SMUGGLING
「これどういうことだ」
翌朝、アメリアはブラインドから渡されたディスクを、リンザーと総士をともに確認した。
極秘情報の玉手箱のような内容に、リンザーは思わず声を漏らした。
「これは、驚きね、アメリカとロシアの国交は両国からかなり厳重に管理されていたはずよ、しかも空路なんて特にそうだと思っていたのに。」
データは非公式なアメリカとロシアの貿易記録だった。
アメリアも予想外のデータに驚いていた。アメリカとロシアではキメラウィルス騒動後、アメリカの帝国化に伴い、関係は確実に悪化していた。アメリカの軍事力をロシアは恐れ、アメリカもロシアのキメラウィルス研究に対しては一定の警戒を払っていた、日本をはじめ各中立国で代理紛争などは起きているが、直接的な戦闘はまだ起きていない。ロシアは戦争のきっかけを徹底的に消すために、アメリカは戦争のきっかけを探すために、両国はかなり厳格にやり取りを管理していた。ということが政府要人の常識であったが、このディスクに書いている内容を考えるに例外があるようだ。
「アメリア、こんな情報をどこで手に入れたのか」
「私の裸を見た男」
リンザーと総士は驚き、たじろいだ。アメリアはそんな二人の表情をチラ見して、心の中でほくそ笑んだ。
「冗談よ、私は大学関係者で顔が広いし、EUの諜報機関はそれなりに優秀なの」
「その相手は信用できるのか。」
総士は不安であった。諜報機関の能力はともかく、こんな情報が簡単に手に入るほどのものなのか。
「いや、総士、これは本物だ、このサインを見てくれ」
リンザーの指先にはエリック・エンビード大使のサインがあった。
「つまり、大使公認で空路を使った密輸入が行われていたんだ。麻薬、薬品、兵器、奴隷までもか。」
総士は、密輸入のリストの中でいくつか気になるものを見つけた。
「この被検体とか、プログラムとか、そのコードについているESPってなんだろう。それと、この受取人のNって何だろう」
「N?」
アメリアは頭の中で、ある仮説が浮かんでいた。
「私たちが知っている情報を、A~Nまでのエスパーよね。その能力は基本的に分かっている。でもリストの中でNだけはその能力が未確認になっていた。私たちがこれまで確認しているエスパーは。」
アメリアのつぶやきにリンザーが答えた。
「麻布と渋谷で確認された大男がA、羽のある男がFと考えられる。それから奈意斗が渋谷で殺した爪の男がH、こっちで大量虐殺をやった女がテレポーテーションを使ったことからMと考えられる。」
アメリアは、その中にまだNがいないことを確認した。
「つまり、Nがエスパーならば、ロシアとアメリカというより、ロシアとNが取引をしていたということ。」
「アメリカでは12体のエスパーが製造されていると情報が上がっている。アメリカの帝国化の裏ににはエスパーがいる。そしてN、なぜ、ロシアとアメリカがつながっているなら、なぜそんな秘密の関係を続けるの」
アメリアの中では、疑問が残った。
「いずれにしても、重要なものはこっちだろうな。エンビード大使が関わっている以上、俺たちが一生懸命に交渉した査察も許可が下りないかもな」
総士が残念そうに頭を抱えた。
「いや、別に査察が来ても困らなかったのだろう。だから許可が出た。いずれにしてもこの輸入経路を探ることの方が重要だろうな。」
「そうね、査察の許可が下りても問題ないというところが気になるわね」
リンザーの言葉に対して、アメリアはボソッとつぶやいた。総士もリンザーも聞こえてはいたものの、この時は特に何も気にしなかった。
3人は話し合ったうえで、事態を大統領に報告し、研究所査察チームの動向も見つつ動き方を判断することにした。リンザーはドーベルマン宛の報告をまとめるため、自分のオフィスに入った。リンザーは今年まだ30歳という若手軍人ながらドーベルマン中将の側近となった人物だ。もともと空軍のパイロットを目指して入隊したが、空軍機能が低下していることも有り、何より彼は目が悪かった。別に日常生活に困るほどでは無いが、先天的なものだ。でも空軍パイロットにとって目は命であり、絶望的に不向きであった。
そんな彼はデータ解析能力とプロジェクトの調整能力がずば抜けて高く、副官として上官の意思決定になくてはならない寄与をする優秀な人材だった。陸軍の現地での実践に参加したことはないが、参謀として様々な戦地でドーベルマンを支えてきた。
彼はいつも思っている、求めている姿と求められている姿は違うのだ。
空軍に入ることが無理なのは学生時代から解っていた。そのことについて自暴自棄になっていた。
自分の生まれとその才能を呪っていた。
自分の計画を立てた人生が歩めないことはつらいことだ、ましてやそれが自分の努力でどうにもならないと余計に苦しいものだ。リンザーは努力家だったからこそ、この問題にとても苦しんだ。
彼が空軍パイロットに憧れた理由は父の存在だった。
父親は誰からも尊敬される空軍パイロットだった、危険な戦地に空からの支援を行い、多くの人を救った。キメラウィルス前からの功労は多くの表彰状ともに記録されていた。キメラウィルスにより死亡した時は、たくさんの人間から悲しみの声が聞かれたものだ。母親は終生父親に惚れ込んでいた、人として、男として本当に惚れ込んでいた。父親の悪口など一度も言ったことがない。親戚一同がみんながそうだった。それはリンザー自体もそうだった。
父を尊敬していたし、父のようになりたい、それはいつか父を超えたいと思うようになった。
それが彼の考えであった、父と同じ空軍パイロットとして、父と同じように成功することだった。
だからリンザーは空軍に合格できない、その時点で自分の人生が終わったと思っていた。
残念ながら彼は、食うために軍人にならざる終えなかった。父親のコネのようなものだ。陸軍に入り、訓練を受けたが、身体能力は平凡な男だった。その後、彼はドーベルマンと出会うまで、自分の人生に絶望しながら生きることになった。
ドーベルマンと出会い、参謀としての能力を見出されたとき、彼は人生の本質を知った。
やりたいことを貫くより、できることを貫くことこそ人生なのだと気が付いた。
しかし、世間でそれは、人生を諦めた負け犬の生き方だと言われるのではないか、そんなことを本気考えたりもするのだ。
リンザーはオフィスについて、初めて報告を聞いた。人間をハイ化させる特殊な体液を保有するエスパーを奈意斗が殺害したということだ。当該エスパーはJと推定され、国立研究所に送られていること、また当該研究所にはKとLと見られる存在が確認されている。
リンザーは不思議に思っていた。10年もの間、ロシアはエスパーと接触することすらほとんどなく、何処に誰がいるなどという情報は何も集まらなかった。
しかし、東京で奈意斗に出会って以来、A、F、H、J、K、L、Mと7体のエスパーに接触し、H、Jを2体を倒したことになる。いくら何でも事態が請求に動きすぎである。しかも、Mは奈意斗を追ってきた、ひょっとしたら奈意斗こそ鍵なのかもしれない。奈意斗を中心に世界が加速するような感覚だ。
「世の中すべてバランスで成り立っている。」
リンザーは先の会話を思い出していた。奈意斗という存在が現れたことで、世界のバランスが変わったのかもしれない、それだけ奈意斗という存在はイレギュラーで強力な存在なのではないか。
総士はアメリアとともに会議室で今後の方針を練っていた。
アメリカに一定程度のエスパーがいることは、当初から予想されていたが、そこに侵入する難易度が高いことは分かっていた。WHO査察の目的でアメリカに侵入することを考えていた、それは成功するとしても、おそらく空振りになるだろう。
それであれば、おそらく密輸入ルートの線から侵入することも考えるべきであろう。
アメリアは頭の中で何かが合点いかなかった。アメリカとロシアの間にある、二つの線の関係性が読めなかった。
そしてその中で、エリック・エンビードの存在は注意が必要だった。大使として米露の仲介役としての能力を担っている彼が、密輸入にも絡んでいる、取引相手が片方でもエスパーだとすれば、もしかするとエリックも怪しくなってくる。
「どうにかして、エリックに近づけないかな。」
総士は呟いた。アメリカに行く前にロシア側の後顧の憂いは断っておきたかったのだ。
アメリアも同じことを考えていた。そんな時、彼らの会議室のドアが叩かれた。
「どうぞ」
総士は、迷惑そうに許可を出した。そこで部屋には言いて来た二人組の男を見て、アメリアは声を上げそうになった。
男のうち一人は、以前にも会っていた、大統領執務室のアーロンだ。
「アメリア、総士、エンビード大使から君たちからの依頼について正式に検討している旨がWHOをとおしてあったそうだ、まずは一歩前進だな」
そんな言葉は全く耳に入らないほど、アメリアは驚いていた。
「ああ、こちらは・・・」
アーロンが説明しようすると、もう一人の男が前に出て自己紹介をした。
「外務省交易管理局のベルセルクと申します。まあ、ちょっと顔に特徴があるというか、無いというか」
その男は、サングラスを取った。総士は、驚いて腰を抜かしそうになった。その男は目がなかったのだ。
「あの、その、何と言っていいか、」
総士はたじろぎながら、おどおどしながら答えた。
「ははは、気になさらないでください。」
ベルセルクは笑いながら言った。彼にとっては特段珍しい反応でもない。
「総士よ、人を見た目で判断するなよ。ベルセルクはちょっと先天的に目がないで生まれたが、変わりに人にはない目のような能力を持ってんだよ、マジで感覚鋭い」
アーロンは自分のことでもないのに得意げに言った。
今日いる中で、最も驚いていたのはアメリアだった、アメリアはその男を知っていた、つい昨日会っていた。
その表情が解るかのように、ベルセルクはアメリアを“見て”微笑んだ。
「ああ、そうだ、アーロン、聞きたいことがあるんだ。アメリカ大使のエンビード氏に近づくことができないかと思っているんだけど、なんか方法無いか。」
総士は場の空気を転換させるために本題に入った。
「エンビードさんなら、どっちかといううとベルセルクの方がアテンドしやすいんじゃないか」
ベルセルクもうなずいた。
「しかし、もう査察については話が通ってるのに、何のためにエンビード氏に会うのですか」
ベルセルクは、物腰柔らかに聞いてきた。
総士は、とりあえずそれっぽいことを言おうとした。
「いえ、まあそのお礼もかねてかな。あとまあ、WHOの今後のこととか、世界情勢とかについても一応話しておきたい」
ベルセルクもアーロンもとりあえず納得したようであった。
「じゃあ、セッティングしておくよ。今ちょうど、時期も時期だから忙しくないはずだ。」
いくつか雑談をした後、ベルセルクとアーロンは部屋から去っていった。
「いや、しかし、失礼とは思いつつ、正直びっくりしたな」
総士は唖然としていた。あまりにびっくりしすぎて、アメリアがずっと口を利かなかったことに気が付いていなかった。
アメリアは混乱していた、何が起こっているのかわからないでいた。
「とりあえず、エンビードに接触できるなら御の字ね、総士、私今日はもう疲れたわ、帰ってもいいかしら。」
アメリアはとりあえず頭を整理するために、今日は落ち着きたかった。アメリアは昨日会ったブラインドと、今日会ったベルセルクという同一人物の行動に整合性が取れず、頭がパンクしそうだった。
総士は、取り敢えず頷いた。
総士は別にベルセルクに対して偏見があるわけではなかった。それよりも、アーロンの言っていたベルセルクの能力については少し気になっていた。
総士の考えでは、エンビードからアメリカとロシアの間の関係が明るみに出ると、そこにエスパーが絡んできている事実があるのだろうと考えていた。彼らは絶対的に人数が少ない、エスパーが人類に復讐戦争を仕掛ける場合、その人数が彼らの最大の弱みである。だから、秘密裏に行動しているのだろう。しかし、予想以上に彼らは我々の世界に浸透していた。
総士は、エスパーの目的が、それが単なる人類への復讐なのかはわからなかった。
考えてみれば、エスパー達が悪である、という前提は崩れている。おそらくキメラウィルスも、アメリカの帝国化も、世界秩序の崩壊も、彼らが裏で糸を引いたのかもしれない。しかしそれを作り出した者たちがいたことも事実だからだ。
もしエスパーが自分たちの身を守ることだけを考えていたなら、居場所を求めているだけなら、彼らは悪なのだろうか。
総士はどこか、直感的に物事をとらえる力があるのを自覚していた。しかし、いつもそれを説明できるまでは人前で話さなかった。
しかし、いざ自分の感覚が現実化した時に、最初から分かっていたかのようにふるまう癖もあった。言葉にできないなら、それは知らなかったことと同じだと考えているし、いつも何もできなかった無力感にさいなまれている。そういう自分が少し嫌になる。
いつも自分だけ最初から最後まで分かっているような気がしているのだったが、もしかしたら、それ自体がただ傲慢なだけなのだろう。それ自体に総士も気が付いていない。
アメリアは、今日もまたホテルに帰った。ホテルに帰り、ベットの横にある花瓶の横に外したメガネを置き、ポニーテールをほどき髪の毛を払った。髪留めのゴムもメガネの横においた。そして今日は服を脱ぐ前に、気配に気が付いていた。
「やっぱりあなたは、覗き見趣味の変態ってことね」
ブラインドは、部屋の中で待っていた。全く昨日と同じ位置で立っていた。
「昨日も言ったが、というかさっきも言ったが、僕は見えないんだよ」
ブラインドは冗談のつもりで言っているのだが、アメリアは全く笑えなかった。
「あんたはベルセルク、ブラインド、どっちなの」
「どっちでもいいが、世間ではベルセルクと呼ばれている。小さい頃はよくいじめられたから、みんなからブラインドと呼ばれていたよ」
「あなたの性癖は狂ってるは、ふつう嫌なことを思い出すようなあだ名で自分を呼ばせるようなことなんてないし、毎日ストーカーみたいに人の部屋に勝手に入って覗き見ないし、そのストーカーしてる女に職場で普通にアプローチしないわ」
あまりに皮肉たっぷりに言われて、さすがにベルセルクも気持ちよくなってきた。大笑いだった。本当に自分の性癖はおかしいのではないかと思ったくらいだ。笑ってしまった。
「僕の心はボロボロだよアメリア、何度も言うが覗き見もしていないし、職場でアプローチもしていないよ」
「微笑んできたじゃない」
「ウィンクもしたよ」
「ふざけないで」
しばらく沈黙が流れた。
「微笑みかけられったぐらいで過剰反応するところを見ると、君も随分ウブだな」
「この不毛なやり取り、まだ続けたいのね。用件を言ってよ」
「エンビードについて気付いてくれてよかった。昨日君に変態呼ばわれしながら侵入した甲斐が有ったよ。」
「普通に伝えてほしかったわ、あなたがこんなことしている理由は何。」
「私にも立場がある、結果君たちに協力しているんだから、文句はないだろう。」
「いいえ、信用できないの、そもそもあの情報だって本当かどうかわからないじゃない。ロシアとアメリカが非公式に貿易を行って、それにエンビードが関わっているなんて」
「サインも見たろ」
二人は会話をしながら、次第に相手を理解しようとしていた。アメリアは口で言っていることと反対に心のどこかで彼を信頼し始めていた。アメリアはもともと疑い深い人間だった。しかしベルセルクは何故か信用できる気がしていたのだ。
だが敢えて疑い深い目で見ようとしたし、その態度をした。
「私のことを知りたいと思うのは当然だ、しかし今は目的を明かせない。ただし、言っとくが私は味方だ」
「じゃあ、あなたは何で私を信用してるの。」
アメリアは少し強めの語気で敢えて言った。
ベルセルクは、少し深呼吸をしてから答えた。
「3つある。一つ、君の経歴を調べて信頼できる能力と経歴を持っていること、二つ、君は上辺だけでない信念を持った人間で、公平で優しい人間だ」
「二つ目はどうやってわかるの」
アメリアは途中で口をはさんだ。ベルセルクは、たじろいだが、すぐに答えた。
「初めて会った人間のほとんどは、私のこの顔を見て思うんだ。怖い、気持ち悪いという忌み嫌うか、またはかわいそうだと同情するかだ。さっき会った総士という男もそうだった。しかし君はそんな風に人を判断することなく、それどころか私に公正さについて指摘してきた。ハンディキャップは犯罪の理由にならないとな。そういうところだよ。君は心の奥から公正であろうとする。公正とは正義の原泉、正義は正しい行動の原泉だ」
「私だって怖かったわ、あなたを最初に見たとき」
「それは関係ない。誰だってそう思う。例えば2Mの大男や、眼つきのきつい女を見てもおんなじことを思う。要はそれを見て余計な判断をはさみ人を判断し序列をつける行為だ。君はそれをしなかった。そういう人間の正義は信じられる」
アメリアは微笑んでしまっている自分に気が付かなかった。そう言われて嬉しかったのだ。
それはアメリアはそんな人間でありたいと思ったし、そう評価してもらえることが自分を認めてもらえたようでうれしかった。
「なんだ、褒められてうれしいか。」
ベルセルクが指摘すると、すぐにアメリアは微笑むのをやめた。
「3つ目は、」
アメリアは、自分が恥ずかしくなって、照れを隠すように聞いた。
「それは、この前も言ったさ。」
「私の体が美しいってこと、冗談言ってるの?体で女を判断するって、男として最低よ」
アメリアは口では言っているが、これがとても嬉しかった。目が見えていないベルセルクに言われることの意味は、アメリアもわかっていた。ベルセルクも口にしないでも伝わっていると知っていた。見えてはいないが、彼女が魅力的であることをベルセルクは伝えたかったのだ。
「それで、私を信じるのか、信じないのか」
ベルセルクは最後のつもりで聞いた。ただし答えは分かっていた。
沈黙があった、アメリアは考えた。