LOVE
ホテルの自室に帰ったものの奈意斗は寝れなかった。次の日に対し漠然と不安を感じていたこともある。
外に出てみた、街はまだ明るく、酒を飲み交わす人々で溢れている。しかし奈意斗は危険な空気を感じていた。少し暗い道に入り、奥の路地の方にある気配を感じた。奈意斗は少しずつ近寄ってみた。
女がいた、どうも酔い潰れているらしい、項垂れていた。ぐったりして座っている。こんなところで寝ていたら風邪を引くだろうが、それは奈意斗にとってはどうでも良いことだった。少し焦げ臭い匂いがしていたが、タバコでも落として服が焦げたのだろうと思っていた。奈意斗はそのまま立ち去ろうとした。しかし、その女の腕がボトッと落ちたのを振り返り際に見た。最初は手を単純にダラけさせ、地面に落としたのかと思ったが違った。
その女の手は体から離れていた。しかし血は出ていない。奈意斗は驚きはしなかった。興味本位で近寄っていく。女は生きている。しかし、彼女から焦げ臭いような匂いがする。
千切れた腕のつなぎ目を見るとそこには灰が付いていた。明らかに可笑しい状況であるが、奈意斗は異常なほど冷静だった。項垂れていた女が頭を上げた、奈意斗の存在に気がついたらしい、女はかすれ声で助けを求めた。助けて欲しいと言っているようだ。既に頬が崩れて灰になっていた。女は奈意斗にすがろうと手を掛けてきた。その瞬間手が崩れ落ちた。その時の女の恐怖の表情、とおそらく叫びたかったであろうことが奈意斗にはわかった。
しかし、もうどうすることもできなかった。
「その子はゆっくりと灰になる。僕の能力だよ」
後ろから話しかけられた。
「君は、エスパーなのか?」
奈意斗は灰になる彼女を振り解いて、振り返った。話しかけてきた男は露出している体の部分に傷が見えた。おそらく身体中が傷だらけなのだろう。
「エスパー?エスパーを知っているんだね」
男は奈意斗がエスパーの存在を知っていることに驚いていた。
「君もエスパーなんだね、でも僕らと同じではない、仲間でない。天然のエスパーということか。じゃあ、はじめましてだね。ぼくの名前はジャック・ジャラモント、君の名前は?」
奈意斗は名前を聞かれたので素直に答えた。奈意斗が気になったのは彼の能力についてだった。
「ジャック、君はどんな能力なんだ、どうやって彼女を灰にした」
「能力を相手に教えるなんて出来ないよ。君がどんな誰かもわからないのに」
そう聞いたもの、彼はジャックの能力をある程度把握していた。ジャックは自身の体液をかけた人間をゆっくりっと灰にできるのだろうと思っていた。以前聞いた、中国で開発されたエスパーの能力については一通り覚えていたから、なんとか把握はできた。
「君、この人と、キスしたんだね」
奈意斗の問が唐突だったことと、それが正しかったことで、ジャックはびっくりした。ジャックは自分の力に気が付かれていると悟った。
「君の能力はそれかな、人の心を読むとかそういうこと?」
奈意斗は答えなかった。これによってジャックは勘違いをした。
「そういうことなら、君は僕には勝てないとわかっているだろう。君の取りうる選択肢は2つだ。味方になるか、敵になるかだ。どっちだ」
状況的を完全に誤解したジャックは見当違いなことを言っていた。
奈意斗がここに来る前、ジャックは灰になった女をナンパした。近くの宿で行為に及んだ。彼の体液が女性の体のあちこちに付着し、外から中からその体液の作用で体は灰になっていった。
行為の最中、女はナイフで何度もジャックを切りつけた。ジャックがそうして欲しいと望んだし、彼女もそういう趣味があった。
それは、ジャックの父親の影響だった。ジャックは生まれてすぐに母親を失った。出産による死だった。愛する妻を失ったジャックの父は、息子のジャックを恨んだし、精神に狂気が生じていた。しかし、それでも妻の忘形見のジャックを愛する気持ちがあった。狂気と恨みが愛を異形に変化させていた。
ジャックの父は彼をナイフで傷つけることを好んだ。そして、レイプに及んだ。父親の息子に対する異常な愛がジャックをどんどん壊していった。気付いたらジャックもそうされることを望むようになっていた。しかし心のどこか奥で、そんな父親を憎み殺してたいと思っていた。何度、父親を殺そうと思ったことだろう、灰になってしまえと思った。
彼には分かっていた。父親が自分を恨んで切りつけていることも、自分を愛していることも、そして母親を愛していることを。その二つの愛と一つの恨みが合わさって、息子に対する狂気の所業に及んでいることに。彼はただ大人しくただを受け入れた、その痛みを心地よいものと思っているうちに、いつのまにか自分がその快感を求め出した。
しかし、自分にその狂気を向ける人間を殺したいという気持ちがあった。
彼の能力は、その快感を求めて、さらにその後の殺意を満たすために目覚めたのかもしれない。
ジャックは今までも男女問わず人を何度も灰にした。
奈意斗は自分が勝つ為の条件を考えていた。それは、ジャックの体液に触れずにジャックを殺せばよかった。簡単だった。敵の射程距離外から物を投げつけていけばいい。鈍器のようなもので殴り殺すか、刃物のようなもので刺し殺せばいい。
残念ながら、ハリーの時のように意思のある物体をサイコキネシスで操ることは、意図的にはできない。サエが死んだ今、一生できないかもしれない。
しかし、道に転がるブロックや取れかけの看板を投げつければ、それで事足りると思っていた。
しかし、その余裕が油断に変わっていたことに奈意斗は気がつかなかった。まさか華奢なジャックがここまで強い踏み込みで、奈意斗との距離を詰めてくるとはおもっていなかった。
一瞬にして、顔が目の前に来る。ジャックの長い舌が唾液に濡れた舌が、奈意斗の鼻先をもう少しで舐めあげる距離だった。奈意斗はサイコキネシスを使う暇もなく、ただ運良く体を倒したために触れなかった。
しかし、倒れた奈意斗にジャックは唾を吐いた。奈意斗はとっさに手で顔を覆った。危なかった。掌ではなく裾に唾液がかかった。ナイトはすぐに袖を違って投げ捨て、距離をとった。もう少しで灰になるところだった。
「ははは、早いね君。」
ジャックはすぐに追いかけてきた。奈意斗は近くにあるブロックをサイコキネシスで手繰り寄せて、ジャックに投げつけた。
ブロックはジャックに命中し、ジャックは仰向けに倒れた。
戦闘能力としては決して汎用的とは言えないジャックの力、しかしこれが暗殺に使われるとするとかなりまずい。奈意斗はこの場で殺すべきだと判断した。
ブロックをサイコキネシスで持ち上げ思いっきりジャックの顔面にぶつけた。ジャックは一瞬にして顔の原型を無くした。
しかし、ジャックはそんなことで苦しめなかった。朦朧としつつ、そのまま立ち上がり奈意斗に向かって歩いてきた。
奈意斗は珍しく怖がった。ジャックは血だらけで、右目が飛び出しながらも、どんどん近づいてきた。鼻が曲がって、右の頬は陥没している、しかし彼はどんどんスピードを上げてきた。
奈意斗は一目散に、逃げた。大通りに出て、酒場の多い街中を走る。途中不良少年たちの冷やかしが聞こえてきたが、やがて悲鳴の方が多くなった。
後ろから、ジャックが追ってきていた。
ジャックは時たま人にぶつかったり、喉の奥から込み上げる血を吹き出して走っていた。
奈意斗は人混みをあえて選んで逃げていた。障害物の多い人混みを通ることで、少しでも距離を取ろうとしていたのだ。彼の頭には、被害が増えるという考えはなかった。
自分が逃げるだけで精一杯だったのだ。
外が騒がしい。ユナは夢と現の間でそんなことを考えていた。寝ぼけながら外を見ると、まるでお祭りでもあるかのように人々が騒いでいた。
異様な雰囲気の正体を確認すべくユナは外に出た。
そこには、だんだんと灰になっていく人々がいた。
無意味な快楽だけを追い求めた若い命達は、今何も為さずして死にゆく恐怖と絶望に阿鼻叫喚の様相を呈していた。
ユナはサイコメトリーを躊躇った。耐えられない、まさに目に見えるように死が迫る人々の心など覗いたら、自分はどうなるのだろう。
しかし、ユナはこの地獄の正体を知るべく、サイコメトリーを使わざる終えなかった。
人に死後の世界があるかはわからないが、人は自分の存在が無になることに恐怖を覚えるのは当然のことだ。
だが、長い思考の経験と、人生において達成するそれぞれの成功が、死を受け入れさせる。しかし、今日ここでただ酒を飲んでいた人間は違った。その恐怖と絶望はユナの心を砕くようだった。ユナはもう助けられない、癒すことのできない彼らの心を除き、心が砕けるような思いを持っていた。
しかし、その恐怖と絶望の中に奈意斗の姿と、それを追いかける顔を潰されたような異形の人間を見た。
いつのまにか涙を流していた。彼女は状況をある程度理解して、奈意斗を探しに走り出した。その場から逃げる為にも全力で走った。
奈意斗は商店街に差し掛かったところで、何かに躓いた。体が宙を舞ったように感じた。
地面に叩きつけられ、そのまま空を見上げた。
星が見える。星はとても綺麗だった。そんなことを考えてる暇なんてないことはわかっていた。でも、久しぶりに見た美しい星々はなぜか奈意斗の心を離さなかった。
「僕はまだ、ここにいるよ」
美しい星々に甘えるように語りかけた。子供が母親に存在を示すかのように。
ジャックは既に迫っていた。意識は不思議なほどしっかりしていた。顔面が潰れるほどの状態で、もう長くは生きられないであろう。ジャックは、星を見上げる奈意斗を見つけて、足を止めてその場に座り込んだ。
「もう、疲れたよ」
奈意斗は起き上がらず、ジャックに話しかけた。
「僕は大切な人を失った。君らの仲間に殺されたんだ。」
ジャックから反応はない。
「だから僕は君らを全員殺したい。でも、これは復讐なのか欲望なのかわからないんだ。もともとある欲望をおばさんの死を理由にして解放したいだけかもしれない。」
奈意斗はなぜこんな話をしているのかわからなかった。
ジャックはかすれ声で答え始めた。
「僕にもいたさ、そういう人。愛していることは憎むことなんだ。傷つけることなんだ。だから僕はたくさんの人のことを傷つけたさ。愛しているから。」
奈意斗はそれを聞きながら思った。愛なんて勝手だ。エゴなんだ。
ジャックは、その気持ちを見透かしたようにさらに話し始めた。
「誰かに愛されたかった。でもそれは、優しくして欲しいということじゃないんだ。僕の愛は憎しみなんだ。憎んで欲しいんだ、傷つけて欲しいんだ、父さんのように。」
奈意斗は立ち上がり、辺りを見回りした。さっき躓いたのは放置されていた、コンクリートの塊だったようだ。
彼はサイコキネシスでそれを持ち上げた。
座り込むジャックの頭上までコンクリートを持ったきた。
「ありがとう。君も僕を愛してくれるんだね。」
ジャックはそう言って、崩れた顔面で精一杯の笑顔を作った。
奈意斗は最後微笑みかけながら、思いっきりコンクリートを振り下ろした。
人混みを駆け抜けながら、ユナは奈意斗を探した。
人混みはまだ続いていた。そんな中で血がべったり着いた女がユナのコートを掴んだ。
「助けて、お願い助けて」
ユナは女を振り切ろうとした。おそらく奈意斗を追いかけていた怪物と運悪くぶつかって、血を被ってしまったのだろう。もう助からない、灰化が進んだいる。
ユナは女を振りほどこうとしたその時、女はユナの左手を掴んだ。
「助けて、死にたくない、死にたくない」
ユナはようやく女を振りほどいた。同時彼女の手には、血が女の手形のように付いていた。
「ユナ」
ユナは誰かに呼ばれて、ふと顔を上げた。
そこには奈意斗が立っていた。
奈意斗はユナの手を見て状況を理解した。同時に自分の行動が巡り巡ってユナにしっぺ返しを与えたことに気がついたのだ。
「奈意斗、来ないで」
ユナは強い口調で、近寄ろうとする奈意斗を牽制した。
「私はもうダメよ」
ユナは強い人を演じた。強い人を演じたいと思えることを幸せに感じていた。先に見てきた絶望や恐怖に打ち勝つ何かがあった。エスパー同士、少しは分かり合える存在の奈意斗に情けない姿は見せられない、強い自分の姿を心に残していて欲しい。そんな気持ちが恐怖や絶望を抑えていた。彼女はつくづく幸せだなと思うのだ。
奈意斗は逆に苦しんだ、なぜこうなったのかを自問した。
自分の過ちを直視できなかった。彼は後悔のような感情を感じながら、同時に冷静な頭の部分が働いていた。
粗末なステーキを振る舞う屋台飲み屋が近くにあった。そこにある肉切り包丁を奈意斗はサイコキネシスで手繰り寄せた。
ユナは奈意斗のやろうとすることがわかり恐怖した。瞬間的に体が逃げる。しかし、体が動かなかった。なんで。ユナは疑問と同時に答えまで出ていた。
サイコキネシスに捕まった。
そう、ユナの意思に関係なくサイコキネシスが体の自由を奪ったのだ。
「やめて、奈意斗」
そう言おうとしたが言葉は出なかった。頭では奈意斗の行動は唯一自分を助ける方法かもしれないと冷静に考える部分があった。
しかし、その後確実に来る痛みは想像できない。その恐怖は耐えがたい。しかし、体は動かない。
奈意斗はゆっくりと近づいてきた。
「やめて」
声は出ない、体が全く動かない。
ユナは心で叫び続ける。しかし、奈意斗は歩みを止めず近づき、遂に目の前に来た。
ジャックの血がついた腕が勝手に上がり、奈意斗の前に出された。
もはや恐怖で何もかもがわからなくなっていた。ユナはただ叫び続ける。
奈意斗はユナの腕の関節部分に向けて思いっきり肉切り包丁を振り下ろした。
「いゃぁぁぁぁぁぁぁぁー」