウカツだった。奈意斗と目が合ってしまった。
もう、今のタイミングでやるしかない。アンジェラスは柱を飛び出し、ありったけの銃をぶっぱなした。
奈意斗は近くの自身の体の倍はある瓦礫を持ち上げ盾の代わりとした。
アンジェラスにとってはこれも予想外だった、これ程大きな何かを持ち上げられるほどのパワーが有ることに驚いていた。
しかしそのまま撃ち続けた、瓦礫を砕いて一発でも当てればいい。特殊能力があるとはいえ相手は人間なのだ、それほど多くの弾丸を受け止めるパワーがあるとも思えない。そして一発で死ぬ。
盾は瞬く間に崩れ、粉塵が舞った。それでもアンジェラスは弾がなくなるまで打ち続けた。そして2つのマシンピストルが空になったところで、ようやく静寂が訪れた。
何も見えない。
しかし、上空にいた羽の男からは薄っすらと見えた、そして驚愕した。
「アンジェラス、逃げろ」
その言葉を全てを聞き取る前にアンジェラスの体に岩の破片が突き刺さった。彼は柱の後ろにもう一度隠れた。
体中から血が吹き出し、痛みが走った。アンジェラスの無表情な顔が歪んだ。
羽の男は、アンジェラスを引き上げるために高度を下げた。奈意斗はそこを狙い撃ちした。
「あぶねぇよ、バカ」
同じ頃、駐日ロシア軍第3分隊は、監視カメラでこの現状を目撃していた。
「ただいまより、ESPの掃討プログラムを開始する」
慌ただしく、出動をした戦車隊が奈意斗たちの場所に向かっていた。
まわりのビルを破壊しながら、奈意斗とアンジェラスの戦いは続く。
羽の男は、逃げ出すチャンスを伺っていた。
「あー、なんでこんなことに何だよ、だからやめろって言ったんだよ」
愚痴をもらしていると、遠方に戦車隊が見えた。
「いやー、これはやばい、これはやばいぞ」
羽の男は大声で叫んだ、
「おい、アンジェラス、そこのお兄ちゃん、ロシア軍だ」
アンジェラスはその意味を理解したが、奈意斗にはわからなかった。
アンジェラスは、考えている奈意斗の一瞬のスキを突き、羽の男と合流した。
「アンジェラス、お前ダイエットしろ」
奈意斗は、素早く瓦礫を投げつけたが、羽の男は間一髪それをかわした。
二人が飛び去っていく、それと同時に地鳴りが起こった。戦車隊が到着した。
「撃ち方用意」
戦車大隊の砲筒が奈意斗に向いた。
奈意斗はこれだけの戦車が一斉に大砲を撃ったとしても、それを全て止めるつもりでいた。気が立っていたこともある。
それは無謀なことであった。実際この時、大砲が放たれたら彼は死んでいただろう。しかし、一本の通信がそれをさせない。
「少尉聞こえるか、少尉、撃ってはならん。彼はターゲットではない。民間人だ」
「しかし、ドーベルマン中将、明らかにサイコキネシスを使っています。Nの可能性があります。」
「違う、Nではない。その他のエスパーとも違う。繰り返す、私が行くまで砲撃は禁ずる」
砲撃を止めたのは、カレイツェ・ドーベルマンという男であった。




